(眞鍋)マジカル・ヒストリー倶楽部にようこそ!さあ今回文太君に与えたミッションは「アジアの独立」という事なんですが。
(永松)はい。
前にインドではムガル帝国とイギリス植民地支配の歴史を見てきたよね。
はい。
今回はどんな歴史なのかな。
はい。
まず今回は東南アジアとインドが舞台です。
まずはこちらをご覧下さい。
これは19世紀のインドと東南アジアの状況です。
インドはイギリスベトナムはフランスそしてインドネシアはオランダなどの植民地だったんです。
う〜ん。
アジアは植民地だった所が本当に多いよね。
はい。
今日はインドを中心にアジア独立の歴史をたどっていこうという旅です。
なるほど。
それではマジカル・ヒストリー・ツアー。
まずは今回の見どころです。
いざ3つのビューポイント!今回のマジカル・ヒストリー・ツアーはアジア独立の歴史をたどる旅。
訪れるのはインドと東南アジア。
時代は…この時代南アジアと東南アジアではヨーロッパ諸国の植民地支配から脱しようとする独立運動が展開されていました。
その中でインドでも独立運動が盛り上がります。
まずはイギリス植民地支配の下独立運動を担ったインド人エリートが生まれた背景と運動の展開を探ります。
1947年インドはついに独立を果たします。
しかしその独立は人々が思うものとは必ずしも一致しませんでした。
一体それはどういう事だったのでしょうか。
マジカル・ヒストリー・ツアー。
アジア独立の歴史をたどる旅へさあ出かけましょう!今回はインドを中心に見ていくという事でまずある人物を紹介しましょう。
うん。
こちらはインド独立の父といわれたガンディーの写真です。
なるほど。
ガンディーか。
これ右の写真はよく見るけど左は若い頃?何かちょっとフォーマルな洋服着ててイメージが違うね。
そうなんです。
実はガンディーはインドの地方勢力だった大臣の家に生まれインド帝国時代イギリスに留学して法律を学びました。
へぇ〜。
そして…じゃあすごくインテリだったんだ。
そういう事なんです。
イギリス植民地体制の下ガンディーのようないわゆるエリート層が生まれました。
それではファースト・ビューポイント!いざテイクオフ!テイクオフ!マジカル・ヒストリー・ツアー。
まず初めはインドの首都……に定められました。
今では人口1,000万以上の大都市となっています。
このデリーにインド帝国統治機関の中心である総督府が置かれていました。
現在は大統領官邸として使われています。
イギリスはどのようにしてインドを支配したのでしょうか。
それを探るために…。
マジカル・ジャンプ!イギリス領インド帝国時代インドを統治するために設置されたのが総督府です。
その行政システムは…そのため統治を補佐するインド人の人材を育成する必要が強くなります。
そこで英語で教育する大学などの高等教育機関が作られ役人となる人材を育てていきました。
こうして…1885年これらのエリート層が中心となってインド国民会議が設立されました。
彼らはやがて政治組織・国民会議派としてインド独立運動の母体になっていきます。
これに対しイギリスはヒンドゥー教とイスラームの宗教対立をあおる事で独立運動を分断しようとします。
例えば運動の中心地ベンガルをヒンドゥー教徒多数派とムスリム多数派の地域に分割する事を画策しました。
また国民会議とは別にムスリムの政治組織全インド・ムスリム連盟を結成させます。
イギリスはこのような分断政策によってインドの独立運動を阻止しようとしたのです。
インドで英語を話せる方っていうのはすごく多いけどまあその始まりはイギリスの支配を補佐する人材を育てるっていう事が目的だったんだ。
そうなんです。
でその人たちがエリート層になっていく訳だね。
はい。
そのエリート層で結成された…更に…ふ〜ん。
そんな中ガンディーが登場します。
おっいよいよガンディーの登場?はい。
国民会議の指導者になったガンディーはさまざまな方法で民衆を引き込んでいきます。
更にガンディーの行動はインドの人々に民族としての自覚をもたらしました。
それでは今度はその時代に直接行ってみましょう。
(2人)マジカル・ジャンプ!1914年第一次世界大戦が勃発。
イギリスの参戦によってインドも戦争に巻き込まれインド兵も戦地に送られます。
イギリスは終戦時に自治を与えるとインドに約束して戦争に協力させたのです。
しかし戦後与えられたのは地方行政の一部だけ。
自治とは程遠いものでした。
第一次世界大戦が終わってから世界的に民族による独立運動が高まりそれはインドにも大きな影響を及ぼします。
この独立運動を弾圧するためにイギリス植民地政府は…これによってインド人を逮捕状なしで逮捕し裁判なしで投獄できるようになります。
こうした時期に帰国し新しい指導者となったのが…ガンディーは非暴力でありながらも決してイギリスに服従しない不服従という理念を掲げ運動を一般大衆にも広げていきます。
このような運動は一度は挫折しますがガンディーは意外なものを持ち出します。
それは塩でした。
1930年ガンディーは塩の行進を行います。
当時生活必需品である塩の製造・販売はイギリスが独占し高い税金をかけていました。
ガンディーはこれに反対しインド西部の都市から海岸までおよそ380キロの道のりを歩きかつて自由に行われていた海水から塩を作るという行動に出たのです。
ガンディーが塩に注目したのには理由がありました。
塩には宗教的な色がなくどんな人々でも食生活には欠かせないものであるという事でした。
このガンディーの運動によって…インドってその運動が起こる前はインド人としての民族の意識っていうのは薄かったのかな?ちょっとそこのところを歴史アドバイザーの水島先生に聞いてみましょう。
水島先生よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい。
ガンディーはいろんな方法を使って民衆を民族運動の中に引き込む…って事に少しずつ成功していく訳ですがエリートを今度は民衆の方に一体化させる…という事が必要になった訳ですね。
でまあそういう時にガンディーの後を継いだネルーさんですね。
彼はですねずっとイギリスで生活してて大変な大金持ちの息子だったんですね。
弁護士もやってましたし。
ところがガンディーの教えとガンディーの運動に自分も身を投じる事によってですね「ああ自分はインド人なんだ」…という事で実は有名な本を書きますね。
「自分はインド人なんだ」「自分たちはインド人だ」…っていう事をですね彼は自分の生き方みたいなものを大きく変えてインド人として生きてこうという事で民族運動に入ってく。
じゃあそうやってやっぱりインドの中が一つにまとまった訳ですか?う〜ん。
これはもっと実は大きな問題がありました。
民衆とエリートだけではなくてですね実はもう一つ…特に民族運動をやっていこうとしますとヒンドゥーが数的には非常に多い。
だからムスリムは少数派なんですね。
でそういう中で民族運動していくと…。
そうか。
そこが一つになるのは大変ですね。
ムスリムってのは自分たちは少数派だからなかなか指導権を握られないんじゃないか…という事ですね。
初期にはですねこれはガンディーとムスリム連盟の指導者だったジンナーがまあ仲良くしてる。
ところが両方が協力し合って運動をしようという時期はそんなに長くは続かなかったんですね。
そこでまた大きな戦争が起こるんですよね。
そうですね。
それではその時代にジャンプしてみましょうか。
では…。
(2人)マジカル・ジャンプ!1939年第二次世界大戦が始まります。
イギリスはこの時もインドに戦争協力を要請しました。
しかしインド国民会議派はこれを拒否。
非暴力の抵抗運動を始めます。
「イギリスはインドから出て行け」と唱えたのです。
一方全インド・ムスリム連盟は少数派である自分たちの権利を守ろうとする行動に出ました。
1940年にパキスタン宣言を発表しインドとは別の国としての独立を訴えます。
第二次世界大戦が終わるとインドでは独立への動きが更に強くなっていきます。
1947年ついにイギリスは権力をインドに譲り渡す事を決定します。
しかしインド国民会議派と全インド・ムスリム連盟との溝は埋まりませんでした。
そのためヒンドゥー教徒が多いインドとムスリムが多数派のパキスタンとに分かれて独立する事になります。
パキスタンは東西に離れた領土を持つ国になりました。
独立の翌年ガンディーはヒンドゥー過激派の青年によって暗殺されました。
その後1971年にはパキスタンでの東西対立が深まり東パキスタンはバングラデシュとして独立する事になります。
ガンディーの願った一つのインドは結局かなう事はなく3国に分かれる結果となったのです。
う〜ん。
ガンディーの功績は大きかったけどインドを一つにっていう願いはかなわなかったんだね。
はい。
でもバングラデシュとかパキスタンとかその国の成り立ちはそういう流れがあったんだ。
そうなんです。
そっか。
じゃあ今起こっている国際問題は歴史の流れの中で出来た根深いものがあるんだね。
そうですね。
う〜ん。
第二次世界大戦の後インド以外のアジア諸国も独立の動きを強めました。
インドネシアはオランダと戦い独立を果たします。
ベトナムはフランスと第一次インドシナ戦争の後独立しますが戦後国が南北2つに分裂してしまいます。
北にはソ連や中国などの社会主義陣営に支援された国が南にはアメリカなどの資本主義陣営に支援された国が成立したのです。
民族や宗教の違いだけでなく…ここからは歴史の深いお話水島先生に再度伺っていきます。
(2人)よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日はこうやって独立を遂げた国々特にアジアアフリカの国々ですねそれがその後どういうような運動をしていったか…という話をしたいと思います。
第二次大戦後というのは一方で…その結果実は対立するそのはざまの所でいろんな紛争戦争が起きてます。
例えば日本のすぐ近くですと朝鮮戦争といわれる戦争が起きますしそれから当時インドシナまあ現在のベトナムの周辺地域ですねそこでも戦争が起きると。
せっかくこう一生懸命独立したのにやっぱりこういう戦争状況をなんとかしたい…と思う人たちが実は集まって平和のための会議をしよう…という事になります。
(永松眞鍋)ほう。
はい。
それが実はここにありますアジア・アフリカ会議。
開かれた場所がインドネシアのバンドンに集まったんです。
その参加した29か国の国々の地域と国旗をこのように示してます。
これだけたくさんの国が集まってどういう事が話し合われたんですか?それはまずソ連を中心とした陣営とアメリカを中心とした陣営のどちらにもくみしないこれを第三勢力というんですね。
あるいは同盟しないって事で非同盟主義とも呼びますけれどもそういう形で平和を導こう…という事で集まった結果がですね平和十原則と呼ばれる宣言を出しました。
でどういう内容かといいますと人類はとにかく平等なんだという事を前提としてたとえ国の大きさが小さかろうが大きかろうがやはり平等を導きたいと。
それからたとえ紛争があってもですねなんとか平和的な手段で解決しようと。
まあそういうような内容になってますね。
これが出来た事で平和になったんですか?それがまだなかなか難しいんですね。
実はここの中心であった中国とインドがですね1962年に国境で武力衝突を起こしてしまう訳ですね。
まあそういう事で内部が統一が取れなかった…っていう事がありましてまあなかなかうまくいきません。
ちょっと残念ですね。
せっかく会議したのに。
そうですよね。
それでじゃあ平和への希望がアジアやアフリカ中心となって希望を実現する事ができなくなったかというとやはり平和への希望というのはどこの国でもあります。
でまあ特に先ほどの中国とインドとの国境紛争の話をしましたが近年では中国の品物がですね大量にインドに入ってく。
あるいはその逆もありうるという事で貿易関係が非常に大きくなってく。
で両方で仲良くやってこうという動きがそういう経済関係を通じててもですねうまく実現してけばいいな…というふうに私は思ってますけども。
先生本当に今日はどうも…。
(2人)ありがとうございました。
さあ文太君今回はインドの歴史を見てきたんだけど何かすごく今につながる国際情勢みたいなものが見えたね。
そうですね。
それとガンディーのすごさを改めて実感しました。
そうだね。
はい。
第二次世界大戦後国力が衰えたイギリスはインドの独立を承認。
2016/01/15(金) 14:20〜14:40
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 世界史「アジアの独立」[字]
歴史を知ると、旅はもっと楽しくなる! 世界各地の遺跡や観光地に隠された歴史の秘密を解き明かすマジカル・ヒストリー・ツアーに、みなさんも出かけましょう。
詳細情報
番組内容
今回のツアーで訪ねるのは19世紀末から20世紀のインドを中心とするアジア。長い間英国の植民地だったインドではエリート層を中心に独立運動が始められ、徐々に一般民衆にまで広がった。英国はどのようにしてこの運動を阻止しようとしたのだろうか? そして独立運動を主導したガンディーはどのようにしてそれを乗り越えようとしたのだろうか? インドの首都デリーなどを訪ねてひも解いていく。【出演】眞鍋かをり、永松文太
出演者
【講師】東京大学教授…水島司,【司会】眞鍋かをり,永松文太,【語り】山田みほ
ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
バラエティ – その他
趣味/教育 – 大学生・受験
映像 : 480i(525i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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