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筆洗20160118

  • ばんます
  • 2016/01/18 06:35

作家の椎名誠さんのエッセーに「ひるめしのもんだい」という作品がある。問題は何を食べるか。よく分かる。たくさんの選択肢から一つだけを決めるのは難しい。「ぼくの昼食時というのはいつも大変な迷いと愁いと疲労と悔恨の中で終始している」。レストランなどで食事を終えたのに、店を出た後もショーケースのサンプルメニューを再び見つめていらしゃる方がいるが、あれもよく分かる。迷った末に選択した品で本当によかったのか。食後にも確認しているのだろう。なるほど、選択には「迷いと愁いと疲労と悔恨」を伴う。電力自由化の話題である。これまでは地域ごとに決まっていた電力会社とも契約できる。選べる。ラーメン屋さんしかなかった町にカレーライス屋さんや定食屋さんなどが続々と出店する。選択が増えれば、サービス、価格の競争も生まれ、消費者にはありがたいのだが、どれを選べばいいのかという悩みも生じる。携帯電話とセットならお得ですとか、ガソリンの値引きもあるという惹句に頭が混乱する。損をしてはならぬと焦りもする。考え抜くしかあるまい。お薦めの電力があればよかったのだが、正直、当方もよく分からぬ。契約後もショーケースの前でため息をつくかもしれない。「選べる」という幸せな悩みだとはいえ。

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    • 2016/01/18 15:33

    考えるの難しいし面倒だなあ。スマホもプロバイダーも要するにどこが1番安いのかわからんし。

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筆洗20160117

  • ばんます
  • 2016/01/17 06:33

ミニスカートを発表したフランスの服飾デザイナー、アンドレ・クレージュさんが亡くなった。ミニが日本で流行したのは1960年後半。古いアルバムにミニスカート姿の若い女性の白黒写真を発見し、よくよく見ると、自分の母親で、びっくりするという経験はないか。年老いた母にもそんな時代があった。当然なのだが、写真を見ても信じ難い。もちろんミニスカートも着たし、あの時代ならグループサウンズさえ聴いていたはずである。仮に、そういう世代の親がお気の毒にも認知症になってしまったとする。その時代の音楽を聴いてもらうという療法を試していただけないか。米ドキュメンタリー映画「パーソナル・ソング」(2014年)。ご覧になった方もいるか。無気力でふさぎ込み、娘のことさえ忘れていたお年寄りたちが音楽を聴き、表情が一変する。一部の記憶を取り戻す。人格が甦る。踊りだす人もいる。魔術を見ているようである。無論、感知するわけではないが、音楽が脳の広い領域に働きかけ、奇跡を起こすようである。音楽なら何でもではなく、その方が愛した時代の「お気に入り」の曲というのがポイントのようだ。一曲を求めて、ミニスカートの時代を訪ねてみてはいかがか。親のアイドルを探そう。効果がなかったとしても、その作業は親との会話であり、親の青春を知ることでもある。

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    • 2016/01/18 15:30

    アルツを患った父に母校の効果を聞かせたらイキイキとして嬉しそうだった。

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筆洗20160116

  • ばんます
  • 2016/01/16 06:44

「百万を超える人々の命を救った男」。そう称賛される発明家がいる。スウェーデンに生まれ、十四年前に八十二歳で逝ったニルス・ボーリンさんだ。その名を聞いたことがなくても、彼の発明品には日々お世話になっている。ボーリンさんは、自動車の三点式シートベルトの生みの親なのだ。1950年代には腹部だけを絞める二点式ベルトが一般的だったが、自動車メーカー・ボルボの技術者だった彼は胸と腰を同時に絞めるベルトの開発に挑んだ。とにかく簡便でなくては使ってもらえない。使ってもらえねば命を救えない。そう頭を絞って編み出したのが、一本のベルトを折り返し、一つのバックルで留めるだけの簡潔なデザイン。何気なく使うシートベルトをあらためて見てみれば、なるほど見事な着想だ。その稀代の発明家も泉下で唇をかんでいるだろう。軽井沢のバス転落事故で十四人もの命が奪われた。乗客の証言によれば、ベルト着用の指示が出されることもなく、多くの乗客が着用していなかったという。着用が徹底していれば助かった命も…と思えてならない。ボルボが新ベルトの開発に取り組んだのは、当時の社長が親族を交通事故で失ったからといわれる。同社は一人でも多くの命を救えるようにと特許を無償公開して普及に努めた。そんな先人たちの思いも、私たちがカチッと絞めねば、実ることはない。

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    • 2016/01/16 12:18

    息子と同じくらいの若い命が絶たれた。悲しい。 シートベルトの件もそうだが、背景には過当競争がある。

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筆洗20160115

  • ばんます
  • 2016/01/15 06:56

初代は伝説の爆笑王、二代目はその死をもって「上方落語は滅んだ」と評された名人。それほど重い「春団治」の看板を二十代で継いだのが、三代目桂春団治さんだ。そのころ、酒席で桂米朝さんと口論になったという。大名跡を背負っていくには持ちネタが少なすぎるのではないかと米朝さんに言われ、春団治さんは腹を立てた。だが翌朝、目覚めた米朝さんの前には、正座し頭を下げる春団治さんの姿があった。年齢は米朝さんより下だが、噺家としては先輩。普段は「米朝くん」と呼ぶ友に礼を尽くし教えを請う姿に胸を打たれた米朝さんは十八番の「代書屋」を伝授し、自ら演じること封印したという(戸田学著『上方落語の戦後史』)。名人二人の稽古に居合わせたことがある桂福団治さんが、その様子を活写している。<天下の三代目春団治が、扇子を前に置いて、「よろしくお願いいたします」と、きっちり挨拶してからお稽古が始まるんです。で、終わったらまたいつもの三代目と米朝師匠の関係に戻りますねん。見ていてほれぼれしましたな>(『青春の上方落語』)。二代目が逝去したころには滅亡の危機にあった上方落語は、三代目春団治、米朝、六代目笑福亭松鶴、五代目桂分枝の「四大王」が互いに磨き合い、弟子を育てることで息を吹き返した。ほれぼれとさせる芸の余韻を残し、三代目の人生の幕が下りた。

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筆洗20160114

  • ばんます
  • 2016/01/14 06:51

「日本を許したい」「許したら日本もどうにかするのではないか」。韓国・世宗大学教授の朴裕河(パクユハ)さんは著書『帝国の慰安婦』の日本語版を、そんな言葉を残してこの世を去った元従軍慰安婦に捧げている。「許せない」という元従軍慰安婦だけでなく、「許したい」という人もいる。どういう思いで「許したい」というのか。彼女たちの多様な声に謙虚に耳を傾け、その深く複雑な悲しみとその背後にあるものを見つめようとすることこそ、慰安婦問題を解決する糸口ではないのか。そう説く朴教授の労作は、日韓の和解を進めるための「橋」の一つだろう。しかし、日本では「早稲田ジャーナリズム大賞」などに輝いたこの本のために、彼女はきのう、慰安婦の名誉を傷つけたとして韓国の裁判所から損害賠償を命じられた。それだけではない。朴教授は韓国の検察当局に名誉棄損罪で起訴され、二十日からその裁判も始まる。大江健三郎さんら五十人を超える日米の作家や学者らが出した「学問の場に公権力が踏み込むべきでないのは、近代民主主義の基本原理ではないでしょうか」との声明のとおり、これは朴教授一人の問題ではない。民主主義には程遠い体制が目立つ東アジアにあって日本と韓国は、人権や自由という分かち合う間柄でもある。「言論の自由」という価値を分かち合う間柄でもある。「言論の自由」をいう「橋」を焼き落とすことがないよう、隣人に求めたい。

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    • 2016/01/14 11:08

    言論や表現を萎縮させる措置には断固反対。

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