怒りの掲示板

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「共依存症」は頭で理解されるものではない

  • KM
  • 投稿日:2011/02/13 23:46

ウィキペディアにあるとおり「共依存」という語は医学(精神病理学)用語なのです。そして、それをポジティヴに捉えれば、下記のようになります。

>共依存という概念は、正しく使えば他者と自己との分離、精神的な自律に役立つ。

>そもそも人間関係において誰かに依存するということは病理とは認定されていない。ウィキペディアより

「日本は輸出に依存している」と言うときの「依存」と医学(精神病理学)用語の「依存」は違います。そして、医学用語の依存は、現在人を苦しめていると思います。

ビートルズの「Help!」に、

My independence seems to vanished in the haze
僕の自立心なんか霧の中へ消えちゃった

と、ありますが、これは、ジョン・レノンが、ある日突然、自分の名声やお金儲けに価値を見出せなくなったことを意味しているのでしょう。彼は自分を認めて欲しいという欲求から、様々なもの(酒、ドラッグ、金銭、セックス)に依存していたのでしょう。酒、ドラッグ、金銭、セックスは、すべてアディクション(嗜好癖、常用癖)の対象です。

オーム真理教という現象は、宗教への依存です。そして、その信者に、医師や弁護士などインテリが多かったことは、貧困、病気、争いなどの困窮があったわけではないのに、彼らは心の空洞を埋めるために宗教に依存した。それは現代人は、誰でも、病的依存に陥る可能性があることを示していると思います。

オーム真理教という事件の場合は、依存の対象が宗教でした。依存の対象が「人」の場合、それが共依存だと考えていいと思いいます。

共依存は、頭で理解するものではなく、身体と、感覚で感じるものだと思います。私も経験あります。かつて、私は「共依存」による禁断症状の苦痛を身体で感じました。それは身体的苦痛です。

「アルコール依存症」が頭で理解されるものではないように「共依存症」も頭で理解されるものではないと思います。

  • 4.KM
  • 投稿日:2011/02/14 01:38

「共依存症」は頭で理解されるものではない(つづき)

実は、私も、この共依存症という問題について考えたのは、5年ぶりぐらいです。その間、この問題に対する私の考えは変わりました。つまり、

「共依存症は病的なもの」

という5年前の考えは、捨てました。

人間関係はもともと共依存症というものから始まることは少なくない。人間は、最初は誰しも共依存症に陥りやすい。しかし、共依存症に陥った夫婦や男女が、それを認識し、それを克服すれば、そして(ウィキペディアにあるように)共依存という概念は、正しく使えば他者と自己との分離、精神的な自律に役立つことに私は肯定的になりました。そのような考えは、約5年前から、次第に私の抱かれるようになりました。

しかし、そうなったのは、信田さよ子さんや、その他のカウンセラーたちがこの概念を定着させたからだと思います。

共依存症によって、心身ともに健康を得られればそれにこしたことはないのです。しかし、その一方で、共依存症によって苦しみ、その結果、破綻する男女を私は見ました。

人は誰しも、老いて孤独になれば、誰か(何か)に、依存したくなるし、依存しなければ生きていけなくなると思います。けれども、その際、境界線は必要だと思います。その境界を越えて自己を見失うぐらいなら、孤独のほうがマシかも知れないと私は思います。ただ老いの問題はこれまた難しい問題だと思います。

今回の意見交換で、久しぶりに、共依存症につて考えることができてよかったと思います。

  • 5.ヨシムラ
  • 投稿日:2012/11/07 12:32

SERGE HEFEZという人物を知っていますか。
この人物は有名な精神科医です。
彼がどんな人物であったか知りたいという人はいいサイトがあります。

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