運転手の自宅に人の気配なし。バス転落事故の真相は闇の中…あってはならない
多くの若い命を乗せた大型バスはバイパスのカーブを曲がりきることなく、闇の中に吸い込まれていった―。
15日未明、長野県軽井沢町で14人が死亡したバス転落事故だ。そのうち12人は、将来に夢を抱いた学生たちだった。「格安ツアー」でスキーを楽しむ、そんな学生にとって当たり前の選択だったが、悲劇に巻き込まれることになった。
同県佐久市の浅間総合病院に搬送された首都大学東京の男子学生(20)は、事故当日、車椅子に乗り点滴を受けながら気丈に取材を受け、詳細に当時の様子を語ってくれた。友人4人とツアーに参加したが事故後1人とは連絡が取れず、生存の手がかりがほしいという思いや事故の悲惨さ、恐怖を伝えたいという気持ちが強かったのだろう。
学生らは、バスの最後列に座り、15日未明に眠ってしまった。しばらくして「大きな衝撃で目が覚めた」。周囲はただ真っ暗闇で、どこにいるのか、状況がつかめなかった。頭に強い衝撃があり遠のく意識。「気がつくと友人らの足が絡まって動けなかった。多くの人が折り重なるようになっていた」。「誰か助けて」「早く」という悲鳴や泣き声が聞こえた。学生は自力でバスを脱出。気温零下の寒空の下、木をかき分けながら公道にフラフラと歩いていき救助を待ったという。
病院で腰椎打撲と診断された学生は午後、親族に付き添われながら退院。首にコルセットをしたまま、ややおぼつかない足取りだったが「なんとか無事であってほしい」と最後まで友の安否を心配していた。だが無情にも、夕方、長野県警は友人の死亡を発表した。
事故後、無断でバスのルート変更したり、バス会社が法律に違反する低料金で運行するなど、ずさんな運行管理態勢が明らかになった。これらが、事故の遠因になった可能性はある。
そして運転手2人が亡くなった今、直接的な事故原因の究明がなされるか懸念が残る。バス転落地の100メートル手前の左側のガードレールに車体をこすったような跡が残っていた。運転になんらかの異常をきたした証拠だろう。
17日夜、当時バスを運転していた契約社員の土屋広さんの青梅市の自宅に人影はなかった。土屋さんは昨年末、バス会社に雇用されたばかりで、大型バスの運転に慣れていなかったという。スピードは何キロ出ていたのか。健康状態はどうだったか。なぜルート変更したのか。真実を知る人は、もういない。運行状況をバス車内で自動的に記録する運行記録計に、用紙が装着されていなかった可能性も指摘されている。
学生らの命とともに、真相も闇の中に…それだけはあってはならない。
コラムランチ