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今日12月16日、鎌倉の鶴岡八幡宮で行われた専修大学文学部公開シンポジウム「王朝文学と宮中行事」に参加し、聴講後、シンポジウム参加者に用意された特別席で、八幡宮に伝わる御神楽の奏楽を拝観してきました。
シンポジウムの次第
挨拶:荒木敏夫 専修大学副学長、挨拶・解説:吉田茂穂 鶴岡八幡宮宮司、司会:西條勉氏
「源氏物語と宮中行事」日向一雅氏、「説話文学と宮中行事」廣田收氏、「唐物と宮中行事」河添房江氏、「王朝と御神楽」小山利彦氏
吉田宮司の解説では、頼朝が八幡宮を、源氏旗上げの際に由比郷鶴岡から現在の地へ遷祀したが、建久2年(1191)、町屋からの火災で社殿が焼失、頼朝は直ちに復興して現在の姿になり、建久2年11月21日に遷宮。この日、頼朝公は束帯、帯剣の正装で参列し、「吾妻鏡」には「好方、宮人曲を唱し、頗る神感の瑞相あり」と記されているように、この遷宮の秘儀には京都より伶人、多好方を招いて奉仕させたのが、この御神楽の始まりだそうです。
小山氏の講演によれば、御神楽は民間で行われる里神楽に対し、宮中の賢所で行われる御神楽のことで、寛弘2年(1005)内侍所の火災で神鏡が消失する事態が発生し、神に謝るため御神楽奉奏が行われことから内侍所御神楽が成立したとのことです。
今もが宮内庁式部職楽部によって、現在も毎年12月中旬に賢所で行われ、大嘗祭でも行われているそうですが、天皇と皇太子以外は見ることできないそう。
吉田宮司の話では、鶴岡八幡宮の御神楽も一般に公開されるようになったのは、昭和55年国立劇場での公演からだそうです。
真っ暗な寒天で、庭燎の明かりだけで行われる御神楽、さてどのような光景が繰り広げられるのでしょう。
画像は、御神楽奉仕員一同着席して、神官一行が本殿参拝を行って帰るのを待っています。(このときはまだライトアップされています)
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所定の特別席に案内されて席に着いたのは、4時半過ぎ。
じっと待つこと30分以上? 昼間は暖かだったのに、どんどん体が冷えていきます。
薄暗い中、階段の上の本殿から柏手の音、そして神官たちが靴音をたてて、戻ってきます。
修祓の儀が終わるとライトは消され、真っ暗の中、「人長神楽始を申す」声、そして庭燎に火が焚かれ、荘厳な雰囲気になってきます。
>>1
御神楽が始まったのは5時半ごろ、「阿知女作法」「弓立」は、音楽のみで舞はありません。
舞姫4人による「宮人舞」そして「人長舞」でクライマックスに・・
フラッシュと三脚による撮影はもちろん禁止。私語もなく厳粛で幽玄な世界です。
>>2
10月1日、横浜美術館で開催中の特別展『源氏物語の1000年 −あこがれの王朝ロマン−』を見ましたが、絵巻の制作などの王朝文化は、鎌倉時代になって、武家をはじめ広く浸透していきます。
源氏3代のころは、永福寺建立に見られるように、京風文化の移入に熱心で、京を模して鎌倉の都も整備されました。
御神楽の移入について、秘曲・秘儀の伝統で、当時は伝授してもらうのに大変困難をともなったとか。
こうして伝えられた京風文化は、今はむしろ鎌倉などに残っているのかもしれません。
御神楽が終わったのは、6時半過ぎでした。
この御神楽は、毎年800年前の遷宮にちなんで、冬至に近い12月16日(旧暦10月21日)に行われます。
御神楽が終わり、古都鎌倉は年の瀬を迎えます。