
隊歌指導を伝統とした背景
そもそも旧陸軍における軍歌とは、明治時代においては、日清戦争、日露戦争の戦勝を歌として謳い上げ、日本国民共に謳い、近代日本構築の心の歌となった。さらに、大正・昭和においては、第1次世界大戦〜第2次世界大戦と進むにつれて、第一線部隊の士気高揚、部隊の精強・団結の心の歌・魂の歌としても唱い継がれ、戦後においても、軍歌は国民の愛唱歌の一つとして根付き、同期の桜などは一般企業においても歌われてきた。そして、警察予備隊・保安隊・自衛隊となった以降は、新たに隊歌が創られ、新隊員教育隊、陸曹教育隊、各職種学校から部隊までにおいて、訓練や野営等の演習、各種行事等において軍歌とともに隊歌が歌われ、部隊の団結強化、厳しい訓練への相互の激励、我が国を護ることへの使命感・責任感の醸成等に寄与し、時代が変化しようとも受け継がれてきた。
しかしながら、自衛隊創隊から50年が経過した今日、警察予備隊・保安隊から流れを汲む幹部・陸曹、特に「鬼軍曹」と言われた旧軍からの心意気を汲む者が少なくなり、部隊等において軍歌・隊歌の良き伝統を伝えることが難しく、また、これを受け継ぐ者も平成の時代になると自衛官の公務員指向と相まって減少傾向となり、軍歌・隊歌演習が部隊等において行われなくなってきた。また、幹部候補生学校においても、同じような傾向が見られ、軍歌を知らない防大生や軍歌・隊歌を歌えない部内の幹部候補生が入校するようになり、古き良き伝統である軍歌・隊歌を聞く機会は稀になってきている。
また、本校の入校式、卒業式において、幹部候補生が心の底から出す雄々しきその声に基づく力強い国歌斉唱が部内外の出席者に感銘を与えているという評判もよく聞かれるようになり、幹部候補生学校の特徴といわれるようになってきた。
一方、校歌については、平成12年に歌詞の一部を変更し、平成17年には復活させたという歴史があり、多少の波紋を生ずることになった。この間の経緯を通じて、校歌に対する関心も高まり、区隊長等は歌詞に込められた意味を理解して歌うことを指導するようになってきた。
このように、隊歌・軍歌の不在の風潮や本校における国歌・校歌に対する関心を考慮し、隊歌・軍歌を歌うことが担ってきた士気の高揚、部隊の団結等の効果を風化させないためにも、まず、幹部候補生学校から隊歌・軍歌の歌唱指導を発信し、部隊等への波及を期待して、「隊歌指導」を本校の伝統的な指導法として後世に伝えていくこととした。
伝統としての隊歌指導
本校のおける隊歌指導とは、本校在校間における国歌の歌い方指導、校歌の歌い方指導及び軍歌・隊歌(行進曲・愛唱歌を含む。)の練習についての指導をいう
隊歌指導実施に当たっての基本的考え方
- 隊歌演習を通じて、戦士としての雄々しき気風、崇高なる使命感を保持させるとともに、幹部の心の故郷としての母校意識を高揚し、本校の校風である「質実剛健にして清廉高潔」に基づく剛健精神と愛校精神を涵養する。
- 候補生は、大きな声で元気よく歌うことによって自信と活力を獲得し、皆と歌うことによって団結心を養い、歌詞に込められた意味や歴史的背景を理解して、武人としての心意気と幹部としての使命感・責任感を醸成する。
- 職員は、雄々しき歌い方や歌う姿勢の活模範を示すととともに、候補生と共に歌うことによる師弟愛を構築し、隊歌に関する伝統を継承していく。
国歌の斉唱
国歌の斉唱は、日本国民としての自覚と誇りをもって歌うことが基本である。特に、本校における国歌斉唱は、国家への忠誠と愛国心を心に抱き、国家公務員として国防の任に当たる者としての決意を大きな声で歌うことにより示すものであり、本校独自の歌い方である。
このため、入校式においては、幹部自衛官としての第一歩を踏み出す者として、元気溌剌、大きな声で歌うことを指導する。また、歌う姿勢は、不動の姿勢をしっかりととり、気勢を充実させ、目をしっかりと開いて国旗を直視し、一糸乱れぬ音階・音量を堅持して歌い上げるよう指導する。さらに、卒業式においては、卒業の喜びに基づく心の底から湧き出る声量により、幹部自衛官としての自信と決意が部内外の来賓・式典参加者全てに伝わり、感銘を与えるような歌い方を指導する。なお、国歌の歌い方を指導する際は、次の「国歌について」を知識として教育する。
「国歌について」
1、 国歌の制定まで
- 「君が代」は、延喜5年(905年)に編纂された「古今和歌集」(賀の巻)に「わが君はちよにやちよにさざれ石の巌となりて苔のむすまで」(詠み人知らず)として収載されていた。これが文献に現れる最初であると言われている。この歌は約100年後(11世紀初期)に成立した藤原公任撰の「和漢朗詠集」(祝の部)にも収められている。
その後、平安末期頃から,初句を「君が代は」という形で流布するようになり、めでたい場合の舞い、謡曲などに取り入れられ、長い間民衆の幅広い支持を受けてきたと言われている。
- 明治時代になり、日本にも国歌が必要と考えた鹿児島(薩摩)藩の大山巌らはその歌詞として「君が代」の古歌を選定したと言われている。
当初の「君が代」(フェントン作曲)は、その後、曲の改訂が上申され、明治13年(1880年)に宮内省雅楽課の林広守らによって現行の「君が代」の楽譜が完成された。
- その後、明治26年(1893年)の文部省告示「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」において、祝日大祭日の儀式で歌うこととされた。
2、 歌詞の解説
- 「君が代は、千代に八千代に」について
これは、元来、「天皇の御代がいついつまでも」という意味があり、現代の日本は、日本国憲法において「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴でもある。」と規定し、国民主権を原則とした象徴天皇制であることから、現代訳は「日本及び日本国民が、いついつまでも平和で栄えますように」という意味になる。
- 「さざれ石の巌となりて」について
「さざれ石」というのは、細かい石のことであり、「巌となりて」とは、さざれ石が固結した岩石を礫(れき)岩という。つまり、さざれ石は何千万年という年月を経て巌になるということになり、我が国の永久の結集ということを表している。
校歌の歌唱指導
校歌を指導する者は、まず、校歌の歴史とその意味するところを理解しなければならない。

- 校歌の歴史
本校建学後まもない昭和30年、「候補生に対し、在校間は勿論、将来においても愛唱し、士気を振作し、きん持を高め、伝統の継承を図る。」目的をもって、学生・職員に校歌の募集を行った。しかしながら、いずれの作品も校歌として採用するには至らず、「高良台」、「仰げば遙か」、「烈日燃えて」の3つの秀作を行進曲として採用して、「幹部候補生学校行進曲」として定め、校歌については更に慎重に検討することとなった。じ後、校歌が正式に制定されるまでの間、入校式や卒業式の際には「烈日燃えて」が校歌として準用され歌われた。
昭和38年、開校10周年のPRを部内外に積極的に展開するとともに、「母校意識の高揚」の施策の一環として校歌制定の話が再び持ち上がり、本校出身幹部及び在校幹部候補生に校歌の作詞・作曲を呼びかけることとなった。この時の「母校意識の高揚」の施策とは、「本校が陸上自衛隊幹部の大同団結のためのじん帯として持つ使命、責任感の重大性に鑑み、開校10周年を期して、本校出身幹部及び在校候補生の本校に対する母校意識を更に高揚することが必要であり、教育・訓育・施設整備面でも新たな努力を行う。」というものであった。
朝雲新聞紙上での呼びかけにより応募数63編が集まり、審査委員会(委員長古川副校長(第6代)以下各部・隊指名の19名)は、2等陸尉重松恵三(当時幹候校学生隊教官、防大3期、元東方総監)の作品を選出し、これを原形として、丸山豊氏(久留米市諏訪町・医師)が補作し、作曲を2等陸佐斉藤徳三郎(当時陸上自衛隊中央音楽隊長)に依頼して校歌が誕生した。
平成13年10月、第27代青木校長時代において、第3番の第1小節の歌詞が変更(「紅に背振を」が「悠久の高良を」に)された。その趣旨は、「総合訓練における行進経路変更等に伴う背振山系への愛着の希薄化と伝統の継承の観点から本校と最もゆかりのある高良の地名を挿入する。」ということであった。
しかしながら、部内外の意見や批判もあり、平成16年から平成17年にかけて、歴代校長や各期同期生会長、さらに本校の職員や入校学生へのアンケート調査を行った結果、平成17年4月(渡邊校長(第29代))に元の歌詞に戻した。
- 校歌の歌詞に込められた思い
幹部候補生学校の校歌は、本校での候補生教育を1年間の四季折々の情景と織り交ぜながら歌ったものであり、1番は開春の導入期、2番では酷暑の夏〜高秋の練成期、そして、3番では晩秋〜酷寒の冬の完成期を歌っている。
校歌のイメージとしては、1番は桜爛漫の春、「自らの強い決意及び愛国心を持ち、溌剌たる気概に満ちた若者が、尚武の地であり、教育環境にも恵まれた久留米の地(筑紫)において、光り輝く陸上自衛隊の宝として、同じように選ばれた多くの同期とともに切磋琢磨し、我が国の防衛という崇高な使命を担う陸上自衛隊の幹部としての志を確立する。」ことを表している。
2番は「南風の武勲たたえて」で始まるが、これは源平の時代から朝廷に仕え、累代にわたり終始一貫朝廷方の命旨に従い行動し、「尽忠愛国の士」といわれた菊池一族をモチーフとし、さらに、南朝後醍醐天皇の皇子懐良親王(※)を報じて「筑後の戦い」等において武勇を馳せた菊池武光の武勲を讃える意味である。そのイメージは、緑蒼く炎熱の夏、「幹部候補生学校における山有り、谷有りの練成期において武人として精神的にも肉体的にも鍛錬を積み、幹部候補生学校の校風にふさわしい人物となって伝統を継承し、身をもって祖国を守る幹部自衛官としての使命を自覚する。」ことを表している。
(※「宮の陣」、「大刀洗」の地名はこの故事にちなんでいる。)
さらに、3番は、銀杏が色づき金木犀薫る秋から寒暖の差激しい久留米の底冷えの冬、「正門に向かい夕陽が背振山に沈んでいく風景に幹部候補生学校での厳しい訓練や教育に思いを致し、自らの努力に対する賞賛、区隊長等に対する感謝の気持ちを持ちながら、幹部自衛官としての自信と自覚、夢と希望を胸に、幹部として更なる修練への第一歩を歩み出す決意」をイメージさせている。
また、「青春の光豊かに」(大元学校長(第11代)教訓録)において、「筑後川今日も悠々」と題し、私の好きな歌として、校歌を挙げられており、特に2番の歌詞は「限りなく蒼い秋空のもと、この悠々たる流れを見ていると、筑後における歴史の流れを想起して感慨深いものがある。」と教示され、「この美しい国土を大切に守り、益々これを美しくして、次代に譲り渡さねばならない。我々の責任は重大である。」と締められている。さらに、「鍛錬の歳月たのし」と題し、卒業式における学生の大合唱について、「どの顔もはじめて幹部の戦列に加わる無上の歓喜と固い決意が満面に溢れ、感無量」といった光景を目の当たりにされ、「それだけにこの卒業が彼らの一生において何にも代え難い大きな喜び」であり、この栄光の陰には、「候補生一人一人の螢雪の功もさることながら、彼らに終始有形無形の支援を惜しまなかった多くの人々の汗と涙があったことを忘れることはできない。」と教示されている。
- 校歌の斉唱
- 入校式での歌い方指導
入校式における校歌の斉唱に当たっては、新入校生としての元気溌剌とした歌声により、選ばれた者のみが幹部候補生として入校できたことへの喜びと修練への決意、「尽忠愛国の士」のごとき幹部となるべき新たな誓いを歌に込めて歌うものとする。
このため、指導にあたっては、校歌のイメージを候補生に理解させ、初々しき中にも活気あるれる歌い方を指導する。
なお、入校式の校歌斉唱は入校間の修業への誓いを示すため、第2番までを歌うものとする。
- 卒業式での歌い方指導
卒業式における校歌の斉唱に当たっては、本校での教育の修了者として、雄々しく、武人としての魂を揺さぶる溌剌とした歌声により、本校での修業に対する万感の思いと決意新たに闘志みなぎる声量をもって歌う。また、職員も卒業生と同調するように大きな声で歌い上げるものする。
この際、特に3番の歌詞のイメージを理解させるとともに、大元学校長(第11代)の教示にもある「幹部の戦列に加わる無上の歓喜と固い決意」への思いも歌に込めて歌うものとする。
なお、卒業式においては、晴れて本校における修業資格を勝ち取った者であることの証として、第三番までを歌うものとする。
隊歌の歌唱指導
- 隊歌の活用・効果
軍歌・隊歌は、部隊等における精強、団結の強化、士気の高揚、厳しい訓練への隊員相互の激励、我が国を護ることへの使命感や責任感の醸成に寄与するものである。本校においては、野営訓練や行進訓練、剛健の夕べ等における隊歌により、切磋琢磨の気風の醸成、強い絆に結ばれた同期との信頼感の醸成にも寄与させる。
- 隊歌として受け継がれてきた歌
本校においては、創立以来、隊歌・軍歌を心の歌・同期との絆の歌として歌い、「剛健歌集」を作成、編纂し、隊歌・軍歌を継承してきた。軍歌として歌われてきた代表的なものは、「抜刀隊」「元寇」「歩兵の本領」「戦友」「青年日本の歌」「露営の歌」「麦と兵隊」「同期の桜」「月月火水木金金」「重い泥靴(緑の戦線)」「空の神兵」「若鷲の歌」「ラバウル海軍航空隊」「加藤隼戦闘隊」「ああ紅の血は燃ゆる」「暁に祈る」「砲兵の歌」などがある。特に、入校当初、本校においてはじめて顔を会わせ、これから同じ釜の飯を食べる同期生の絆の育成のため、「同期の桜」「歩兵の本領」が今も昔も変わらずに歌われている。
また、隊歌として代表的なものは、行進曲として「烈日燃えて」、使命感・責任感を醸成する隊歌としては「治安の護り」「理想の歌」「栄光の自衛隊」「栄光の旗の下に」「君のその手で」「この国は」「ひそかな祈り」「男の群れ」「若い瞳」「平和の兵士」「光と若者」などがある。中でも、「栄光の旗の下に」「君のその手で」「この国は」は4拍子のリズムにより作られているため、本校における隊歌演習においてよく歌われてきた。
- 隊歌の指揮法
本校における隊歌・軍歌の指揮法は、隊歌・軍歌の復活を本校から発信することから、入校学生に隊歌・軍歌に込められた歌のイメージを理解させ、明朗闊達、元気よく歌わせるとともに、本校卒業後、部隊等において隊歌指導の指揮者として活模範が示せるように行うものとする。このため、隊歌指導は、指揮者の「隊歌用意」の号令により、歌う者は両手を腰につけ、両足を開脚して歌う姿勢をとり、指揮者は右腕を垂直に挙げ、五指を伸ばし、声高らかに旋律の一小節又は「1・2・3・はい」の呼称によって音頭をとらせるとともに、区隊全員は指揮者の手の振る方向に体を振り、指揮者の手の動かす早さにより調子を合わる要領により歌わせる。この際、指揮者は右手の左右の振りが明快かつ明瞭にリズムに合致して歌わせることに留意して指揮する。隊歌を歌い終わったならば、指揮者の「隊歌止め、1、2、3、4」の4挙動目で不動の姿勢に戻る 。
以上の指揮法により統制ある隊歌指導を行い、後世に引き継いていく。
校 歌
曲:中央音楽隊長 2等陸佐 斉藤徳三郎
詞:幹候校教官 2等陸尉 重松恵三
1 青春の光ゆたかに 緑なす筑紫(つくし)の野辺よ
あぐる若人我ら くろがねの誓いも固く
はつらつと心は燃えて 日本の平和を守る。
2 南風の武勲たたえて 筑後川今日も悠々
質実に且つ剛健に 光輝ある伝統をつぎ
つわものの誠ささげて 日本の御楯とならん
3 紅に背振を染めし 夕陽に向かいて立てば
鍛錬の歳月たのし 栄光に輝やく頬よ
明日もまた歩武堂々と 日本の未来を開く
「烈日燃えて」(幹候校行進曲)
曲:4管法務課長 2等陸佐 福永 勇
詩:第15期幹部候補生 川島 一太
1 都の空は遠けれど 高良の麓春闌けて 花撩乱の前川原
暁闇払う雄は 心を磨き智をひろめ 祖国の平和築かんと
集いし若き友と友 我等は陸上自衛隊 桜と競う候補生
2 烈日燃えて水沸る 赭き起伏の高良台 秋霜白く玉と凝り
草芒遙けき大野原 焔の闘志岩をやき 練磨の戦技は鉄も断つ
日本に若き力あり 我等は陸上自衛隊 桜と誇れ候補生
3 人去り時は移ろえど 不滅の薫いまもなお 菊池の誉たたえつつ
流れは尽きじ筑後川 岸辺に佇ちて誓いたる 若き誠はひとすじに
永遠の平和に捧げなむ 我等は陸上自衛隊 桜と馨れ候補生
4 北辰凍る阿寒湖や 朝日に燃ゆる桜島 いま螢雪の功なりて
袂を別つ時は来ぬ ああ美しきこの山河を ああ懐かしきこの同胞を
固く護りて進みゆく 我等は陸上自衛隊 桜と匂え候補生
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