滝口さんと歩いた宮本川

お久しぶりの更新は、いつのまにやら大晦日。

2015年は、暗渠を通してさまざまなひとたちと出会い、新たな試みをおこなうこともできた、実に幸せな年でした。暗渠マニアック!発売以降、いよいよ日々の発信が出来なくなってしまいましたが、何かしら「貯めて」はいますので、ごゆるりとお待ちいただければ・・・と思います(すみません)。
2015年最後の記事は、暗渠マニアック!的宮本川ツアーの、後日談とします。
船橋の章は、現地の往復、そして郷土史家による文献を読み漁って書いたものでした。もっともお世話になったのが、滝口昭二さん。実に幅広く地元の歴史をしらべ行動されているかたで、調べたい事項は必ず滝口さんの文献に行き当たり、思いつくルートは必ず滝口さんが既に歩き記しているという、まるでお釈迦さまのような存在だったのでした(笑)。
宮本川ツアーの準備をしているとき、どうしても一目見たい、と思った古地図がありました。その地図をもとめ、お寺や小学校を回っていたら、なんと滝口さんに紹介していただける、という巡りあわせがありました。そして初対面はいきなり、宮本川を滝口さんと一緒に下る、という、ミニイベントに発展したのでした。
滝口さんはたいへん気さくな、そしてわかりやすく魅力的なお話をされるかたで、もちろん知識は豊富、手製の地図も丹念で、探究者として自分のモデルにしたい、と強く思いました。そしてなにより、ご一緒した宮本川では見えていなかったこと、周辺情報、生きた情報、さらなる深堀を経験できたのでした。
過去記事と重複するため、宮本川の詳細は省きます。以下、宮本川記事の補足を兼ね、新発見を羅列したいと思います。
まず、上流端の池についてはあまり変更はありませんが、高根道までの水路は、滝口さんでさえも「はっきりとはわからない」とのことでした。わたしが推している日枝神社下の小溝は、「湧水や雨水排水路があったかもしれないが、本流とは言いがたいかも」という推測でした。高根道に沿った流れ、ということがやはり有力であるようです。
最大のおどろきは、わりと初っ端に起きました。
その高根道を過ぎた場所もわたしにとっては不明瞭で、地元の方がガストの脇を流れていたよ、と仰ったことのみが得ていた情報でした。
滝口さんは、ここに「2流ある」と仰っていました。その片方は、
Miyar2
ここだというのです。
暗渠サインばかり目指してしまう自分としては、これほど「匂わない」場所はありません。ちょうどこの1ブロック隣に、いかにもあやしい細道があるのですが、それは「以前銭湯があり、通路として貸されていた私有地」で、暗渠ではない、ということでした。
かといって、ここだとは。一人で来たら確実にスルーだと思います(してました)。けれども逆さU字溝の隙間から覗き見れば、たしかに空間が残っていました。
しかもなんと、所有者とお知り合いだということで、奥の敷地にまで入れていただけました。
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するとそこには、
開渠が。
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まさか、こんなに立派な開渠が。ええー??
こんなことが、あるのか。千葉スリバチ会長と、高山氏とともに大興奮して写真を撮りまくりました。
それから、
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まいまいずマンホール(もしくはスリバチマンホール)の通りが水路である可能性は薄そうです。既に並行するものが2本あり、ここの道路に水があった記憶があるかたはいませんでした。
この日、奥にあった神社は、きれいに散髪されていました。以前はもう少し広かったのだとか。
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ガスト脇の暗渠がでてくるところ。先ほどの開渠との合流部でもある。
ここは以前も暗渠であろうと推測していた場所だったのですが、そこに滝口さんの記憶が合わさると、見え方がまただいぶ変わります。
ここに、たしかに開渠があった。そして、ドブの脇には細道がついていて、そこをよく歩いていたのだそうです。小学生のころの、滝口さんが。(脳内CGでどうぞ。)
おつぎは、わりと好きで毎回撮っていたここ。
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ここは水路ではない、と通りがかりの人から言われてしまいました。奥の家(現在は廃屋)への入り口だったと。
たしかに、住宅地図を見ても、ここに水路マークはつねに無いのです。滝口さんも、そうかもしれないと思ったこともあるが、ちがうようだ、といった結論のようでした(はっきりとは否定されないところがお優しいのです~)。
が、小学校脇を進むと、
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ここが小学校の排水路なのでは、ということでした。これは見逃していた!
宮本小学校の敷地に入れていただいたさい、小学校の縁のところには、ちいさな側溝がありました。もと水路かどうかは、なかなか判定の難しい雰囲気の側溝でした。
しかし、この排水路暗渠が存在することで、さきほどの家への入り口と言われた小径とここはつながり、となるとさきほどの空間も、傍流であった時代があるのではないか、と思わされるのです。傍流の存在は、小学校の敷地が複雑なくねりを見せている理由にもなるのではないか、と。
などと、往生際が悪いですが、ここはもう少し課題とすることにして。
宮本小の中には、砂山がふた山あり、上に墓地があった時代があった、なんて話をしたと思います。前校長の山本さんに教えていただいた情報でした。
その名残、もうないと思っていたら、いまもありました。
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墓地井戸、と呼ばれていた(る?)そうです。
墓地で用いる水を供給していたのだとか。
それから、
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小学校の向かいにはほんの少しだけ、墓地の名残がありました。
嗚呼、川沿いだけを歩いていたからどちらも気づかなかった。砂山の上にたっていた墓地群。いまは写真でしか拝むことができませんが、すべてが消えていたわけではなかったのでした。
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もう少し下ったところ。文具店脇からザクザクっと入ると、変わった車止めがありました。
この「ザクザク入る」は、なかなか勇気がいるものです。しかし滝口さんは天晴な行動力の持ち主でした。また、お知り合いも多いので、「○○のところの滝口です」「あらぁ、どうも」と怪しまれることもないという。
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下流部。
ここも滝口さんはザクザクと分け入っていきます。つられて我らも入ります。
滝口さんの旧地名、小字名、通称名などとにかく千葉の豊富な情報をお持ちです。いったいどうやってそれらを調べ抜いたのか、その術をいつか知りたいと思っていました。なんとなく、この行動力は一因であるような気がしました。
河口までいき、漁業権の話、ホテル市松の話、いろいろうかがって、名残惜しくも解散しました。むかしの街並みがより見えてくるような、たくさんの情報をお土産にいただいて。
さて、ゴハン(これ久しぶりw)。
市川の駅前、「かっぱ」で焼き鳥。
なぜ市川にきたのかというと、「市川真間に砂山の名残あり」と教えていただいたからです。宮本小にあったという2つの大きな砂山は、現在しか知らぬ者にとっては信じがたいものです。少しでも想像する手がかりを得ようと、滝口さんと別れたあと、市川真間に寄りました。・・・そこでの経験のことは、またいつか。
Kappa

かっぱは、市川駅前を見渡したときそこだけ空気がちがっていて、なんとも気になるお店でした。入ってみたら中にかつての市川の鳥瞰図があって、あれこれ復習ができてすごく良かったです。
中も外も、とても風情がいい。
にんにくしょうゆたれで、焼き鳥を数本。ビール。
ぷはー・・・やっぱいいよなあ、バーチー。
そうそう、今回の行程です。
Photo
カシミールスーパー地形セットを触ってみたかっただけです。
宮本川のため、いったい何度東船橋に行ったことだろう・・・
わたしが幼い頃に見ていた東船橋とは、まったく異なる、世界の見え方でした。
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おまけ写真。ずうっと時をさかのぼって、於東船橋。いとこと公園で遊んだときのもの。残念ながらこの公園がどれなのか、記憶にありません。土管のある公園、当時はよくある景色でした・・・
それなりに親しみのあったこの地、自分で探ることもとてもたのしかったけれど、滝口さんと歩くことも、ほんとうにたのしかった。滝口さん、山本さん、お世話になり、ありがとうございました。

そして最後に、お知らせがあります。
現在、滝口さん、そして山本さんにご協力いただく暗渠ツアー(+α)の企画が進行中です。
タイトルは、「暗渠マニアック!+千葉スリバチ学会 滝口さんと歩く城門川」。
日程はちょっと先ですが、2016年3月21日、海神あたりを歩きます。
詳細は今後、いくつかのSNSも使いつつお伝えしてゆきたいと思いますので、ご興味おありのかた、どうぞよろしく!
この宮本川ひとつとっても、御礼を言いたいひとは山ほどいます。書ききれないほど本当に、たくさんのかたがたのお世話になった1年でした。
あらためて、どうもありがとうございました。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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ミズベリング記事(暗渠と下水道)掲載のお知らせ

11月は、なんだか暗渠月でした。
昨年の11月も、思えば1日から松庵川ツアーで、「川の日ですね!」と画伯が言ったのでした。
今年の11月は、
座高円寺でのまち歩きトークショーと、境界協会コラボフィールドワーク(桃園川付き)
からはじまり、
西荻北暗渠博物館の展示
城山下支流暗渠マニアック!的ツアー
阿佐ヶ谷暗渠迷路の展示
ひねもすのたりさんでの阿佐ヶ谷暗渠迷路ツアー
と、杉並を行ったり来たりしていました。ご参加&ご来場のみなさま、関係者のみなさま、どうもありがとうございました。
ブログもぼちぼち再開したいけど、その前に、ミズベリングの担当最終記事が掲載されましたので、そのお知らせです。
Mizube
です。
さまざまな角度から、下水道愛について書いてみました。
次回がいよいよ連載最終回。感動のフィナーレを、どうぞおたのしみに!
さてさて、ぼちぼち、ここでも書いていけたらよいですが。
書きたいことは、ほんとうに、やまほど。

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ふたつの展示とひとつのトーク、など

またもお知らせの更新ですみません。
11月、以下の3つの暗渠イベントをおこないます。
ひとつひとつ、その企画に導いてくださった方がいらして、本当にありがたいこと。まだ準備中の身なので、とにかくがんばって準備したいと思います。
11/1
高円寺フェス内の「道草のススメ」というトークイベントで、杉並暗渠のお話をしてきます。マンホール、古道、境界のあの方々と、はなさんとともに。
初心者むけ、としたので、いつものネチネチは封印。「杉並の暗渠」を紹介したいと思います。
午前中、境界協会とのコラボフィールドワークもあります。いずれも無料、どうぞよろしくお願いします。

11/3 - 11/23
西荻窪タスカフェさんにて、西荻北暗渠博物館という展示をおこないます。トロールの森というアートイベントの一環です。
下水道写真家白汚さんのお力も借り、また、博物館らしく様々なセクションに分けました。「西荻北」ですから、こんどは松庵川ではない暗渠がターゲットです。期間中、暗渠サインパウンドケーキや谷戸カレーの販売も予定しています。

11/5-8
阿佐ヶ谷南にあるぶらっとりー阿佐ヶ谷という場所をお借りし、阿佐ヶ谷暗渠迷路という展示をおこないます。こちらは阿佐ヶ谷にある桃園川支流本流についての展示です。すぎなみアートさんぽの1企画。


11月はさんぽにもよい季節。杉並に、暗渠目当てに遊びに来てみませんか~。

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いまなおのこる、あのドブ 【花色街:長野の暗渠編】

出張が入ると、まず地図を見る。
これから赴く地の水路や暗渠の位置を、確かめるためだ。

長野市への出張が入ったので、やっぱり地図を見た。

目的地の近くには、縦横無尽に水路と暗渠(推定)が走っていた。
これはどちらが上流だろう?地形はどうなっているのだろう?
謎めいた土地だと思った。

しかしその後時間が取れなくなって、なにも調べられぬまま、あっというまに出張の日が来てしまった。

到着は夜。ホテルの近くで少しだけ歩き回ってみる。
・・・さっそくそれらしき空間がある。写真を撮るも、暗すぎて写ってくれない。

翌日撮り直したそこは、こういう空間だった。

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暗闇で感じ取ったこれは、なんとも・・・護岸といい狭さといい、格好いい暗渠にちがいない、という雰囲気を放っていた。

しかしまずは仕事をせねば。その後時間が取れたら、ここにも来よう。
目的地と、そこからの帰り道を詳細に検討する。上物の(地図上であるが)暗渠がありそうな空間を何か所か織り交ぜながら。下調べが出来なかったぶん、いつもの出張よりも今回は情報がすくないし、行きあたりばったり感が強い。ちゃんと、いい出会いはあるのだろうか。

善光寺近くの店「喜世栄」で朝食に野沢菜ときのこのおやきをいただき、仕事を済ませる。
歩いていると、「湯福川」という、開渠に出会った。

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信濃川水系・・・遠くに来たなあ、という気がする。
土石流が発生しやすい渓流であるという看板も。・・・渓流といえば郷里に近いような気がして、なんとなく親しみもおぼえる。

あまり観光名所に興味はないが、中学生の時に父が連れてきてくれたな・・・と思いながら、善光寺にも寄る。

Yuhuku2


善光寺そのものというよりも、善光寺を囲い流れる水路を見たかった。中学生のときの記憶からは、もっと平らな土地だと思っていた。否、なかなか傾斜がある。あのころの自分は、地形も水路も見ていなかった、ということか。
水路は、善光寺の敷地内ではなく外にあるようであった。そして、さきほどの湯福川の続きであるようだった。

しかし・・・暑い。境内の休憩所で、涼むことにした。そこでふと、これだけ立派なお寺があるのなら、きっと遊郭もさぞかし・・・と、思い至る。いそいで遊郭の情報を探す。

あった。ただし、現在それらしき建物はほとんど残っていないそうだけれど。
その名は、鶴賀新地というらしい。善光寺参詣客の精進落とし。やはり、街地の少しはずれに作られている。

地図を見てみよう。

Turumap                  mapionより拝借。

お見事な形だった。
地図上では、まだここは遊郭であるかのようだ。
水路を示す表記はないが、ここには足を運んでみたい、と思った。

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上掲の地図にもあるように、大門のあった通りが幅広で、じっさい、突然大門からが広くなる。言われなければわからない、住宅地の中なのだが。

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鶴賀新地の説明板のたつここは、東鶴賀町公民館。この建物が以前は見番であった、という。明治11年にこの地に遊郭が設置され、四十余軒の妓楼と多くの店が軒を連ねた、とある。ここの見番は、平成6年に建て替えられたそうだ。

嗚呼、もうちょっとむかしに見に来てみたかったものだ。

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web情報をみていると、名残の建物はほとんどないという。この建物だけ、それらしき香りを漂わせていた。そして、やはりそうだと、後から知った。(ちなみに建物が残っていた頃はこんな感じ。)
カフェー建築などはなく、大きくてシンプルなラブホがどーん。端っこのビルにスナックがぽつぽつ。そんな感じだった。

しかし、地図上の輪郭はくっきりと遊郭らしさを残していた。
ではその境界を歩きに行こう。わたしには、これこそがメインともいえる。吉原にも、洲崎にも、そして中村など地方の遊郭にも、ぐるりと囲むドブはあったのだ。果たして鶴賀にもあったろうか?その、名残はあるだろうか?

近いところから、輪郭に沿い歩き始めた。ただの道路、そして細めの道路。地元の資料を手に入れる暇はないのが、もどかしい。

Turu2
あっ・・・

これは暗渠だ。なんと、これまで見た遊郭の囲いの中で、ここまで暗渠らしいものはあったか・・・?なかったのではないか。

Turu0
青印の位置である。
細い道からさらにつづく抜け道のような。そこは暗渠だった。そして、

Turu3

今も水が流れていた・・・

なんともいえない、胸の高まりをおぼえた。
鉄漿のような汚くよどむ水ではない。さらさらと流れる細い水路。

でも、鶴賀のオハグロドブさん、おまえはいまも生きているんだね。

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さらに歩き進む。

ここで、わたしは「アッ・・・」 思わず声をあげてしまっていた。

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開渠があったのだ。

生きている。長野のオハグロドブは、いまもしっかりと生きている!

しかし、これだけ水が滞留しないので、低湿地のよどんだドブであった吉原のそれなどとはちがい、昔から綺麗な水路だったのかもしれない。「オハグロドブ」は失礼だったかもな。

今回見たいくつかのweb情報では、遊郭の遺構らしきものは強いて言うならラブホと飲食街、ということだった。けれど、実際に歩いてみると、遊郭を囲う水路は、他のどの遊郭よりも、健在だった。

興奮、さめやらず。
しかしいよいよ時間は無い。駅に向かい進んでいく。
だんだんと、地形と水路の向きがわかってくる。そこかしこに暗渠があることも。
たとえば長野市役所の前は、

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右手の駐輪場がそうだった。

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こんなふうに綺麗に蛇行する暗渠であり、中にはなみなみと水が流れている。

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橋跡、とおもいきや、

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跡ではなくて現役の橋なのである。

こんなふうに、地図上では左上から右下へと、取水された水がおそらくは農業用水路として、張り巡らされているようだった。
長野市の西側に裾花川が流れており、南側で犀川に合流、さらに千曲川に合流して千曲川が東側を北上していく。裾花川で取水された水たちが田畑をうるおし(以前はもっと多目的だったろうが)、余水は千曲川流域の方向にはけていく、という感じなのだろうか。

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細いものもある。おそらくこれは、水路自体は塞がれているのあろうと思うが、

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空間としてはいかにも暗渠らしく、

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途中からは雨水をあつめる場所として機能するようだ。

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往時は、細くとも流量のある立派な水路だったように思える。

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それが、この御方。

そう、前日の夜に、最初に見かけた暗渠さんなのだった。

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太い道路をはさみ、向こう側の白いフェンスのあたりに落ちていく。市役所の方向に向かって。

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この、「千歳レジデンス」のすぐ北を走る細い道がいまの暗渠である。
道の機能を果たしていない場所も、細い道として描かれていた。
そして、東側にむかって流れてゆき、おそらくは市役所前の水路とどこかで合流するような位置にある。

こうやって少しずつ、長野市の形状がわかってきたようなところで、そろそろおいとましなければならない時間が来た。

さて、ごはん。

Meron

暑すぎたので、しゅわしゅわしたものを飲みたくなり、喫茶店に立ち寄った。
「メロンスカッシュ」という文字を見つけたので、生メロンが添えられた薄緑色の飲み物を想像しながら頼んだら、これがきた。
なるほどねぇ。

Ramen
そして信州味噌ラーメン。
「吟屋食堂」の極味噌ラーメン、全部のせ。
長野=蕎麦、と思っていたが、信州味噌ラーメンも売り出しにかかっているようだ。
蕎麦とラーメン、いずれも郷里山形とかぶっている。山形も蕎麦の名所であるが、地元の人は異様にラーメンが好きなのだ。わたしももれなく大好きなので、このチョイスとなった。

長野の人は、ラーメンがどのくらい好きなのだろうか。・・・などと、濃厚なラーメンをすすりながら、ふたたびふたつの街のことを考えていた。

                       ***

簡単ではありますが、長野の暗渠旅はこのくらいにしておきたいと思います。
伝統ある、長閑なしずかな、緑に囲まれたこの街は、キレ味のある暗渠を隠し持った街でもありました。さて、次の出張の準備をしなければ、ね。

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展示「桃園川の記憶」のお知らせ

なんだかすっかり「お知らせ」ばかりの場所となってしまい、申し訳ありません。
今回もお知らせです。
(そろそろ待機記事を書き上げていきたいところです。。。)

桃園川と松庵川については、まだまだやりたいことがあって、中々終わりが見えません。終わりなんて、ない気もしますが。

このたび、桃園川沿いのカフェ、モモガルテンさんにて、桃園川の展示をやらせてもらえることになりました。これは「やりたいこと」のひとつでした。

Momopster

会期は7/15-8/30(つまり、もう始まっています;;)、営業時間や休日は複雑なので、モモガルテンさんのものをご参考にしてください。8/12-19は夏休みだそうです。

中野区部を中心に、流路、ほとりにあったものがたり、謎、むかしの写真などを10数個のパネルにして掲示してみました。暗渠マニアック!オリジナル地図を使った桃園谷の模型も置いてあり、触ることができます。
中野区部だけでも、こんなにネタがあるんだよなあと、作りながらうれしくなりました。ネタの中には、このブログにコメントをくださった方からご提供いただいた昔の銭湯写真なんかも入っています。暗渠に興味がない地元の方にも、たのしんでいただけるのではないかと思っています。

期間限定特別メニューとして、暗渠めし、暗渠ドリンクもつくっていただけます。
暗渠マニアック!、東京暗渠散歩、水路敷Tシャツ、なども販売しています。

もうひとつ。
「それは川自身の記憶でもあり、あなたの記憶でもある」の意味するところとして、桃園川に関する記憶を投函してもらうというコーナーを設けており、地元の方との情報交換をはかる予定です。それらをまとめ、9月に行う桃園川講演に含めてみたいと思っています。

暑い時期なので、無理に歩かず脳内暗渠さんぽとしゃれこんでみてはどうでしょう?(カフェなので、なにかご注文はしてくださいね。)
駅からすこし歩きますが、桃園川緑道を歩いたら到着するというロケーションであり、それもまたオツだと思うのです。古民家を改築したカフェ、つまり、開渠時代の桃園川をも見つめてきた建物、です。ぜひぜひ、足を運んでみてください!

実はわたし、暗渠メニューをまだ食していないのでした。先日ちらりとメニューを見たら、提案させていただいたものもあれば、目からうろこのものもあり。自分以外のひとのつくる暗渠めし、はたしてどんな味わいなのか、早く食べに行きたくってうずうずしています。

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2004年の桃園川

暗渠マニアック!関連の、ちいさなお話。
制作も大詰めの時期、ある箇所のイメージを伝えたくて、ふとあるものを思い出し手に取りました。

「たしか、前の散歩の達人で、とても好きなページがあったんだよな・・・。」

好きな雑誌と訊かれたら、真っ先に散達!と挙げるほど、好きでした。

街を丹念に紹介するのがいい。
廃線や軍跡など、ふと単独である記事もいい。
知ってるものも知らないものも、自分のツボである確率が非常に高い。

その中でも特に大好きで、何度も、何時間も、眺めていたページがあったのだった。

Santatu2004

それは、2004年。高円寺や阿佐ヶ谷の路地裏を切り取ったものだった。

わたしはこのページが、ほんとうに好きだったのだ。
理由なんてよくわからない。
知ってる場所も知らない場所も、その雰囲気も、「たくさん並べられた感じ」、も。

そして久しぶりに読み直してはたと気づくのです。

ああ、あそこも、ここも、桃園川の支流暗渠じゃないか。

北側支流のあの金太郎車止めは健在だけれど、落書きされてしまったな。
天保新堀用水らしき公園では、今はなき遊具が写ってる・・・!これはグローブジャングルか。そうそう、このあたりの時期、もっとたくさんあそこには遊具があった(何度も歩いてはいた)。すべり台、もっと下流にもあったよな。
匿名の投稿というのがほんとうだとしたら、このひとはきっと今近い趣味領域に居るのではないのかな。

いろんな思いが駆け巡り、そしてやっぱりマジマジと(執筆で切迫しているにも関わらず)、この宝物のような少し前の桃園川と、路地裏写真たちをながめていたのでした。

2004年当時、わたしはまだ「暗渠との出逢い」を果たしてはいない。
けれど、ある意味では既に出会っていたし、やっぱりわたしはこういうものが大好きなのだ、と。自分の中の妙な「一貫性」のようなものに、納得しうれしくなるひとコマでした。

暗渠マニアック!の、とあるページは、実は、こういったものからインスパイアされていたり、します。

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暗渠マニアック!刊行のお知らせ

わたしの興味の幅は、たいへんにせまいのです。

縄文海進、とか、江戸の町づくり、など時代が遠いものは、考えようとしてもぼうっとしてしまいます。
常に低い谷筋を歩いていたくって、台地上を歩くと眠くなってくることがあります。上水だって暗渠の仲間ですが、、、

それから、本業ではこれが専門と標榜できる領域があるけれど、暗渠に関連するような学問については、つねに素人です。地形や地質、あるいは歴史のことも。恥ずかしいほど知らないことばかり。

けれど、興味を抱いた事柄については、猛烈な熱量でかかわるときがあります。

そんな偏りの大きなわたしですが、わたしらしく書いていいと、声をかけてくれた方がありました。こんなにありがたいことはありません。しかし、常に一人遊びをしているだけ、みたいな自分。わたしらしく、だけど、ある程度多くの人に伝わるようなかたちにするには、どうしたらよいのだろう?

あれこれ考え、でてきたのが今回の形です。共著者の高山さんは、わたしの視点では物足りないと思われる部分を、ちょうど補うアプローチとファン層をもっていました。同じテーマに対し異なる書き方をするので、並べてみるとなんだかおもしろいのです。高山さんに書いていただけて、本当によかったと思っています。

勿論、たくさんのかたがたに目一杯お世話になってこの本ができたことは、いうまでもありません。
柏書房の山田智子さん。この本を産み出してくれたかたです。やさしく柔らかな雰囲気を持ちながらも、校了まえの過酷な時期に粘り強く、最後まで丁寧にお仕事をしてくださいました。わたしの遅筆なくせに細かいこだわりが有るところ、さぞご迷惑をおかけしたことでしょう。。
地図は、杉浦貴美子さんと深澤晃平さん。スリバチ学会に最初に参加したときに、出会った最強のふたり。その後さまざまな書籍で素敵な(すごく好みの)地図をつくられているのを見つづけ、・・・こんな日が来るとは、と感無量です。幾度も精密な検討をしてくださって、とっても個性的な地図を生み出してくださいました。地図の可能性や多様性は、想像以上でした。
デザイナーの加藤賢策さん、内田あみかさん。表紙の紙質、色、デザイン、地図のアイディアまでも、とにかくかっこよく、そしてかわいく、つくってくださいました。仕上がったものは想像以上にすてきで、作品が送られてくるたび歓声で、お願いして本当によかった、と、毎回思っていました。
信念も芯もある、そしてセンスと力のある、素晴らしいかたたちと一緒に仕事ができて、幸せだったなあと思います。

本文だって独力でできたわけではありません。わたしと西荻を再度つなげてくれた、さくらいようへいさんのイラスト。暗渠好きになった初期のころから、憧れていた下水道写真家の白汚零さんの写真。インタビューに応じてくださった、たくさんのひとたちからの情報。暗渠の先輩がたから、教えていただいたさまざまなこと。やっぱり、感謝は尽きません。

第一章は、わたしと暗渠の関係を書いただけのものですが、第二章以降では、いくつかの暗渠を主人公としたものがたりを、吉村セクションでは連ねています。共通テーマのほか、裏のテーマももうけ、それに沿って小さな情報を繋ぎました。本ブログで書いたことも含まれますが、大幅に書き直しており、ここでは触れたことのない、書下ろしもあります(実は書下ろしのほうが書きやすかったです)。
暗渠の辞書として川の地図事典、暗渠の教科書・ガイドとして東京暗渠散歩。そしてこの暗渠マニアックは、暗渠の 読みもの みたいに、なったらいいなあ。

読み返して、おもしろいと思える時もあれば、こんなの誰もおもしろがらないのではないか、と思う時もあります。どういう反応があるかわかりませんが、もう印刷に入っているから、 覚悟をしなければなりませんね。

長くなりましたが、暗渠の本を書きましたというお知らせでした。
冷やかしでも良いので、ちらりとでも、手にとっていただければ幸いです。6月25日の発売です。

すべての、かかわってくださったみなさまへの、感謝を込めて。

柏書房さんによる紹介ページ(購入もできます)

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ミズベリング記事のお知らせ

またお知らせです。なかなか記事が書ける状態になりません・・・

ミズベリングさんでの暗渠連載、第8回に寄稿しました(少し前になりますが)。

「水のない水辺から・・・「暗渠」の愉しみ方 第8回  神戸の川跡に魅せられて」http://mizbering.jp/archives/14039

です。
以前ここで、神戸の暗渠のことを何本か書きましたが、それらを1つにまとめたもの。
ですから過去記事と重なるところもありますが、郷土ネタ豊富な書籍からの情報を用い、あらたに追加した箇所もあります。
明治~昭和の神戸のようす、川を通して想像していただければと思います。

おそらくもうじき、三土さんの記事が公開されると思います。
ミズベリング暗渠連載は概論→事例ときて、フリースタイルに突入。三土さんのものは、これまた全然ちがうテーマです。どうぞおたのしみに!

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神田川茗荷谷支流(仮)の底力

暗渠を辿ることも新規に書くこともできない日々が、ここ数か月続いていました。
忙しいのは良いこと、かもしれないけど、そう思っていてもやっていられないくらいの。

世の中は連休、というときに茗荷谷で仕事がありました。ほんとうは別な仕事の原稿のために早く帰らなければならなかったのだけれど、3連休がすべて仕事でつぶれるのが悔しくて、せめて、暗渠を通って帰りたくなって。

もう日は落ちていたものの、飲み会に移行するみなさんを横目に、「コッチから帰ります!」と、駅ではない方向の、谷へと向かいます。

このへんの谷といえば、あそこ。以前、ミョウガの谷を歩く、というタイトルで、つたない記事を書いたことがあります。なんとなく好きな、気軽に辿れる、駅裏暗渠さんでした。
史料に乏しく、近辺の小学校の記念誌に「川があった」と載っている、程度の情報量でした。今回、大して史料が増えたわけではありません。けれど、かの地の「底力」を見せつけられたので、とにかく書きたくなったのです。

                        ***

駅のすぐそばから谷は始まります。
少しゆくと、「アユタヤ」と呼んでいる場所の前に猫がいて、目が合って、、なんとこちらに突進してくるではありませんか。
「うわ、襲われる・・・」 猫は大好きですが、この突進ぶりはなんだろう怖いぞ。猫パンチでもされるのか・・・と思っていたら、そのままドシーン!とわたしの脚にぶつかって、激しくスリスリしてくるのでした。

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ひとしきり撫でまわしじゃれ合って、やっと落ち着いてすましているところ。かわいいねえ、あなた。

Myoga2                        東京時層地図をキャプチャ

猫に襲われた場所は、だいたいこのへんです。

これは、良い夜になるぞ。そう思いながら下っていくと、藤寺(伝明寺)のところで、

Myoga3
歩道に水がじょぼじょぼとはみ出している。

ここってこんなに湧水あったっけ?奥の水抜きパイプから、水音までしています。こんなに湧いているのだったら、わたしはきっと興奮して以前の記事にも書いたはず。だから、今回は余程水量があるのでしょう。・・・さすが、「清水谷」と言われるところ。
明るいときに見に来たいな・・・

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と、地図を見ると、あれ、思ってたのと流路が違う・・・
茗荷谷支流(仮)は、時層地図を持つ前に訪れていたのです。それで、わたしは目の前に続く崖下の「道」を流路だと思っていたのでした。しかし本当の流路はどうやら道ではなかったようです。

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カッコイイなあと思いながら通っていたここは、既に川跡ではなかった模様。

では本当の川筋は何処か。現在はほぼ、「小石川車両区」に飲み込まれているのでした。

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しかし、車両基地の少し下流では道のようなものが存在し、覗けるようです。

あわわわ、そんなところに。・・・行ってみます。

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ある・・・明らかに暗渠が。
けれど真っ暗で入りにくいのです。数歩進んでみて、建物の入口が開いていることや、電灯がまったくないことから、身の危険を感じこの日は断念しました。暗がりで感じただけでも、かなり上物暗渠である気配はしました。

湧水のあたりから、じわじわ再訪したいと思いだしていたわたし。この場所との遭遇で、日を改めていくことに決めました。

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こんどは昼間に。

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アユタヤ前にきます。この日はスリスリ猫はいなかった。残念。

かわりに、お寺に上ってみました。滝澤馬琴の墓があるということで有名なこの深光寺、よく見てみると、なんと「清水山」でした。嗚呼・・・

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清水山の向かいには、茗荷畑があったのです。あれ、ちょっと前まで生えてたのに刈り取られている・・・
この地の由来として「江戸時代、茗荷畑が多かったから」というものがあり、それに因んで植えられたものだろうとは思うのですが。また生えるかな?そういえば茗荷の季節、これからですね。

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茗荷畑のおとなり、拓殖大学は工事中。
前掲の地図にあるように、拓殖大の敷地にはむかし大きな池がありました。

それともうひとつ、お隣にも大きめの池が並んでいます。そしてその池を含め、谷戸が西に分岐しています。そういえばわたしはこの茗荷谷支流(仮)は、本流を下るばかりでこの孫支流について確かめてこなかったように思います。
折角だから、この谷戸にもなにかないか見てくるか・・・

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文明開化期の地図では、この谷にも水路が描かれています。参照しながら水路ともっとも近い道を歩いてみると、そこは標高が高めでした。どうも水路は道にはならなかったようです。
この崖下に池があるのでしょう。古びた、良い柵。

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だいぶ高低差が出てきました。拓殖大の裏にあたります。コンパクトな、くっきりとした谷。中に建ち並ぶのは、素朴な住宅地です。谷を探すのでなければ、ここに来ることはきっとなかったでしょう。
こんな都会のはざまに・・・と受ける印象は、麻布の裏にある宮村の窪地や、白金台から池田山に下りるあの谷筋に、よく似ているように思いました。

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スリバチ最深部に、たしかに暗渠がありました。
明治期の地図ではもう少し奥から流れが来るように見えますが、今追えるのはここからです。

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苔むした良い蓋・・・小躍りするような良い暗渠でした(もちろん小躍りしました)。

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細い流れですが、たしかに一筋、谷の出口に向かって流れています。
明治の中ごろまでは、水田があったようです。前述の池は、お屋敷の中のようでした。弁財天を記す地図もあります。そして、江戸期の絵図をみるとこの谷に「茗荷谷」と書いてあります。

(後でググってみたら、ここの蓋暗渠は谷戸ラブさんがさらりと書いていらっしゃいましたwさすがw)

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ただの側溝に見えそうなのですが、この年季と雰囲気で、下流側から遡ったとしても気づけるかもしれない。

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最後は、こんなふうにガタついて。

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クキッと曲がり、本流に向かいます。お、角っこに暗渠カフェ。生憎昼前の時間でした・・・いつかあそこで食べてみよう、2つの流れのことを思い描きながら。

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おきまりの「地下鉄くぐり」。茗荷谷支流(仮)の名所のひとつだと思います。なにしろ「地下鉄」を「くぐる」くらいの谷なのですから。

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さてさて、湧水ゾーンに来ました。お待ちかね。

昼の景色は・・・

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コリャ湧くよ・・・

工事用のフェンスに囲まれた空間は、ほぼ湿地でした。墓地からパイプが突き出ていてその湿地にじょろじょろと流れ込み、そして道路にまで溢れているのでした。

そのパイプの元にも、行ってみたくなるというもの。

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お墓のすき間からも湧いてました・・・あちこちで湧いては溜まって。
この付近は一帯が湿地であったこと、この寺には清水が湧きだしていたこと。伝承どおりであり、現在も、水たちはたゆまず湧いています。

季節によるのでしょうか。いまが多いのでしょうか。最初に記事にしたときと、実はあまり季節が変わりません(冬)。

こういうところに蛙がつどいそうな気がします。そういえばさきほどの深光寺前の道、江戸~明治に「蛙坂」と呼ばれていました。蛙がつどう風景は、この谷一帯にひろがっていたのかもしれません。

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水抜きのパレードがゆくよ。

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以前は今きた道=流路と思い込んでいたわけですが、川はこの車両基地の中央にあったようなので、きょうはトンネルの反対側に行きます。なにかないかな、と。

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すると、トンネルの中でも湧いていました・・・

明治~昭和とあった大きな池が、やはり車両基地に飲み込まれ跡形もなくなっています。この場所はその池よりもやや北ではありますが、湧水池の記憶を示すもののようでもあり。明治の初期には、この谷には水田と小川、そしてぽつぽつと池がいくつもあったのでした。

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反対側の道に来たからといって特筆すべきものもありませんでしたが・・・豪快な坂を下れたことくらいでしょうか。激しい高低差を味わうことができました。

さていよいよ、あの真っ暗だった場所へ!

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入口はここです。

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数歩入れば、

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異な空間でした。
夏は草たちが通せんぼするのかもしれません。たいへんに暗渠らしい、よい侘びっぷりです。よくぞ残してくださいました・・・

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神田上水の道を渡って下流側へいくと、材木屋さんに、

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細い道に立派めマンホール、

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そして謎池。という、暗渠サインのオンパレードでした。

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神田川に注ぎますが、正しい流路の方には合流口はないようです。小桜橋の下に大きめの合流口があるので、付け替えられたのかもしれません。

さて、ゴハン(うーんコレひさしぶりw)。

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暗渠沿いというわけにはいかなかった(上流部の喫茶以外店なし)ので、「やぶ宗」にはいり、

まずは天抜きでいっぺえ。
あらら、美しく結ばれた三つ葉に上品なカマボコ。柚子の香り・・・おいしいかも、ここ。

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しめはせいろで。

ズズーッ。ごちそうさま!
サービスも気持ちよく(実は正月休み中だったのですが、「お年玉」と書かれたサービス券の入った袋をくださいました)、手の込んだ清々しいお店でした。

今回の行程です。

Photo

緑点線が神田川茗荷谷支流(仮)のラインです。時層地図のおかげで、できた発見でした。感謝と、ちょっとだけくやしい気持ちと。
谷底や合流口など、一度はその気にさせられてしまったわけでしたが、あぶないあぶない。わたしが「これ」と思い込んでいる流路、まだまだハズレがあるかもしれないな・・・

支流の蓋暗渠、今なお湧く水、猫に蛙(蛙は想像)、最高の下流部・・・新たに見せつけられた底力。今度は怖いもの見たさに、夏に行ってしまうかもしれません。

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お知らせ1点

またお知らせのみの投稿ですみません。
(現在ある作業中でして、それが終わり次第こちらに時間を取り始めようと思っています。)

Tokyojin

東京人5月号、「東京35区の境界線を歩く」に、暗渠の記事を3本書かせていただきました。
藍染川、神田川(旧流路)、外濠と龍閑川、です。

他にも暗渠にかかわる記事は複数。また、暗渠と親和性の高そうな「境界」のお話しですから、暗渠好きな方だったらぜんたいに面白く読めるのではないかと思います。

この東京人の原稿と、先日のカルカル地図ナイトでの発表、いずれも区境という切り口から暗渠をみる機会でした。そしてそうやってみてみると、もっと探求したいことが出てきます。もう少しまとめ、ここか、どこかで、書けたら良いなと思っています。

東京人、お手に取っていただけましたら幸いです。

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