ザ・リーダー【エースコック:村岡 寛取締役社長】 2016.01.17


おはようございます高井美紀です。
今や私達の生活にはなくてはならないコンビニですが販売する側にとってはどれだけの商品を並べ売ることができるのかまさに戦いの場でもあります。
今日はコンビニの主役の1つ1年間に国内で55億食もが消費される即席麺の世界でしのぎを削る会社のリーダーに迫ります。
ロングセラー商品のワンタンメンで知られるエースコック
大阪に本社を置いている
2代目社長のリーダーは即席麺をこよなく愛する
いただきます。
(村岡)はいおいしいよフフッ。
エースコックの役員会はいつも試食なんですよ。
商品の試食で。
皆さんカップ麺を囲んで。
カップ麺だけです。
へぇ〜。
43才で社長になり挑んだ先は…
海外事業というのは当時の創業者の会長はあまり関心がなかったというか。
即席麺業界にとって未開の地に勝負を懸けたリーダーに迫った
さぁエースコックの関西滝野工場です。
この中ででもどれくらいの麺が作られてるんでしょうか。
あっおはようございます。
おはようございます。
今日はよろしくお願いいたします。
お待ちしておりました。
どうぞよろしくお願いします。
お願いします。
やはりこの子がいるんですね。
そうなんですエースコックですが。
私も「ブタブタ子ブタ」で育った世代ですから。
今日はよろしくお願いします。
どうぞよろしくはいどうぞ。
失礼します。
すごいですね麺がいっぱい。
麺がはい。
これどうなってるんですかあそこの…。
もともと小麦粉を練って帯状にしたものを切ったものなんですね。
切ってちょっとスピードを変えることによってウエーブをつけてそれをほぐしてる工程ですねここは。
なるほどすごいですねじゃあここの1つのラインで一日10万食ってことですか?はい10万食です。
黙々と。
はい黙々と。
出来上がりはもうやっぱり一食一食丁寧に作ろうと。
これがねやっぱり丁寧に作ってないと分かるんですよお客様分かるんです。
丁寧じゃなかったらおいしくない。
なるほど。
やっぱ味に出るんですね。
そんなもんだと思います。
あっ村岡さんここは何かコップみたいな器に入ってますよ。
今度は油で揚げるんです油で揚げることによって水分と油と置き換えるんですね。
水分がなくなることで要はお米よりも水分量が少ない。
だから保存ができるんです。
決して防腐剤とかそういうもので保存させてるわけじゃないんです。
カップに入れる工程です。
カップが上から下りてきてのっけるんです。
カップにすとんと落とすとちゃんと入らないんで逆に上からふたをしてひっくり返す。
はぁ〜賢くできてますね。
なかなか私達出来上がりいただくことはあってもこんなふうにして作られる過程を見ることあんまりないので。
何か一気に人が増えましたよ。
これちょっと人手になってしまいますここは。
皆さんの手で。
いくら機械化されてもかやくや調味料は人の手で詰める
想像しながら丁寧に作る
その創業者の思いを受け継ぐためだ
先代がねよく言ったんですけれど「そうぞうしなさい」と。
「そうぞう」というのはクリエーティブの創造かなと思ったんだけれど本当はイマジネーションですね。
イメージをつくるということを言われました。
ようやくだんだん分かってきたような気がする。
例えばワンタンメンであればね保育園から帰ってきた子供さんがお母さんが作ったワンタンメンを一緒に食べる。
その時にひと口食べて「ママおいしい」って。
これを想像するんですよそうやって物を作らないとこの10万食をね作りながらそれがないと一つ一つがいいかげんになってしまうんです。
タイマーかけながら。
そうなんです。
ピピって鳴って。
そういう想像するでしょ。
そうですね。
そうしたらやっぱり一生懸命いいもの作ろうとみんな思うんですよ。
これ大事だと創業者にはよく言われました。
ご自身大きな決断をされるタイミングとかもあったと思うんですね今まで何度かはありました?いやありますよもう何度もありますね。
いつも迷うんだけれどやっぱり結論を出さないと動かないし迷ってるところは見せたくないね。
誰にもですか?ええ。
だけど結論は自分で出します自分で出さないといけないしその結論でやった結果がねうまくいかなかってもそれはもう自分の責任ですからね。
場合によっては部下がこうやりたいということを任せるかどうかという結論もね自分が出しますから任せた結果うまくいかなかったというのも自分の責任ですからね部下には押し付けませんし。
いろんな会社他にもありますけれどもそんな中でエースコックの強みっていうのはどういうところですか?エースコックの強み。
自由にさせてるということも1つかなと思いますね。
だから自分のやりたいことを作るそういうことをやりたいなと。
自分から生み出すということがねどうやって作るのかと。
これ大変難しいと思うんだけれどそれをねできるだけうちの社員の若い人には経験してほしいなと思うんですよ。
なるほど。
創業者が言い続けた「想像する力」
今も商品開発で一番大切にしていることだ
毎年100種類以上の商品が生み出される
いきま〜す。
この日はメンバーが集まってベトナムの麺フォーを使った商品開発の会議だ
こっちはスパイスでこっちは鶏肉と鶏がら。
練りに練って開発しても1年後にはほとんどの商品が姿を消す厳しい世界
メンバーの想像力が試される
ちょっと個性的な感じになっちゃうかな。
これね入れたらもう全然違いますね。
最初のほうが本場に似てます。
スパイス感とか鶏感とかは近い感じですか?近い感じですね。
例えば男性の立場に立ってみたらやはりこの…。
思った人もいるかもしれません。
でその人に対してはエネルギーがいっぱいとか肉の甘みがいっぱいとか…。
子ブタのマークで知られるエースコックは村岡社長の父慶二氏が戦後間もなく手掛けたパン作りが始まりだ
後にビスケットにも手を広げたが即席麺の登場に衝撃を受けたという
1959年苦労して北京ラーメンを発売
この時子ブタのキャラクターが誕生した
もともと創業者の思いでですねやはり食品をしっかりと届けたいと。
食のない戦後間もない時期に始まってますので食品を届けるというとやっぱり栄養であったりそれからもう1つは繁栄であったり。
ブタというのは子だくさんですからそういう意味でたぶんブタをシンボルに使ったんじゃないかなと思います。
村岡社長は関西学院大学を出た後エースコックに入社
43歳で父の後を継いだ
この番組はまだ今回で4回目なんですけどご自宅は初めてのパターンですね。
そんなことおっしゃってた。
はいどうぞこちらのほうで。
じゃあお邪魔します。
いらっしゃいませ。
うわ〜すごい。
何かすてきなお宅ですね。
いえいえ。
お邪魔します。
おぉ〜広いリビングですね。
朝晩ここでね感謝を込めて般若心経だけ唱えて仕事に出るとそういう習慣になってます。
ラーメンも。
本当ですね。
これは家内がねやっぱり気になるもんだから仏壇に供え…。
もう亡くなりました親父に報告してるんですよ。
あぁ〜なるほど。
すごいお仏壇にこれだけカップ麺があるのはさすが村岡さんのお宅ならではですね。
あちらの額に掛かってるのが…。
これね。
心に念ずれば空しく過ぎず。
これ本当は観音経の言葉でですね私が読んだような読み方じゃないかもしれない。
私はもう常に心に念じていると自分の時間が充実すると…。
自己流で読んでいいのかどうか分からないけどそういうふうに感じてます。
だからいつも自分の課題自分のやるべきことというのを心に持ってるとね必ずそれが達成できるという言葉じゃないかなと。
これはもう1つのエースコックの皆さんにも紹介してる座右の銘の1つですね。
何か社長さん自らにおうちを見せていただくっていうのがちょっとうれしいんですけど。
そういう番組じゃなかったのかもしれないけど…。
いや〜何かありがたい。
今までこうやってテレビカメラ入ったことは…?ありませんね初めてですね。
初めてですか。
本邦初公開です。
これちょっと家内の部屋が隣に。
これ奥様のお部屋で。
はい隣なんです。
お邪魔します…あぁ広い。
はい私の書斎兼寝室ですね。
あちらのあの窓は何なんですか?これはね隣が家内の部屋なんですよ。
まぁ以前は1つの部屋にいたんですけれどどうしても光とか温度が違うんで別々の寝室にしてるんですけれどまぁちょっとずっと離れてるのも寂しいんで窓を付けたんです。
窓を付けて例えばこれを…。
はい。
ちょっと開けてみると隣が。
あら隣が本当だ奥さん…あっなるほど。
手をつなぐことはできないけれどちゃんと確認はできます。
いるかどうか。
いや〜何かすてきですね。
これいいアイデアだと思いますよ。
本当ですね。
今後はもう東京に本社を置かれるご予定は…。
今は予定ないですね。
これは東京のほうが情報もあるしいろんな変化も見えるんですよね。
これにすぐ対応しても全部自分のものじゃないんですよ。
自分のものとするためにはそこから一歩離れてもう一度大阪で作り直すことが自分のものになるし本当の新しさを作ることができるんじゃないかなと思ってるんです。
不便ですよ…東京のほうが何かについて反応早いしやったらすぐ答えが出るんですけれどそのけん騒から一歩離れるところで自分の主体性というものを取り戻すことにつながるんじゃないかなと思ってます。
社長に就任されたのが1994年。
そうですね。
まだ四十半ばでいらっしゃいましたよね。
親父…創業者が病気をしましてね。
だからまぁ本人は自分ではまだできるつもりでいたようですけれどまぁ体がもう動かないのに…。
そうだったんですか。
無理をしていたように感じましたししょうがないような交代なんですよ。
だから自分で「この時期が一番いい」とかそういう選択ができたわけじゃない。
でも四十半ばでいらっしゃいますともちろん下の方も大勢いらっしゃいますけれどもご自分よりも年上の方もいっぱいいる中での社長ですもんね。
そうですねまぁやっぱり比較されるんですよね。
「お父さんだったらこうですよ」というようなことを言われることありましたけど。
上の人達に?年の。
まぁだけどあんまり気にはしなかったですけれどあんまり言ってほしくもなかったですけどねええ。
そういった中でいろいろと新しい事業も次々と立ち上げられましたよね。
いろいろやってみようということでね。
やっぱり若かったっていうのはあるんだけれど新しいことで次の時間をつくりたいなと。
会社の次の姿ですね。
次の展開。
はい次の展開。
他事業でラーメン屋さんをやってみたりステーキ屋さんをやってみたりしたんですよ。
それは外食産業?外食産業ええ。
だけど製造業ではなかったからやっぱり苦労しました。
やってみると稼業としてまでは何とかできる。
だから本当に朝早くから夜遅くまで一生懸命働いて従業員が食べていくのはできる。
だけどそれ以上のものはわれわれ製造業にはその時はできないなと思いましたね。
そうですか同じ食べ物を扱うのでも…。
全然違いますあれはサービス業ですね。
製造業じゃないなというふうにつくづく感じましたね。
5年くらいでいったん整理されましたよね。
その5年の間にはいろんなことが…。
ええ勉強をしましたし迷惑も掛けたなと思います。
外食産業で苦い経験をしたがへこたれなかった
この時すでに別の大きな決断をしていたのだ
2つ持ってきた。
あぁ〜ありがとうございますすみません。
両方だね。
(道子さん)こちらでいいですか?どうぞどうぞ。
これがハオハオですか。
うわ〜ありがとうございます奥様…?はい。
すいません今日は何か突然おうちお邪魔して。
おうちではどんなお父さんというかご主人なんですか?優しいです。
優しい…あら。
本当かな?ハハハ。
関学の時の先輩後輩でいらしたっていうふうに今日は…。
そうです。
こちらに向かう車の中で伺ってたんですね。
「そのころと変わってらっしゃらないですか?」。
「変わってません」って。
そうですねフフフ。
ベトナムで製造販売する即席ラーメン…
日本の即席麺会社として初めてベトナムに進出したのは1995年
今では…
…を販売している
いただきます。
どうぞ。
へぇ〜どんな…これがうわさのハオハオ。
ベトナムのシェアトップですね。
よく売れてるそうです。
いただきます。
うん。
うん結構ピリ辛ですね。
ちょっと酸っぱ辛い。
でもピリ辛だけどスープがすごいあっさりしてます。
えびダシなんです。
えびダシで酸っぱい辛いっていうのがトムチューカイというベトナム語なんですけどね味付けなんですね。
うんあっさりしてます。
私もっとナンプラーとかああいう魚醤系の香りが強いのかなと思ったんですけど。
わずかですね。
そんなでもないですね。
そんなに大きな癖はないですね。
へぇ〜本当だ。
これをそのまま日本で販売しようであるとかそういったことは考えられなかったんですか?日本の場合いろんな油の基準だとかそういう麺に練り込んでいる添加物の基準等が日本とベトナムやミャンマーと微妙に違うところもあったりするんですね。
それとやっぱり運んでくることによって日数がたってしまうということもありますんでそれほど現地で作ったものをそのまま持ってくることのメリットはまだないですね。
そうですか。
でもやはりその国民性であったりとか働き方であったりとか文化が違う国でイチからというのは相当ご苦労もあったんでは…?はいありました。
行った人は苦労してますね私は言うほうだけやからね。
共産主義だったんで物を売るっていうこともなかったんですよ。
皆さん買いに来るんですお金を持って来てお金を受け取ったら伝票を書いてあげて伝票を持って倉庫へ行ってラーメンをもらうんですよ。
倉庫の担当はもう邪魔くさそうにラーメンを放るんです。
えっ!そのぐらいの時期ですよ。
20年前っていうのは。
そうなんですか。
その当時商品が皆さん買いに来るもんだけれどエースコック初めてそれを配達したんですね。
持っていったんですよもうそれは当たり前…。
持ってきてもらうほうがいいっていうの当たり前なんですけれどそれがその当時はなかったんですよね。
だからそこで1つ差別化できた。
それから販売代理店っていうのを設定してそこに物を売りましょう。
その代理店がまた周りの小売店に売っていくと。
そういうような販売ルートというものをつくっていく。
やっぱり1つ物になるには5年くらいは?5年はまぁかかりましたその当時までは原料材料がベトナムで調達できなかったんですよ。
どうしても輸入原料になりますからうんと高くつくんですねだから売値も高くなってしまう。
そしたらそんなに皆さん買えないわけですね。
それが5年ぐらいたった時にそういう原料を作るメーカーを…。
こちらも育ててもいったんですがベトナム資本でできるようになってきたんです。
だからベトナムの競争する低品質の即席麺を作るのと同じコストでいい原料を調達できるようになって。
それが成功の一番のきっかけでしたね。
20年前のベトナムですよね。
そうですはい。
それはなぜベトナムだったんですか?とにかく人は若いでしょ。
決定的には貧しい。
でも明るいんですね。
明るい。
だからこの人達には将来良くなるしかないなというふうに感じましたね。
ここからもう上がる一方の国…。
上がる一方の国だと思いましたね。
そのちょっと後にね聞いたんですけどね「ベトナムには世界一がある」って言うんですよ。
ベトナムの世界一何かな?その当時は自転車かバイクかそんな感じで見えたんですが「そうじゃないよ」と。
「今日より明日が良くなると考える人の率が世界一高いんだ」とベトナムの人が胸張って言うんですよね。
何にもないんだけれど明日は必ず良くなる。
すごく魅力に感じましたね。
ベトナムに進出された年は1995年なんですがその1995年といいますとちょうど1月17日阪神・淡路大震災でしたよね。
あの当時は結構被災地にもいろいろと送られたりであるとか。
これはもう私どもだけではなしに即席麺の皆さんは同じこと考えてますよ。
やはり一番役に立つものをすぐに届けたい。
だから工場の倉庫にあるものは全部もうすぐに出しなさいと。
これ私どもだけじゃないと思います。
業界全部がそういう対応をしていたようですね。
もちろん被災地にはお届けすると同時に非常食として使っていただくと同時にこれからねやはりそういう食の環境が整っていない地域…。
特にこれから遅れてる地域まだたくさん世界中にありますんでそういう所でも役に立っていけたらいいなと思いますね。
私学生の時に…もう本の題名忘れたんだけれど経営学の最初に1ページに…経営学の本ですよ。
こんなふうに書いてあったんですよ。
「経営学とは世界の平和と人類の福祉に貢献する学問である」と。
福祉。
今は素直にそういうふうに感じますね。
しかも食料をやってる食品をやってる以上はまさにそれができる仕事かなというふうに感じます。
まだまだこれからも社長としてもりもり頑張っていかれる村岡さんなんですけれども今後の夢って何かありますか?今後の夢ですか。
やっぱり楽しく仕事ができる会社にもっともっと仕上げていきたい。
それとどういうのかな…自分自身もねまぁあんまりうるさく言わないで一緒に楽しめるような仕事をしていきたいなと思う。
だからまだ自分は実務家ですからどうのこうの評論はしたくなくって何か面白いことあれば一緒に入っていく。
そんなようなことをやっていきたいですね。
まぁやっぱり会社が元気で新しいものに常に挑戦してるというような環境を保持していく。
これがまぁ夢になるのかな。
とても穏やかな印象の村岡さん。
若くして社長になられた時にはいろいろとプレッシャーもあったそうですがベトナムに進出するというチャレンジは成功し見事会社の屋台骨となるにまで成長しました。
そんな村岡さんの目指す先とは?
ベトナム進出を成功させた村岡社長の次なる舞台はミャンマーだ
アジア最後のフロンティアと呼ばれ経済発展が期待されている
目指すのはミャンマーの人達によるミャンマーの人達のための即席麺
ここでも想像力が試される
2017年の完成を目指しミャンマー初の近代的工業団地に工場を建設中だ
最後に聞いた村岡社長が考える…
難しい質問だけれどやっぱり夢をつくっていって夢を与え続けることができれば合格をもらえるんじゃないかなと思ってますね。
夢を常に共有できるということがリーダーにとっては大事かなというふうに思いますねはい。
2016/01/17(日) 05:00〜05:30
MBS毎日放送
ザ・リーダー【エースコック:村岡 寛取締役社長】

関西経済を引っ張る社長やトップ、経営者らをたずね、その人間像をインタビューや映像で描きだす新番組▼第4回:村岡 寛(エースコック株式会社 取締役社長)

詳細情報
◎この番組は…
誰もが知っている大企業の社長や、ちょっとユニークな中小企業のトップ、次々とヒット商品を生み出す企業の経営者など、関西経済を引っ張る社長らをたずね、その人間像をインタビューや映像で描きだす『ザ・リーダー』。
 
番組内容
誰もが一度は聞いたことがあるであろう「ぶたぶたこぶた、お腹がすいた、ブー」のCMソング。このCMの会社、エースコックの村岡寛社長(65歳)は1994年、創業者である父親から会社を引き継いだ。最初は先代と比較され「社長でありながら自分の自由にならないことがたくさんあった」という。次の展開をしたいという思いから当時はまだ珍しかったベトナムに進出することを決め、今やシェアは5割を超えるまでに成長した。
番組内容2
ベトナムは人が若く、治安が良くて親日的。貧しくとも明るく「この人たちは良くなるしかないと直感した」という村岡社長の読みが当たった形だ。
高井美紀アナウンサーを自宅に招き、学生時代からの付き合いだという妻との隣り合わせの部屋でインタビュー。夫婦の普段の様子や今後の夢などについてもざっくばらんに話す。ベトナムやミャンマーで人気の即席麺もふるまい、これからの日本と海外での事業について熱く語る。
 
出演者
【インタビュアー】
高井美紀(MBSアナウンサー)
【ゲスト】
村岡 寛(エースコック株式会社 取締役社長)
 
次回放送
※次回放送は2016年2月14日(日)朝5:00〜5:30です。
 是非、ご覧下さい。
おことわり
番組の内容と放送時間は、変更になる場合があります。

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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