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終戦後から、日本高速フェリーに移籍するまで、父が一時で勤めていました。
多分幼稚園の頃、日本に寄港した際本船訪問で、広畑・釜石・海南等の港に行った記憶があります。どこかに写真がないかと探していたのですが、見つかって感激です。
宇佐丸、熱田丸の写真があればよいのですが。
父は、もう88才で、介護施設に入居しています。
>>6
こんにちは。
宇佐丸と熱田丸の件、了解しました。しばらくお待ち下さい。
日本高速フェリーもずいぶん懐かしい社名となりましたね。
父味岡正の話に、久保田さんや吉村船長の名前が良く出てきたことを覚えています。懐かしく、思わずメールを書きました。丁度小学校高学年の折、室蘭、釜石、船川、清水、下津、広畑、相生・呉(ドック)等に、母親(93歳で元気です)と弟と訪ねた日々を思い出します。父(20年前に84歳で亡くなりました)は照國海運の後、日本高速フェリー・土佐特急フェリーに70歳を過ぎても働き続け、まさに船大好き人間で、会社倒産の時は本当にショックだった様です。父の遺品に、船員手帳の他に、会社のパンフレット等が有りますが、お役に立つようであれば、ファイル等にてお送りします。
>>8
味岡局長さんとは、随分何度も同乗して、お世話になりました。
休暇中に子供さんに「お酒を買いに行く」というお手伝いを依頼した時の話は、何度も聞いて覚えています。(ここでは内緒)そのご子息達も立派になられてお母上様もお元気なようで、なによりですね。母上様は訪船されても、デッキでカンバス片手に絵画を楽しんでいました。
私も後期高齢者でヨチヨチしていますが、自分の生涯のほぼ大半を照国海運で過ごしたので、紆余曲折はあったが、忘れる事は出来ません。有り難うございました。
実家の整理をしていて、昭和48年の照國海運の船員名簿が見つかり、味岡様、久保田様の名前が掲載されているのを見、父と同時期に在籍しておられた方と解りました。
父は、当時機関長でした。今年90歳で、今介護施設におりまして、時々乗船した船の写真等を見せますと、昔の記憶が戻るのか、嬉しそうに見ています。
もし、何か照國海運の資料等、メール先に送付頂ければ、幸いです。
日頃貴重な情報をご提供いただき感謝に堪えません。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1122589
大阪商船の波上丸の配置図を見ていて感じたのですが、1,2等には食堂はありますが、喫煙室やラウンジがありません。
2日間の航路なので必要ないという経営上の判断なのでしょうか。
もしくは食堂をそのように使用していたという事なのでしょうか。
ご意見を賜れれば幸甚です。
こんにちは。
航路は違いますが本船とほぼ同時期に建造されサイズもほぼ同じ北日本汽船の月山丸級と比べるとたしかに一等社交室(ラウンジ)や二等喫煙室がみあたりませんね。
食堂ですが一等は10名、二等は32名収容の広さだったようです。本級を建造するに際しては船客設備が特に配慮されたとのことなのでラウンジがない理由も知りたいものです。
>>1
ご教示有難うございます。
特三や三等には配膳室はあっても食堂はありません。
畳敷きの船室内で食べるのでしょうか。
航路が短いという事もあるのかも知れませんが、他航路の貨客船に比べて設備が落ちるようです。
>>2
本船の3等客室や船客についての資料はみあたりません。
3等に乗船した人の記録があるとよいですね。
ただ本船は、山田早苗氏の調査によると、
・昭和12年1月6日沖縄に向け処女航海の途につく
・昭和12年8月、日華事変とともに陸軍病院船となり軍務に服した
とあり、沖縄航路への商業航海はそれほど長くなかったようです。
大阪/那覇航路の本クラスの船内写真が掲載されています。
三等喫煙室、三等室など確認できます。
「沖縄へ」(昭12,大阪商船)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1122482
>>4
新田丸クラスでさえ3等はダイニングとサロンが兼用です。
当時の人にとってはそれでもそれがさして苦にならない環境だったということですね。
大正末期〜昭和初期 世界一周 渡航記
http://koyama-globe.sakura.ne.jp
日瑞関係のページ
http://www.saturn.dti.ne.jp/~ohori/sub36.htm
当時の欧州航路就航船の船上写真など興味深い内容がつづられています。
こんにちは。貴ホームページの「山霧丸」の写真・船歴を私が作成中の報告書(※)へ、収録させていただけませんか。※(1)書名:『横浜・山手250番館/1942年1月、マキン島から来た捕虜たちの記録』、(2)寄贈先:神奈川県立図書館ほか、テーマに関係した土地の公立図書館、
(3)作成予定冊数ほか:15冊程度。本年2月末完成予定。無償。私は、マキン島で捕虜になった英国植民地省のウイリアムズという人物の記録をまとめています。過去の分は、国会図書館のホームページ→「名倉有一」で出ます。
こんにちは。
下記ご依頼の件、収録していただいてかまいません。
> こんにちは。貴ホームページの「山霧丸」の写真・船歴を私が作成中の報告書(※)へ、収録させていただけませんか。※(1)書名:『横浜・山手250番館/1942年1月、マキン島から来た捕虜たちの記録』、(2)寄贈先:神奈川県立図書館ほか、テーマに関係した土地の公立図書館、
> (3)作成予定冊数ほか:15冊程度。本年2月末完成予定。無償。私は、マキン島で捕虜になった英国植民地省のウイリアムズという人物の記録をまとめています。過去の分は、国会図書館のホームページ→「名倉有一」で出ます。
>>1
ありがとうございます。それでは別添の図42下のような表示で引用させていただきたいと思いますが、ご指定などありましたらお教えください。なお、船歴は別途脚注71のように引用いたしました。失礼しました。
コメント
こんにちは。
> 仕事で東洋汽船地洋丸の写真を探していました。
> これは日本郵船の社史に掲載されているものなのでしょうか。
明治後期>北米航路>東洋汽船に掲載の写真は、「創業百年の長崎造船所」または「商船建造の歩み」(三菱造船株式会社 昭34)に同じ写真が掲載されています。
海と船の挿話>1>東洋汽船・地洋丸の座礁事故 に掲載のものは個人の提供画像です。
市販本で比較的最近出版されたものでは「日本の客船 1 1868-1945」(野間・山田編 株式会社海人社 - 1991)に本船の写真があります。
日本人の軽音楽史を執筆しております。1912年7月横浜港出帆、サンフランシスコ行の地洋丸(東洋汽船)について調べたく写真も見たいと考えます。
>>2
こんにちは。
東洋汽船の地洋丸の写真については上記の書籍のほか同社最後の社長中野秀雄氏の労作「六十四年の歩み」(昭39)があります。国会図書館等に蔵書があります。
なお、音楽関係についてはこの掲示板のスレッドNo.52「
戦前の客船での娯楽演奏について」も参照ください。
>1912年7月横浜港出帆、サンフランシスコ行の地洋丸
ご質問はこの日の地洋丸の様子でしょうか?
そうであればこの年の本船の動静はまだ調べたことがありませんが、下記の神戸大学の新聞記事文庫で「地洋丸」を検索した結果から手がかりを求められてはいかがでしょうか。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/
私の祖父 石井五一郎は 大正初期に東洋汽船の地洋丸などの機関長を長く務め、サンフランシスコ航路の 船客と 船上で 撮った写真が数枚 私の所にあります。
祖父の 略歴を私が纏めた 文章もあります。