アルコール依存症を憎しみ、アルコール依存症に怒りを覚える人たちのための掲示板です。投稿文字数は全角1000文字までに制限されています。1000文字を超える投稿は複数に分けて下さい。
こうたさんへ
私は今、「オーバードーズ」です。つまり、精神病院でもらう向精神薬を飲み過ぎてます(つまり、向精神薬、足りない分は、私のガールフレンドからもらっています)つまり、繰り返せば、私は、精神病院で処方された薬だけでは足りないので、人からもらった薬でソレを補っています。つまり、私は薬物依存の状態にあります。私は、人は誰でも、依存症の状態にある(あるいは、依存症の一歩手前の状態にある)と、思います。それが、アルコールの場合、アル中です。薬の場合、薬物依存症。人間関係においては、セックス依存・共依存症など・・・。
私自身、今夜も、本来病院から処方された薬の分量(ハルシオン0.25mg×2錠)を超える分量(ハルシオン計0.25mg×4錠)飲むかも知れません。それを飲まないと、私は、救急車を呼びたくなるほど苦しみます。つまり、私は、苦しみ(離脱)に絶えて、ハルシオン2錠に抑えるべきなのに、それが出来ていません。
「通常成人は1回0.25mgを就寝前に経口服用する。高度な不眠症には0.5mgを服用することができる。」
http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se11/se1124007.html
1日0.5mg以上は用法オーバーです。しかし、私は、ハルシオン0.25mg×4錠=1mgを必要。私は、この薬に依存しています。その証拠に、私は、この薬を飲めば、すぐ、効きます。(←ありえない。なぜなら普通、薬は、飲んで、30分ぐらい経って効くものだからです)。ところが、私の場合、まるで、アルコールを一口飲めば、手の震えが止まるのと同じように、ハルシオンを一口(ハルシオン0.25mg×2錠)飲めば、手の震えが止まります。
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>私の母の『威厳』です
と、私は書きましたが、もっと言えば、『人間の尊厳を見た』と言っても良いです。
しかし、一方で、『人間の尊厳』という言葉は、断酒には無力だと思う。
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皆さんはじめまして。
随分と前に『TACH』に在籍しておりました
東京在住49歳の江ノ島(♂)でございます。
1999年にアルコール依存症と池袋の専門医に告げられ
その日から2007年まで断酒をすることが出来ましたが
ひょんなことから再飲酒が始まり1年間飲んでしまいました。
で、再度断酒を始め5年間断酒が出来たにもかかわらず
3か月前ほどからスリップし
昨夜まで飲んでいました。
ここ数日は連続飲酒で最悪でした。
今日から何としても断酒をしたいので、末席に加えて頂き
皆さんから勇気を分けて頂きたいと思います。
>>2
はじめまして。KMさん。古書店といいます。
私も3年ほど前にアルコール依存症と診断
された、うつ病も患う患者です。
私の家は少し複雑です。父は早くして他界し、母はうつになり姉は境界性人格障害になりました。また、女性の知的障がい者を家に住まわせ、セクハラを受け、そのため逃避するようにお酒に頼るようになりました。
もともと、学者肌の私は、学者を目指していましたが年齢的に、もう不可能だと悟りました。
私は特に手が震えるなどはありませんが、ひどいうつと睡眠障害に悩まされています。今もそうです。
PTSDに加え、アルコール依存症、さらにはスリップはよくわkります。
私の専攻は社会保障でしたし、長い間精神障害者を救うのが夢でしたから。
しかし、今は、眠くて仕方ないのですが(PCで打ってる現在)精神保健福祉士(PSW)を目指してまた、断酒に踏み込んでいます。
私も無理には、とはいいません。しかし、私も等しく、それで長く重く苦しむなら断酒されることを、私も含めて思います。
どうかご自愛なさってください。
私は夢があるので、救われているだけかもしれませんが。
KMさん
ありがとうございます。
貴方は、インテリです。今日は、小田嶋
隆さんの本を読みました。超
反知性主義。この世は、知性など蔓延らない。アルコール依存症とは、4LDのお部屋を
無理やり蓋をして、2LDにして住んでる
世界だと。自尊心にかわるのには、1年
以上と考えます。私は、10年断酒し、
6年の月日をスリップ失っています。
最後は、飲んだくれで死にたくないと
頭では解っても、慢心がプラスの方向に
進まない。しかし、こういった場所が
あるだけでとも、希望の光はある。
断酒と信仰とは、とても似ていて
本人が自覚した時に
強い光を放つ、貴方の文章からも
感じます。ありがとうございます(^_^)
>>6
km様
わざわざ酔っ払いに返信ありがとうございました。
今日は、何とかぬるま湯に浸かり、掃除や洗濯、家族の
料理と済ませて、アルコールにいかない様に何度も何度も
こちらの過去ログや他の方のコメントに必死にすがり
今日の一杯を避けようと努力しています。
お恥ずかしい話、3ヶ月前に膵炎で、入院をして断酒し
今回は、上手くいくかと思う矢先に、大変嫌な事があり
(その事は理由付けには、なりませんが)頭の中の
強迫観念にスイッチが入り、心や体の痛みも忘れ、一杯に
手を出して、1週間の連続飲酒、朝からゴミを捨てるフリ
してのコンビニでの酒の購買。もう、しゅう恥心より
取り憑かれた様に飲み、記憶を無くして財布を無くす
と言うざまです。10年止めた時は、アルコール病棟への
入院から、自分の病気をしり、自助会につながり、
仕事にも恵まれ、仕事のストレスや人間関係にも苛まれ
た時期もありましたが、一滴も口にせず、断酒が出来ました。
今、考えると、実家という守られた世界が、あったから。
私もAC、自立出来ないまま、子供のままに育ち、
結婚という自立にポンと放たれ、何も出来ない 自尊心の
低い子供が、駄々を捏ねるように、また、お酒の悪魔
に取り憑かれて行きました。私は、slipする度に、
酷くなる事を知りました、飲まなくても確実に病気が
信仰してると感じました。人生の1年は、病院(精神含む)
ご厄介になっています。同じ時にいた人達の何人かは、
キチンとやめて、自分の人生を歩んでいるのにと言う
自己嫌悪⇨不甲斐なさ⇨飲酒⇨また、問題 の繰り返し。
それからは、AAに行っても馴染めず、利用されたり、
はたまた女性からの嫉妬からの対応、飲ませようとする
ように気持ちを挑発させられたりと、何のための会なのか
?懐疑心で一杯になり、一般社会でもスピンオフして
、さらに精神病の中でもかと、悲しい気持ちでぽっかり
した穴が、埋まらない弱くて、愚かな人間なのです。
KMさんも、お父様の介護は、大変ですね、
逃げたくなりますよね、でも、お酒に逃げない
立派です。でも、私も家族には、せめても罪滅ぼしが
したい癖に、一時的な感情で、酒に逃げてしまう・・。
こうやって、書かせて戴いて、吐き出させて
頂いて、ありがとうございます。
また、力を下さい。助けて下さい。
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お久しぶりです。
改めて自分の人生を振り返ると何だったんだろうと
思います。
16歳の頃デカルト(フランスの哲学者)で覚醒し、
その後も様々な本を読んで、学者をめざしていました。
19歳までは順調でした。ただ、16歳でうつを患ったので、大学は二流ですが。
しかし、大学のゼミでは(大学にはゼミナールという特別な授業があり、その試験に合格しないと卒業論文を書かせてもらえません)
トップの成績で入りました。勉学に充実し、アルバイト、恋など、夢を持っていきていました。
しかし、私が就職の頃になると、かねてより学者の道は親と姉の病気で閉ざされました。
そこからアルコール依存が始まりました。
その後は悲惨で、アルバイトも続かず、知的障害者の女性にセクハラを受け、夢は完全に閉ざされました。母と姉から解放された時には、もう時遅く、学者の道は閉ざされました。
それでも入学しようと思い、私には実績が足りないと思い、学者の実績である論文をA4で100枚以上書きました。それでも先輩からは、「年齢を考えるとなれない」といわれました。
私の障害者を救いたいだけの論文は水泡と化しました。
今は資格をとることを目指していますが、心の中には深い慟哭があります。
もう学者にはなれないのか……と思いました。
お久しぶりです古書店です。
ご意見ありがとうございます。ドイツ文学とドイツ語ですか。素晴らしい素養をお持ちかと思います。
私も文学は好きで、ドイツ文学なら、トーマス・マンやヘルマン・ヘッセを読みました。
ただ学者になれるものは、専門性の高い教養や学力はもちろん、運も必要です。その意味では私達は、運がなかった人間に思えます。
公務員をされたということは、やはり学問に才がある方ですね。公務員試験の難しさ存じております。
よく続けられたと素晴らしいと思います。私は学者一本でしたので、バイトや仕事はインセンティブが働かず長続きしませんでした。(ですから今苦労しています)色覚異常に関しては詳しくはわかりませんが、色盲のことでしょうか? これに関しては、述べたくなければ言及されなかくても大丈夫です。
私もハルシオンを飲むと必ずせん妄とブラックアウトを繰り返していました。苦しさはわかります。
障害年金2級は、本当に助かりました。この10年、障害年金2級(月13万円)で、ぜいたくに暮らしてます。何しろ働かなくても食っていけるのですから・・・それは、何ものにも拘束されずに生きていけるという意味で、私は、いま、ぜいたくで、自由で、精神的に豊かな生活を送っていると思います。
無職であっても経済的に比較的恵まれ、「自由で、精神的に豊かな生活を送っている」ことは実に恵まれています。これは私の専門ですが、私の専門からすると、ウィリアム・ベヴァリッジが提唱した「ゆりかごから墓場まで」という最低限のセーフティー・ネットで過ごせない人もいるのです。K.Mさんは、表現がむずかしいですが、ついていましたね。
音楽を生きる糧として、断酒をしていることは素晴らしいことですし、私も見ならわければなりません。美しい曲はいいですね。私はバッハを始めとして、スクリャービンやオリビエ・メシアンが好きです。
それではお互い断酒をがんばりましょう。
>>4
古書店さん
>表現がむずかしいですが、ついていましたね。
私は、まったく本当についてます。
いまだったら、障害年金を申請しても、認定は、
せいぜい3級でしょう(3級の受給額は2級の半額)。<<<いまは厳しいから。
しかし、実は、いま私が受給している障害年金2級は、普通の年金と違って「変更される可能性」があるのです。国の社会保障の財政が破綻しそうになれば、年金を支給する金がなくなりますから・・・。
いま私は、いつ、障害年金が減額(3級に減額)されるか、またはゼロになるかと、おびえています。
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ドイツ文学の読者として、トーマス・マン、ヘルマン・ヘッセなら、それで十分ですよ。トーマス・マンの「魔の山」なんて、読むのがきつかった。面白くなかった。
それから、クラシック音楽のリスナーとして、バッハ、スクリャービン、メシアンで、十分です。あまり、いろいろ読んだり聴いたりするより対象を絞るほうが、より深く、またより新鮮に、文芸を受け止めることができると思います・・・と、偉そうなこと言ってすみません。
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色覚異常というのは、ウィキペディアに書いてあります。
それを読んでも分かりにくいでしょうが(私も分かりにくい)、
私の場合は、先天赤緑色覚異常になると思います。
「かつて色盲と呼ばれたことから、『白黒に見える』ような誤解があるが、それはまれな全色盲の場合である」と書いてあるとおり、私は普通の色なら見えます。たとえば、私は運転免許証を持ってます。つまり信号機の色を識別できます。また、私は、絵画を鑑賞することには、人一倍、自信があります。色付きの絵も描けます。
しかしです。
小学校のときにやる「色覚検査」のあの丸がいっぱいならんでいるのだけは見えません。
また、ウィキペディアの下のほうの「淡赤と淡緑」などのサンプルも見えにくいですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2%E8%A6%9A%E7%95%B0%E5%B8%B8
下から6つは、見えにくいか、あるいは、見えません。言われてみれば、なるほどと思いますが・・・見えません。
私の場合、「赤緑色弱」だと思います。
私が理系に行かなかった理由は、私が色弱だったからです。たしかに、色弱の人は、医師や薬剤師その他の職に就けません。色を見分ける能力の欠如によって、人命かかわる事故や過失を犯すことにつながるからです。
お久しぶりです。
古書店です。今年からSWの資格の学校も本格的に始まり、
お酒は今のところ絶っています。
スリップに怯えることはありますが、自分のやりたいことと照らしあわせて、手本にならなければなるまいと
必至に止めています。
さて、年金についてですが、現行の障害年金はベーシック・インカムという制度を導入しないかという専門家たちの間では、もっぱら論争の的になっています。もちろんこれは社会保障、経済学、社会学、政治学の分野でよくいわれている分野です。どういうものかといいますと、
「世帯に関係なく、個人一人一人に配当される基礎的配当金」とされています。
つまり、子供が6人の家族で両親が健在ならば8人分、子供が一人で片親なら2人分配当される国からの、助成金です。
しかし、すでにこの時点でわかるように社会的公正に照らし合わせると必ずしもフェアとはいえないのが、ベーシック・インカム以下〔BI〕です。
もし、後者の家庭の世帯全員が障がい者ならば、ほとんど、現行の制度と変わらないからです。しかし、利点もたくさんあり(ここでは全てあげられませんが)将来、生活保護費、障害年金に代わって新しく導入されるかもしれません。
例えば、BIを導入することによって最低限のセーフティーネットを築けるなどです。これは生活保護費の受給資格が厳しいのに対して、BIは基礎的な助成金の上、ミーンズ・テスト(資力調査)も甘いため比較的、市民生活の保全が保たれるというものです。
また、経済学的には、個人消費が増大し、国家財政に結果的に寄与します。
障害年金の有無は医師の力が大きいので、診断書をいい意味で悪く書いてもらうことを薦めます。
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『魔の山』に関しては、私も読破しようと読んだことがありいますが、下巻のセテムブリーニとナフタの理論上の対決の前で挫折してしまいました。私が、読んだのは『トニオ・クレイゲル』です。
音楽に関しては、私はいろいろと浮気気味に聞いてしまうので、K.Mさんの仰る通り、本当のリスナーではないかもしれません。
色覚異常に関しては、「色弱」という形でいいのでしょうか? もうちょっと調べてみます。 ただ免許をお持ちなら、社会的に生活する上でさほど問題がないように思えます。ただ、専門の職によってはつけないのは非常に残念なことです。
これから本格的に仕事の復帰と学校が始まりますので、酒はやめ続けように尽力で臨みます。
>>8
古書店さん
KMです。
いろいろ教えて下さりありがとうございました。
ただ、ちょっと、分からないところがあります。
>SWの資格の学校も本格的に始まり
すみません。この「SW」って、何ですか? ネットで調べると「ソフトウェア開発技術者」と出てきましたが・・・。
>『魔の山』に関しては、私も読破しようと読んだことがあり
『魔の山』は嫌いな作品です。私も途中で読むのが嫌になりました。
そして、私が、大学3年生または4年生から卒業まで、学んだ作家は、フランツ・カフカです。原文で読んだのは『変身』だけですが・・・。
カフカには非常な共感を持つことができます。
>「色弱」
まさしく色弱です。この障害を持つ者は、医者や、薬剤師や、その他理系の仕事に就くことができません。しかも、遺伝病なので、子孫に伝わります。私が結婚しなかった理由の一つです(結婚しなかった理由は他にも沢山ありますが)。
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はじめまして。今日は母の新盆の準備をして休日を過ごしお盆が無事に終わるまで、毎日飲んでいたお酒はやめると決めてました。でも夕方夕食の支度はじめないといけない暑くて動きたくなくついガソリンの様に一杯安いワインを飲んではじめてしまい半分飲んでアイロンして夕方なのに布団干して 寝てしまい、気持ち悪く水を飲み何度も吐きました。頭が痛く動けず食べてません。母を亡くして七ヶ月断酒出来ない自分… そして携帯ですがこのサイトにたどり着きました。ずっと21年働いた大好きな職場も朝からビール飲んで出勤したりして自分に嫌気がさし結婚もしていない女だって言われるのが嫌で何も考えず退職してしまいました。お酒のせいで頭が変になってたんです。今は歳だから介護職しかなくストレス溜まりやっぱり夕食支度前から飲み始めてしまい…胃もやられていますが一緒に暮らしている人にはアルコール中毒とは言えてないけど気づいてますよね。母が急死してから暫く飲めなかったが仕事しながらこの痛みは夕方沢山飲んで忘れてしまえるでも一瞬だけ… あとは苦しみ不安頭痛が待ってるのに… だからやめたいのに苦しいから飲むしかない… 矛盾だらけの人生 私と似ていたので投稿してしまいました。公務員みたいな立派な仕事ではなかったですが…。
中ちゃん、はじめまして、KMです。離脱症状→飲酒→離脱症状→飲酒。この「地獄の連鎖」から抜け出すのは容易ではありません。逆から言えば、この「地獄の連鎖」「魔の連鎖」から抜け出せれば、あなたは自由になれます(すなわちアル中を克服したと言えるでしょう)。さて「自分が、アルコール依存症であることをカミングアウト(公表)すること」は、口で言うほど簡単なことではありません。それは、かつての私自身も、できませんでした。しかし、「私はアル中だ」と、同僚や仲間に告白することは、当時の私にとって回復への近道だったかも知れません。15〜20年前、私にそれ(カミングアウト)ができれば・・・いや・・・15〜20年前の私がカミングアウトしていても、おそらく(アル中以外の理由から)公務員の職は辞していたでしょう・・・しかし、あの時カミングアウトしておけば離脱症状と飲酒の連鎖から抜け出すことは、ずっと容易だったでしょう(脅かすようですが、「アルコール病棟」に入院することは地獄です)。さいわい、15〜20年前(1980年代)に比べ現在(2013年)はカミングアウトをすることが、クールに思われるようになりました。「私はアルコール依存症なんです」と周囲の人に言いやすい時代になったと思います。アルコール依存症者が、アルコール依存症を告白すれば、回復のために支払う代償、苦痛と喪失は少ないはずです。それが出来なければ、いずれ、地獄のような「アルコール病棟」への入院が待ってますよ。後者より前者のほうが苦痛が少ないです。ジョン・レノンのように「Help!」と叫べばいいのです。カミングアウトすること・・アンジェリーナ・ジョリーやブラッド・ピットのように・・・。最後に、離脱症状が消えるのに要する時間は、酒量に比例します(当然酒量が多いと時間がかかる)。酒量が少なければきつくないです。私の場合、1日8合飲酒していたときは「アルコール病棟」にて1週間・・・自宅での少量の飲酒時では離脱症状が消えるのは4時間でした。私は15年前4時間で離脱症状を乗り越えました・・・生前の母の助けを借りて・・・。
>>4
>夜中に目が覚めて、寝ようと思っても眠れず、身体が「痙攣」し、悪寒がして布団を着込んでも「寝汗」が額からも手足からもだらだらとでて、毛布がびしょびしょになる。その状態で布団の中でうずくまっているときは、悪夢そのものでした。http://homepage2.nifty.com/einstein/alcoholism/contents/contents.htmlより
私が入院した「アルコール病棟」は、非常に劣悪な環境でした。そしてその病院は患者を罪人のように扱う(もっともアル中は罪人と扱われて当然)・・・患者は暴力団ばかり・・・
もう二度と「アルコール病棟」に入りたくない。「自由」を奪われたくない。
http://homepage2.nifty.com/einstein/alcoholism/sonogo/sono2.html参照
2009年12月、私の家が火事になったとき、私は飲酒欲求を覚え、怖くなり、夜中、父に「そばにいてくれ」と、助けを求めました。
火事被災の後、飲酒欲求が襲ってくることが、少しあります。しかし、乗り越えてます。その際、飲酒欲求を乗り越える力は、上記2つの経験だと思います。もうあんな経験は二度としたくない。
==
私は、この15年に2度、酒を飲みました。あまりにひどい鬱の症状に耐えられず、「このままだと自殺する」と判断し、ワンカップを、3分の1ぐらい飲んで、3分の2は流しに捨てました。
飲酒欲求を乗り越える力は、意志の強さとかじゃありません・・・そんなもん役に立ちません。
飲酒欲求を乗り越える力は、「きっかけ」だと思います。
>今kMさんはもう立ち直りつつありますか?
父と喧嘩して、いま、父と別居しています。自宅には週に1〜2度ぐらいしかか帰りません。それ以外の日は、ガールフレンドの家に寝泊まりしてます。
アルコール問題からは立ち直りましたが、父との衝突がいま私を苦しめています。
>気分害されたらごめんなさい。
全然、気分害していません。また書いて下さい。
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>>6
大切に育ててくれたのは
いつも『母親』特に、男性は。
女性は、逆。
そういう、優しい心を、恥げもなく
大切にしましょう(^_^)
>>6
私の母の『威厳』です
>>8
コメントのタイミングが、重なりましたね(笑
←コメントが同時刻
>>9
私は、本日(12/11)から、ガールフレンド宅に、2泊します。←自宅では、私は絶食です。←便秘が怖いので。
ガールフレンド宅では、快食、快眠、快便です。
←一方、自宅に宿泊すると、私の父の存在(介護)が、私の疲労と心労。←自宅に泊ると健康状態は最悪です。苦しいです。
>>10
依存症者は、自戒も込めて、逃げ癖がついていると
思います。厭な事があれば、アルコールで
蓋をする。現実逃避したい、全てを放棄したい。
まったくを持って、幼稚な考え方は、我が身なりに
情けなくなります。100できない事を嘆き、
70出来る事に感謝できないのです!
私の場合は、株式全般で、生活しています。
飲んだくれながらも、働き、地道に貯めたお金を
運用した。要領と言えば、要領ですが 笑。
介護、大変と察します。
自分の身を守るだけでも精一杯の時代に。
無理されないよう!