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芸大アカデミズム(げいだい- )とは、
東京藝術大学(芸大)の音楽学部の卒業者の演奏及び作品の傾向に対して貼られる、
レッテル(
偏見)のひとつである。従って、特定の作曲家に対して「この人が芸大アカデミズム」と安易に判断するのはあまり好ましいものではないが、その拠り所のおおきな一つの理論書となっているのが俗に言うフランス和声の色彩の濃い「
芸大和声全3巻」である。
作曲
作曲に関して言えば、
第三世代出現以前には確かに芸大アカデミズムと呼ばれるようなものが、存在していた。
トータル・セリエリスムを通過していないので音程の跳躍に制限があり、オーケストレーションは常に中音域をマスクし、反復語法への依存が高かった。主題からの展開が必要不可欠であり、
音響作曲法の存在すら教えられることはなかった。同一の密度が全曲に渡って保たれるのも大きな特徴で、これは1970年代生まれの若手まで続いている。
「この書き方でないと、卒業できなかった」という証言も多く寄せられており、学習過程でこの演習を経る事が作曲科の学生の課題であった。しかし、問題なのは卒業後も同じ作風と属性を保って弟子に継承していたことなのである。
池内友次郎はフランスから帰国したにもかかわらず、なぜこのように音色的に鈍いアカデミズムを擁したのか定かではない。彼の多くのフランス風作法を持った弟子達または孫弟子達の
日本音楽コンクールや
尾高賞などの大量受賞や審査員への登用などで、次第にそういった語法が日本に定着したものと言われる。
しかしこれらの属性は
1990年代初頭には影響力を失い、既に過去の遺物になろうとしている。北米や西欧への大量留学者たちの日本への流入などで消えうせられつつあり、替わって超グローバルな
ダルムシュタット・ショック等が日本の作曲界に大きなウエイトを与えつつある。要約すると、芸大アカデミズムとは
ケージ・ショックや
ダルムシュタット・ショックを素通りする根性そのものであると言える。情報の遮断があったからこそ成立しえたのが芸大アカデミズムであるのならば、今後このようなアカデミズムが現地で猛威を振るう可能性はきわめて低い。
ピアノ演奏
ピアノ演奏は、音量を押えた
ミキモト・タッチに代表される奏法が現在も継承されてはいるが、信奉者が増える見込みは低い。
ヴァイオリン演奏
(stub)
その他
似たようなレッテルに、東京音楽大学の作曲科卒業生に対して貼られる
東音パルス楽派というものもある。
世界のアカデミズム全般にも、同様のアカデミズム離れ現象が起きている。北米の
東海岸アカデミズムの継承者は減る一方であり、イタリアの
ドナトーニ信者もかつて程は多くない。現在のロシアでは現代音楽全般を遮断してしまった暗黒の半世紀があったにもかかわらず、最先端の情報についていく人々とそうでもない人々が半分づつと言った所だろうか。近年では、アカデミズムが確立することすらなかった後進諸国出身者のほうが、自由に最先端の情報についてゆくケースも多発している。