日本の話芸 講談「太閤記より 太閤と曽呂利」 2016.01.16


(テーマ音楽)
(拍手)
(桃川鶴女)本日はようこそいらっしゃいました。
しばらくの間桃川鶴女の講談でおつきあい頂きたいと存じます。
天文6年2月の6日尾張国愛知郡中村の農家に生まれ関白太政大臣にまでなられました豊臣秀吉。
この秀吉が天正13年関白の位になりました時宮中へ参内を致し天皇の竜顔を拝し天杯を頂き上々の首尾で御前を下がってまいりますと一人の公家が「関白殿下には和歌一首ご即詠を願います」と申されました。
さあ秀吉困りました。
若い時から戦場を駆け巡り和歌敷島の道に心を寄せておりませんでしたので歌を詠む事ができません。
元来負けず嫌いの秀吉。
公家に歌を望まれて歌一つ詠めぬという事は…。
「これは残念だ。
なんとか…歌いたい」。
いろいろ考えて…「そうだ!人まねでも」と思い「百人一首」の中の猿丸大夫の詠んだ歌。
「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき」。
この歌を「奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍」と詠んで出しました。
お公家様驚きました。
鳴く蛍なんて聞いた事がない。
「殿下お下の歌は何とお詠みで」。
「うっうっう〜ん。
今日は詠まず明日参った時に詠んでつかわす」。
そう言ってそのまんま館へ帰ってまいりまして早速歌道の名人細川幽斎をお呼び出しに相成りました。
この細川幽斎という方は文武両道に秀でた戦国時代の武将でございます。
教養を武器に義昭信長秀吉に仕えた戦国一の文化人でございます。
「幽斎。
余はな今日宮中にて公家どもに恥を受けてまいったのじゃ」。
「いかなるお恥を」。
「余に『歌を詠んでくれ』と申すのじゃ。
余は歌を詠む事を知らぬ。
だが関白ともあろう者が公家に歌を望まれて歌一つ詠めぬという事は残念ゆえ猿丸大夫の詠んだ歌を『奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍』と詠んで出してやった。
すると公家が変な顔して『殿下お下の句は?』と言うから『明日参った時に詠んでつかわす』と言って帰ってまいったのじゃ。
あの〜ひとつ幽斎。
歌にまとめてはくれぬか?」。
「ははっ。
承知つかまつりました」。
サラサラサラッサラッサラッサラッと書いて秀吉公に差し出しました。
「殿下。
かようおつけになりますればお歌になります。
『鹿とも見えぬ杣のともし火』」。
「う〜んこれは面白い!この歌な幽斎。
余にその方が教えたなどと申すでないぞ!」。
「ははっ!承知つかまつりました。
それでなおあの『鳴く蛍がいますか?』と聞かれましたらう〜んかくかくしかじかこうお答えあそばせ」。
「うん!これは面白い」。
すっかり細川幽斎に教えて頂きました秀吉。
翌日宮中へ参内を致しますとお公家が「殿下。
昨日のお下の歌をお聞かせ下さいませ」。
この時秀吉「奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍」。
「殿下。
蛍は鳴くものでございますか?」。
「鳴くか鳴かぬか知らねども古き歌に『武蔵野に篠をつかねて降る雨に蛍よりほかに鳴く虫はなし』とあるのをご存じかな?」。
「ははっ恐れ入ります。
してお下のお歌は?」。
「奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍鹿とも見ゆる杣のともし火」。
「ははっ!恐れ入ります」。
それ以来心から秀吉公を尊敬するようになったと申します。
これから歌の必要を感じました秀吉。
「幽斎。
歌は学んでおかなくてはならぬものじゃな」。
「はい。
我が日本の宝でございます。
三十一文字敷島の道。
たしなみおきたきものでございます」。
「う〜ん『六十の手習い』という事もある。
今日より和歌を学ぶぞ。
幽斎教えてくれよ」。
「ははっ。
よろしゅうございます」。
「して歌はどのように詠めばよいのじゃ」。
「公のお心に浮かびました事を三十一文字でおまとめあそばせ」。
「う〜んその方そのように申すが思うようには言われんぞ」。
「さあその『思うようには言われん』というお言葉を『思うようには言われざりけり』。
これに前歌おつけになりますればお歌になります」。
「うんそうか。
では幽斎その方まず詠んでみてくれ」。
「え〜っ『行き違う船に故郷の事問われ思うようには言われざりけり』」。
「なるほど。
うまいもんだなあ。
これは面白い。
おお皆の者こっちへ参れ参れ参れ。
『思うようには言われざりけり』。
これに前歌をつけて秀逸の者にはここにある饅頭をぜ〜んぶつかわすぞ。
あっ福島正則その方まず詠んでみい」。
「ははっ。
『無理を言う主人の前で理屈をば思うようには言われざりけり』」。
「う〜ん福島正則らしい歌だが秀逸にはなれんなあ。
あっ加藤清正。
その方詠んでみい」。
「はは〜っ。
『山崎で明智を討ちしお手柄を思うようには言われざりけり』」。
「山崎合戦の勝利を歌に詠んだのか。
しかしな〜これもあまり面白くないのう。
あっ千利休。
その方はどうじゃ?」。
「ははっ。
『みちのくを見て来し人も松原は思うようには言われざりけり』」。
「日本三景か。
しかしなこれもなあまりな面白くないな。
あ〜秀逸にはなれんな。
どこかに誰か…あっ曽呂利新左衛門。
その方詠んでみい。
その方の歌なら面白かろ」。
「ははっ。
私の歌は秀逸でございます」。
「うん。
詠んでみい」。
「はっ。
私え〜これを頂きませんとえ〜歌になりませんので」。
手を伸ばして饅頭を1つポッと口の中に入れました。
「あ〜これこれ新左。
あ〜歌を詠まず饅頭ばかり食うは何事じゃ」。
この時曽呂利新左衛門。
「うっ!」。
(笑い)口を頬張って…。
口をモゴモゴモゴモゴさせながら…。
「『この饅頭を口いっぱい押し込めば思うようには言われざり…』」。
「アハハハハハ!さすがは曽呂利新左衛門。
面白い面白い。
新左この饅頭全部その方につかわすぞ」。
「ははっありがたき幸せ」と饅頭を全部食べてしまいました。
こういう事からだんだんだんだん歌道を学ぶようになりまして63歳でこの秀吉ねご他界になりました。
ねっ。
その時に「露とおき露と消えぬる我が身かななにわの事も夢のまた夢」。
「露とおき露と消えぬる我が身かななにわの事も夢のまた夢」。
このような立派な歌を詠んでお残しになりました。
さてこの秀吉常に傍らに曽呂利新左衛門とか細川幽斎とか千利休里村紹巴今井宗薫といった一流の学者を集めましてねえ置きまして学問をお習びになりました。
その中で一番愛したのが曽呂利新左衛門でございます。
なぜこの方を一番気に入ったかと申しますと欲のない方でございまして秀吉が何をやってもついぞ喜んだ事がありません。
ある時…。
「新左今日より3百石をつかわすぞ」。
「ははっ恐れ入りますがお断りを申し上げます」。
「何?要らん?なぜじゃ?」。
「はっ欲しゅうございません」。
「何?その方余が何をやってもついぞ喜んだ事がないが今日は何なりと望みのものを申してみ。
一つでもいいからうん。
聞きかなえてつかわすぞ」。
「さようでございますか。
でしたら殿下のお耳のにおいを嗅がして頂きとう存じます」。
「何?3百石は要らん?余の耳のにおいを嗅ぎたい?妙な事を望むやつだなあ。
よしよし許してやる」。
すると2〜3日たちまして仙台は青葉城の城主伊達政宗公がご機嫌伺いに秀吉公の御前にはるかに下がって両手をつかえておりますとそこにツカツカツカッと出てまいりましたのが曽呂利新左衛門でございます。
「殿下かねて願っておりましたあの〜お耳のにおい急に嗅ぎたくなりましたのでお許し…」。
「えっ?今政宗がおるから遠慮を致せ」。
「誰がおりましても政宗がおりましても嗅ぎたくなりますと我慢ができません」。
「う〜んしかたがないな。
少々嗅ぎなさい」。
秀吉公のそばに近づきまして耳元に鼻先を寄せてクンクンクンクンとにおいを嗅いでおる。
「曽呂利くすぐったいではないか」。
「まことにいい気持ちで。
3百石の代わりでございます。
いましばらくご辛抱」。
「しかたがない。
少々嗅ぎなさい」。
伊達政宗の顔を見ながら秀吉公の耳元に鼻先を近づけましてにおいを嗅いでおります。
これを伊達政宗が見て…。
「はてな…秀吉公のお気に入りの曽呂利新左衛門俺の顔を見ながら耳元でささやいているようだがあっ!これは俺の悪口を言っているのか」とその晩曽呂利新左衛門のところへ伊達政宗から黄金が届けられました。
曽呂利新左衛門これを見まして家来に「こういう事はこれからちょいちょいあるから断ってはいかんぞ」。
「ははっ承知つかまつりました」。
4日たちまして前田利家がご機嫌伺いに秀吉公の御前へ。
ツカツカツカッと出てまいりましたのが曽呂利新左衛門でございます。
「殿下あの〜お耳のにおい嗅がして頂きとう存じ…」。
「その方は客が来るたんびに嗅ぎたがるのう」。
「どうぞ我慢ができませんのでお許しを」。
「しかたがないな。
少々嗅ぎなさい」。
前田利家からも黄金が届きます。
蒲生からも黒田からも天下の大大名から取り集めました黄金小判が曽呂利新左衛門の家に山と成したとか。
これを貧しい人々に分け与えたと申します。
皇太后の詠んだ歌に「持つ人の心によりて宝ともあだともなるは黄金なりけり」。
大坂に大飢きんがございました。
お米が無くなって苦しんでいるという話を聞きつけました曽呂利新左衛門が秀吉公の御前へ。
「殿下今日は一つお願いがございます」。
「何?珍しいのう。
その方の口から願いというのは何じゃ?」。
「はい。
あの〜お米を頂きとう存じます少々」。
「何?米を頂きたい?どれくらいじゃ?」。
「はい。
袋に米を一杯頂きたいのでございます。
それだけでよろしゅうございます」。
「何?袋に一杯の米でよいのか?」。
「はい。
それでよろしゅうございます」。
「よしよし分かった。
許してつかわすぞ」。
4日たちまして御蔵奉行が…。
(机をたたく音)「殿下殿下はあの曽呂利新左衛門に袋に一杯の米をやるとお許しになりましたか?」。
「許したがいかが致した?」。
「大変でございます。
曽呂利新左衛門大きな袋をこしらえてまいりました」。
「何?大きな袋?どれくらいじゃ?」「はい。
7つの蔵がすっぽり入るぐらいの大きな袋でございます。
殿下からお許しを頂いていると申しましてあの7つの蔵からお米をどんどんどんどん取り出しまして運び出しましてそれを貧しい人たち恵まれない特に講談師に分け与えております」。
「何?ハハハハハ…!いつに変わらぬ曽呂利新左衛門の滑稽。
面白きやつじゃのう。
え〜人情味あふれる奉仕の心ボランティア精神あふれる人間愛今どき珍しいやつだ。
許してやれ許してやれ」。
「ははっ!ありがたき幸せ」。
秀吉公から頂きました7つの蔵のお米を飢きんで困っている人たちに分け与えたと申します。
さて秀吉その後山城国伏見墨染の里に聚楽の第をお建てになりました。
世に言う桃山御殿でございます。
秀吉の実に全盛期。
秋の事この桃山御殿の庭に柿の木が1本ございます。
真っ赤に熟した今にも露の滴るような甘〜いおいしそうな柿。
人々「あ〜この柿食べたいな」と思っておりましたらその柿のそばに立て札が立てられました。
見ると「この柿過って落とす者とてお手討ち申しつけるなり」。
家来たち驚きました。
「おいおいあの柿のそばに近寄るなよ」。
「どうして?」。
「どうしてったってもしもあの柿が落ちてきたらお手討ちだ。
柿と心中はつまらん!危ない危ない」と言って近頃ではその柿のそばに近寄る者が一人もおりません。
ある一夜秀吉公がかわやにお出ましになりました時にふと庭の柿の木をご覧になりますとムクムクムクッと動いた影があります。
柿盗人だなとおぼし召しになりましたが「誰だ〜!」なんて大きな声を出しません。
そのころ秀吉公は歌詠み人になられておりましたので「柿の木人まろこそ見えにけりここはあかしのうらが白浪」。
柿本人麻呂でお詠じになります。
すると「太閤の御前で恥をかきの本人まろならで顔は赤人」。
山部赤人でお応えになりました。
「なんて風流なやつだ」。
感心を致します。
「誰だ!そこにいる者は誰だ!あっその方は新左衛門のようではないか」。
「はっ。
新左衛門のようでございます」。
「その方柿を食うたのか?」。
「はい。
半分しか頂いておりません」。
「何?しかたがないな。
じゃあ今日は許す。
帰れ。
早く寝なさい」。
その明くる朝秀吉公庭の柿を見ると13なっていた柿が全部半分ずつ食べてあります。
「新左!新左を呼べ!」。
「ははっお呼びでございますか」。
「その方柿を食うたのか?」。
「はい。
半分しか頂いておりません」。
「いくつの半分じゃ?」。
「半分!え〜半分でございます。
全部の半分でございます」。
「何?残らず?」。
はあ〜ねえ驚きましたよ。
立て札があるにもかかわらずねえ13なっている柿を全部半分ずつ食べたと言うんだったらねえもうどういうお仕置きがあるかと家来たちハラハラドキドキ秀吉公のお顔をうかがっておりますと曽呂利新左衛門が秀吉公の御前へ。
「殿下申し上げます。
殿下が柿が大好物な事は存じ上げております。
立て札があるにもかかわらずおきてに背いたというのはまさに罪は罪でございます。
しかし…殿柿と人の命とどちらが尊いかよ〜くお考え下さいませ。
殿桃山御殿の庭に柿の木が1本あるのはなぜかご存じでございますか?『桃栗三年柿八年』という言葉がございます。
何事も成し遂げるのには年月がかかる。
年月が必要だ。
また下の柿は旅人に上の柿は野鳥に真ん中の柿だけ自分が食べる。
分かち合う心を忘れないために桃山御殿の庭に柿の木を1本植えてあるのでございます。
どうぞどうぞ御政道に力を尽くされます事をこの曽呂利新左衛門涙とともにご意見に及んだ次第でございます。
手前はこの場で切腹…」。
「あっ待て待て待てと申すに」。
秀吉公庭げたをお履きになりまして柿の木のそばに行き立て札を取り「曽呂利これでよいか?余に意見をしてくれた。
いさめてくれしぞ。
そなたの申したとおりじゃ。
余が悪かった。
許してくれよ。
許してくれよ…」。
「はは〜っ。
恐悦至極に存じ奉りますでございます。
それでこそ豊臣家のご名君日本一の名将でございます」。
晩年おごり高ぶりの見えました秀吉をいさめ慰めておりましたのがこの曽呂利新左衛門でございます。
この曽呂利新左衛門病に倒れました時に秀吉公度々お見舞いに参りまして「これ新左この世に望みがあらば何なりと申してみい。
余が聞きかなえてやるぞ」。
この時曽呂利新左衛門重き枕をもたげまして「ご威光で三千世界手に入らば極楽浄土我に賜れ」。
この言葉が最期で眠るがごとき往生したと申します。
本日のお噺は「太閤記」より「太閤と曽呂利」と題しました一席!これをもって読み終わりとさせて頂きます。
(拍手)2016/01/16(土) 04:30〜05:00
NHK総合1・神戸
日本の話芸 講談「太閤記より 太閤と曽呂利」[解][字][再]

講談「太閤記より 太閤と曽呂利」▽桃川鶴女

詳細情報
番組内容
講談「太閤記より 太閤と曽呂利」▽桃川鶴女
出演者
【出演】桃川鶴女

ジャンル :
劇場/公演 – 落語・演芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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