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第三十七話 真実
今回ちょっと短めです
重い沈黙が続いた。
どうしてマゴットがこれほどに強くあることに固執するのか。
どうしてマゴットがこれほど家族を大切にするのか。
どうしてマゴットがこの事実をこれまで誰にも打ち明けられなかったのか。
全てを理解した今、受け止めた事実はあまりにも重かった。
「――――生きて私と巡り合ってくれたことを感謝するよ。君が生きていてくれてよかった。それ以外に理由などいるものか」
決して手放しはしないという強い決意とともに、イグニスはマゴットを抱きしめた。
この身体のどこにあれほどの戦闘力が秘められているのか、と思うほどに細くやわらかな身体である。
確かに犠牲になった人間は戻らず、そしてマゴットの生を望まぬものもいるのだろう。
しかしイグニスにとっては最愛の妻であり、誰よりも愛しい恋人であった。
もし自分がダリアの立場だったなら、やはり我が身を犠牲にしてもマゴットの生命を守るに違いなかった。
「――――イグニス!」
迷子の幼子がすがるように、マゴットはイグニスの広い胸にすがりついた。
そこにいつもの傲岸不遜を絵に描いたような姿はなかった。
秘密という壁を取り払ったマゴットは、まるで思春期の乙女のように声をあげて泣き続けた。
「……ひどいです」
「ようおかんに勝ってくれたで、バルド」
「奥様がいなければこうしてバルド様に出会うこともありませんでした。私としては感謝しかありません」
同席していたセイルーンたちももらい泣きをしてハンカチで目尻を拭っている。
普段クールなアガサも涙線が緩んでいるのが意外だった。
しかしバルドは重石を腹の飲みこまされたかのような、胃への圧迫感を覚えていた。
マゴットの告白には見過ごすには大きすぎる存在への示唆が混じっていた。
強さという殻に閉じこもったマゴットを助け出すことには成功したかもしれない。
ところがそれは、より大きな真実と苦難への入り口にすぎなかったのだ。
そのとき、大人しく眠っていたマルグリットとナイジェルが泣き始めた。
たちまちマゴットはイグニスにすがりなくのを止め、母親の顔になって二人をあやしに立ちあがったのである。
マゴットの表情は、生まれてこないほうがよかったなどとは微塵も考えていない。
家族に囲まれ幸せに満ち足りていた。
そのことだけが救いであった。
あとはマゴットに代わり、自分がその幸せを守るだけだ。
もっとも、守っていくためにはどうするべきか、まだバルドのなかで答えは出ていない。
――――元気なマルグリットとナイジェルの姿と、凛としたマゴットの母性に溢れる表情に、バルドは煩悶した。
彼らを守るために、自分は戦うべきなのだろうか。
あるいは声を押し殺し、嵐が通り過ぎるのを待つことしかできないのだろうか。
はしゃぎ疲れて再びスヤスヤと眠りに落ちたマルグリットとナイジェルを優しく撫で続けるマゴットに、バルドは意を決して問いかけた。
「ベルティーナが死に、マルグリット王女が公式には毒殺されているにもかかわらず刺客が襲ってきたことに心当たりは?」
スッとマゴットの菫色の瞳が細められた。
その答えを言っていいのか?
彼女は視線でバルドにそう告げていた。
「新たなトリストヴィー王国第一王妃、そして元マウリシア王国王女カタリナ様ですね?」
「あのころはまだ私も今ほどあちこちで恨みを買っていたわけじゃない。ただの小娘の命が欲しいってのは限られるだろうさ」
スフォルツァ公爵家の粛正で国内事情が混乱しているなか、マウリシア王国から単身嫁いだカタリナ王妃は早急に後宮での勢力を確立した。
なかなかやり手の女傑であったと当時を知る人々は言う。
異国の地で一定の信頼を受け、権力を行使するということは難しい。
そうした意味で、カタリナは正しくウェルキンの妹であったといえるだろう。
「待て待て! まだ御子がなかったとはいえ、マゴット以外にも王女は残っていたはずだ! それに公式には死んだとされる王女が別に生きていたところで……」
イグニスはかつてキャメロンにいたころに面識があるカタリナを、どうしても黒幕として疑いきれずにいる。
本当に聡明で国民に好かれた王女であったのだ。
「父さん、刺客の男が獣人族の混血であることを隠したい人物がいると言っていただろう?」
「あ、ああ…………」
「僕はノルトランドに嫁いだベアトリス王女を知っている。野心も実力もある見事な女傑だよ。その彼女ですら当初は獣人に対する偏見の塊であったそうだよ」
もしエルンストが刺客から身を挺して守ってくれなければ、彼女の偏見は今もそのままであった可能性があるのである。
「これからトリストヴィー王国を立て直さねばならないと思いつめている王女にとって、王家の血に獣人の血が混じったという報告はどんな意味を持つだろうね?」
「だが、わざわざそんなことで……だな」
イグニスの言葉を遮ったのはアガサであった。
「イグニス様のお考えは正常なものであると思います。しかし王家の人間にとっては決して同じものではないでしょう」
「ま、気に入らないがそういうことさ」
マゴットは肩を竦めて自嘲気味に嗤った。
「栄華を極めた統一王朝スペンサーの血を引くのは大陸でもマウリシア王国、アンサラー王国、トリストヴィー王国、ノルトランド帝国のみ。その歴史のなかで少なくとも獣人の血が混じったことは一度もない」
獣人族に寛容で、閣僚に登用しているノルトランド帝国ですらそうなのだ。
もし表沙汰になれば、その王家が統一王朝の後継者としての地位を失うことは明らかであった。
現実問題として再び大陸を統一することは不可能に近いが、その大義名分を失い、格を落とすことが兵器であろうはずがない。
「獣人の血を引く王族ができたなら人知れず暗殺する。どの王国であってもそうするだろうね」
淡々と話すマゴットをイグニスは再び抱きしめる。
「人と獣人でお前の価値が変わってたまるか!」
「そうだね。イグニスはそういう男だから私も惚れたんだけどね」
その血はバルドにも受け継がれている。
獣人に偏見を持たぬ人間であっても、伴侶にするとなると躊躇するものだ。
セリーナを全く躊躇することなく伴侶として認めたバルドの心の在り方が、マゴットは密かにうれしかった。
「あのベアトリス様に偏見があったなんて、今からすれば信じられへんけどな」
「レイチェル殿下とマーガレット殿下が寛容なのは、性格のせいもあるだろうけど、ベアトリス殿下の影響が大きいと思う。良くも悪くも影響力のある人だからね」
だがカタリナはどうだろうか?
獣人が傍によることさえ嫌がるような人物が、実は義娘に獣人がいると知って黙っていられるだろうか? 答えは否だった。
(そうなるともうひとつ問題が出てくる。僕としてはこちらのほうが問題なんだがな)
はたしてこの問題をつきつめてよいものか。
政治的に考えてマゴットを葬ることは完全に正しい。
当時トリストヴィー王国は貴族たちの不満が高まって内乱寸前であった。
結局本当に内乱が起きて滅んでしまったのだから、その切迫感は生易しいものではなかっただろう。
そんな状態で獣人の血が王家に入ったなどというスキャンダルが知られたら、確実に王国の寿命を縮めたはずであった。
「――――どうしたん? そのカタリナって王妃様はもう死んだんやろ?」
深い思考に沈んでいたバルドの顔を、心配そうにセリーナが覗きこむ。
「カタリナは元マウリシア王国の王女ではあるんだけど、その当時はすでにトリストヴィー王国の王妃だよね」
ピクリとマゴットの眉が動くのがわかった。
やはり彼女は最初から察していたのだろう。ただあえて言わなかっただけで。
「他国の人間になった王妃が、故郷とはいえマウリシア王国に騎士を刺客として送りこめるのかなあ?」
刺客は裏の世界の暗殺者ではなく、統率された騎士だったとマゴットは言っていた。
トリストヴィーからまとまった数の騎士がマウリシア国内に入れば、いかに両国が同盟関係にあるとはいえ注目を集めずにはいられまい。
ウェルキンはお調子者だが、国益のためには情を切り捨てる程度の見識は持ち合わせている。
たとえ同盟国同士でも相手の領土で暗殺を企むのはあまりにリスクの高い行為であった。
不文律に反するといってもいいだろう。
「――――何が言いたい?」
強張った声でイグニスが尋ねた。
本当はその意味を理解しているが、バルドに否定してほしい。そんな表情だった。
「ことこの件に限っては秘密を知る人間はできる限り少ないことが望ましい。カタリア王妃がまだ心から信頼することのできないトリストヴィーの家臣を動かすことは難しいんだ」
まだよくわかっていないセリーナとセイルーンに、バルドは抑揚のない声でただただ冷たい現実を告げた。
「マウリシアで騎士を隠密裏に動かせるのはマウリシア国王だけだってことさ」
決して悪い人間ではない。
しかし妹に真相を告げられれば、国益を考えて暗殺を決断することをバルドは疑わなかった。
何よりあの当時はカタリナに王太子を産んでもらって、トリストヴィーに安定してもらうことがマウリシアの国益に叶うことであったからだ。
もし理想的な形でトリストヴィー王国が安定してくれれば、ハウレリアとの戦役ももっとマウリシアに優位な形で終息したはずであった。
「そんな…………」
唖然として二の句が継げないイグニスを労わるように抱きしめながらも、マゴットはバルドの言葉を肯定した。
「あとになってわかったことだが……あの騎士が使っていた剣技の特徴はマウリシア独特のものだ。野盗を装っても身体に染みついた剣の技までは隠せないからねえ」
視線だけで斬れるような鋭い眼光で、マゴットはバルドを睨みつける。
「今となってはなんの証拠もない話さ。それを知って、お前はどうするつもりなんだい? バルド」
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