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ありがとうの氣づき

虚空の彼方を観る力 無音の調べを聴く力 水井伸輔(Shin)ブログ

覚者の研究 シルディ・サイババの教え50 強欲な金持ちとシルディ・サイババ4

ブラフマンの智慧を欲しがった金持ちに対して、シルディ・サイババは、次のように説いた。

「一生のうちにブラフマンを理解する者はほとんどない。
一定の資格が絶対に必要なのだ。


①ムムクシャ、すなわち解脱に対する熱烈な欲求。
自分が束縛された存在であり、解脱しなければならないことを知り、その目的のために熱心に断固として修行し、目的以外に一切目もくれないこと、これが霊的生活に欠くことのできない資格であること。


②ヴァイラクティ(この生においても次の生においても、物質的生活に執着心をもたない脱俗の境地)。
自分の行為が、この生と次の生においてもたらすであろうものごと、利益、名誉に対して執着を抱いている限り、人は霊的領域に足を踏み入れる権利をもたない。


③アンタムクハタ(内省)。
わたし達の感覚は、本来外へ外へと惹きつけられるようにできている。
従って多くの者は常に外部世界へ眼を向け、心の中を見ようとしない。
神我顕現と不滅の生命を望む者は、内面を凝視し自分の内心を見詰めなくてはならない。
(続く)


自分が束縛された存在であることを自覚し、この地球から卒業することを強く望むこと。

そのために、金や権力や名誉などの物質的な欲望を放棄すること。

そして、自分をしっかりと見つめ、内省をすること。


サイババは、10のポイントを述べるが、今回は3つを紹介した。

究極の教えを授かることができる人は、10の徳性を身に着けていなければならないという。


(出典:「カリ・ユガを生きる サイババ聖師物語」ヘマドパント著 SSOJ)

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エドガー・ケイシーの人生論58 与えなさい。 それは四倍になって戻ってきます。

エドガー・ケイシーの人生論

与えなさい。
それは四倍になって戻ってきます。
受けたければ、とことん与えなさい。

最良のものを人に与えることによって、心においても、体においても、霊においても、最良のものがあなたに来るのです。


与えたものを受け取る、というのがこの宇宙の法則である。

人にしたことが、すべて戻ってくるというのが、法則なのだ。

あなたは人に与えるものだけを、自分のものにできるのです。
愛と喜びを人に与えれば、平和の君であられる主が真に約束されたあの平和を、自分のものにできるのです。
主は、父の御顔を仰ぐすべての人の兄です。

命あるものはすべて、愛から与えられ、愛に生まれ、愛のために活動しています。
人は、与えるときに得るのです。
愛を与えるときに願いがかない、神と呼ばれる創造的な力と交わるのです。


愛を与えると、願いが叶うという。

人に与えたものだけを、自分のものにできるという。

命を得たければ、与えなさい。
愛されたければ、愛しなさい。
友がほしければ、友になりなさい。
協力してほしければ、協力しなさい。
他の人に光をもたらすためであれ、力、健康、理解をもたらすためであれ。


自分が望むものを、人に与えることによって、神仏から与えられるようになっている。

望むものを、人から奪えば、神仏から奪われる。

愛されたい、思われたいと本当に願っているのなら、奉仕に我を忘れる必要があります。
命を得、友を得、愛を得たければ、それに自分を注ぎ込むことです。
あなたは与えるときのみ得るのです。


与えたものを得る、というシンプルな法則が、一番根源の法則である。

愛と忍耐と辛抱を捧げなさい。
人は与えるものを所有するのであり、議論や自己中心的な話題に費やすことからは何も得られません。


得るものが少ないのは、それだけ人に与えてこなかったからだ。

生き方を変えて、人に与えるようにすればいいのだと思う。

与えるのは、物質だけではなく、優しさや思いやり、許しなどの精神的な徳性も、与えることに含まれる。


(出典:「知恵の宝庫 エドガー・ケイシー名言集」林陽著 中央アート出版)

エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫?エドガー・ケイシー名言集

エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫?エドガー・ケイシー名言集


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覚者の研究 ニーム・カロリ・ババの教え112 おまえの師はほかにいる

覚者の研究 ニーム・カロリ・ババ

はじめてマハラジに会ったとき、彼は弟子たちといっしょに来ていました。
私は病気がよくなる祝福をもらいに、マハラジを訪ねました。
「あなたを私のグルにします!」
「わしはグルではない。
神の御加護によって、病気はよくなるだろう。
おまえの師はほかにいる」

翌日、私は、グルが誰なのかをマハラジにたずね、どうしても会いたいと言いました。
「あなたが私を健康にしてくれるのならば、きっとわが師にちがいありません」
「いや、ちがう。
おまえは健康になる。
ただ神に祈りなさい。
おまえの師はほかにいる。
スワミ・シヴァナンダだ」

私はリシケシュに行き、シヴァナンダに会うと、マハラジの言葉を伝えました。
シヴァナンダは、私を弟子として受け入れてくれました。


スワミ・シヴァナンダは、有名なインドの聖者の一人だ。

ニーム・カロリ・ババと交流があったようだ。

マハラジは、聖地ではかならず靴を脱ぐように言いました。
その場所の波動が、足をとおして伝わってくるからです。

マハラジに出会う以前、私はカシミールにあるアマルナートの洞窟に巡礼をしたことがありました。
洞窟には、月の周期との関係で、大きさが変化する氷のリンガ(シヴァ神の男根のシンボル)がありました。
そこは数十万年前にさかのぼる、前のユガ(時代)よりも古くから存在し、シヴァとパールヴァティー(シヴァの配偶者)が住んでいた場所だと考えられていました。
われわれが到着したのは、雨の降る日でした。
二日間、馬で登ってきたので、私にはひどい鞍擦れができ、何も感じることができませんでした。
ずいぶんあとになって、巡礼が話題になっているときに、マハラジは私にこう言いました。
「おまえはアマルナートの洞窟に行ったね」
「はい、マハラジ」
「だが、理解できなかった」
「そうです、マハラジ」
「いつかわかるようになる」


霊的な師(グル)を選ぶには、大変な慎重さが必要とされる。

自分が選んだ師が、間違ったことを教えている可能性もあるからだ。


しかし、テロなどの破壊的な行為をさせたり、金を搾取したりするような者ではないかぎり、霊的な師も人間なのだから、未熟な部分もあるはずだ。

完璧な人など、いないのだから。

そして、たとえ未熟な師について行ったとしても、その純粋な信仰心は、神仏が受け取ってくれると思う。


僕たちは、霊的な師を通して、神仏に信仰するのであり、神仏を通して、宇宙の創造主を信仰するのである。

この宇宙を作った創造主が、根源なる神なのだから、創造主を信仰する限り、間違った方向には行かないはずだ。

だから、霊的な師の違いに、過剰に囚われるのではなく、その根源にある神仏と創造主への信仰心を、養っていけばいいと思う。


(出典:「愛という奇蹟」ラム・ダス編著 パワナスタ出版)

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覚者の研究 シルディ・サイババの教え49 強欲な金持ちとシルディ・サイババ3

覚者の研究 シルディ・サイババ

ブラフマンの叡智を授かるために、シルディへ来た強欲な金持ちは、ポケットに札束を持っているにもかかわらず、5ルピーさえ、サイババに差し出そうとはしなかった。

この男はそうでなく、お金を差し出さなかったばかりか、そわそわして早く家に帰りたがり、ババにこう申し上げたのです。
「ハバ、早くブラフマンをお教え下さい」。
ババは答えて言われました。
「わしがおまえにブラフマンを知らしてやりたいと思ってしていたことを、ここに座って見ていながら分らなかったのか。
手っとり早く言えば、こうなのだ。
ブラフマンを知るためには、五つの捧げものをせねばならない。
つまり五つの帰依の心を。
①五つのプラーナ(生命力)。
②五つの感覚、五つの行為と五つの認識。
③心。
④知性。
⑤個我意識。
ブラフマ・ジュナーナ、すなわち神我顕現の道は、かみそりの刃を渡るよりも困難である」
と。
そしてサイババは、以下に述べる長い講話をされたのです。


サイババは、この金持ちに、ブラフマンの叡智を授かることのできる人間の資格について語るのである。


お金というのは、持てば持つほど、執着が増していくものだ。

それは、お金に対する認識が間違っているのである。


お金は、神仏のお役に立つために使うものであって、利己的な目的のために使うものではないのである。

自分の欲望を満たすためにお金を稼ぎ、お金を使うならば、必ず心はお金に束縛され、苦しみから抜け出せなくなる。


(出典:「カリ・ユガを生きる サイババ聖師物語」ヘマドパント著 SSOJ)

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エドガー・ケイシーの人生論57 物質的なことを優先する人は、何事においても、その代償を払わなければならない

エドガー・ケイシーの人生論

主が戒められたように、何より先にあなたが求めるべきは、心の天国、神の国です。
そうすれば、必要なものはすべて与えられます。
ほとんどの人は、必要以上のものを追い求めているのです。


神を求めれば、必要な物質は、自然に与えられる。

僕たちは、必要以上の物質を求めて、不満と不足に苦しむ。

物質的なことを度外視して、霊的なことをあなたの導きとしなさい。
物はついてきます。


霊的な価値観を大切にし、物質的な欲望を放棄して生きれば、逆に必要な物質は、与えられるようになっている。

物質的なことを優先する人は、何事においても、その代償を払わなければならないと知りなさい。


霊的な徳性ではなく、物質を追い求め、欲望を満たそうとすれば、必ずその代償を払わなければならなくなる。

忍耐、愛、親切、柔和、辛抱、友愛に反する法則は存在しません。
これらは平和を願う一貫した法則であり、そこから平和が引き出されるのです。


平和は、ひとりひとりの中にある愛、優しさ、忍耐などの美徳によって、もたらされるものだという。

心と物質と霊の生活を育てるものは、真実で、清く、正直で、誠実なものから出てくるに違いありません。
体の心、精神は、このような成長へと導くものをたくさん食べるべきです。


心の栄養は、誠実さ、愛、優しさ、許し、親切などだ。

肉体の栄養だけではなく、心の栄養を満たす必要がある。

あなたは霊の実を食べるのです。
愛、希望、喜び、慈悲、堅忍、友愛の実を。
そうすれば、あなたは成長し、魂を意識する中で、内なる神の人格が芽生えてくるでしょう。


健康のために、体に悪い食べ物を避けている人も多いだろう。

しかし、一番重要なのは、心の栄養分である。

それが、愛、慈悲、優しさ、奉仕である。

そして、人間は、心の栄養分によって、体も健康になっていく。


(出典:「知恵の宝庫 エドガー・ケイシー名言集」林陽著 中央アート出版)

エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫?エドガー・ケイシー名言集

エドガー・ケイシー文庫031 知恵の宝庫?エドガー・ケイシー名言集


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覚者の研究 ニーム・カロリ・ババの教え111 献身や人びとに食べものをあたえることでも、クンダリニーは覚醒する。

覚者の研究 ニーム・カロリ・ババ

ニーム・カロリ・ババは、戒律やハタ・ヨーガなどの伝統的な手法を重視していなかった。

それよりも、奉仕をすること、心を神に向けることを教えていた。

マハラジに出会うまで、私は長いあいだ模索し、各地を放浪して、さまざまな勉強をしてきました。
厳しいヨーガの戒律、ブラフマチャリヤー(禁欲)を実践するようになり、午前三時に起きて冷水を浴び、ヨーガの体位や瞑想をしました。
マハラジに会ったのは、ちょうどコーヒーと紅茶をやめたときでした。
そのときは私たち全員にお茶が出されましたが、どうしてよいかわからず、何も言わずに飲みませんでした。
マハラジは、私のほうに身を乗りだして、言いました。
「お茶を飲まないのか? 飲みなさい。このような気候には、お茶を飲んだほうがいいのだ。お茶を飲みなさい!」
結局、私はお茶を飲みました。
その一杯のお茶で、厳しい規律やスケジュールが、すべて洗い流されてしまいました。
無意味で必要ないものに感じられたのです。
本当の修行とは、そのようなことを超えているような気がしました。
現在は、自然にやりたくなることなら、何でも実践しています。


ある程度の戒律は必要かもしれない。

しかし、それに囚われて、狭量な心になってしまうなら、本末転倒ではないだろうか。

お茶を飲まないということと、真の霊性修行とは、また別のものであると思う。

ハタ・ヨーガ(神と結合するための肉体の訓練法)について質問すると、マハラジはつぎのように言いました。
「もし、おまえたちが厳格なプラフマチャリヤーならハタ・ヨーガをしてもよいが、そうでなければ危険だ。
ハタ・ヨーガは、クンダリニーを目覚めさせるむずかしい方法なのだ。
献身や人びとに食べものをあたえることでも、クンダリニーは覚醒する。
クンダリニーは、かならずしも外的な兆候として現れるわけではない。
静かに目覚めることもある」

また、別の人にはつぎのように言いました。
「頭で倒立するときには、バターを食べなさい。
不純なものを食べている場合は、頭で倒立してはならない。
不純な食物が精神に入って影響を及ぼすからだ」


ハタ・ヨーガやクンダリニーを操作する手法、チャクラを開かせる手法には、大きなリスクが伴う。

信仰や奉仕によって、自然にクンダリニーやチャクラが目覚めていくほうが、遥かに安全である。

身体の快感に囚われると、道を間違う危険性がある。

リシケシュからケンチにやってきた何人かの西洋人が、ハタ・ヨーガの食養生をすべて実践し、ドーティを飲みこんだり、鼻に紐を通したりしていました。
マハラジは、彼らがあまり狂信的にならないように注意しました。
「わしもあらゆる修行を実践してきたが、そのようなやりかたではない」


このような手法は、健康には役に立つかもしれないが、霊的に成長することとは、それほど関係がない。

狂信的になり、囚われすぎることで、心が狭量になり、人を見下したり、責めたりするようになる。

それによって、新たなカルマを積むことになり、心が穢れる。

まったくの本末転倒になるリスクがあるので、囚われ過ぎないようにする必要がある。

マハラジは、人生におけるあらゆる局面で心の平静さを保つことができれば、生をより向上させていくことが可能だと言いました。
川沿いの火葬場で死体から人肉を食べたり、ほかにも不浄なものを食べる、鬼のような邪道を歩む存在であっても、神に心を集中するならば堕落することはない、肉体の堕落はありうるが重要なのは心の在りかたなのだ、と言っていました。


ニーム・カロリ・ババが教えていることは、シンプルである。

心を神に向け、神に集中することを教えている。

そして、カルマ・ヨーガ(奉仕の道)を勧めている。

欲望を抱いたまま、ハタ・ヨーガをしても効果はない。
今日、本当にハタ・ヨーガを知っている者はいない。
書物からハタ・ヨーガを学んでも効果はない。
かつてハタ・ヨーガの実践者は断食をしたり、薬草を用いていた。


数百年も生きているニーム・カロリ・ババは、ヨーガの真の極意を知っているのだろう。

現代のハタ・ヨーガのほとんどは、健康体操のようになっているのかもしれない。

しかし、ニーム・カロリ・ババが一番重要視していたのは、そのような技法ではなく、奉仕と信仰である。

その道が、一番安全であり、一番報われる道なのかもしれない。


(出典:「愛という奇蹟」ラム・ダス編著 パワナスタ出版)

愛という奇蹟―ニーム・カロリ・ババ物語

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