
昨日はさすがに疲れましたね、しかし家内と二人で友達などと会うのは良いものですね。
「大和市の治外法権の1」のブログは思った以上の方々が読んで頂いた様ですね。
しかしこんな面白いブログを挙げると又、僻む奴が出て来て炎上させ様とするので心配ですね。
タイトルが日記となっている様に私の古~い日記だと思って読んで下さいね。
Vintage Autoは朝8時から夜の8時と言う事になっていましたが実際には真夜中か午前様になる事も度々ありましたね(笑)。
仕事が終わってもまだやっているバイク屋と言う事で東京からもやって来る連中がいました。
下鶴間の愛の住かであるアメリカンハウスは連中に知られないようにしていましたが少しでも店を閉めるのが遅れると真夜中に「おーい信ちゃんコーヒーを飲ませてよ」何て表のシャッターを叩くのですよね。
こいつらは人様と違う時間帯で生きてるジャーナリストやイラストレーター、映画俳優などだから大変なのですよね・・・・・二階で灯りも消してひたすら息を殺して寝たふりをしても駄目なのですよね(汗)。
おまわりまでが彼等の味方をして起こすのですよね。
それからはもう麻雀やドボン大会です。
皆さんの良く知っている有名な人達ですよ、それに外人も交えてだからうるさい事うるさい事・・・・。
さてあの当時はアメリカも徴兵制が廃止され、兵隊になるのは田舎の貧乏なお兄ちゃん達なのですよね、だから金が無くてピーピーしていたのですよね。
この窮地を救う為に司令官と話し合ったのが基地の中で私が質屋をやると言った事でした。
毎週木曜日の夜にヴェリックスの一室で兵隊が金の為に持ち込んで来るものを買い取ってやると言うシステムでした。
バックのナイフ、やスリーピングバッグ(これは羽毛100% でバイクで野宿する連中には大受けでしたね) 1976年はアメリカ建国200周年で全員に礼服が支給されたのですがこれを売りに来る奴もいたのです(驚き)。
これは支給品だから売る事は出来ないだろうと言うと次に着るのは300周年の時だから要らないんだと奴等なりの解釈をしていましたね、これは当時のグループサウンドの連中が買って行って丈を直してステージで着ていましたよ。
さすがに家族から送ってもらった物などは話を聞いたら買い取る事は出来ずにそれに見合うお金を貸していました、勿論司令官のサインの入った借用書にサインをさせて・・・・・・。
この質屋は大受けで司令官も喜んでいました、そして遂に基地出入りの業者としての登録をしてくれて払い下げの品物を買い取る事が出来る様になりました。
毎月送って来る払い下げ品のリストを見るのも楽しみでしたね。
中には生ゴミ何て言うのも有りましたし食器1000枚、灰皿500個・・・・・。
大物では沖縄に置いてある巡洋艦一隻とか戦車一台、飛行機は勿論コレクタブルなケネディジープ何て言うのも有りましたね。
石原プロに貸して返って来なかったジープもこのうちの一台でしたよ。
では続きは又、明日。
ブログ一覧 |
日記 | 日記
Posted at 2015/08/27 10:23:43