ファミリーヒストリー「竹中直人〜長崎五島・謎の絵師 闇に葬られた爆発事件〜」 2016.01.15


この俳優一度見たら忘れられない。
母ちゃん!秀吉は今日も元気健康です!大河ドラマの主役にも抜てき。
出演した作品は400本以上。
今や日本を代表する個性派俳優として確固たる地位を築いている。
竹中直人には今の自分の姿を一番見てもらいたい相手がいる。
直人が高校3年生の時に亡くなった母芳枝。
重度の結核だった。
一家が暮らしていたのは横浜。
しかし生前母はこんな事を口にしていた。
番組では直人に代わり家族の歴史を取材した。
長崎・五島列島で浮かび上がったものは先祖が残した屏風絵。
幕末を駆け抜けた絵師の生きざま。
ふざけるな!長崎を追われた一族は横浜へ。
昭和17年彼らを襲った…今回奇跡的に残されていた写真乾板を入手。
日本軍によって封印されてきた事故の詳細が明らかに。
そして直人の父である博美さん。
息子にこれまで語らなかった家族の歳月を独白。
取材の結果を伝える日直人さんは初めて自らのルーツと向き合う。

(汽笛)長崎県西部五島列島で最も大きい福江島です。
歴史資料館に眠る古文書の中に直人の先祖の名前を見つけました。
江戸時代五島福江藩に属する武士だった長谷川平三郎。
平三郎は直人の母方4代前の高祖父に当たります。
この平三郎ただの武士ではない事が分かりました。
主に中世からの島の歴史や著名人の記録をまとめたものです。
東鶴の通称は平三郎。
実は平三郎の本職は絵師だったのです。
これが幕末に撮影された東鶴の写真。
越前現在の福井県で生まれました。
絵師として京都で活躍していた際当時の五島福江藩主にその腕を見込まれたといいます。
嘉永元年12月1日東鶴は藩の召し抱え絵師として五島へやって来たのです。
現在の五島家当主35代目に当たる五島典昭さんです。
江戸時代から続く武家屋敷通りに今も東鶴の屋敷跡が残っています。
(取材者)あこの石垣…。
はい。
現在は駐車場になっている敷地。
面積はおよそ250坪。
これは五島列島独特の…古来敵の侵入をこぼれ落ちた石の音で知らせてきました。
武家屋敷には欠かせない石垣でした。
当時の五島福江藩では賓客への土産物や家臣への褒美として絵画が重宝されていました。
その重責を一手に引き受ける事となった召し抱え絵師の東鶴。
しかしその作品のほとんどは長い年月の中で行方が分からなくなっていました。
今回の取材で東鶴の実物の絵を所有している方が見つかりました。
五島市内に暮らす…江口家はもともと五島福江藩の士族でした。
藩主からの褒美の品として東鶴の屏風絵を先祖が受け取っていたのです。
(江口)こちら落款ですね。
長谷川東鶴。
(取材者)あっこちらに。
長谷川東鶴の落款です。
屏風絵は全部で6枚。
筆の腹を巧みに使い木の幹や花びらを絵の具の濃淡で表現する東鶴。
このダイナミックな手法を用いるのは京都の有力流派円山四条派で学んだ絵師に多いと専門家は言います。
その後東鶴は五島で家族を持ちました。
息子の名は清治。
明治に入り清治は当時では極めて珍しい代書人の道へ。
字が書けない島民のために公的書類の代書を引き受けたのです。
そして五島で生まれた10人の子供たち。
清治が最も期待を寄せていたのは明治15年生まれの長男正直。
後の直人の祖父です。
島民のために父の代書業を手伝うと家族の誰もが思っていました。
ところが…。
ふざけるな!二十歳を過ぎた正直は小さな島で働くよりも長崎市内へ出て貿易の仕事がしたいと言いだしたのです。
親子は決別。
正直は戻らない覚悟で五島を後にしました。
貿易商を志した正直に強烈な追い風が吹いたのは大正4年。
前年に勃発した第1次世界大戦による戦争特需いわゆる大戦景気が起こります。
戦乱のヨーロッパに代わり物資供給の中心に躍り出た日本。
港町長崎は石炭や生糸の輸出で空前のにぎわいとなったのです。
当時の風刺漫画には暗がりで靴を捜そうと百円札を燃やす成金の姿が描かれました。
この時正直33歳。
個人事業主として生糸の貿易に精を出していたといいます。
生前の正直を長崎で見かけた親戚がいます。
正直のめいに当たる長谷川美智子さん。
長年五島にある長谷川家の墓を守ってきました。
幼かった美智子さんには正直のスーツ姿がとてもまぶしく映ったといいます。
貿易商として時代の波に乗った正直が暮らした町は長崎市十人町117番地。
大浦天主堂をのぞむ高台に家を構え子供にも恵まれました。
大正9年には次女が誕生。
名前は芳枝。
直人の母です。
しかしその後家族に思わぬ荒波が待ち受けていました。
(取材者)いかがですか?戦争特需を足がかりに生糸の輸出で財を成した貿易商長谷川正直。
その後の一家の足取りが分かる貴重な資料が今回の取材で発見されました。
こんにちは!こんにちは。
幸子さんの母は正直の長女静。
その静が15歳の夏に書いた家族史が残っていたのです。
タイトルは「生い立ちの記」。
長崎での裕福な暮らしぶりかわいい妹芳枝が誕生した喜びなどがつづられています。
ところがその後事態が急変しています。
「生い立ちの記」によると正直が妻と3人の子供たちを連れ長崎に別れを告げたのは大正9年5月。
第1次世界大戦が終わり急速にヨーロッパの生産力が回復。
日本からの輸出は大打撃を受けていました。
株価は1/3にまで大暴落し銀行取り付け騒ぎは全国に拡大。
企業の倒産が相次ぎました。
生糸を扱う正直の資金繰りも限界に。
長崎で他に得られる仕事はありませんでした。
「船の生活は三日位続けられた。
母はただ黙って生まれてまだ三四ヶ月しかたたない妹の芳枝にお乳を飲ませていた」。
正直と家族は残り僅かな生活費を使い果たす前に横浜を目指したのです。
当時横浜は貿易額が全国最大の港。
「不況の中でも仕事があるかもしれない」。
かすかな望みをかけての事でした。
横浜での正直の様子を孫の幸子さんが覚えています。
(取材者)あっ男性なのに自ら…。
正直が横浜で始めた仕事は艦船行商。
外国船籍の入港に合わせ港で日本の土産物を売る仕事でした。
16歳に成長した長男の正敏も懸命に父を手伝いました。
当時正直たち家族が暮らした家の向かいに住んでいた…満里子さんの母親は行商で売る土産物の内職を手伝っていました。
かつての商品が今も大切に保管されています。
(取材者)あっこれですか?これは着物の上から羽織るシルクの肩掛け。
菊の刺しゅうの位置がおしゃれに見えるように考え抜かれていました。
長崎で家族に迷惑をかけた反省から正直は浮き沈みの激しい貿易の仕事には手を出しませんでした。
行商のかたわら時には船内の掃除やごみ捨てまで行い日銭を稼ぎました。
次女の芳枝後の直人の母はすくすくと成長。
町内の夏祭りでは率先して人前で踊る活発な女の子だったといいます。
しかし昭和4年家族に不幸が訪れます。
横浜で生まれた次男の正義が食中毒で死去。
まだ僅か2歳でした。
更に同じ年。
お兄ちゃんお兄ちゃん!正敏!父の仕事を支えてきた長男正敏も結核のため19歳で急死。
正敏を最も慕っていたのは芳枝でした。
関東大震災の時芳枝をおぶって逃げてくれた優しい兄。
早すぎる別れでした。
お兄ちゃん!それから13年。
22歳になった芳枝は横浜のデパートの呉服売り場に勤めていました。
父長谷川正直は60歳。
相変わらず艦船行商を続けていました。
いってきます。
いってらっしゃいませ。
時は…この日正直が向かった行商先は横浜新港ふ頭。
日独伊三国同盟を結んだあとの横浜港には給油や物資補給のためドイツの軍艦が停泊するようになっていました。
午前中の行商が終わり正直は午後に向けて商品を並び替えていました。
その時でした。
逃げろ〜!
(爆発音)突如横浜港から巨大な火柱があがりました。
周囲2キロには鉄やガラス片が飛び散り快晴だった横浜の空を瞬く間に黒く染めたのです。
あの時一体何が起こっていたのか?横浜税関に当日の港の様子を克明に記録したガラス乾板が残っている事が分かりました。
テレビ初公開です。
(取材者)あっこれなんですか。
はい。
中開けます。
税関の専属カメラマンが慌てて切ったシャッター。
その数およそ60枚。
写っていたのは焼け焦げた軍艦。
倒壊した倉庫。
突き刺さった巨大な船の破片。
新港ふ頭に停泊していた日本とドイツの軍艦など4隻が次々に大爆発を起こしていたのです。
税関の入港審査係としてこの時偶然海上にいた…爆発の瞬間を目撃していました。
死者および行方不明者は102名。
ところが日本とドイツの軍部は情報統制を行い事故の詳細は一切公表しませんでした。
時代は昭和17年太平洋戦争のさなか。
国民の戦意低下を避けるためでした。
長年事故の取材にあたってきた神奈川新聞社の石川美邦さんです。
事故の原因はドイツ兵の不注意にあったと考えています。
この時正直が行商へ出かけていた場所は新港ふ頭8号岸壁。
行方不明となった正直が病院へ搬送されていた事を家族が知ったのはその日の夜でした。
お父さん!お父さんねえ分かる?職場から慌てて駆けつけた芳枝。
お父さん!お父さんしっかりして…。
全身に大やけどを負った父。
薄れゆく意識の中正直は言葉を振り絞ったといいます。
これが正直の最後の言葉になりました。
商売の失敗から家族で長崎を出て20年。
芳枝は横浜で最愛の弟頼りにしていた兄そして大黒柱の父親を失っていたのです。
岩木山を望む…直人の父方竹中家のルーツはこの地で見つかりました。
(取材者)こちらですか?はい。
武士から足軽に至る家臣たちの履歴が記載された「由緒書」。
竹中彌十郎。
直人の4代前高祖父に当たる人物です。
江戸時代は弘前藩の奉公人として城の掃除係などを務めていました。
更に明治維新後は並卒という足軽身分に出世しました。
そして廃藩置県。
彌十郎の次男信金は青森の木造村へ移住します。
「帰田法」という政策がとられたためです。
以来木造で農業を営んできた竹中家。
大正に入り直人の祖父に当たる次男泰造が仕事を求めて横浜へ。
造船所に働き口を見つけ家族を持ちました。
ここですね。
そしてその横浜で生まれたのが…大学を卒業後横浜市の区役所一筋に勤めてきました。
昭和28年当時竹中博美は市民税係でした。
この日区役所の廊下で偶然擦れ違った一人の女性職員に心奪われます。
それが長谷川芳枝でした。
父親が爆発事故で亡くなったあと芳枝はデパートの呉服売り場を退社し横浜市の区役所に勤めていたのです。
博美の猛烈アタック。
それは芳枝へのラブレター作戦でした。
あふれる思いを便箋にしたため続けました。
芳枝と同居していた柏木幸子さんは当時の様子を鮮明に覚えています。
当初は戸惑いながらも博美の誠実な人柄に次第にひかれていく芳枝。
これは小田原の海でデートをした時博美が撮った写真です。
昭和29年2人は結婚。
横浜に新居を構え1年半後待望の長男が誕生しました。
名前は直人。
肉親の死を何度も目の当たりにしてきた芳枝。
直人にこの悲しい思いだけはさせまいと誓いました。
芳枝は結婚後も仕事は辞めませんでした。
区役所勤めで共働きの分週末は親子3人で過ごす事にこだわりました。
伊勢佐木町をブラブラするって事ですか?そうです。
直人は幼い頃から内気で人見知りの激しい子供でした。
そんな直人を優しく見守ってくれたのも母芳枝でした。
極度の人見知りを克服しようと直人自身が考え家で連日特訓していたのが学校の先生のものまね。
他人になりきり笑いをとれば自然と友達の輪の中へ入っていく事ができたのです。
眼鏡をこうやって押さえながら僕たちの机に近づいてきて「どうですか?地図帳の24ページ見てくれましょ」。
…とかいうそれ。
「ましょ」っていうのをね授業中何回言うかというのがねほんとに楽しみだった。
そんなの覚えてました。
…という先生とかね。
あと生物の先生とか「ミトコンドリアミトコンドリア。
いいのいいのアンダーラインアンドーラインミトコンドリア」。
いつもこう背中に手を当てて教科書持ってね腰を振りながら「いいのいいのいいのアンダーラインアンダー…アンダーラインアンダーライン」。
面白くて面白くて…。
芳枝はものまねに熱中する直人を決して止めませんでした。
周囲が息子を色眼鏡で見ても意に介さず直人に社交性が出てきた事を大いに喜んでいたといいます。
母の愛情に守られながら直人は友達も増え徐々に積極的な男の子に成長していきました。
そして…。
親子3人笑顔の絶えない竹中家。
そんなある日博美さんが妻の異変に気が付きます。
重度の結核。
幼少期に亡くなった芳枝の兄と同じ病でした。
昭和46年芳枝は横浜の隔離病棟に緊急入院。
高校に進学したばかりの直人は父と2人暮らしを続けます。
芳枝が医師の許可を得て一時帰宅したのは2年8か月後の事。
しかし布団から起き上がれない状態が続き直人にはなすすべがありませんでした。
・「僕は呼びかけはしない」それでも芳枝は体調がいい時には「レコードをかけてほしい」と直人にせがみました。
小椋桂が大のお気に入りでした。
この日は直人の高校の卒業式前日。
母の様子がいつもと違っていたといいます。
何度も自分の枕元に直人を呼びこれからの事を細かく話す芳枝。
そして突然切り出しました。
翌日芳枝は直人の高校卒業を見届けるかのように息を引き取りました。
54歳でした。
博美さんが今も大切にしている一枚の写真があります。
死期を悟った芳枝は隔離された病棟にとどまる事を拒み自宅を選んだのです。
「自分の好きな事をどんどんやりなさい。
そしてちゃんと生きてほしい」。
最愛の息子と直接向き合い「母の思い」を伝えるためでした。
鼻水が出ちゃった。
ごめんなさい。
あ〜あ〜…失礼。
失礼失礼。
ごめんなさい。
いや…。
1本の8ミリフィルムがあります。
母の死後多摩美術大学へ進学した直人が作った自主映画です。
役者になりたいと心に決めた直人。
自分の得意なもので世間にアピールしようとブルース・リーをまねていました。
転機が訪れたのは20代半ば。
劇団の研究生をしていた直人が出演したテレビのお笑い番組がきっかけでした。
ニヒルな松田優作。
「笑いながら怒る男」。
ふざけんじゃね〜この野郎!ちゃんとやれこのバカ野郎!「下唇を突き出した松本清張」などアクの強いものまねが注目を集めます。
役者としても徐々に個性的な役がついてきた直人。
そして…。
映画「Shallweダンス?」で大ブレーク。
ダンスの世界チャンピオンドニー・バーンズに憧れるサラリーマンを熱演しました。
ハゲオヤジの気持ちなんか分かるわけないでしょ!分かったよ!かぶんなきゃいいんだろこんなもん!ドニー・バーンズをまねるというこの役は直人にしかできないと考えていました。
全てを受け止めてくれる母という存在。
失った寂しさを直人はものまねを武器にはね返してきました。
母芳枝の言葉を胸に直人は歩み続けています。
この番組の収録が終わって今日の舞台を乗り越えたあとに俺絶対ゆっくり一人でお酒飲みに行きたいと思っちゃいました。
2016/01/15(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「竹中直人〜長崎五島・謎の絵師 闇に葬られた爆発事件〜」[字]

竹中さんは高校生の時、母を亡くす。母の実家のことなど分からなかった。今回、先祖が長崎五島福江藩の絵師だったことや、祖父が巻き込まれた戦時中の爆発事故を知る。

詳細情報
番組内容
竹中直人さんは高校3年の時に母を亡くす。母の生い立ち、実家のことが分からなかった。今回、取材で新たな事実が次々に判明。4代前の高祖父は長崎五島福江藩の絵師であり、見事なびょうぶ絵も見つかる。その後一家は長崎から横浜へ。祖父が就いたのは「艦船行商」。軍艦などの乗組員に土産物を売っていた。それが昭和17年、ある事故に巻き込まれる。それは軍がひた隠しにした謎多き事件。テレビ初公開の当時の写真に、真実が。
出演者
【出演】竹中直人,【語り】余貴美子,大江戸よし々

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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