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3月27日(土)東大農学部総合研究棟建設予定地の遺跡見学会に行ってきました。 東京大学埋蔵文化財調査室からのお知らせで、この日は午前中から十数名の見学者が、現場を望む場所で熱心に調査担当の原さんのお話を聞いておられました。
弥生地区とよばれるこの地域は、江戸時代は水戸藩駒込邸があったところで、明治2年に水戸斉昭が記した「向岡記」碑に記された月の「弥生」にちなみ「向ヶ岡弥生町」と名付けられ、ここで発見された「弥生式土器」の名称由来となったところ。 幕末は茶の栽培が試みられていたとか。 発掘調査現場はこの地域の一角で、先史時代や水戸藩邸時代の遺構が期待されるところですが、明治17年の弥生式土器発見のころにあった警視庁射的場は、その後明治21年に埋めたてられ、この地点の上部の土は削り取られたため、その下層から検出される遺構も限られるようです。
>>1 見学したときは、搬出された土の運搬路、地下室(ちかむろ)の底の部分や、建物跡が見つかっていました。この建物跡は、明治45年の地図から旧佐倉藩の堀田家邸ということです。 そのほか、文政9年の『向陵彌生町水戸邸絵図面』にある邸内を区画する深い堀底のような道が確認できたそうですが、絵図面の「大名小路通り」の跡は、残念ながら明治21年の削平でなくなっていたとのことでした。 画像は、見学会場のパネルから
>>2 遺物では、たくさんの陶磁器類の破片のほか、先史時代の磨製のきれいな石器が(たぶん運び込まれた)土の中から見つかっていました。
>>3 今回の見学会では、東大埋蔵文化財調査室がこれまで行ってきた研究成果の公開ということで、東大浅野キャンパスの弥生二丁目遺跡、特に武田先端知ビル建設のとき行われた発掘で出土した土器やガラス小玉などの遺物が多数展示されていました。 特に目を引いたのは、方形周溝墓の跡から出土した弥生後期の壺2点です。 修復は前面だけされています。 発掘当時、両方とも縦に半分失われた状態であったのは、文政9年絵図にある水戸藩中屋敷の道の普請か、明治9年の射的場建設工事によるためで、修復に携わった石原さんのお話では、近世・近代の歴史をも物語る証拠として、あえて裏面半分を復元することはしなかったそうです。 大サイズの写真を「やちくりけんブログ」に載せましたので、ご覧ください。 http://yatikurike.exblog.jp/i26/
>>4 まだ先の予定ですが、この掲示板をご覧になった方から、関連する講演会のご案内のメールをいただきましたので、転載します。 日時:5月16日(日曜日)午後1時30分 「向ヶ丘弥生町の研究弥生式土器の発見地」を語る 講師 原 祐一 場所 阿佐谷地域区民センター 主催 杉並郷土史会
>>2 原氏からの調査現場の上からの画像をメールでいただきました。 見ると方形周溝墓の溝が3本きれいに出ています。 現場は16日ぐらいまでなら、そのままとのことでですので、明日4月14日(水)急遽現地を見学にいきます。 急なお誘いですが、ご一緒されたい方は、11時に東大農学部南門で待ち合わせしますので、ご連絡ください。
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【「向ヶ岡弥生町」の史跡 】
弥生地区とよばれるこの地域は、江戸時代は水戸藩駒込邸があったところで、明治2年に水戸斉昭が記した「向岡記」碑に記された月の「弥生」にちなみ「向ヶ岡弥生町」と名付けられ、ここで発見された「弥生式土器」の名称由来となったところ。
幕末は茶の栽培が試みられていたとか。
発掘調査現場はこの地域の一角で、先史時代や水戸藩邸時代の遺構が期待されるところですが、明治17年の弥生式土器発見のころにあった警視庁射的場は、その後明治21年に埋めたてられ、この地点の上部の土は削り取られたため、その下層から検出される遺構も限られるようです。
>>1
見学したときは、搬出された土の運搬路、地下室(ちかむろ)の底の部分や、建物跡が見つかっていました。この建物跡は、明治45年の地図から旧佐倉藩の堀田家邸ということです。
そのほか、文政9年の『向陵彌生町水戸邸絵図面』にある邸内を区画する深い堀底のような道が確認できたそうですが、絵図面の「大名小路通り」の跡は、残念ながら明治21年の削平でなくなっていたとのことでした。
画像は、見学会場のパネルから
>>2
遺物では、たくさんの陶磁器類の破片のほか、先史時代の磨製のきれいな石器が(たぶん運び込まれた)土の中から見つかっていました。
>>3
今回の見学会では、東大埋蔵文化財調査室がこれまで行ってきた研究成果の公開ということで、東大浅野キャンパスの弥生二丁目遺跡、特に武田先端知ビル建設のとき行われた発掘で出土した土器やガラス小玉などの遺物が多数展示されていました。
特に目を引いたのは、方形周溝墓の跡から出土した弥生後期の壺2点です。
修復は前面だけされています。
発掘当時、両方とも縦に半分失われた状態であったのは、文政9年絵図にある水戸藩中屋敷の道の普請か、明治9年の射的場建設工事によるためで、修復に携わった石原さんのお話では、近世・近代の歴史をも物語る証拠として、あえて裏面半分を復元することはしなかったそうです。
大サイズの写真を「やちくりけんブログ」に載せましたので、ご覧ください。
http://yatikurike.exblog.jp/i26/
>>4
まだ先の予定ですが、この掲示板をご覧になった方から、関連する講演会のご案内のメールをいただきましたので、転載します。
日時:5月16日(日曜日)午後1時30分
「向ヶ丘弥生町の研究弥生式土器の発見地」を語る
講師 原 祐一
場所 阿佐谷地域区民センター
主催 杉並郷土史会
>>2
原氏からの調査現場の上からの画像をメールでいただきました。
見ると方形周溝墓の溝が3本きれいに出ています。
現場は16日ぐらいまでなら、そのままとのことでですので、明日4月14日(水)急遽現地を見学にいきます。
急なお誘いですが、ご一緒されたい方は、11時に東大農学部南門で待ち合わせしますので、ご連絡ください。