歴史は繰り返されるのか。この質問に対する筆者の答えは「そんなことはない」だ。技術革新、経験の蓄積により、歴史は休むことなく新たな段階へと進んでいる。旧韓末の朝鮮と21世紀の大韓民国では、直面している状況は明らかに異なる。「中国が前近代と同じく世界的な大国になり、現在の大国・米国とG2(主要2カ国)の構図をなすだろう」というような主張は、その間に人類が経験した進歩と変化を無視し、歴史を機械的に理解するところから出た誤りだ。かつて日本に侵略され、被害者意識を主張する中華人民共和国が、なぜモンゴル・チベット・ウイグルを抑圧的に統治しているのかを理解するためには、歴史を振り返らなければならない。
漢族を中心にして歴史を見ると、元を建国したモンゴル人や清をつくった満州人はいずれも漢族と同化し、その遺産は全て中華民族のものになった―と考えがちだ。しかし元が滅びた後も、モンゴル人は18世紀半ばまでユーラシア中央部で強い勢力を維持していた。清は、こうしたモンゴルの勢力と満州人が連合してつくった国だ。清はモンゴルの勢力を全て自国に引き入れるため苦心し、これに抵抗する勢力は全滅させた。モンゴル・チベット・ウイグルは全てこうしたプロセスを経て、中国の領域へと編入された。中国は現在「既に皆『漢化』された」と主張することで、国が分裂する余地をなくそうとしている。
現代中国のこうした矛盾がどこに由来するのかを理解する上で役に立つ本が、イェール大学のピーター・パーデュー教授の書いた『中国の西征』だ。この分厚い本の序論と第1部を読むだけでも、現在の東アジアの秩序がどこから出発したのか、よく分かる。
人文学は、人々に慰めをもたらしたり、リーダーシップを教えたりするために存在するものではない。今日の世界がどのようなプロセスを経てこうした姿を備えるようになったのか、説明しようとする学問だ。人文学者も、こうした変化を説明するため、研究結果を生産し続けてきた。新たな経営学理論を習得するため努力するように、われわれの人文学の知識も周期的にアップデートするため努力する必要がある。