SWITCHインタビュー 達人達(たち)「小山進×土田康彦」 2016.01.16


アドリア海に浮かぶ水の都ベネチア。
「SWITCHインタビュー達人達」本日はこの街が舞台だ。
世界から訪れる観光客に人気の名物…中世から伝わる高度な技法によって色鮮やかで優美な作品が生み出されてきた。
ベネチアングラスの本場ムラノ島に工房を構える事を許された唯一の日本人がいる。
ベネチアに来て25年になる。
どこか東洋のにおいをまとった作品はベネチアングラスの世界に新風を吹き込んできた。
代表作の一つ「バンブー・コレクション」。
枯れゆく竹をモチーフにしたこの作品にはわびさびの美意識が投影されている。
土田が世界から注目を浴びるきっかけになった。
「ネオ・クラシコ・シリーズ」はガラスを突起状にする伝統技法を駆使してこれまでにない立体作品を生み出した。
ガラスの魔術師が会いたいと名を挙げたのは…。
小山の名を冠したロールケーキはロールケーキブームのきっかけとなった。
兵庫県三田市にある店には全国から人が押し寄せる。
コヤマススム。
ボンジュールムッシュー。
ボンジュール。
パリで開かれる世界最大のチョコレートの祭典サロン・デュ・ショコラ。
小山は日本人として唯一5年連続で最高位を獲得し味覚の錬金術師と称されている。
観点がやや違うかもしれないけれども…2人が出会ったのは3年前。
小山が知人の勧めで土田の個展に足を運んだ事がきっかけだった。
そこである偶然に驚く。
2人は大阪にある調理師専門学校の先輩と後輩だったのだ。
一人はカリスマパティシエになりもう一人はなぜかベネチアでガラス作家になった。
きれいな…これしかしほんま…ねえ。
きれい。
小山がベネチアに到着した。
そこに興味がある。
あっハハハ…。
すぐ分かる。
どうも。
お久しぶりです。
久々です。
やっと来れました。
ようやく。
ようやくやっと来れました。
晴れてよかったです。
ねえ。
すごい何か久々に…何かいろんなとこ行かせてもらうけどすごい…お菓子の魔術師が探検するベネチアングラスの知られざる世界。
ガラスとお菓子の意外な共通点とは…?フロストシュガーみたいな感じやね。
今も聞こえてました?世界に飛び出した2人の意外な子ども時代とは?小学校の頃…それに関しては…ベネチアングラスの工房が集まるムラノ島はベネチア本島の沖合にある。
波止場を目指して歩いていると…。
あの向こうの…。
ムラノ島へは水上バスで移動する。
24時間運航している市民の足だ。
およそ10分で沖合1.5キロにあるムラノ島に到着する。
700年余り前ベネチアングラスの製法を守るため職人たちは全員このムラノ島へと強制的に移住させられたという。
何軒あるんですか?その職人さんは何人いるんですか?その職人こそもう本当に今少なくなってて例えばもう本当…その昔…やはりそれに携わる職人たちっていうのも本当に…。
それはいるよね。
そんだけ。
土田がある工房に案内した。
実はここは土田自身の工房ではない。
ハハハ…!土田はこの工房の主とコラボレーションを進めている。
違う工房同士が共同して制作に当たるのは異例の事だ。
土田になら手を貸そうと受け入れた…今作っているのはハート。
コラボレーション作品の重要なモチーフだ。
うわっすげえ。
おお〜!1,200度のクリスタルガラスを型に流し込む。
この工房のクリスタルは透明度の高さに定評がある。
「イノセント」と名付けられたシリーズ。
ハートは人間の純真さや素朴さの象徴だ。
透明なクリスタルガラスの中に浮かぶ赤いハート。
ガラスの表面にくぼみをつけその上から再びクリスタルガラスを流し込む。
「ジュラシック・パーク」みたいな…。
これ永遠の空気ですよね。
重さ30キロ。
加工しやすい温度を保ちながら常に回転させ続ける必要がある。
あるんですか!?水に浸したコルク製の道具でガラスの塊を変形させていく。
4年前に発表した白いガラスによる「イマジン・シリーズ」。
あえてガラスらしさを封じ陶器を思わせる独特の質感を実現した。
続いて発表したのは一転「運命の交差点」と名付けられた色鮮やかなシリーズ。
波打つような造形は高度な研磨技術によるもの。
幾重にも交差する出会いと別れが表現されている。
ベネチアングラスの伝統技法の一つに挑戦する事に。
怖っ!怖いよ!大丈夫か?パティシエ小山進。
アメの扱いになら慣れてはいるが…。
手上げて。
落として下さい。
下までず〜っと…。
休みなく棒を回転させながら少しずつ伸ばしていく。
うおっ!かっ!はあ〜っ!うりゃ〜!うっはっ!まだまだまだまだ!痛っ!OK!全然回ってない回ってない回ってない…。
これ…細長く伸ばしたガラスの棒はアメのごとくチョキチョキ切って使う。
こちらは土田の制作中の作品。
切ったガラス棒は例えばこんなふうに並べて熱を加える。
1枚の板状になったものを更に加工していく。
中世ルネサンス時代から続く伝統技法だ。
ガラスの棒の組み合わせ方によってありとあらゆる模様を生み出す事ができるのだ。
ムラノ島のメインストリートに土田はアトリエを構えている。
こちらが僕のギャラリーとあとオフィスで。
すごい好きですね。
最後には絶対にここにたどりつこうとガラス細工をやろうとは思ってたんですか?ガラスは思ってなかったんですよね。
でも…何となく子ども心に思い始めて。
でそれから少し大きくなって放浪の旅はできても…土田は1969年大阪生まれ。
父は警察官だった。
4歳の時母ががんで他界。
記憶の中の母はいつも絵を描いていた。
調理師専門学校を卒業後パリの高級和食店で働き始める。
休みを取っては諸国を旅して回った。
今までの中でどんな転機が今の作品を作り上げてるんですか?時々よく…芸術家としての生を僕は今持ってなかっただろうなという人の一人に…ベネチア屈指の老舗レストランのオーナーチプリアーニ氏。
土田に会うなり店で働くようにと告げた。
すごい変わった人で僕の顔を見られて「俺は…」。
何にもなしでですか?僕は…エプロンもないんだけどって言ったらそんなの後でいいみたいな感じでもうそのまま…そんな感じで絵を描きながら朝から晩までハリーズ・バーで仕事してましたね。
その途中にやはりそれだけ…何かこう頭に来てハリーズ・バーを何度か飛び出すんですけども…ハリーズ・バーのオーナーからは徹底的に教えられましたね。
無我夢中で働くうちに土田に運命の出会いが訪れる。
当時の土田が描いた絵。
店の常連だった女性をモデルにした。
後に妻となるアンナリータ。
アンナリータの父フランコはベネチアングラスのマエストロだった。
ムラノ島で10本の指に入る大手工房を率いていた。
僕のおやじはもう本当に厳しくて何だろう…芸術といえどもやはり皆さん…という事はやはり…ムラノ島で第一線で活躍しようと思うと即結果を出さなきゃいけないみたいな世界の中で毎日が繰り返されてる訳なのでそういった中で…それが認められた瞬間っていうのはどのタイミングやったんですか?彼もまあこいつの言う事を信じてみようって思っただろうし。
26歳の時に作った「ファンタイムズカップ・シリーズ」。
抹茶茶碗のような形ポップで愛らしいデザインは観光客にもよく売れた。
だがそれまではなんと作品を窓から投げ捨てられた事もあったという。
おはようございます。
頂きま〜す。
土田は10歳になる娘舞鹿と妻との3人暮らし。
祖父母もすぐ近くに住んでいる。
(舞鹿)チャオ!土田の代表作の一つである「イノセント・シリーズ」は娘が3歳の時に生まれた作品だ。
モチーフは赤いハート。
娘がクリスタル製のハートにもハート形のクッションにも同じように頬ずりする姿を見て土田はハートの普遍性を強く感じたという。
お子さんができて何か変わった事あります?作品に。
う〜ん…。
なるほどなるほど。
そうするとあの…。
売れ残らへんでしょ?それが…それが問題なんですよね。
僕の展覧会に来て下さる方も当然…そういう事っていうのは娘がすごく教えてくれますよね。
子どもはみんなニコッて笑てるだけでみんなが幸せになるし。
どの時間が一番いいですかって言われたら一番下のチビと一緒にいる時間がやっぱり一番いいもんね。
そうですね。
もうそれ以上ないですよね。
それ一緒ですね僕も。
彼女のほほ笑みは。
土田が身を置くのは1,200年の伝統を持つ独特の世界。
すごいな。
あとこれも有名なベネチアングラスのレース編みっていう技法でダブルで編んで一つのマスの間に1つずつ気泡が入ってるというスーパーテクニックで。
へえ〜!これもルネサンスの前には完成していた作品です。
へえ〜すごいな。
そんなふうに見てなかったなこれ。
位置もほぼ真ん中になるんですね?ほぼ真ん中。
ほぼ真ん中ですね。
隣のおやじの…すごいな〜。
これなんかも究極のテクニックで作られてまして上から下まで全部ガラスなんですけども地震が来ると揺れるんですよ。
土田もまた伝統に新風を吹き込む事で存在を認められてきた。
若い頃にもう大きな組織のトップになってしかも職人気質っていうんですかそこから経営者にのし上がった人なのでハードな男なんですけども…で娘が9歳か8歳の頃に僕がここで仕事してると…義理の父がくれたのは色ガラスの色を出すための調合法を記したメモ帳。
スキアヴォン家に代々伝わるまさに秘伝のレシピだ。
そういう重いものを手にしてから何か変わったもんってあるんですか?手あかで読めなかったりして。
というのも調合しながら見るものなので調合する時って手汚れてるじゃないですか。
僕も今までは…あの日が境目になりましたね。
1,200年の伝統の中で学んだっていうか。
ガラス工房の朝は早い。
土田は夜明け前の水上バスでムラノ島に向かう。
作品のインスピレーションが湧くといつも持ち歩くノートに書きつける。
作品の構想やデッサン以上に目立つのは言葉。
基本的に全て日本語で書かれている。
例えばしゃぼん玉で遊ぶ娘の姿を見てつづった詩。
土田は言葉を基にイメージを膨らませていく。
クリスタルの中にカラフルな色ガラスが並ぶ「しゃぼん玉シリーズ」が出来上がった。
まずその言葉から先ですか?そうですね。
言葉…。
僕は自分の作品が言葉によって生まれてるっていう事に気付いた時に日本語の書き言葉に重点を置きながらコンセプトをまとめる事をすると作品の仕上がりが特徴的なもの特殊なものが出来るんじゃないかっていうふうに思い始めたのが30代の前半ぐらいですよね。
それをするようになってからどこの国で生きているかもしくは何人として生きているかっていうよりも何語を用いて生活しているかっていう方の方が大切じゃないかっていうふうに思い始めて。
新しいコレクションのコンセプトとかを明確なコンセプトにたどりつくまでってどんな感じなんですか?前回前作が終わったと。
これとこれとこの技法と混ぜ合わすと多分いいものが出来るみたいなものがあって…なるほど。
一緒です。
この日小山はパリのサロン・デュ・ショコラで最高位を獲得したばかりの新作チョコレートをどうしても食べてほしいと持参した。
これです。
すばらしい。
4粒でワンセットのコレクション。
例えばこれは日向夏の味と香りを閉じ込めたチョコレートだ。
ヘーゼルナッツのプラリネに合わせて宮崎産の日向夏が皮種綿まで余すところなく使われている。
あっ香ばしい。
う〜んおいしい!これはもうイタリア人好きですよ。
ああこれもうすっごいおいしい。
いいですねこれ。
いいっすか?これ何すか?これ断面図見ようと思って。
このプチプチクリスピーがどのように…。
あ〜こうなってんだ。
このクリスピーのカリカリ感はこの粒を大きくすれば大きくするほどカリカリする訳ですよね。
その面積を増やしていくと…崩れてしまう。
なるほど。
ミステリアスな香りの2層仕立てのチョコレート。
エルダーフラワーというハーブと完熟カシス。
それぞれに産地の違うカカオを使うという凝りようだ。
おいしい。
ちょっと大人に挑戦っていうか。
下の層はカシスなんですねこれ。
そうです。
何かを表現したいとか日本から…うれしいです。
ありがとうございます。
土田は小山のチョコレートをモチーフにガラス作品を作りたいと申し出た。
これでしたね。
それぞれのチョコレートのイメージを小山自身に描いてもらう。
これは日向夏のチョコレート。
1か月後日本での再会の日までにガラス作品を作り上げると約束した。
後半は舞台をスイッチ。
神戸の中心部から車で50分。
郊外の住宅地にパティシエ小山進の店はある。
すごい。
オープンして13年目。
わざわざ北海道や九州から来る客もいる。
フランスのコンクールで最高位を獲得したチョコレート。
季節のケーキにタルトなどの焼き菓子。
常時800アイテムもの商品が並ぶ。
小山は毎年100余りの新商品を生み出し続けている。
新作の開発や品質チェックのために試食するお菓子は毎日10種類から20種類にもなる。
ありがとうございます。
遊び心あふれるパッケージも小山が考えたものだ。
バウムクーヘンの箱はまるで本のようなデザイン。
表紙の裏には進少年がケーキ屋さんになるまでの成長物語が書かれている。
こんにちは。
あっお久しぶりです。
ありがとうございます。
今日はお忙しい中…。
とんでもない。
ありがとうございます。
月曜の朝からすごいですね。
長蛇の列で。
敷地内には商品ごとに7つの建物が点在している。
そうそうそう。
緑豊かな庭は13年かけて育ててきた。
子どもたちに大人気のかわいい入り口。
中をのぞくと…。
なんと大人は立ち入り禁止と書いてある。
扉も子どもサイズ。
子どもたちは目の前でお菓子を焼いてもらったり小山が試作する様子をのぞいたりできる。
ここは…初めは本店のちゅう房の中で焼いてたんやけど…そうですよね。
くるくる回していかないと重力で形変わってくるし。
そこら辺ベネチアンガラスと一緒ですね。
常に回さないと重力で変形してしまうので。
チョコレートショップの外壁にはのぞき窓。
おいしそう。
向かいのマカロンショップで土田があるものを発見。
そうですよね。
まさかこんな所にシモーネ・チェレネーゼが。
会うたんですね僕。
その人に会った訳ですねこの間。
会って指導されましたよ。
あ〜そっか。
すごいね。
小山はこのシャンデリアを見た瞬間に色とりどりのマカロンが並ぶ店のイメージが浮かんだという。
なぜこの土地を選んだのかっていうのが僕の一番最初に思った事なんですけど…。
やはりあの〜僕は…だから子どもの時に僕は京都の都会五条の路地で遊んでてで夏休みに母親の田舎に…もう山奥ですよ。
兵庫県の山奥で1か月暮らしその…子どもの頃に体験した事感じた事っていうそういうエピソードをお聞きするんですけどもあの〜小山さんの「丁寧を武器にする」という…。
子どもの頃から丁寧だったんですか?どうやろね〜。
子どもの時から…。
例えば?そんなんしなくてもええねん。
で最終的にランドセルに何か入れ忘れて忘れ物するとかそんな子でもあったし。
でも何か…そうなんですか。
まあ研究心が旺盛っていうか…。
小学校の時ハウスプリン…粉の。
でもただ普通に作るんじゃなくって…不思議ですよね。
物理的に科学的に牛乳の方が濃さそうなのに実は水の方とかっていうそういうそこまで突き詰める小学生だったんですか?だから子どもの時から別にケーキ屋になるからってケーキなんか作らなくってよくって…それはもう全般に関して…。
そうそう。
で自分が…そのプロセスが好きやった。
でいろんな子がケーキ屋になりたいって言ってうちに来ます。
アートディレクター的な仕事も好きなんですよね。
もうそれは大好きです。
僕はグラフィックデザイナーになりたかったから。
歯医者さん?だから何かケーキ屋になるからっていってケーキを作る練習よりも何か…僕もそれ時々思うんですけど…ないです。
…っていう事がとっても大切だし役に立つっていうか。
なるほどねそうですよね。
小山の父治三は京都市内の菓子店に勤めるケーキ職人だった。
母は父親と同じ道には進まないよう繰り返し言い聞かせたという。
お母様に?ケーキ屋になる事を?そうですそうです。
ずっと幼稚園ぐらいの時からもうとにかくそればっかり言われてたから。
高校2年の…。
2年の時ですね。
父親のお店で初めてアルバイトをしてクリスマスのイブの時ですかね。
イブっていうか23日ですね。
一番忙しい時。
忙しい時。
父の働く店にいたのはほとんどが和菓子職人だった。
小山は仕事を終えて帰ろうとする和菓子職人たちにケーキ作りを手伝ってくれと頼んだ。
すると父から「いらん事言うな!」と生まれて初めて叱られた。
それ本で読みました。
でその帰りに師走の京都を男2人で無口で帰ってってそれでお父様がその時にその…「ごめんな」って。
でもあの時に勇気振り絞って「俺は分からへん」と。
いや〜いい話ですねそれは。
あのころって別に…でもはっきりしたもんがないから…とにかくそれしかない。
だから何か大きな夢に向かっているとかじゃないんですよ。
夢があるからじゃあその夢に向かって具体的に今日何したっていうても人は分からないじゃないですか。
でも僕は…小山は今でもヘーゼルナッツのプラリネ作りを日課にしている。
昨日より1秒でも早く昨日より少しでもおいしく。
この道に入って32年。
日々初心に返るための大切な作業だ。
小山が神戸の中堅菓子メーカーに入社したのは19歳。
誰よりも声が大きく誰よりもよく働くと評判だった。
ところが入社して8年目社長から思わぬ事を言い渡される。
ケーキ作りの現場を離れ営業部に異動するよう命じられたのだ。
百貨店とか回ったり店舗管理売り上げを予算を達成するような仕事に就きなさいって言われた訳。
そしたら普通嫌でしょ?ケーキ職人として入ってきてんのに。
でも僕何でか知らんけど…よっぽどその経営が危ないという…。
っていうか…でもちろんケーキ作ってる時も工場の中にずっと入ってるタイプじゃなかったから店舗つきのお店でプレイングマネージャー的な感じでレジも締めるわケーキも作る店長兼シェフ。
両方ともずっとやってたから。
それで実績を上げて…今度は一切作るなと。
自分の目指してた道が少しそこで方向転換する事になりますよね。
でも僕は…だから百貨店行ってそこで学んだ事もあります。
スーツに何か白い靴下はいて…そんな事を覚えたんはその時期ですし。
小山が独立し現在の店を開いたのは39歳の時。
サラリーマン時代の経験が生きた。
ロールケーキは店の代名詞となる看板商品が必要だと考えて開発した。
多い日には一日1,600本も売り上げ全国にロールケーキブームを巻き起こすほどのヒットとなった。
小山が今夢中になっているのはチョコレートの開発だ。
世界各地の産地を訪ね探し当てたチョコレートの原料を個人輸入するほどだ。
小山が生み出す独創的なチョコレートの数々はパリのサロン・デュ・ショコラで5年連続最高位を獲得するなど世界の注目を集めている。
例えば塩味の利いた大徳寺納豆を使ったチョコレート。
しょうゆ漬けにした万願寺唐辛子を使ったチョコレート。
みそやふきのとうもチョコレートになる。
権威あるチョコレートのガイドブックは小山を「味覚の錬金術師」と絶賛した。
誰も思いつかない食材を使いつつ誰もがおいしいと思うチョコレートを作るのはまさに試行錯誤の連続だ。
土田がベネチアで食べて感激した日向夏のチョコレート。
日向夏の風味を凝縮するためにあらゆる加工法を試した。
いろんな会社の人に頼んで日向夏を丸ごとプレスしてもらったんですね。
あとパウダー。
じゃあ同じものなんですね。
そうです。
あとはオイル。
もういろんな技法を使って。
果実を握り潰した写真あのイメージどおりですね。
とんでもない失敗作もある。
日向夏に真空常温乾燥という処理を施したところ…。
すばらしい。
1年間ず〜っとなんです。
面白いと思ったらリマインダーに入れiPhoneに入れ。
じゃあもう瞬間的な感覚っていうか瞬発力っていうか味覚とそれから記憶とそれから用意されてるその150の引き出しが瞬発的に瞬間的に言葉になって出る訳なんですか?だからその150のアイデアっていうのは1年間ためたもんやから。
だからもう今例えば…じゃあもう基本お菓子の世界からじゃなくて完全に…。
いやそれをかんぴょう使おうと思ってる訳じゃなくて…それは別に世界発信してる訳じゃなくて僕は…北海道でもお客様が楽しいと思う事は関西と一緒やったり。
そういう地域性ってもちろんあるんかもしれないけど…じゃあその地域性っていうのは海を越える事もある?あると思う。
じゃあ究極的に言うと地元の方に喜んで頂ける事とパリに持っていって世界最高位を受賞する事の喜びの違いっていうのはあるんですか?じゃあもう近所のおばちゃまが喜んでくれるのも世界最高権威を受賞するのも全くフラット?一緒。
なぜなら…僕考える時に3つの輪っかをイメージして頂きたいんですけど…まさに…だから僕はよく小学校や幼稚園特に親御さんや学校の先生…それはどんな仕事も一緒なんだって言うようにしてるんです。
今回土田は僅か1か月で完成させた4つの作品をベネチアから持ってきた。
小山のチョコレートにインスピレーションを得て作ったものだ。
例えば日向夏のチョコレートから生まれたのは…茶色いガラスに黄金の果実の金色と鮮やかな黄色が映える作品。
へえ〜これまたすごいわこれ。
チョコレートってやっぱしそれがもちろんだいご味なんですけどやはりこう…ですから小山さんがお作りになった…チョコレートも永遠に後世に伝える事ができればなっていう思いも込めて作りました。
ありがとうございます。
味香り食感一粒のチョコレートの小宇宙。
それがガラス作品として表現された。
すると今度は小山が土田のガラスからインスピレーションを受けたらしい。
紫が茶色と重なり合った時の茶色ってすごいな。
これって…でも確実に…間違いなくなります。
是非楽しみにしてます。
口の中に入るまったり。
うわ…。
時間差で。
2016/01/16(土) 22:00〜23:00
NHKEテレ1大阪
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「小山進×土田康彦」[字]

ロールケーキブームを巻き起こした“お菓子の魔術師”小山進が、ベネチア・ムラノ島に“ガラスの魔術師”土田康彦を訪ねる!お菓子とベネチアングラスの意外な共通点とは?

詳細情報
番組内容
パリの「サロン・デュ・ショコラ」で5年連続最高位を獲得、神戸郊外の店では1日1600本ものロールケーキを売り上げる小山と、ムラノ島に工房を持つことを許された唯一の日本人・土田は、実は同じ調理師専門学校の出身。料理の世界からベネチアングラスの美の世界に導いた運命の出会いとは?小山もまた、ケーキ職人だった父と母の猛反対、サラリーマン時代の営業経験など「味覚の錬金術師」と呼ばれるまでの数々の分岐点を語る
出演者
【出演】パティシエ…小山進,ベネチアンガラス作家…土田康彦,【語り】吉田羊,六角精児

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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