NHK高校講座 日本史「大正デモクラシー」 2016.01.15


歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
日本史研究の殿堂高橋歴史女学館へようこそ。
今回は「大正デモクラシー」。
デモクラシーとは民主主義の事です。
大正時代にはこのデモクラシーを求める声が人々の間に広がっていきました。
みんな前回の日露戦争については覚えてるかな?はい。
「臥薪嘗胆」をスローガンにしてロシアと戦ったんだよね。
うん。
でも戦争に勝っても賠償金が得られなくて国民が怒ってたよね。
そうそう。
あと焼き打ち事件があった。
こみ暴力は嫌いです。
そうだったよね。
国民の生活を後回しにしていた政府に対して民衆は不満の声を上げ始めました。
そこに吹いたのがデモクラシーの風だったんです。
ここで今回の重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…日露戦争に勝利した日本は国民の間に一等国の意識が生まれます。
しかし政治は元老率いる藩閥に握られ国民の意見が反映されてはいませんでした。
一等国にふさわしい政治を求めた国民はデモクラシーを唱えさまざまな運動が湧き起こります。
大衆のパワーはやがて時の政権を倒すまでに成長を果たすのです。
今回押さえるべき「三つの要」は…大衆のパワーはどのように成長していったのでしょうか。
欧米列強に肩を並べるために国民はさまざまな犠牲を強いられてきていたんだからロシアに勝ったとなれば「次は自分たちの生活をなんとかしてくれ!」こうなる訳ですよね。
館長。
それがデモクラシーにどうつながっていくんですか?これは以前学んだ当時の国家機構を表した図です。
自由民権運動などによって国民の声を政治に反映させるこの議会。
これが開設されました。
しかし今回注目するのはこちら内閣です。
内閣は発足当時から明治維新で活躍した薩摩・長州出身の官僚や軍人たちに独占され政治の実権が握られていたんですね。
そこで「もっと民主的な政治を」という声が高まっていく訳です。
(3人)ああ〜。
それでは今日も「三つの要」に沿って推理していこう。
その一。
元号は大正に変わります。
その直後に成立した内閣の総理大臣は長州藩出身の…桂の背後にいたのが…元老とは政治の第一線から退いたあとも影響力を持った薩摩・長州出身の実力者たちです。
山県は貴族院官僚軍部などから成る藩閥を形成していました。
天皇の名の下に同じ藩閥の人物を首相に就かせその首相も自分の子分たちを閣僚に指名しました。
藩閥で政治を独占していたのです。
これでは議会を重視するとした憲法にのっとった政治が行われているとはいえませんでした。
こうした藩閥勢力に対抗できる唯一の勢力として期待されたのが政党です。
中でも最大の勢力を持っていたのが…時の幹部尾崎行雄は国民党の犬養毅と共に憲法を守った政治を行うべきだとして「憲政擁護」「閥族打破」のスローガンを掲げ第一次護憲運動を始めます。
これによって藩閥ではなく政党が政治を主導する政党政治の実現を目指しました。
運動は庶民の関心を呼び集会は押しかけた群衆で満員になりました。
護憲運動に対し桂内閣は元老山県有朋と共に天皇の権限を最大限に利用します。
大日本帝国憲法では天皇が議会の召集や停会・解散の権限を持っていました。
桂は反対勢力をかわすため天皇の命令詔勅を使い何度も議会を停会させたのです。
尾崎行雄は桂内閣に対し「彼らは」……と激しく糾弾しました。
「天皇を利用して政治を私物化している」と訴えたのです。
尾崎らによって桂内閣に対する不信任決議案が提出されます。
しかし桂はまたも詔勅による議会の停会で対応します。
これに対し数万の群集が衆議院を取り囲み警官と衝突しました。
騒動は全国に広がり桂内閣は退陣に追い込まれたのです。
しかし次の政権は薩摩出身の海軍大将山本権兵衛が担い藩閥政治は継続しました。
大衆が大きな力を持った事が分かりました。
でも護憲運動がよく分かりません。
でも政党政治も難しいよね。
ですよね。
これは我が女学館の特別講師季武先生にお聞きしましょうか。
季武先生お願いします!はい。
こんにちは。
よろしくお願いします。
(生徒たち)よろしくお願いします。
我が校の特別講師季武先生です。
先生。
政党政治や護憲運動について教えて下さい。
はい。
まず政党政治について説明しましょう。
これは現代の日本の政治の仕組みです。
主権者つまり一番偉いのは国民です。
そしてその国民が選挙で選んだのが国会議員でそしてその国会議員が日本の国を統治します。
そしてその国会議員の中から内閣総理大臣が選ばれます。
その場合…そうしますと…これが政党政治です。
しかし当時は薩摩・長州の出身者や元老による藩閥政治が行われていた。
こういう訳ですよね?はい。
大正時代の憲法は大日本帝国憲法でした。
そこでこちらをご覧下さい。
大日本帝国憲法では主権は天皇にありました。
そして全ての人事は天皇が握っていました。
ですから総理大臣を誰を選ぼうがそれは天皇の勝手だったんです。
我々でも?
(3人)え〜!
(季武)でもさすがにそれはまずい。
まあそれはそうですよね。
もちろんそうですが。
そこで…
(季武)ではその元老に誰がなるかといいますと具体的には薩摩・長州出身者の政治家でした。
彼らも自分たちの影響力をなんとか残したいと思いまして自分の子分たちを総理大臣に推薦した訳です。
だから藩閥政治が行われていたという訳ですか。
はい。
護憲運動っていうのは?まず護憲といいますのは憲法政治を護るという意味なんです。
憲法はといいますと当時では…そうしますと一番チェックするのはどこかといいますと議会でした。
ですので憲法政治といいますと議会を重視すべきあるいは議会が政治の中心になるべき政治というこういう考え方だったんですね。
つまりここがちゃんとやりなさいよという事ですよね?それなのに元老や側近が天皇を利用して勝手に総理大臣を決めていた。
これ国民みんな怒りますよね。
そうですね。
だから護憲運動が起きたんですね。
はい。
よく分かりました。
先生ありがとうございました。
(3人)ありがとうございました。
さあ政党政治の実現に向け大衆が力をつけていた頃世界では大きな出来事が起こります。
ここで「三つの要」その二。
1914年オーストリアとセルビアの戦争をきっかけにイギリスフランスドイツロシアなどが次々に参戦。
第一次世界大戦が始まります。
日本も日英同盟に基づいて参戦し中国に軍隊を送りました。
戦争は長期化し主な戦場となったヨーロッパの各国は短期間で物資を使い果たしたため勝敗はそれぞれの国の生産力に左右される事になります。
国の全ての資源や労働力を戦争につぎ込む総力戦体制が敷かれ女性も労働に駆り出されるようになりました。
このため…イギリスの…ロシア革命によるソヴィエト連邦誕生などがありました。
これらが日本にも大きな影響を及ぼします。
そうした運動に大きな役割を果たしたのが東京大学教授吉野作造の唱える民本主義の理論です。
吉野は……と唱えます。
いくつもの雑誌が発刊され民本主義の思想が展開されます。
これが大正デモクラシーの潮流を生んだのです。
吉野はまた……だと主張しました。
当時の選挙は25歳以上の男性で10円以上の直接国税納税者に限られた制限選挙でした。
吉野作造の民本主義を後押しに普通選挙を求める運動は全国に広がっていきました。
大正時代には人々が団結してさまざまな社会運動を始めたんですね。
ところで館長。
政党政治のほかに普通選挙を求める運動も出てきたんですね。
そうでしたね。
政党政治と普通選挙。
実現するんでしょうか。
ここで「三つの要」その三。
このころ日本はロシア革命の影響を恐れてアメリカイギリスなどと共にシベリアに軍隊を送りました。
シベリア出兵です。
このため軍隊への補給で米がなくなるのではと考えた人々が米を大量に買ったため米価は急上昇しました。
富山では米の値上がりから生活に困った主婦たち700人近くが米商人を相手に抗議を行います。
この騒動はメディアによって全国に飛び火しました。
都市部では賃金の値上げや家賃の値下げなどに形を変えた暴動に発展します。
時の首相は…長州出身で元老山県有朋の推薦による閥族内閣でした。
米騒動に対し寺内は全国に延べ10万人の軍隊を派遣し鎮圧に当たります。
軍隊は国民に向けて発砲。
10人以上の死者を出し逮捕者は全国で2万5,000人以上に上りました。
人々の怒りは政府そのものに向けられるようになり米騒動の規模は全国で70万人以上に拡大しました。
政府内からも寺内首相の退陣を求める声が上がり内閣は総辞職。
寺内は退陣します。
次の首相は誰か?日本中が見守る中米騒動に衝撃を受けた元老らは立憲政友会総裁で衆議院議員の原敬を推薦します。
それまで藩閥や軍人などで占められていた日本の首相の座に初めて平民の政治家が就く事になったのです。
国民は原首相を平民宰相と呼び期待を寄せました。
原は…これによって初めての本格的な政党内閣が成立しました。
原内閣は民意を政治に反映するための政策を矢継ぎ早に実行します。
米騒動の収拾のため米を緊急に輸入するなど米価対策に当たりました。
更に産業の奨励や高等教育機関の拡充などを行います。
また…地方を含めた交通網の整備を進めました。
しかしその一方で原は普通選挙については時期尚早として反対の態度を取りました。
ついに政党内閣が実現しましたね。
でも普通選挙は実現しなくて残念です。
うん。
でも一般大衆の声が政治を動かすなんてすごいと思います。
明治が数々の志士あるいは英雄たちによって作られた時代だとしたら大正というのは一般大衆が力を持ち政治に大きな影響を与え始めた時代だといえるのかもしれませんね。
普通選挙の実現につきましてはまた別の回で学びましょうか。
(3人)はい。
はい。
再び季武先生の登場です。
(一同)よろしくお願いします。
ここでは大正時代の大衆文化についてご紹介しようと思います。
皆さんは日本の流行歌の第1号の曲ってご存じですか?
(2人)う〜ん…。
え?何だろう。
「カチューシャの唄」という歌なんです。
カチューシャ?AKBにもあるよね。
アハハハ。
違います?
(季武)ええ違います。
ちょっと聴いてみましょうか。
・「カチューシャかわいやわかれのつらさ」
(季武)これは1914年に帝国劇場で上演されていたトルストイの「復活」という劇の中で主人公の松井須磨子さんが歌った曲なんです。
カチューシャみんなつけてますね今日は。
(3人)そうなんです。
気付きましたか?
(季武)そもそもカチューシャといいますのはこの劇の主人公の女性の名前なんです。
(3人)へえ〜。
その主役の松井須磨子さんが頭にカチューシャをつけていてそこから広まったという事だそうです。
まあこの曲に真っ先に反応したのは大学生や高校生たちでした。
(3人)へえ〜。
(季武)それが非常に評判がよかったんでレコーディング化されましてそれがまだ当時では蓄音機はあんまり少なかったんですけれども相当の枚数を売り上げたといわれています。
こうしまして一般の人々にもこの曲は広く広まりました。
このように…へえ〜。
(一同)ありがとうございました。
でもヒット曲の第1号が大正時代にあったなんてびっくりです。
ねっ。
カチューシャも。
100年前のはやり今皆さんしてるんだもんね。
そうです。
すごいですね考えてみたら。
2016/01/15(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「大正デモクラシー」[字]

日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)

詳細情報
番組内容
がしんしょうたんを合言葉に日露戦争を戦った国民の間では、戦争に勝利すると民主的な改革を求める運動が盛んになった。これが「大正デモクラシー」である。その矛先は時の内閣に向けられた。選挙によって議会には国民の声が反映されるようになっていたが、内閣は明治維新の功労者に牛耳られる状態が続いていたからだ。初の本格的な政党内閣である原内閣成立までの大正デモクラシーの展開を見ていく。
出演者
【司会】高橋英樹,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【講師】創価大学教授…季武嘉也,【語り】杉村理加

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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サンプリングレート : 48kHz

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