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遠山森林鉄道に関する掲示板です。遠山森林鉄道に限らず当HPや、鉄道関係の話題をお気軽にどうぞ。 画像貼り付け、携帯からの閲覧・投稿も出来ます。
はじめまして、サケマスと申します。 つい昨日、軌道跡を辿って北又沢を遡り、大沢渡まで行って来ました。 神の石までは歩き易いですけど、そこから先は結構荒れてましたね。 画像は黄蓮の停車場跡です。下流側半分は残っていますが、上流側は 洪水に浸かった様で川原のようになっていました。
サケマスさん初めまして。 掲示板管理人のpleiadesです。お名前はあちらの掲示板の方で拝見しています。 大沢渡まで行かれましたか! 遠山の方でも今年も探索行を行う計画があるそうです。いろいろ謎がまだ多い大沢渡の方ですが楽しみです。
サケマスさん、はじめまして。 大沢渡まで行かれたのですね。黄連の先、橋があった所を渡るの、結構たいへんだったでしょう。渡渉できる装備だったんですか? こちらの画像は2年前の同じ場所(黄蓮停車場の北の端)です。 写真で見る限りでは、あまり変わっていないように思えますが。
画像を貼り忘れました
>>3 片岡さん、はじめまして。 画像を拝見する限り、ほとんど変わりないようですね。ちなみに停車場跡の外れから 対岸を見ると、川面から6〜7メートルくらいの所まで削れていましたので、そこまで 水位が上がる程の洪水になった事があるようです。停車場跡も上流側半分は川石がごろごろ 転がっています。 渡渉ですが、ウェーダーを持っていきましたので楽勝でした。その分荷物は重くなりましたが。 渡ったのは第二砂防ダムの川原で2回と樽ヶ沢、神の石の鉄橋の所、黄蓮の先の計5回でした。 黄蓮でウェーダーをつけたついでに対岸のインクライン起点と作業軌道があった場所を見て 回りましたが、やはり洪水に洗われてしまったようでたいした物は残っていませんでした。 ただインクラインで使われた物か、非常に太いワイヤーが土砂に埋もれつつ残っていました。 で、この画像は田作にあった建物なんですが、これって林鉄現役時代からの物なんでしょうか? ボロい外見とは裏腹に内部は非常に状態良好で、最近まで使われていたような感じです。 この建物が使われたとすると、北又沢取水堰堤の建設工事の時位しか無い様に思えるのですが、 この取水堰堤建設の主な宿舎は山の下にあり、毎日車でしらびそまで上がり、遠山林道の途中から 仮設されたインクラインで現場まで下りていたそうです。 それとも森林作業の為の宿舎として整備され続けてきたんでしょうか。なんか謎です。 今回の北又沢線の探索は長年の宿願だったんですが、実際に行ってしまうと何かあっけないものですね。 事前に予想したような困難さが無く、案外楽に大沢度まで行けてしまったのも大きな理由ですが… で、何となく物足りないので、時間と予算の都合が付けば今月中にもまた行くかもしれません。 今度はインクライン上の上部軌道跡を辿ってみようかな、などと思っております。
この宿舎が出来た正確な年月は分かっていませんが、林鉄のあった時代から使われていたようです。 営林署関係者の話によると、ここにあった古い宿舎が火事にあい建て直したので、田作の他の建物より新しく、そのために、この一棟が残されたのではないかということです。 昭和39年の空中写真や、少し前の林班図でも、この建物と思われる位置に一棟存在していますし、建築様式から見ても、昭和30年代後半か、せいぜい40年代前半までのものではないでしょうか。 それを、関電の取水堰工事の際に、再利用したらしいです。倉庫と簡易トイレだけ、新しいものが脇にあるのは、工事の際に新たに設置したからだと思われます。 取水堰の建設時期は、かなり最近のはずで、たしか竹内さんのレポート(トワイライトゾーンの何号か)に載っていたのではないでしょうか。 ところで、ちょっと蛇足かもしれませんが… サケマスさんは、装備もしっかりしていて、経験もお持ちのようですから良いのですが、この書き込みを見て普通の鉄道ファンが気軽に田作を目指したりすると、危ないと思います。 釣り師や沢屋さんにとっては、北又沢はたいして難しいところではないでしょうが、普通の廃線跡(軌道敷)しか歩いたことのない人、独力で渡渉する装備と経験のない人には、お薦めできません。
訂正、追加コメントそのほか。 上の書き込みで「関電」と書いたのは「中電」の誤りです。 サケマスさんの書き込みで、「川面から6〜7m」とありますが、そこまで水位が上がったとすると、黄蓮の停車場跡(軌道敷)は、完全に水に覆われた可能性がありますね。 おそらく、昨夏の大雨で中電の取水堰が壊れたというのは、その大水が原因だろうと思います。 それにしても、上流で何が起きたのでしょう? 黄蓮は、左岸に平らが2段あって、かつては下のほうに宿舎があったことが分かっています。(軌道敷より2〜3m下) 昔、その高さでも洪水に襲われる危険はないと考えられていたということでしょうが、それらの建物が完全に水没するくらいまで、水位が上がったということです。 黄蓮停車場の上流側から見た様子を貼っておきます。(2年前の撮影) このあたりに、石がごろごろしてるってことでしょうか…
黄蓮の停車場跡の現況ですが、画像は上流側の、カーブする直前辺りです。 奥に対岸の”壁”が見えます。この辺は濁流に洗われたらしく川石がごろごろしています。 停車場の下流側半分はちょうど山の陰になり、濁流が直進した為無事に残ったようです。 軌道敷から一段下の宿舎跡は一面に川石が転がっています。 停車場跡に限らず、この付近はかなり荒れた状況になっています。 沢の本流を渡る橋の跡にしても、橋台などは残っていますが、軌道敷には30cm位 土砂が積もっていたりします。 取水堰堤から田作までの工事用道路も数箇所で崩落しており、かなり危険な状態です。 取水堰堤も上流側の裏山が崩れた状態で、上に上がってしまうと下りるのが大変です。 まあ、この辺の詳しい事はいずれブログにて記事にまとめますので。
うーむ、すごいことになっていますね。 間違いなく、この高さまで水面が上がったのでしょう。 どこか上流の沢で大きな崩落でもあったのでしょうか。 この北又沢の洪水(昨夏でなく06年の夏でした)は、36災害以降では最大規模だったということのようですね。
>>8 サケマスさん、片岡さん、遠山の貴重な情報ありがとうございました。 これからも色々と情報がありましたら書き込んでください。
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サケマスさん初めまして。
掲示板管理人のpleiadesです。お名前はあちらの掲示板の方で拝見しています。
大沢渡まで行かれましたか!
遠山の方でも今年も探索行を行う計画があるそうです。いろいろ謎がまだ多い大沢渡の方ですが楽しみです。
サケマスさん、はじめまして。
大沢渡まで行かれたのですね。黄連の先、橋があった所を渡るの、結構たいへんだったでしょう。渡渉できる装備だったんですか?
こちらの画像は2年前の同じ場所(黄蓮停車場の北の端)です。
写真で見る限りでは、あまり変わっていないように思えますが。
画像を貼り忘れました
>>3
片岡さん、はじめまして。
画像を拝見する限り、ほとんど変わりないようですね。ちなみに停車場跡の外れから
対岸を見ると、川面から6〜7メートルくらいの所まで削れていましたので、そこまで
水位が上がる程の洪水になった事があるようです。停車場跡も上流側半分は川石がごろごろ
転がっています。
渡渉ですが、ウェーダーを持っていきましたので楽勝でした。その分荷物は重くなりましたが。
渡ったのは第二砂防ダムの川原で2回と樽ヶ沢、神の石の鉄橋の所、黄蓮の先の計5回でした。
黄蓮でウェーダーをつけたついでに対岸のインクライン起点と作業軌道があった場所を見て
回りましたが、やはり洪水に洗われてしまったようでたいした物は残っていませんでした。
ただインクラインで使われた物か、非常に太いワイヤーが土砂に埋もれつつ残っていました。
で、この画像は田作にあった建物なんですが、これって林鉄現役時代からの物なんでしょうか?
ボロい外見とは裏腹に内部は非常に状態良好で、最近まで使われていたような感じです。
この建物が使われたとすると、北又沢取水堰堤の建設工事の時位しか無い様に思えるのですが、
この取水堰堤建設の主な宿舎は山の下にあり、毎日車でしらびそまで上がり、遠山林道の途中から
仮設されたインクラインで現場まで下りていたそうです。
それとも森林作業の為の宿舎として整備され続けてきたんでしょうか。なんか謎です。
今回の北又沢線の探索は長年の宿願だったんですが、実際に行ってしまうと何かあっけないものですね。
事前に予想したような困難さが無く、案外楽に大沢度まで行けてしまったのも大きな理由ですが…
で、何となく物足りないので、時間と予算の都合が付けば今月中にもまた行くかもしれません。
今度はインクライン上の上部軌道跡を辿ってみようかな、などと思っております。
この宿舎が出来た正確な年月は分かっていませんが、林鉄のあった時代から使われていたようです。
営林署関係者の話によると、ここにあった古い宿舎が火事にあい建て直したので、田作の他の建物より新しく、そのために、この一棟が残されたのではないかということです。
昭和39年の空中写真や、少し前の林班図でも、この建物と思われる位置に一棟存在していますし、建築様式から見ても、昭和30年代後半か、せいぜい40年代前半までのものではないでしょうか。
それを、関電の取水堰工事の際に、再利用したらしいです。倉庫と簡易トイレだけ、新しいものが脇にあるのは、工事の際に新たに設置したからだと思われます。
取水堰の建設時期は、かなり最近のはずで、たしか竹内さんのレポート(トワイライトゾーンの何号か)に載っていたのではないでしょうか。
ところで、ちょっと蛇足かもしれませんが…
サケマスさんは、装備もしっかりしていて、経験もお持ちのようですから良いのですが、この書き込みを見て普通の鉄道ファンが気軽に田作を目指したりすると、危ないと思います。
釣り師や沢屋さんにとっては、北又沢はたいして難しいところではないでしょうが、普通の廃線跡(軌道敷)しか歩いたことのない人、独力で渡渉する装備と経験のない人には、お薦めできません。
訂正、追加コメントそのほか。
上の書き込みで「関電」と書いたのは「中電」の誤りです。
サケマスさんの書き込みで、「川面から6〜7m」とありますが、そこまで水位が上がったとすると、黄蓮の停車場跡(軌道敷)は、完全に水に覆われた可能性がありますね。
おそらく、昨夏の大雨で中電の取水堰が壊れたというのは、その大水が原因だろうと思います。
それにしても、上流で何が起きたのでしょう?
黄蓮は、左岸に平らが2段あって、かつては下のほうに宿舎があったことが分かっています。(軌道敷より2〜3m下)
昔、その高さでも洪水に襲われる危険はないと考えられていたということでしょうが、それらの建物が完全に水没するくらいまで、水位が上がったということです。
黄蓮停車場の上流側から見た様子を貼っておきます。(2年前の撮影)
このあたりに、石がごろごろしてるってことでしょうか…
黄蓮の停車場跡の現況ですが、画像は上流側の、カーブする直前辺りです。
奥に対岸の”壁”が見えます。この辺は濁流に洗われたらしく川石がごろごろしています。
停車場の下流側半分はちょうど山の陰になり、濁流が直進した為無事に残ったようです。
軌道敷から一段下の宿舎跡は一面に川石が転がっています。
停車場跡に限らず、この付近はかなり荒れた状況になっています。
沢の本流を渡る橋の跡にしても、橋台などは残っていますが、軌道敷には30cm位
土砂が積もっていたりします。
取水堰堤から田作までの工事用道路も数箇所で崩落しており、かなり危険な状態です。
取水堰堤も上流側の裏山が崩れた状態で、上に上がってしまうと下りるのが大変です。
まあ、この辺の詳しい事はいずれブログにて記事にまとめますので。
うーむ、すごいことになっていますね。
間違いなく、この高さまで水面が上がったのでしょう。
どこか上流の沢で大きな崩落でもあったのでしょうか。
この北又沢の洪水(昨夏でなく06年の夏でした)は、36災害以降では最大規模だったということのようですね。
>>8
サケマスさん、片岡さん、遠山の貴重な情報ありがとうございました。
これからも色々と情報がありましたら書き込んでください。