あなたは日常生活の中でこんな悩みを持った事はありませんか?バーゲンに行くと…そんな私たちの不思議な心理や行動をつぶさに観察しよりよい社会をつくるために何が必要かを探究していく学問が…この分野で全米から最も熱い注目を浴びているのがデューク大学の…アリエリー教授は数々のユニークな実験を通して一筋縄ではいかない人間の感情やちょっと愚かでいとおしい行動の数々を研究してきました。
今回アリエリー教授は多くのベンチャー企業が集まるサンフランシスコで起業家たちに向けた6回にわたる集中講義を行いました。
教授が語る行動経済学のノウハウ。
聞き入ったのは社会をより便利で楽しくしたいと日々考え続けているシリコンバレーなどの若き野心家たちです。
アリエリー教授は最新の行動経済学を駆使して人間のまか不思議な行動や意思決定のメカニズムを解き明かしていきます。
5回目のテーマは「お金の心理学」です。
お金というのは実に不思議だ。
私たちは年中お金を使っているからその使い方なら十分分かっていると思っている。
でもよく考えるとお金にまつわる失敗談は山ほどある。
今回はそうした例を紹介しながらどうしたらお金とうまくつきあえるかを考えていこう。
(拍手と歓声)みんな親切にどうもありがとう。
今回は「お金の心理学」について話していこう。
そもそもお金とは何だろう?お金というものがこの世に存在しなかったら私たちはどうしているだろうか?例えばブロッコリーを栽培し誰か鶏を飼っている人を見つけてブロッコリーと鶏の適切な交換レートを決め取り引きしたりしなければならない。
とても大変な生活だ。
物々交換生活は面白いがとても時間がかかる。
お金は驚くべき発明品で今や誰もが利用している。
お金があれば大抵のものは買える。
両替したり貯金したりもできる。
お金というものによって社会は一変した。
お金がなければ私は大学教授の仕事などできなかっただろう。
他にしなければならない事がたくさんあっただろうからだ。
お金は本当に便利だ。
だがお金について考える時は「機会費用」と呼ばれる概念に着目しなければならない。
つまりお金には限りがあるから「他のものを諦めてまでこれを買う価値があるか?」といちいち考えなければならないという事だ。
コーヒーを買う度こんなふうに考えなければならない。
「このコーヒーにこれだけのお金を払う価値があるのか?このお金で何か他に買えるものがあるんじゃないか?」と。
実際はそんなふうに考えるのはとても面倒だ。
最近いつそんな事を考えたかなんて覚えてないだろう?数年前私たちは日本の自動車メーカーの販売店で客に聞き取り調査を行った。
「もし今日新車を買ったら代わりに何を諦める事になりますか?」と。
みんなどう答えたと思う?最初は即座に答えられなかった。
そんな事は考えた事もなかったからだ。
「この車を買ったらこの金額分の何を諦める事になりますか?」と繰り返し聞いてみると一番多かった答えは「日本の他のメーカーの新車を買えなくなる」というものだった。
日本経済にとってはありがたい答えだ。
でも「車」という同じジャンルの中からしか答えが返ってこなかったのは奇妙だとは思わないか?私たちが期待していた答えは今後5年間は長期休暇が取れなくなるとか700杯のラテを飲めなくなるとかいったものだった。
お金はすばらしい発明だがお金について考えるのは本当に大変だ。
それだけではない。
社会が発展しお金に関する技術がどんどん進歩するとお金について考えるのはより難しくなるだろう。
実際そうなんだ。
もし君たちに毎朝1日分の生活費を渡すとしたらそれでやりくりしなければならないので何を諦めなければならないのかがはっきり分かる。
「コーラを買ったらこれが買えなくなる」とか「ビールを買ったらバス代がなくなる」とかが分かる。
では1週間分のお金を先に渡したら?月曜の時点では「何でも買える」と思うだろう。
木曜辺りになると何かを諦めなければならない事が分かってくるが時既に遅い。
では1か月分のお金を先に渡したら?更にクレジットカードを渡して学生ローンや住宅ローンも貸し与えたら?何が買えなくなるかを考えるのがはるかに難しくなるだろう。
お金はすばらしいものだがやっかいな存在で技術の進歩とともによりやっかいなものになっていくだろう。
中でも私たちには老後のためにいくら蓄えればいいのかという悩みがありそれは人生の中で最も難しい問題の一つだ。
なぜか?第1にずっと先の事だからだ。
第2に老後の蓄えのためには何かを諦めなければならないがもし欲しかった自転車を買わない事にした場合諦めたのは自転車だとはっきり分かる。
だが老後の蓄えをすると本当にいい事があるのかどうかは全く分からないんだ。
人は目先の事はよく分かっても未来の事はよく分からない。
お金の使い道を考えるのはとても大変だ。
確かにお金にはたくさんのメリットがあるが何にどのくらい使うかを考えるのはとにかく難しいんだ。
では正しい選択ができないと人はどうなるか。
間違った選択をしてしまう。
お金については何かしら意思決定をしていかなければならないがそれが間違ったものになってゆく。
この講義ではそうしたお金に関する過ちについていろいろ話していこう。
まずはお金が持つ「相対性」という性質について考えてみよう。
こんな場面を想像してくれ。
君はペンを買おうとしている。
とてもすてきなペンで値段は15ドルだ。
レジに持っていくとこう言われた。
「いや〜いいものを見つけてうれしそうですね。
でもこれと同じペンを7ドルで売っている店がありますよ。
5ブロック先の店です。
ここで15ドルで買ってもいいですがそっちでは7ドルで買えますよ」と。
君たちならどうする?5ブロック先まで歩いていって8ドル分安く買おうという人は?では次のケースだ。
君は高級スーツを買おうとしている。
値段は1,015ドルだ。
支払いしようとすると店員から「実はこれと同じスーツをここより8ドル安い1,007ドルで売っている店がありますよ。
4ブロック先の店です」と言われた。
さっきのケースよりは近くなったがその店まで歩いていこうという人は?誰もいないね。
けどよほどのケチなら行くかもしれない。
しかし君たちの銀行口座からするとどうやって8ドル節約するかは関係ないだろう。
ペンだろうとスーツだろうと8ドルは8ドルだ。
でも私たちはついお金を割合で考えてしまう。
だから…他の例も挙げよう。
君たちの中で家をリフォームした事のある人は?何人かいるね。
こんな経験はないだろうか。
調査では「ある」と答えた人が多かったんだがリフォームの途中で業者から「あと4,000ドルだけ追加すれば何々ができますよ」とか言われるんだ。
大抵イタリア製の何か。
大理石とか。
すると「いいアイデアだな」とつい思ってしまう。
でもスーパーでトマトを買う時には「2ドル28セントの安い方を買うべきか2ドル31セントの高い方を買うべきか」と悩んだあげくどちらを買うか判断している。
トマトについて悩んだお金を一生分足し合わせたとしてもそれはごく僅かだ。
でも大きな買い物となると突然数千ドルの追加が大した事に思えなくなる。
これは家を買う時によく見られる傾向で思い切った決断がしやすくなるんだ。
家に関してはこんな面白い傾向もある。
家を買って支払いを済ませたとする。
引っ越しは明日だ。
家を買う時は1万ドルの追加費用はさほど気にならなかった。
でもその支払いを終えて家具を買う段階になってもお金を支払う事に対する抵抗感は家を買った時のように低いままだと思うか?違う。
新しいジャンルでの決断になるから1ドル1ドルに対する気持ちが全然違うものになっている。
もし家具にもっとお金をかけたければ家具と家をセットで買うべきだ。
そうすれば財布のひもが緩むから家具にだってお金を使う事ができる。
セールもお金の相対性を利用している。
セールとは何か。
セールとは商品が以前よりは安くなっているという事を示す事だ。
なぜ私たちは過去の値段が気になるのか?相対的な価値が分かるからだ。
「以前はもっと高かったけど安くなったからお買い得にちがいない」と思うわけだ。
クレジットカードがこれほど普及している理由も相対性だ。
例えば家を買ってそのあとに家具を買うのは新たなジャンルでの支払いになるがクレジットカードでの支払い額は全体としてかなり大きなものなので少しぐらい増えてもかまわないと思ってしまう。
お金に関して次に取り上げたいのは「出費の痛み」についてだ。
実験がやりやすい事もあって私のお気に入りの分野だ。
君たちが今夜食事に行って自分で支払うとする。
君たちの中のグーグルで働いている人たちには自分で食事代を支払うなんて意味が分からないかもしれないがまあ想像してくれ。
今夜高級ディナーに行って200ドルを支払う事にしよう。
クレジットカードか現金で支払うがどっちで支払う方がより嫌な気分になると思う?現金だ。
なぜか。
なぜ現金払いの方が嫌な気分が増すのか。
理由はいろいろと挙げられるだろうが「財布からお金がなくなるのが見えるから」というのがその一つだ。
「手持ちが少なくなってきた。
ATMに行かなくちゃ」と思うかもしれない。
実は消費と支払いのタイミングが同時だというのが現金払いが嫌な理由の一つなんだ。
こんな変なレストランを想像してくれ。
「あなたを招待させて頂きましたが友人なので割引させて頂きます。
通常料理は50ドルで大体50口で食べられる量です。
でもあなたには特別にこんな割引をします。
まず普通1口あたり1ドルですがあなたには0.5ドル請求します。
他の人と同じように食べても25ドルにしかなりません。
それから食べなかった分の代金は請求しません。
食べた分だけで結構です」。
実にいい割引だ。
だが果たしてどれだけ食事を楽しめるだろうか?料理を出されたあと後ろに立たれて1口食べる度にメモをとられる。
そして1口0.5ドルの計算で代金が請求される。
一口食べる度にメモをとられるのはどんな気分だろうか?金銭的にはかなり得だがこの場合消費と支払いが直接結び付く事になる。
その2つが同じタイミングになると私たちはとても嫌な気分になるんだ。
ではここで君たちに考えてほしいんだが消費と支払いを同時にさせて人々に嫌な気分を味わわせた方がいいのはどんなケースだろうか?出費の痛みを大きくした方がいい場合があるんだがそれはどんなケース?その後ろの人。
バーにいる時です。
「バーにいる時は出費の痛みを大きくした方がいい」。
理由は?注文する量や支払う金額を少なくしたいからです。
例えば飲み放題のバーだと出費の痛みが小さいだろうから飲み過ぎてしまうかもしれない。
ではバーでの出費の痛みを大きくするにはどうすればいい?現金払いのみにします。
よろしい。
そして?1杯の量を少なくして何度も注文させればいいと思います。
「現金払い」「1杯の量を減らす」「注文回数を多くする」。
いいね。
他には?何か出費の痛みを大きくさせた方がいいケースは?交通違反です。
切符を切られたらその場で罰金を支払うとか。
そうだね。
切符を切られてすぐ罰金を支払えば出費の痛みは明らかに増すだろう。
よろしい。
では人々のエネルギー消費を減らしたいと思ったらどうやって出費の痛みを増やせばいい?君たちならどうする?車のガソリンタンクを小さくします。
実はガソリンへの支払いというのは大きな出費の痛みを伴っている。
ガソリンスタンドというのは面白い。
売っているのがガソリンのみだというだけでなく私たちは1回に何ガロンものガソリンを買うしそれを入れる間ずっとメーターの隣に立って見ている。
考えてみると変わった光景だ。
ではガソリンへの出費の痛みをより感じさせるためにはどうすればいい?銀行の預金残高を減らします。
預金残高が減っていくのを見せるわけだね。
痛みを大きくするもう一つの方法はリアルタイムで課金する事だ。
例えば運転中にどんどん課金してアクセルを強く踏むと支払い額が増えるようにしたらどうだろう。
リアルタイムで課金されて消費と支払いのタイミングが直結するからより痛みが増すだろう。
そもそも私たちはガソリンスタンドで出費の痛みを経験しているからガソリンの価格をいつも気にかけているんだ。
例えば家の電気の消費量はどれくらいかと聞かれてもすぐには答えられないだろう?理由は電気代は出費の痛みが小さいからだ。
月末になると自動的に引き落とされて直接見る事はない。
見えるものは気になるけど見えないものは気にならないんだ。
消費と支払いが結び付いた時こそすごく気になるんだ。
他には?電気メーターを部屋に設置して分かりにくい「キロワット時」の表示ではなくドルで表示すればいいと思います。
なるほど。
測定単位をドルにして家の中心に設置する。
他には?毎日前払いにすればいいと思います。
1日分の電気代を朝支払うんです。
うん。
毎日その日の電気代を支払うようにすれば出費の痛みが増えるね。
先に払っておいて使い果たしたら大変だと考える。
「毎日」という発想はとてもいいね。
似ているかもしれませんがコインランドリーみたいに必要な時にお金を入れるようにしたらいいと思います。
面白い。
何年も前にイギリスで実際にそんな仕組みがあった。
暖房を使う時にいちいちお金を入れなければならなかったんだ。
もし君たちのエアコンがそういう仕組みになっていたとしても冬や夏の快適さは変わらないと思う人は?変わるだろうね。
逆に支払いが後だったり支払いが見えなければ人々は気にしなくなる。
さて出費の痛みが見える方がいい場合もあるが逆に出費の痛みを見えなくした方がいいのはどういうケースだと思う?人を雇う時です。
私は「時間単位」ではなく「1か月でいくら」というふうにお願いしています。
そうすればたとえ弁護士を雇ったとしても電話で話す度に「お金が今まさに減っている」とか考えずにすむからです。
確かに時間単位で支払うとヒヤヒヤするね。
タクシーに乗った時メーターをじっと見つめてしまうという人は?見ても何も変わらないのについ見てしまう。
そこで止まるのかとか曲がるのかとかなぜこんなに高いのかとかいろいろな事が気になってしかたがない。
人を雇う時もそうだろう。
バケーションの事を想像してほしい。
君たちは豪華旅行の真っ最中だ。
支払いは全て君が行うが最後の日きれいな夕日が見える浜辺にいると仮定してくれ。
なぜかその国の規則では夕日を見ながらお酒を飲むと20ドル請求される事になっているとする。
すると君は「20ドルだって?高すぎる。
やめておこう」となるだろう。
20ドル支払ってすてきな夕暮れを過ごす事もできるんだがそんなお金を余計に出すのはばからしいと思えてしまう。
でも夕日も全て初めから旅行代金に入っていたらそんなふうには考えないだろう。
時に私たちはあまり経済的でなくてもさまざまなプランがついた旅行パックを買ったりするがそれはいちいち支払いの事を考えたくないからかもしれない。
最後の例だ。
君はクルーズ旅行に行くとする。
豪華客船でのアラスカへの旅で料金は3,000ドルだ。
支払いのタイミングは船を下りる時でもいいし旅行半年前の先払いでもいい。
どっちのタイミングで支払うのが合理的だろうか?船を下りる時だ。
それまでお金は手元にあるから利子がついたりするかもしれない。
では君たちならどっちのタイミングで支払いたい?半年前に支払う人は?クルーズの最後の日に支払う人は?合理的なのは最後に支払う事だと分かっているが先に支払いたい人は旅行の最後に嫌な気分になりたくないからだね。
「明日旅行代金を支払わなければならない」と思うとどんな気分だろう。
旅行の最終日夜港に着くとたくさんのお金とお別れだ。
きっと最終日は頭の中は支払いの事でいっぱいだ。
少しでも元を取ろうとビュッフェに一日中入り浸るかもしれない。
そして増えた体重を落とすためにジムでトレーナーを雇うはめになる。
出費の痛みというのは面白いもので…人々にいい行動を促したり悪い行動をやめさせたりする事もできる。
老後にある程度の蓄えを残しておけるような方法だって作り出す事ができるんだ。
では出費の痛みがゼロの世界というのはどんなものだろうか。
実際ある試みでそういうものがある。
コーヒーショップで棚から好きなものを取って店を出ると何もしなくても知らぬ間に課金されるようになっている。
そういう世界だと出費の痛みはなくなるからコーヒーショップでの支払い額は増えるだろう。
でも人々の暮らしが良くなるかどうかは分からない。
コーヒーショップは一時的には儲かったとしても。
もし今後私たちが「電子財布」というものを作るとしたら「出費の痛み」をどう感じさせるかが人々の浪費を左右する要素の一つになるだろう。
次に話したいのは出費の痛みとも関連するが「心の会計」と呼ばれるものだ。
大抵の企業ではそれぞれの年度の初めに各部署に予算が割り振られる。
その予算は他の部署への流用はできない。
だから予算が余りそうな部署では新しいパソコンを支給したりレクリエーションに使ったりして年度内に使い切ろうとする。
逆に予算が尽きれば大変だ。
だが企業の予算配分は年に一度きりで途中で見直す事はない。
同じように「心の会計」とはお金が用途ごとに別々の財布に厳格に分けられていると思ってしまう事だ。
財布を一緒にする事もできるのにまるで部署ごとに財布が違うと考えるようなものだ。
例を挙げよう。
友人のディリップ・ソマンがインド北部のたくさんの出稼ぎ労働者がいる場所で面白い実験をした。
働きに出て家族に仕送りをしている男性たちのところだ。
よくありがちな事だが男性が家族と離れて暮らすとどうなるか。
誘惑だ。
多くの誘惑が襲ってくる。
ギャンブル麻薬女性お酒。
出稼ぎに来ている彼らはそうした誘惑に負けてしまう。
そこでディリップは実験をした。
まずあるグループにはいつもどおり週末に1週間分の給料が入った封筒を1つ渡した。
別のグループには給料を4つの封筒に分けて封をして渡した。
さてどうなったか。
そのグループでは使うお金が減った。
封筒を開けてお金を使うのは簡単だが別の封筒を新たに開ける時立ち止まって自分に問いかけたんだ。
「本当に必要だろうか」と。
更にディリップはとても面白い事をした。
同じく封筒を4つに分けたんだがそれぞれに彼らの子供の名前を書いたんだ。
するとどうなったか。
「本当に封筒を開けてもいいのか」と自問するだけでなくお金は他の事に使うべきではないかとも考えた。
「子供に使うべきなのでは」と。
結果貯金は増えた。
お金の受け取り方はいろいろあるがその受け取り方によって私たちがお金をどう使うかも変わってくるという事だ。
君たちの中でローンがある人はどのくらいいるだろうか?住宅ローンとか学生ローンとか。
大勢いるな。
では利子が低い普通預金の口座を持っている人は?ほぼ全員だろう。
なぜだろうか。
ローンで多くのお金を払っている一方貯金があるのに貯金をローン返済に回そうとは考えないんだ。
なぜかと聞いたら「2つは違うものだから」と言う。
支払いは支払い貯蓄は貯蓄2つは別物だと。
一方「心の会計」つまり心の中に用途ごとに別々の財布があると例えばコーヒーを買う度に「これは適切なお金の使い方だろうか」とか考えなくてすむという効果がある。
心の中にコーヒー用の財布を持っていればその財布の事だけを考えればいいのでお金を支払う時の悩みは小さくなるんだ。
次にポイント制度について考えてみたい。
クレジットカードを使ったり何かの会員になったりするとポイントがもらえる。
理想的なポイント制度とはどのようなものか?もちろん企業にとってポイント制度は客に何らかの行動を促す事が目的だ。
では客がその何らかの行動をしたいと思うような理想的なポイント制度とはどんなものだろう?何か基本原則はあると思う?利用期間が長い人ほど1回ごとに多くのポイントをもらえるようにすればいいと思います。
会員じゃなくなったらその特典を失うんです。
つまり今後のポイントが増えるからそのまま利用していたいと思わせるんだね。
よろしい。
ところで一番いいポイントというのはお金じゃないか?違う?なぜお金をあげるのが一番じゃないのか?例えば何かを買うと1%のポイントがつくとする。
その分をお金であげれば好きなものが買えるだろう?ポイントより柔軟に好きなものに使えないか?当然その方が合理的だ。
だが実は…つまり「これはいつもとは別の方法で手に入れたものだから何か特別な事に使ってもいいだろう」と思わせる手段なんだ。
さてそれではどっちがより効果的だろうか?ガソリンに使えるポイントかマッサージに使えるポイントか。
そうだマッサージだ。
ガソリンにはいつもお金を払い続けているけど逆にふだんお金をあまり費やさないマッサージのような分野もある。
ポイントというのはお金をいわば心の特別な財布に入れて贅沢な事にも使えるようにするものだといえる。
白状すると私は以前あるネット通販サイトのクレジットカードを持っていた。
何かを買ってためたポイントを好きな商品と交換していたんだ。
その商品はお金で買う事もできたが買うのは気が引けるものにポイントを使っていた。
ちょっと敷居が高いなと思うものに使っていたんだ。
こうした「贅沢品のためのお金」という概念はとても面白い。
ポイントとお金についてもう少し考えてみよう。
お金なら何でも買える一方ポイントは交換できるものが限られている分価値が高いものにも使える。
ポイントには他にどんな特徴がある?交換できるものに制約がある事以外には?ポイントは何か特別な事をしなくてもお金を使うだけでどんどんたまります。
つまりプレゼントのようなものだという事だね。
面白いのは時々気まぐれのようにたくさんポイントがもらえる場合がある事です。
数が大きいだけでいい気分になります。
そうだねお金とは全く違うと感じる時がある。
例えば2,000ポイントといったような大きい数字になると達成感がわいたりする。
他には?利子はつかないけど有効期限があります。
「利子はつかないが有効期限がある」。
ポイントは使わないとなくなってしまうがそれは使う動機になっているね。
またポイントは少なくとも単純に増えていくだけではない。
ポイントをどんどんためるとブロンズからシルバーゴールドというようにランクアップしたりする。
逆にランクダウンする事もある。
ゴールドだったのが普通会員に落ちたりすると本当に残念だ。
ポイントはお金のような機能を持ちながら遊びの要素もあって私たちにいつもとは違う行動をさせようとするから面白いんだ。
ところでラスベガスに行った事のある人は?客にお金を使わせようとするラスベガスの仕組みが面白いんだがそれはどんなもの?チップです。
そうお金をチップに換えてそのチップを使わせようとする事だ。
ラスベガスにとって理想的な客の行動とは?1時間ごとにお金をチップに換える事?違う。
大金を一度に換える事だ。
すると客はどうなる?お金をチップに換えた途端どうなる?心の中で新たな財布を作るんだ。
「これはラスベガス用のお金だからなくなっても全く問題ない」と。
ラスベガスで大事なのは引き際だ。
途中まで勝っていても長居すれば必ず負ける。
お金をチップに換えた途端「この分はなくなってもいい」と言っているようなものだ。
そしてそのお金はほぼ確実に消える。
もう少し品行方正な例を挙げよう。
例えば君たちに10年間有効のネット通販サイトの商品券をあげたとしよう。
1万ドル分だ。
ふだんは買わないようなものを買ってあっという間に使い切ってしまうという人がたくさんいるだろう。
この先10年欲しいものはいろいろと出てくるはずなのに商品券をもらった途端「このお金はネット通販用で出費の痛みは全くない。
いつ使ってもかまわない」と感じるんだ。
このように…次に話したいのは「理由なき一貫性」とでも言える概念だ。
理由なき一貫性とは…14年前のボストンに住んでいて毎日ファストフードでコーヒーを買っている自分を想像してほしい。
何の不満もなくコーヒーに毎日25セント支払っている。
ある日の午後4時ごろ君は喉が渇いてきた。
疲れてもいた。
そして道を歩いているとあるものが目についた。
コーヒーのチェーン店だ。
初めて見る店でどんな店かも知らないが体にカフェインが必要だったから店に入った。
するとコーヒーの値段に驚いた。
1杯2ドル50セントなんて信じられなかった。
でも既に店に入ってしまったから「ここは買った方がいいだろう」とコーヒーを買った。
飲んでみると妥当な値段だと感じた。
月曜の出来事だ。
そして木曜日。
月曜日の午後4時にどんな事を感じていたか君は覚えていない。
人間の行動は感情の影響を受けるがその時が過ぎれば感情は忘れるものだ。
だが君はそのチェーン店に行った事は覚えておりこう考える。
「そういえばあの店に行ったな。
自分は正しい意思決定しかしないはずだから行ってよかったにちがいない。
ではもう一度行くか」と。
そして店に通うようになる。
何が起こったかというと最初の意思決定が必ずしも賢明なものでなかったとしてもそれが「アンカー」つまり船のいかりのような役目を果たしてその後の判断に影響を及ぼしたんだ。
「アンカリング効果」と呼ばれるものだ。
このアンカリング効果に関してはさまざまな実験が行われてきたが1つ紹介しよう。
私たちは被験者に自分の社会保障番号の下2桁の数字を聞いた。
私の場合は72だが配った用紙の右上に大きく「72」とか書いてもらった。
次に用紙に書かれたパソコン周辺機器やチョコレートなどの品々の横にも72と書いてもらった。
それを価格として考えてもらいつまり72ドルと見なしてもらって「それぞれにそのお金を支払えますか?」と聞いた。
キーボードやチョコレートなんかに72ドル支払えるかを答えてもらったんだ。
そのあと被験者にこう伝えた。
「これまでは仮定の話だったが今度は実際に入札して下さい」と。
オークションのようにそれぞれにいくらまでなら支払ってもいいか考えてもらい入札してもらったんだ。
最高額での入札者がお金を支払って商品を持ち帰った。
そんな実験だったが私たちは被験者の社会保障番号と入札価格との関係を調べた。
すると高い相関関係があったんだ。
なぜか。
社会保障番号を割り振る事務局が誰が太っ腹で誰がケチなのかを知っていたわけではなかった。
最初に何か意思決定が行われるとそれが社会保障番号のようなものだったとしてもアンカーとなりその後の意思決定はその番号に引きずられて行われるというわけだ。
実はアンカリング効果は「無料」という値段に対して恐るべき力を持っている。
インターネットを作った人たちはもともとどんな考えを持っていたか?「タダならみんな使うだろう」という考えだ。
みんなが使うようになれば価値が理解され90ドル95セントとかに値上げしても大丈夫だろうと考えられていた。
その考えは半分は正しかった。
つまりタダならみんな使う。
でも値上げが受け入れられる可能性はかなり低い。
相場が分からないからだ。
人は「前はいくらだったっけ?タダだった。
タダが妥当なんだろう」と思ってしまうんだ。
もう一つ例を挙げよう。
ある会社のスマートフォンが最初に登場した時の事を覚えているか?大きな話題になった。
当初600ドルだったがすぐに400ドルに値下げされた。
これはいい方向転換だったと思うか?すばらしい事だった。
なぜか。
もし初めから400ドルで売り出されていたら消費者はその価格を何と比べていただろう。
他の携帯電話だ。
他の携帯は120ドルぐらいだったのになと。
でもこの新しい携帯には新機能が2つ付いているな。
指でこんな事やこんな事もできるなと。
そして新機能はお金にすると60ドルと20ドルぐらいの価値かなとか考えるだろう。
でも最初600ドルだったものが400ドルになった場合は30%安くなったと感じる。
比べるのは今は存在しない600ドルのスマートフォンでそれが判断材料になるんだ。
当時買うつもりがなかったとしても立派な比較対象になる。
つまり製品の印象は初めて市場に投入された時に形成されるという事だ。
その印象は長期にわたって基準となる。
その製品についての過去の自分の判断を振り返りその意思決定は正しかったと考えるからだ。
だから最初に無料で製品を出すとその後それにお金を支払ってもらうのは相当難しいわけだ。
さてお金の話をする時には「適正さ」という興味深い概念がある。
適正な値段かどうかは誰かが教えてくれるのではなくて実は「努力」によって計られるんだ。
私が以前出会った鍵屋を例に話をしよう。
開かない鍵を開けてくれる人だ。
彼はまだ新米だった頃は時間をかけて慎重に仕事をしていた。
すごく時間がかかって鍵を開けるのに100ドル新しい鍵代として20ドル請求していたがみんなチップまでくれたそうだ。
今ではスキルも上がって数分しかかからなくなったのに誰もチップをくれない。
料金は合計100ドルと以前より安くしたのにチップがないどころか高いと文句を言われるそうだ。
両者の違いは何なのか。
片方は鍵屋が40分間汗だくになって何度も失敗して努力してやっと鍵を開けて120ドルだ。
もう片方はあっという間に鍵を開けて100ドルだ。
君たちならどっちに支払う方がいい?ちなみにコンサルタントや弁護士の報酬が時給制なのはこのためかもしれない。
普通私たちは何かの価値を評価する時アイデアのすばらしさとかを重視するがその評価が難しいケースでは汗の量努力で判断するという事だ。
ちょっとしたジョークを紹介しよう。
ある人が車が故障したので修理工を呼んだ。
修理工はボンネットを開けていきなりハンマーでエンジンをガツンとたたいた。
車はすっかり直ったが料金は100ドルだ。
「エンジンをたたくだけなのに?」と聞くと「いいえたたき代は1ドルであとはたたく場所を知っていた代金です」と。
要するに私たちはスキルに対してはあまりお金を払いたがらないという事だ。
インターネットの世界では価値の評価は特に難しい。
価格が適正である事をどのように伝えればよいのか。
適正かどうかは努力で判断されてしまう。
でもインターネットの場合困るのは努力が見えない事だ。
例えばグーグルのホームページではキーワードを入力欄に打ち込めば検索結果が出てくる。
グーグルはそのためにどれほどの労力を費やしたのか。
「あなたのためにこんなに努力しました」と伝えてくるだろうか。
サーバーがこれだけ必要で何時間もの作業や能力が必要だったとか言うだろうか。
人は「魔法みたいと思われるようなものを作りたい」と考えがちだが魔法のようなものを作り上げてしまうと人々はそれにお金を払いたがらなくなるんだ。
その観点から言うと私が気に入っているのは「カヤック」というウェブサイトだ。
カヤックで旅行の情報を調べるとどうなるか。
どれほど一生懸命検索しているかをアピールしてくる。
「現在ユナイテッド航空とアメリカン航空の便を探しています」とか表示が出てくる。
人々は自分のためにアルゴリズムが頑張ってくれていると思って喜ぶ。
アルゴリズムが頑張るというのはよく分からないがとにかく私たちはそれを望んでいるんだ。
質問かな?どうぞ。
適正さに関してですが価値を評価するのが難しい場合は努力で判断するとの事ですがだいぶ前に読んだ記事で「忙しくて目が回りそうだ」とか「週に100時間働いている」と言って自分をアピールする文化があるというのがありました。
それは自分の価値を示そうとしているんでしょうか?ものすごく忙しいとか一生懸命働いているとか?それはウォール街で働いている人に関する記事だね?はい。
もし君が銀行のディーラーだったらと考えよう。
大抵の日は市場では何も起きないし何かをすべきでもない。
ではどうすれば自分の給料は適性だと胸を張れるか。
あくせく働いていれば高い給料でも正当化できるだろう。
上司にもよく働いていると思ってもらいたい。
「忙しい」とアピールする一番の理由はきっとそういう事だ。
では「無料」「価格ゼロ」という事について話していこう。
無料というのはとてつもなく魅力的な価格だ。
無料と聞くとそれはこの上ない価格だと思って人々は群がる。
アイスクリームをタダでもらうためなら列を作って何時間でも待つんだ。
2ドルや1ドルなんて価格だったら列に並ぶ事もないのに無料と聞くとワクワクしてしまう。
アプリについて考えてみるとたくさんのアプリが開発されているが一番人気の価格は無料だ。
では価格ゼロというのがありうる世界ではどんな事が起きるだろうか?突如としてお金を支払う事が大変な苦痛になるんだ。
君たちはどうだか分からないが私は99セントのアプリを見るとなんて高いんだと思う。
また標準版が無料で改良版が99セントだったりすると本当にそれだけの価値があるのかと考えてしまう。
コーヒーにならすぐ3ドルを出せるのに無料が当たり前だと思っているものの場合99セントでも不快に感じるんだ。
では君たちがアプリストアの設計担当になったと仮定してほしい。
君たちならアプリを無料にする?私はそれは間違いだと思う。
無料にした途端それがあまりにも魅力的なので人は僅かな追加料金でさえ支払いたくないと思うからだ。
無料にせず最初に10セントに設定していればたとえそれを99セントにはね上げてもはるかに払わせやすくなる。
オンラインの新聞の場合はどうだろう。
有料のものがいくつかある中もしあまり順調でない新聞が無料にしたらどうなるだろう?人は無料の方に群がるんだ。
すると順調だった新聞も無料にせざるをえなくなる。
無料という価格がありうる市場では…アメリカでは銀行口座で底辺への競争が起きている。
維持費無料の口座を持っている人は?全員かな。
では銀行は君たちの預金の運用でそのコストを賄っていると思う人は?よほどの大金を預けていないかぎり違う。
君たちの口座が無料なのは別のサービスで他の人からお金を取り立てているからだ。
アメリカではATMやデビットカードで残高がマイナスになると例えば35ドルとか請求される事がある。
貧しい人から搾取する制度だ。
でもそれも我々の口座を無料にするためなんだ。
こうなってしまった経緯はある銀行が口座を無料にしたところみんなその銀行に乗り換えるようになって他の銀行も追従せざるをえなくなったんだ。
これは良くない結果をもたらした。
銀行は高い罰金を取るなどの新しい手段でお金を得るようになったからだ。
無料が可能な市場を作ると人々は無料へと向かって雪崩をうつようになるので市場全体を破壊しかねない。
こういうケースはたくさんあると思うし私はアプリ市場もそうなるのではないかと心配している。
製品の大半が無料という市場でプログラミングの専門家になりたいと思う人がどれだけ現れるだろうか?とても魅力的には思えない。
質問かな?はい。
私はアプリ開発の仕事をしているんですが画面が大きな端末用のアプリほど高く売れる傾向があるように思います。
でも実は小さい画面用のアプリを開発するのと労力は変わりません。
これは「労力によって支払われるお金が変わる」という先ほどの話とどう関係するんでしょうか?人がアプリについて考えるのはそのアプリが自分の生活にどのくらい価値があるのかとかそのアプリにいくら支払えるかとかであって労力の話は関係ない。
でももしそこに「無料」といったとてつもなく大きなアンカーが現れるとそっちに流されてしまうんだ。
でも実際は儲かっているアプリの大半が無料アプリです。
その後小額の課金へと誘導しているからです。
つまり罠を仕掛けているという事だね。
人を誘導してある行動から抜け出せなくさせる方法はいくらでもある。
人は無料アプリを手に入れた時はお金を支払おうと思っていたわけではないだろう。
行動経済学の危険なところは私がそうした罠を仕掛ける方法なんかを君たちに教えてしまいかねない事だ。
だが君たちにはよりよい選択をしてもらいたいと思っている。
最後に君たちはいつもすばらしい拍手をしてくれるが今日はそれをよりよいものにしてほしい。
みんな立ち上がってくれないか?
(拍手)あぁ…ありがとう!
(拍手)2016/01/15(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
お金と感情と意思決定の白熱教室 楽しい行動経済学の世界5 お金の不思議な物語[二][字]
私たちはお金の使い方なら心得ていると思っている。しかしお金にまつわる失敗談は後をたたない。浪費を防ぐには一体どうすればいいのか?お金と人間心理の不思議な世界!
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番組内容
私たちはお金の使い方なら心得ていると思っている。しかしお金にまつわる失敗談は後をたたない。ついつい浪費してしまうのを防ぐには一体どうすればいいのか? 最大のヒントは「消費と支払いのタイミング」をうまく設定すること。例えばバーで最後にクレジット払いにすると出費の痛みは小さいが、一杯ごとに現金で支払えば、出て行くお金が見えて誘惑に打ち勝つ可能性が高くなる。お金と人間心理の不思議な世界を探究する!
出演者
【出演】デューク大学教授…ダン・アリエリー
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
英語
サンプリングレート : 48kHz
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