ひとこと

  •  強風で傘の柄が折れて、傘が吹っ飛んだ。そんな事もあるんだな。
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2016年1月18日 (月)

劇団四季のミュージカル『コーラスライン』を見てきました

 先日、当地の市民会館で催された劇団四季によるミュージカル『コーラスライン』を見てきました。

 いやあ、ほんと、出演者の皆さん、ご苦労様でした。ほんと、大変な舞台だと思います。1幕物のミュージカルで休憩時間がないのに、出演者の皆さんたち、ほとんど舞台に出ずっぱりだし、それもただ出ているだけでなく、始終踊っているわけで、よく体力が持つなあ…と妙な点を感心してしまいました。

 ミュージカルは、よく3つの要素、演技と歌と踊りで成り立っていると言います。客の立場で言えば、芝居と音楽とダンスの3つを同時に楽しむ事のできる複合芸能なわけですが、出演者には、良い俳優であり、良い歌手であり、良い舞踏家である事が求められます。

 たいていの作品は、この3つの要素が良いバランスに保たれていますが、今回の『コーラスライン』は、そうではなく、ダンスに偏ったミュージカルでした。とにかく、最初から最後まで、ずっと踊っているってイメージの作品だし、踊っているダンサーを見て感動するタイプのミュージカルなのです。

 もちろん、芝居も歌もあるけれど、正直、芝居に関して言えば、脚本と言うか、元々の物語が、ちょっとダメかなって思いました。だって、何か事件が起きるわけでもなく、ただダンサーたちが順番に自分語りをしていくという物語なんです。で、その物語が、貧乏自慢とか、ホモ差別とか、人種差別とか、ネグレクトとか…そういう暗い話なんです。「僕達マイノリティーですけれど、頑張って生きてます!」って感じの話。なので、私、物語には、全く共感できません。

 その上、そんな恵まれない人たちが目指しているのが、夢のあるポジションではなく、舞台で踊るだけの名もないバックダンサーだったりします。私、舞台とか物語とかって、本質的に夢々しいところだと思ってます。登場人物たちが、たとえ今、恵まれた生活をしていなくても、物語の中で色々な経験をして、最後は夢にたどり着き、幸せになるってのが定番でしょ。まあ、いわゆるハッピーエンドなんだけれど、この物語は、ハッピーエンドとは言えません。夢々しいどころか、闇で真っ暗なお話なんです。真っ暗なだけで、バッドエンドでもないのです。妙に不条理で現実風な味付けがしてあって、いかにも世紀末に作られた暗い話なんです。ミュージカルを見終えた時の後味が悪いんですよ。

 歌の方も、有名な“One”以外は、あまりパッとしない音楽ばかりです。その“One”だって、特に優れたキラー・チューンってわけでもなく、あの地味な音楽の中では、割とマシって程度の歌です。音楽的にはかなり寂しいミュージカルです。なので、ソングを歌い終えると、普通は拍手するものだし、一応観客の皆さん方は拍手をしていましたが、私はなんか拍手したい気分にはなれませんでした。拍手って、マナーとか、礼儀とか、お作法でするものではないと思っているので、なんかちょっと白々しい気分になりました。でも演者の皆さんは、一生懸命歌っていたわけで、白々しい気分の責任は演者ではなく、作曲家にあるって思いました。

 でも、ダンスはなかなかおもしろいです。とにかく、出演者全員が、舞台の端から端まで使って、物語の最初から最後まで踊っている…というイメージなんです。踊りを見るには、良いミュージカルです。特に群舞が多くて面白いです。ですから、この『コーラスライン』というミュージカルは、オペラよりもバレエに近いスタイルのミュージカルだと思います。

 踊りながら語り、踊りながら演技し、踊りながら歌うシーンもたくさんあります。ダンスを楽しめる人なら、かなり楽しいミュージカルと言えるでしょう。

 私の場合は…おもしろかったですよ。でも、私はダンスを楽しめるタイプの人間ではないので、正直、次はもういいかなって思いました。

 実はこのミュージカル、私、最初は映画版で知っていたんですよ。映画版『コーラスライン』って、私にはつまらない映画だったので、今回舞台版を見るにあたって、私は全然期待していなかったのです。期待はしていなかったけれど、せっかくだから見てみるか…その程度のノリでした。

 でも、舞台は映画とは全然違いました。舞台版は楽しいですよ、エンタメです。

 例えば、舞台も映画も基本的なストーリーは同じだけれど、舞台では群像劇として描かれた物語が、、映画ではキャシーを主役として、彼女に物語の焦点が合わせられます。まずはそこで好みが分かれます。私は主役を立てた事で、物語を追いかけやすくなった代わりに、薄まってしまったと思いました。

 舞台では、目の前でリアルなダンサーの肉体が踊ります。映画では、カメラ越しです。アップのシーンもロングのシーンもあるけれど、それゆえに、少しリアルから離れてしまいます。舞台では、舞台シーンしかありません(が、劇に集中できます)。映画は他の場面もたくさんあって、画面にもバラエティーがあります(が、気が散ります)。まあ、そんな感じ。

 しかし、このミュージカル。劇団四季ならではの演目だなあって思いました。ダンス中心の群像劇…これを演じられるのが劇団四季だと思います。日本の他のミュージカルカンパニーだと色々と厳しそうです。

 ほんと、返す返すも残念なのは、音楽の弱さと物語の暗さです。まあ、物語の暗さは諦めるにしても、音楽がもっともっと魅力的であったなら、本当に素晴らしいミュージカル作品になったでしょうね。だって、こういうスタイルのミュージカルって『キャッツ』も同じでしょ? どちらもストーリーは群像劇で、ダンス中心の演目でしょ。違いは、音楽の力の差。

 とは言え『コーラスライン』には“One”があります。世の中の多くのミュージカルには、ヒット曲の一つもないミュージカルも星の数ほどある事を考えると、“One”があるにも関わらず、『コーラスライン』の音楽は弱い…などと言う私は、強欲なヲタクなのかもしれませんね。

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2016年1月17日 (日)

言葉の言い換えって、なんかスッキリしない[2016年1月第3週・通算1週]

体重:106.4kg[-1.2kg:-9.0kg]
体脂肪率:30.5%[-1.4%:-2.7%]
BMI:33.6[-0.4:-2.8]
体脂肪質量:32.5kg[-1.8kg:-6.1kg]
腹囲:107.0cm[+-0.0cm:-8.0cm]
     [前回との差:2015年当初との差]

 さて、新年最初の体重測定を致しました。結果は以上の通りです。

 まだまだデブデブだけれど、少しは頑張った成果が出ていると思います。前回の体重測定は…と言うと、昨年の11月ですから、約二ヶ月ぶりの計測なんだけれど、途中にお正月は入っています。私、正月直後って、太るんだよね。ちなみに『2015年当初』と言うのは、1月の第3週なので、ちょうど一年前の数値です。二ヶ月前と較べてもそうだけれど、一年前と較べても、そこそこきちんと体重、落としているでしょ? 一年間で9Kg体重落としているんだよ、まあ、悪くない数字でしょ。

 頑張ったのは、私…ではなく、たぶん妻です。妻が一生懸命、私の食生活の事を考えてくれたので、こうなれたのだと思います。と言うのも、昨年の私、そんなに積極的にダイエットしていたわけじゃなくて、結構毎日、たらふく食べておりました。なんか、ダイエット疲れしちゃってね(笑)。

 ただ、食べるものは明らかに変わりました。今は、肉と野菜と豆を中心にして、米と小麦は極力クチにしないようにしています。ここ数ヶ月だけで考えても、米を食べる量よりも、豆を食べる量の方が増えました。そう言った食生活の変化が体重を減らしてくれたのだと思ってます。

 妻に感謝したいと思ってます。

 さて、今回のエッセイです。

 私は原則として、言葉の言い換えってのが好きではありません。なんか誤魔化しているような気もするし、何と言っても、言い換えた事で、本質が見えにくくなったり、分かりづらくなったりするからです。

 誤魔化しだなあ…と思っているのが、差別語の言い換えです。

 例えば『盲(めくら)』という言葉は、現在では差別語です。この言葉を公の場で使うのは良くないという事で、今は『目の不自由な方』とか『視覚障害者』という言葉に言い換えます。確かに『盲』という言葉を使う背景には、差別の気持ちもあるでしょうし、その言葉を使いたくないという優しい気持ちも分からないではないです。

 そこで『盲』という言葉を回避して『目の不自由な方』とか『視覚障害者』と言い換えるわけだけれど、『目の不自由な方』は、必ずしも『盲』の人だけを指しているわけではなく、『弱視』や『斜視』『色盲』の方も入ります。もちろん『盲』と『弱視』や『斜視』『色盲』は、皆それぞれ違います。違うものを、同じ言葉で表現するのは、間違っています。差別語を回避したいが余り、言葉の正確な使い分けを捨ててしまうのは、ちょっと違うと思ってます。

 それに私が思うに、行うべきなのは、言葉の言い換えではなく、我々の心の持ち方だと思ってます。ざっくり言えば“差別する心”が問題なわけで、言葉なんて、ただの道具であって、差別する心の持ち主が使えば、どんな言葉だって差別語になるわけです。

 本来『盲』という言葉には差別的な意味合いはなく、ただ差別意識を持った人によって使われてきた過去があり、そのため、現代では差別語のニュアンスが強くなっただけです。差別語のニュアンスが強くなったから『盲』の使用を止め『目の不自由な方』という言葉に言い換えても、我々の心の中に差別する心があれば、やがて『目の不自由な方』という言葉も、差別心のこもった卑しい言葉に成り下がります。

 だから差別語の言い換えなんて、何の解決にもなっていないし、言葉の言い換えをする以前に、我々が抱えている、他人を差別する心をどうにかするべきだと思ってます。

 ま、とは言え、実際問題としては、心に闇を抱えている人は、常に一定数いるわけだし、他人を差別しなければ生きていけない人も、常に一定数いるのが現実だから、人間社会から差別を取り除くことは、かなり難しい事です。だから、言葉の言い換え程度で問題解決なんて、全くできないんだよ。それは問題解決を先延ばしにしているだけの話です。

 『盲』のように深刻な話じゃなくても、例えば、ハゲを『薄毛』と呼んだり、デブを『体格が良い人』と呼んでいるのも、本質的に同じ事で、言葉の適用範囲を広げる事で、本来の意味を薄める事で差別意識を薄めているつもりなのかもしれないけれど、これもやっぱり誤魔化しだよね。

 先日、テレビで、70代の人の事を『初老』と呼んでいたけれど、初老は40代の事だから、ハゲを『薄毛』と呼ぶ以上の誤魔化…いや、それどころではなく、やりすぎです。ここまで来れば、誤りとすら言えます。

 言葉の言い換えには、他にも色々な動機があります。現実を見たくないために言い換える…という事もあります。例えば、8月15日を『終戦』記念日と呼んでいたり…ね。本当は『終戦』ではなく『敗戦』なんだけれど、負けを認めたくなかった…のかな、やっぱり。

 国際連合、つまり“国連”って組織があります。世界人類を代表する何かの組織のような名称ですが、実はここって“United Nations"の事で、戦中は同じ組織を“連合国”と呼んでいました。日本はこの“連合国”と戦争していたわけです。戦争中は“連合国”と呼んでいた敵チームに、戦後になって入ろうとした我が国は、チーム名を訳し変える事にして“United Nations"を“国連”と言い始めたのだそうです。自分たちを打ち負かした敵のチームに加えてもらうというのは、忸怩たる思いがあったのかな? この言い換えの首謀者は当時の外務省なんだそうですが、やっぱり誤魔化しの匂いを感じます。

 ちなみに、日本は元々敵国だし、国連には敵国条項というルールがあって、未来永劫、日本とドイツはハブにされる事になっているので、どんなに頑張っても、日本は国連では常任理事国になれるわけないのです。

 言い換えと言えば、爆撃機がやってきて、人々が生活している地域に爆弾を落としていく事を、最近では『空爆』と呼んでいますが、あれって『空襲』の事だよね。『空襲』と呼ぶと、戦時中の記憶が蘇るのがイヤなのだろうし、それは理解するけれど、でもやはり『空爆』ではなく『空襲』と呼ぶべきじゃないかなって思います。『空爆』と言うと、何か他人事だけれど『空襲』と言うと、私は父や祖父たちの話を思い出し、中東の人たちの辛さや苦しさが分かるような気がするんだよね。だから、言葉って、安易に言い換えをするべきじゃないって、個人的に思うわけです。

 体裁を整えたり、外面を良くするために、言葉を言い換える事もあります。

 たとえば、昔は『行かず後家』と呼ばれていたであろう人たちの事を『おひとり様』と呼んでみたりしてね。実態は何も変わらないけれど『行かず後家』と言われると、否定語の“ず”が入っているせいか、なんか負けたような気がして不快に思うかもしれませんが『おひとり様』という言葉には、そんな否定語は入っていないですから、気持ちがニュートラルになります。

 『高利貸し』の事を『消費者金融』と呼ぶのも、悪いイメージを隠すためですね。『屠殺』の事を『食肉処理』と言うのも同じ。まあ『殺』ではなく『処理』と言い換えたい気持ちは分からないでもないけれど、でも事実は、どんなに言いくるめても『殺』なんですよね。牛さんや豚さんを殺さないと、どうやっても、食肉にはならないんです。

 そうそう、カタカナで言うと、なんかわけもなくかっこ良く感じる…って事は、否定出来ないかもしれませんね。いわゆる『外部委託』の事を『アウトソーシング』と言ってみたり、『日帰りの預かり介護』の事を『デイサービス』と呼んでみたり、大切な『保存記録』の事を『アーカイブ』と言い換えてみたりしてね。

 私は最初『デイサービス』と聞いた時、反対語の『ナイトサービス』から連想して、昼間っからエッチな事ができるサービス?って勘違いしました。まさか“老人の保育園”の事とは夢にも思いませんでした。

 気を使って言い換えるって事もあります。例えば“融通がきかない堅物”の事を『基本に忠実』って言うと、角が立たずに済むよね。“怠け者”とか“わがまま”と言わずに『自分の気持ちに正直な人』と言うと、なんか立派な気すらするよね。“他人の意見に全く耳を貸さないおバカちゃん”には『信念を持っている人』って言い換えると、なんか立派な人のように感じちゃいます。“気の小さな弱虫”には『謙虚な人』って言うと、人格者のような気すらします。

 目の前に色々と不都合な現実があって、その現実から目をそらす必要があるから、言葉を言い換えるのだけれど、本当は、そんな不都合な現実から目をそらさずに、しっかりと見つめて、現実的な対応していく事が、人生にとって大切な事だと個人的には思ってます…が、逃げ出したり、現実逃避をしながら生きていく生き方も、否定しないつもりです。

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2016年1月16日 (土)

シズカの尾ビレがちぎれていました

 何が起こったのか定かではないのだけれど、シズカを見ていた時に、ふと「あれ? この子、もしかすると…尾ビレがちぎれちゃってないかい?」と思った次第です。

 きちんと観察してみると、右側の尾ビレ下部が、根元から丸々ありません。

 金魚、特に琉金とかオランダ獅子頭などの、俗に“丸もの”と呼ばれる種類の金魚の尾ビレって、通常の魚とは、ちょっと形が違っています。尾ビレそのものは、他の魚同様に、大きなヒレが一枚あるだけなんだけれど、金魚の場合は、それが∩字型になっていて、また横から見ると>字型になっているので、パッと見で、尾ビレが4枚あるように見えます。

 その4枚の尾ビレのうち、右下の尾ビレが全く無いのです。尾ビレが途中からちぎれていれば、さすがにその日のうちに気づくでしょうが、根元から丸々無いのです。

 最初に気づいたのは妻でした。妻曰く「尾ビレの形が変じゃない?」 いえいえ、別に変ではありません。あなたが“尾ビレ”と言っているのは、実は“尻ビレ”です。尻ビレって、そんな大きさでそんな形でしょ? でも、そう言われてみると、確かに全体のフォルムに違和感があります? あれあれ…どうしたんだろ? と思って、よくよく見たみたら、右下の尾ビレが丸々無かったわけです。

 いやあ、これだけザックリとヒレが無いと、あまりに清々しくて気づきませんよ。

 別に傷口らしいものもないし、出血したり、体液が漏れていたりという事もなさそうですし、魚類には痛覚がないので、本人的には、もう全然平気なのかもしれませんが…でも、なんで? いつそうなったの?

 我が家に来た時は、尾ビレはきちんとありました。だから、我が家に来てから怪我をして尾ビレを失ったのだろうけれど…毎日毎日シズカの事を見ていますが、本当に気づきませんでした。一体、何があったの?

 シズカは、尾ビレが一枚無い以外は、カタチの良い金魚なだけに、ちょっと残念です。まあ、尾ビレが一枚無いぐらい、生きていくためには何の支障にもならないだろうけれど、それにしても…飼い主として、うかつだったなあ…反省。

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2016年1月15日 (金)

両肩が痛くて、フルートの練習ができませんでした

 今年始めてのフルートのレッスンに行ってきました。

 今回のロングトーン練習は、姉様も一緒に三人でやりました。先生と二人だと音程も音色もビシっと合うわけです(二人なら相手に合わせるだけなので簡単)が、三人だとなかなかビシっとは合わなくて気持ち悪いですね。一応、先生の音程と音色に合わせていくわけですが、私と姉様がそれぞれに先生の笛に合わせても、だからと言って、私と姉様の笛がビシっと合うか…というと、必ずしもそういうわけにはいきません。人間の違いもあるし、笛の違い(当然メーカーやモデルは違います)し…ね。先生がムラマツ、姉様がヤマハ、私がアルタスですから、なかなか合わないのですよ。これが三人でなく、十人ぐらいいれば、それぞれの違いも集団の中に吸収されて目立たなくなるのでしょうが、ある意味、三人ぐらいがそれぞれの違いが目立って、一番合わせづらいのかもしれません。

 さて、エルステ・ユーブンゲンです。今回からは14番と15番になりますが…うっかりしていた事に、私、14番も15番も、ほとんど自宅練習をしていませんでした(!)。この二つの曲ともに、そんなに難しくないはずなのに、練習していないのですから、暗譜しているはずありません。ああ、やっちまったよー。と言うわけで、二曲ともに次回に持越しです。

 で、なぜエルステ・ユーブンゲンの練習していなかったのかと言うと、理由は二つあって、一つは「プチ・エチュードの13番にかかりっきりだったから」なのです。

 いやあ、エチュードなんだから難しいのは当たり前ですが、大好きな♯系の曲だし、特にリズムが難しいわけでもなく、なんとかなりそうなのに、いくら練習しても、音楽がスムーズに流れていかない“もどかしさ”があり、いくら練習してもスッキリせず、なんか悔しい曲なんですよ。だから、自宅練習でも、この曲にばかり集中してしまい、それなのに、ほとんどうまく演奏できずに、悔しいんです。

 何しろ、ちょっと吹いてはつまづいて、ちょっと吹いては音楽が止まり、挙げ句の果ては、運指が分からなくなってしまう…というテイタラクですからね。

 これまでになく時間を割いて練習しているつもりですが、まだまだ練習時間が不足しているという感じなのです。ま、そういう事もありますよね。この曲とは、相性が良さそうで、案外、相性が悪いのかもしれません。

 今回、徹底的に注意されたのは、中音ド♯の運指です。運指関係で言うと、中音レ&レ♯の左人差し指はよく注意されますが、今回はそれに加えて、ド♯も叱られ続けました。
 先生がおっしゃるには、標準運指の中音ド♯は、すべてのトーンホールを開けっ放しにするため、弦楽器における開放弦のようなモノで、音程も音色も悪いので、色々と注意が必要であるという事で、特に“中音のレ-ド♯”という音の流れの場合は、ド♯を標準運指ではなく、替え指で吹くのが普通だから、今後は標準運指ではなく、替え指を使いなさい…というわけでして、この曲には“中音のレ-ド♯”という動きがたくさんあるので、その度毎に注意され続けたわけです。

 ちなみに、このような時は、中音レは標準運指で、そこから左手をピヤっと離す事で、ド♯にするんだそうです。その方が音程がいいんだそうです(し、実際良い感じです)。それに標準で“中音のレ-ド♯”という運指をすると、フルートをがっちりつかんだ状態から、放り出すように指を離すわけで、音程もそうですが、楽器のホールド的にもあまり良くないような気がします。また“中音のド♯-レ”の場合は、手放し状態から、ほぼすべてのトーンホールを押さえるような動きになるわけで、ちょっと確実性も低いです。さらに“中音のレ-ド♯-レ-ド♯…”のようなトリルの場合、標準運指だとかなり厳しいです。で、実は私、この“中音のレ-ド♯”のトリルが厳しいので、標準運指ではなく、右小指を使った替え指のトリルをしていたのですが、それよりは、左手で操作する方の替え指の方が良いというのです。

 頑張りますよ。とにかく、この曲に関しては、練習あるのみです。まあ、次回とその次までレッスンはお休みなので(先生のご都合)、練習時間はたっぷりあるわけだから、頑張りますよ。

 で、最後に、エルステ・ユーブンゲンの練習をしなかった、もう一つの理由は…両肩が痛くて、腕が上がらず、年末年始の間、フルートを持てなかったからです。

 「すわっ、五十肩か!」と思ったわけですが、どうやらそうではなく、単純に姿勢の問題だったようです。デスクワークが多すぎて、知らず知らずのうちに、前かがみで両肩が前に入り込むような姿勢でパソコンばかり操作していたので、常時背中の筋肉が引っ張られて、やがてそのままの体勢で固まってしまい、耳が痛くなったり、肩や腕が痛くなったりしていたようです。

 でもね、パソコンを打つ時って、キーボードの都合で、どうしたって、両手がカラダの真ん中付近に近寄ってくるわけで、両手が近づけば、自然と両肩も前に入り込むよね。それが一日に連続で何時間も続くわけだから、そりゃあカラダに良くないわけだ。

 パソコン仕事が私の仕事の大半だから、これはいわば職業病のようなモノなんだな。

 とにかく、毎日のように整体師さんの所に通って、固まった筋肉をほぐしてもらい、前にズレてしまった肩を元の位置に戻してもらっていますので、少しずつですが、痛みもおさまり、フルートを持てるまでに回復しました。肩が痛いと、歌は歌えますが、笛は吹けませんからね。そんなわけで、年始年末はフルートの練習が出来なかったんですよ。

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2016年1月14日 (木)

献血に行ってきた

 先日、献血に行ってきました。久しぶりの献血でした。調べてみたら、10年ぶりでした(笑)。別に理由があって行かなかったのではなく、チャンスが無くて、気がついたら10年ほど献血に行ってませんでした。それだけの話。

 若い時は、なるべく短いスパンで献血に励んでいました。だって、献血って身近で簡単にできるボランティアでしょ? 善行でしょ? そりゃあ可能な限り行かないと…ね。

 もっとも、私が熱心に献血に行ってたのは、献血手帳にデータをちまちま書いていた時代のもので、献血データがコンピュータ化される以前の話なので、現在の血液センターに残っている私の献血回数は…たったの4回です。少ない…。

 まあ、現在の住居地の近所には血液センターがなくて、献血のチャンスって、献血バスと都合よく出くわした時だけだもんなあ。そりゃあチャンスがなくて、当たり前だよね。

 久しぶりの献血だったので、色々と勉強させてもらいました。その事を少し書いてみたいと思います。

 まず、献血って誰でもできるわけじゃなくて、一応、年齢制限があります。お年寄りは献血不可という事で、原則、64歳までじゃないと献血できないのです。ただし、60~64歳の間に献血実績があると69歳まで献血できます。逆に言うと、70歳以上の献血はありません。逆に若い方は16歳未満は不可ね。

 あと体重制限とかあって、ヤセの人は献血不可だし、ヘモグロビン濃度を計測して、血の薄い人(貧血だね)も不可なんです。それと献血総量も決まっていて、1年間で男性が1200ml,女性が800mlまでしか献血できません。

 こういう条件をクリアした上で、個別の条件で「今回はご遠慮いただきます」ってケースがあるようです。具体例を上げると…

当日の体調不良、服薬中、発熱等の方

 「これ、わざわざ書くの?」とか思うよね、普通。でも、実際、結構あるんじゃないかな? 私も昔、風邪ひいていて、医者から薬もらって飲んでいるのに、うっかり献血に行った事あるし、発熱していても、仕事休めない…とかで日常生活している時に、うっかり献血に行ったりとか…あるでしょ? それとも、そんなヤツは私だけ?

妊娠中の人、授乳中の人

 妊娠中の人とか授乳中の人で献血したいとか思う人っているのかな? これってあれだよね。自分では妊娠しているなんてつもりもなくて、献血に来て、調べたら実は妊娠していました…とかいう事なのかな? でも、献血に来て「あなた妊娠ししてますよ」って言われたら、びっくりしちゃよなあ…。

三日前までに歯科で治療を受けた人

 理由は何かあるのだろうけれど、近々で歯医者に行った人は献血ダメって…歯医者に行ったかどうかなんて、あまり意識して生活していないよね。

最近、予防接種を受けた人

 これは結構いるんじゃないの? この時期だと、インフルエンザの予防接種とかね。

六ヶ月以内に、ピアスの穴をあけた人、いれずみを入れた人

 六ヶ月以内って、結構な長期間だよね。しかし、いれずみって、献血だけじゃなくて、温泉も市民プールもダメなんだし、市民生活を送る上であれこれ制限が生じるものですが、それでもいれずみを入れる人っているんだよね。なぜ、入れるんだろ? 私には分かりません。

海外旅行から帰国して四週間以内の人

 私のすぐ後のお兄ちゃんが、これで断られていました。海外から帰国して一ヶ月しないと献血できないんだってさ。じゃあ、仕事で年中海外に行っている人なんて、献血ダメだね。また国によっては、四週間ではなく、もっと長い期間ダメって言われることもあるそうです。

 さらに海外関係で言えば、某国で生まれた人とか、某国生まれの人が親の人もダメなんですよ。別に人種差別ではなくて、風土病の関係らしいです。某国がどこか知りたい人は、ググるか、血液センターに行って尋ねてください。

特定の病気にかかった事のある人

 具体的には、心臓病とか、悪性腫瘍とか、痙攣性疾患とか、血液疾患とか、脳卒中とか…ね。私には喘息の有無は聞かれなかったからOKだったけれど、本当は喘息の人も献血アウトらしいです。おそらく、献血中に喘息発作をおこされたらマズイッしょって事だろうと思います。それともステロイド薬を常用しているから(私は使ってないけれど)ダメなのかな?

 その他、あまり耳慣れない病気もたくさん注意されました。世界は広く、病気にもたくさんの種類があるんだなあって思いました。それらの耳慣れない名前の病気にかかったことのある人も献血できません。

六ヶ月以内に新しい人と性的接触のあった人

 理由は尋ねなかったけれど、ダメなんだって。まあ、相手の方の人間関係が“オープン”ではないとは限らないからでしょうね。後は察して…って事で。

 その他にも、あれこれあれこれダメな理由があって、献血って、そんなに簡単にできるものではないんだなあと思いました。

 で、献血をすると、いい事もちょっぴりあります。お土産がもらえます。もっとも、以前はたくさんお土産がいただけましたが、今回はほんのちょっとだけでした。やっぱり景気が悪いせいでしょうね。お土産は少なくなりましたが、それでもうれしいのは、無料で血液検査をしてくれる事です。血液検査って、病院で普通にやると、結構お高いですからね。それが無料なんですから、健康管理的には、かなりのお得です。

 血液検査の内容は、項目的にはごく一般的なものです。以前は献血をするとエイズ検査もしてくれて、その結果を本人に知らせてくれたそうですが、今はそういう事はないんだと言われました。詳しくは聞けませんでしたが、おそらくエイズ検査はするんだろうし、検査の結果、陽性になって血液を廃棄する事になったとしても、その結果を血液提供者には知らせない…って事のようです。「エイズ検査をしたければ、献血ではなく、保健所を利用してください」って言われちゃいました。別に、私、エイズでもなければ、そんなリスクも背負ってませんけど…。好奇心が強いと、あれこれ疑われちゃうわけです。

 それとも、私、そんなにエイズっぽく見えたのかな? いや、なまじエイズ検査に興味を見せたから、疑われただけかもしれません。不要な好奇心は命を縮めるのかも(笑)。

 まあ、何はともあれ、献血は気軽にできる善行です。今後も私、断られないかぎり、あるべく献血していきたいと思いました。

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2016年1月13日 (水)

池袋で遊んできた

 年末年始に池袋に遊びに行ってきました。最初の目的地は、サンシャインシティ。以前はサンシャイン60と呼んでいた、あのあたりです。去年は、何度か乙女ロードに遊びに行った私ですが、サンシャインには行かなかったので、どれくらい久しぶりかと言うと…ヘタすると、アポロが持ち帰った月の石を見に行って以来なので、20年ぶりかもしれません(笑)。

 ちなみに、あの頃は、日本中が月の石に萌えていましたよねえ~。私も頑張って見に行きましたが…現在の研究成果によると、月の表面はどこもかしこも砂しか無い砂漠であって、石とか岩とかなんて、存在しない事になってます。では、私が見た月の石って、何だったのでしょうか!

 閑話休題。サンシャインシティに行って、おのぼりさんの定番である、水族館とプラネタリウムに行きました。私たちが到着したのは午前中で、今後の混雑が予想されたので、まず水族館の入場券を常設展と特別展のセットで購入して、それからプラネタリウムの入場券を購入しました。で、プラネタリウムの開始時刻まで小一時間あったので、ひとまず昼食を食べる事にしました。

 実はこの判断は間違いでした。と言うのも、本当は、この小一時間で水族館の特別展だけでも先に見るべきだったのです。なぜなら、この時、特別展には行列はなく、特別展の展示なんて、10分もあれば見れる程度のラインナップだったので、ここは迷わずに特別展を見て、それから昼食を取るなり、しばらく時間を潰すなりしてプラネタリウムに向かうべきだったのです。

 でも、私たちは昼食をチョイスしました。時間が微妙に早かったため、待たずに食事をして、プラネタリウムに戻って、プラネタリウムを楽しみました。

 プラネタリウムの番組は、今時のショーアップされたもので、これはこれで楽しかったですが、人間がオールドなので、やはりプラネタリウムと言えば、昔ながらの「今夜の当地の夜空」の解説が欲しかったです。南極の夜空の事を知っても、私の人生とは全く縁がないもんなあ…。まあ「今夜の当地の夜空」については、今度、地元のプラネタリウムで楽しむ事にします。

 で、プラネタリウムが終わったら、その足で水族館の常設展を見ました。サンシャイン水族館は、水族館としては、可もなく不可もなくと言ったところかな? この水族館が出来た当時は、都市型水族館の先駆けとして特別なポジションにいて、大いに注目を集めましたが、今は都会に水族館があるのは、必ずしも珍しくないし、サンシャインも色々と頑張っているのは分かるけれど、やはり色々な面で後発組に負けているし…というわけで「頑張れー」とエールを送る事にしました。アシカのショーは楽しかったよ。

 それと、これは土地柄の問題なのか、客層の問題なのか、判断つきかねるんだけれど、皆さん、やたらと水槽の写真をとるんだね。サンシャインの水槽って、小さな水槽が多いのだけれど、その小さな水槽にカメラを向けて、誰も彼もパチパチ写真を取るんです。取る人は、ほぼすべての水槽で写真を取るんだけれど、これが結構迷惑なんだよね。と言うのも、水槽が小さいからカメラを構えられてしまうと、もうそれで結構いっぱいいっぱいで、よく見えないし、写真を取るために人だかりが激しくてね…。ほんと、人がスムーズに流れないんです。で、全体の進行が遅いから、子どもが飽きちゃうんだろうね。あっちこっちを走り回っているし、叫んでいるし、なんかもう阿鼻叫喚。

 写真を取るな!と言うつもりはないのですが、そこは臨機応変と言うか、空気を読めよと言うか、写真を撮りたかったら、平日の午前中とかにお願いしたいです。休日の家族連れの多い繁忙期に、堂々と水槽を塞ぐのはいかがなもんかな…なんて思うわけですよ。それとも、東京の人って、なんでもかんでも写真を取らない気が済まないのかな?

 また閑話休題。ここまでは人混みをよけながらも順調に進んでいたのですが、ここから特別展に移動したところで、1時間ほど待たされちゃいました。いやあ、参りました。ちょっとの判断ミスで、時間の無駄遣いをしてしまったわけです。残念無念。まあ、待ち時間はiPadでネットサーフィンをして遊んでいたので、全くのムダ時間では無かったのだけれど…。

 水族館の次は、ポケモンセンターに行きました。ポケモンセンターがまだ浜松町にあった頃に一度行きましたが、それ以来だったので、ちょっと懐かしかったです。色々な人種の子どもたちがいたし、色々な言葉が飛び交ってましたよ。さすがは世界のポケモンだね。

 すでに時刻は昼下がりになってしまったので、乙女ロードに行きました。妻がコスプレ専門店に食いつきました。と言うのも、コスプレ衣装って、ちょっと手直しすれば、声楽のコンサートの衣装に転用できそうなものがたくさんあるし、またお値段も安いじゃないですか。実際、私も、コジ・ファン・トゥッテの二重唱(いつか歌おうと温めています)で使えそうな洋剣の模擬刀を見つけました。そのうち、買いに来るかも(笑)。王子様衣装もたくさんありましたが、どれも私が着れるようなサイズじゃなかったのは残念でした(大笑)。

 それにしても“おそ松さん”の人気ってすごいねえ。どこに行っても、グッズの一つも売れ残っていないんだよ、信じられる?

 日も暮れたので、池袋のヤマハに行ったら、楽譜のバーゲンをやっていたので、ついつい万札はたいてアレコレ買ってしまいました。都会に出ると、ついつい楽譜の大人買いをしてしまう私でした。

 まったくやっている事は、おのぼりさんなんだけれど、ほんと、都会って楽しいよね。

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2016年1月12日 (火)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その11 「小さな空」

 今回の曲は、武満徹作詞作曲の「小さな空」です。日本歌曲集などには入っていない、楽譜の入手困難っぽい曲ですが、案外、この歌、あっちこっちで聞きます。結構、人気あるみたいですし、実際、良い歌だしね。

 この曲は、元々はTBSラジオドラマ『ガン・キング』の主題歌だったそうで、初演歌手はジェリー藤尾だったそうです。1962年の作曲です。どんなドラマだったんでしょ? まあ、そういう意味では、作曲家はクラシックの人だけれど、音楽としてはポピュラーソングだったわけです。

 YouTubeで検索すると、この曲、独唱曲としてよりも合唱曲としてアップされていて、なぜなんだろうと思ったら、1980年代になって、合唱曲にアレンジされて、今では合唱曲としても歌われている…ってか、合唱曲としての方が有名かも…って感じになっているわけです。ここではもちろん、独唱バージョン、メゾソプラノの波多野睦美氏の歌唱で聞いてみましょう

 合唱曲も何本か聞きましたが、やはりこの曲は独唱の方が寂しさがうまく表現されて、いいんじゃないかと思いました。とは言え、合唱曲を否定するつもりはありません。日本の合唱とか吹奏楽などの音楽は、演奏するための音楽であって、演奏する人が気持よく歌えることが最優先な種類の音楽である…と私は認識しているので、この曲の合唱版を歌うと、確かにメッチャ気持ちよくなるだろうと思いますので、合唱曲としても、当然ありだと思いました。ただ、聞く立場として言うなら、合唱よりは独唱かなって思うくらいです。

 武満徹と言うと、なにやらよく分からない現代曲ばかり書いている作曲家であると、私は偏見を持っていましたが、この曲に限らず、数は多くはないのですが、優れた歌曲もいくつか書いているんですよね。特に「死んだ男の残したものは」という曲は優れた楽曲だと思いますが…その詩の内容のあまりの重さに、到底私では歌いきれない曲だなあって思ってます。

 やっぱり日本歌曲って、歌うのが難しいなあ。

 次回から、通常運転に戻ります。

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2016年1月11日 (月)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その10 「初恋」

 今回からは日本歌曲です。アマチュアさんの発表会に行きますと、日本歌曲を歌う人って多いんですよね。私などは、日本語歌唱の難しさを壁と感じてしまうので、日本歌曲にはなかなか取り組めませんが、逆に外国語歌唱に難しさを感じる人にとっては、日本歌曲は大切なレパートリーになると思います。

 今回取り上げるのは、越谷達之助作曲の「初恋」です。(「初恋」というタイトルの歌曲は複数ありますので、間違えないようにしないといけません。)歌ってらっしゃるのは、ソプラノの小川明子氏です。

 定番とも言える名曲ですね。私も歌ってみたいと思いますが…歌ってみると、案外、難しいんだと思います。

 まず日本語で歌うのが難しい。それについて、ここで語ると、大きな脱線になってしまうのでしないけれど、例えば日本歌曲の楽譜って、モノによっては、歌詞をカナではなくローマ字で表記しているものがあるでしょ? あれって別に日本語の出来ない外人さんのために親切にしているわけではなく「もっと子音を意識して歌いなさい」って事なんだよね。ほら、日本語ってカナ表記をしているために、子音とか母音とか意識しないでしょ? でもそれじゃあ、ちゃんと発音できないんだよね。

 でもね…、実はね…、日本語ってローマ字で表記できるほど、発音体系が単純な言語じゃないから、ローマ字だけでは、まだまだ歌の歌詞表記としては、不足なんだよね。かと言って、発音記号で書くわけにもいかないから、その不足は勉強ってやらで埋めていかないといけないわけで、私はそこを難しいと感じています。なまじ日常会話でいい加減な日本語を使っているだけに、改めてきちんとした日本語の発音を勉強するのが難しい…って事です。

 それに、表記や発音の問題をクリアしても、表現の問題が残ります。日本歌曲の歌詞って、結構インテリジェンスが必要な歌詞が多いんだよね。おバカな歌詞の歌って、まず皆無です。

 だから、日本歌曲を歌うには知性も必要だし、歌詞の深みを表現する力も必要です。そういう事を考えると、日本歌曲に関しては、もっと枯れて、人生の深みを歌で表現できる年頃になってから取り組んだほうがよさそうだなあと思ってます。

 歌うのにインテリジェンスが必要と言った点では、日本歌曲ってドイツ歌曲に通じる…というか、ドイツ歌曲を模範にしているんだろうなあって思うわけです。

 ドイツ歌曲も難しくて、歌うのに躊躇しちゃうジャンルの歌曲だよね。

 というわけで、実際、今の私の年齢と経験では、この「初恋」という歌は、歌えないよ。石川啄木は天才だと思います。

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2016年1月10日 (日)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その9 「アマリッリ」

 今回の曲も、前回同様にイタリア古典歌曲からです。カッチーニが作曲した「アマリッリ」です。初心者の方々が、よく発表会等で歌っています。

 アマリッリとは、イタリアの女性の代表的な名前の一つなんだそうで、この曲はそのアマリッリに向かって歌っているので、当然男性の歌となりますが…やっぱりメロディは男性向きではありません。となると…カストラートのための曲だったんでしょうね。

 イタリア古典歌曲が作曲された時代って、カストラート全盛期だったそうですから、自然とカストラート向けの曲がたくさん収録されていて、今やそれらを歌う歌手たちが絶滅してしまったために“オペラ・アリアだけれど、どの声種であっても歌ってもかまいませんよ”的な雰囲気になっているのかもしれません。

 例えれば、シューベルトの「アルペジオーネ・ソナタ」のような存在なのかもしれません。今やアルペジオーネという楽器は存在せず、しかしアルペジオーネ・ソナタという名曲は残っているわけで、だからソロ曲に恵まれない、フルートとかビオラとかチェロなどの他の楽器が、アルペジオーネ・ソナタを頑張って演奏していく…みたいな感じ? ちょっと違うかな?

 「アマリッリ」という曲は、カストラートの曲ですから、音域や音色で考えるならば、現在では純粋な歌曲として、女性歌手が歌うのがベスト…なんだろうと思います。でも、本来男性の曲ならば、男性に歌わせてみたいというのが人情ですが、でもカストラートなんて現存していないのだから…カウンターテノールの歌唱で聞いてみましょうって事にします。と言うわけで、カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーの歌唱でお楽しみ下さい。

 こうやってカウンターテナーの歌唱で聞いてみると、カウンターテナーも捨てたもんじゃない…ってか、やっぱりバロックの歌はカウンターテナーの方がいいんじゃないかって気にもなります。

 さて、歌詞ですが、今回の訳詞は、こちらのモノです。

Amarilli,mia bella
 アマリッリ、私の美しい人、
non credi,o del mio cor dolce desio,
 信じないのか、私の心の優しい望みよ
d'esser tu l'amor mio?
 あなたが私の愛する人だと。

Credi-lo pur:
 どうかそう信じておくれ
e se timor t'assale
 そうすれば、たとえ不安があなたを襲ったとしても
dubitar non ti vale.
 恐れる必要はないのだから。

Apri-mi il petto e vedrai scritto in core:
 私の胸を開いてごらん、そうすれば心の中に書いてあるのが見えるだろう。
Amarilli e` il mio amore.
 「アマリッリこそ私の愛する人だ」と。

Credi-lo pur:
 どうかそう信じておくれ
e se timor t'assale
 そうすれば、たとえ不安があなたを襲ったとしても
dubitar non ti vale.
 恐れる必要はないのだから。

Apri-mi il petto e vedrai scritto in core:
 私の胸を開いてごらん、そうすれば心の中に書いてあるのが見えるだろう。
Amarilli e` il mio amore.
 「アマリッリこそ私の愛する人だ」と。

Amarilli e` il mio amore.
 「アマリッリこそ私の愛する人だ」と。

 カウンターテナー、いいですね。でも、男性なのに女性の音域で歌うのは、一般人の感覚で言えば「気持ち悪い」わけだし、クラシック的に考えると、合唱では歌うパートがないし、オペラでは役がないです。まあ、アマチュアの場合、カウンターテナーになっても、活動範囲が著しく狭くて趣味としては楽しみきれないかも…しれません。ではプロ歌手さんたちの場合は…いっそ芸能人としてタレントさんになるという道が開けますが…一流のカウンターテナーである米良美一さんや岡本知高さんでさえ、テレビに出ればオネエタレント扱いだったり、デブキャラ扱いなので、そこが一つの壁かもね。日本じゃカウンターテナーは不遇だよね。彌勒忠史さんのように音楽だけの活動ができる人は希少なんだよねえ。

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2016年1月 9日 (土)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その8 「すみれ」

 今回ご紹介するのは、スカルラッティ作曲の「すみれ」です。イタリア古典歌曲なので、ごく初心者の方が多く歌われています。でも実はこの曲、歌は初心者の方がチャレンジしますので平易な曲というイメージ(あくまでもイメージであって、必ずしも平易とは言えません)がありますが、ピアノの伴奏が厄介だって知ってました? 特に全音(全音楽譜出版社)の高声版で歌うと、伴奏者の方が嫌な顔をされます、それくらいに厄介で面倒な曲なんですよ。でも、歌う側からすると、高声版って、ちょうどいい感じなんですけれどね。

 テレサ・ベルガンツァの歌唱を見つけましたので、これを貼っておきます。画面の中に訳詞も出てきますので、今回は訳詞をここに載せるのはパスしておきます。

 この曲、歌詞の内容を見ると、明らかに男性が歌っている歌なんですよね。“すみれ”って“乙女”の暗喩でしょ? でもメロディーは男性向きではない。テノールなら歌えないメロディーではないけれど、テノールの良さがあまり引き出せないタイプのメロディーです。歌詞は女性向けでなく、メロディーは男性向きではない。では、誰のための曲なのかと考えると…カストラート向け?だったのかなって思います。

 イタリア古典歌曲って、そのほとんどはバロック時代の古典オペラのアリアなんですよ。ですから、純粋な歌曲ではないわけで、ですから、歌い手が歌の主人公なわけです。ですから、歌詞の内容と、声の特性は本来一致していないといけないのだけれど、この曲のように、それらが齟齬をきたしている場合は…今ではいなくなってしまった声を念頭に置いて書かれた可能性があります。

 カストラートと言うのは、男性の声質で女性の音域を歌える歌手で、もちろん現存していません。カウンターテナーとかメールアルトやメールソプラノなどの希少種とも言われる歌手たちが、現代版カストラートだと言われますが、彼らはファルセットで歌う歌手であって、カストラートはファルセットではなく、男性歌手同様に実声で歌っていたそうですから、かなり違うのではないかと、個人的には思ってます。

 まあ、カストラートは現存しないし、残っている音源も、録音状況が良くないし、第一、歌っている歌手が一流とは限らないので、あまり参考にはなりません。そういう意味では、カストラートとは、今となってはファンタジーな存在なんだろうと思います。

 まあ、どのみち、この曲は声がかなり軽くないと歌えない曲です。そういう点では、私のような声を軽くしたいテノールあたりの人は、この曲を学ぶと良いのかもしれませんね。

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