昨年10月、漫画誌『月刊モーニング・ツー』で連載していた東村アキコ氏の漫画、『ヒモザイル』は、第2回をもって休載となりました。
『ヒモザイル』とは、作者東村アキコの元で働く「金なし仕事なしモテないダサい、けど夢はある」というアシスタント男性たちを、少女漫画家でもある作者の指導のもとファッションや家事能力を磨かせ、高給取りだけど結婚できない女性たちにとってイケてる感じに変身させマッチングする。という、実録婚活漫画でした。
こうした内容は男女逆転版マイ・フェア・レディ、ピグマリオン(マイ・フェア・レディの元となったバーナード・ショーの戯曲)的とも言えますが、
・作者に雇用される(作者より必然的に弱い立場にある)立場のアシスタントを漫画のネタにし、彼らの私生活に強制的に介入する(ように見える)ことはパワハラなのではないか?
・アシスタントを侮蔑したセレブママの価値観に同意し、独身女子会やアシスタント男性を非難する作者の姿勢は差別的ではないのか?
・「専業主夫」を「ヒモ」と呼んで良いのか、専業主夫を「ヒモ」と呼ぶことは、作者が専業主婦のことも「ヒモ」と考えているからではないか?
・語感の良さがあるとはいえ、「エグザイル」と「ヒモ」が関係あるかのようなタイトルはいかがなものか?
など、パワハラやジェンダー問題とポリティカル・コレクトネスの観点から批判が起こるのは仕方がないことです。が、『ヒモザイル』が、第1話が雑誌に掲載された時点ではなく、WEB上で第1話が無料公開された折に大炎上し、結果作者が休載を発表したということは、現在のポリティカル・コレクトネスの変容問題を象徴しているように思いました。
「ヒモ男性の肯定」がWEB読者の嫌悪感を煽った最大の要因というのはちょっと異なる気がします。
返信「男女の収入格差など関係なく妻と夫で時間のある方が家事やって育児もやるのがいい家庭」っていうのがWEB上の意識高い方々の常識?で、わざわざヒモとか言わなくても高収入だけが男性の価値ではないっていうのが共有されてたところ、
「収入が低い人男はダメだよね?ダメなりに開きなおろうか」っていうWEB上の意識高い人たちからしたら周回遅れな価値観をWEBで見せちゃったから炎上したように思えます。
最近の一連のポリティカルコレクトネスに関する記事を読んで
返信柴田さんはやはり強く現場(表現者)の立場から
批評しているのかな、と思いました
私は単なる読者であり消費者なので、東村アキコのような売れっ子ならよいけど
そうでない作家は困る、と言うのはあくまで作り手側の都合だと思います。
不快なものは不快だと言う権利があると思ってます。
ヒモザイルは1話を読んだだけではネットで言われてるほど不快にはなりませんでした。
タラレバ娘の結婚「できない」30以上の女=生き方が悪い的な決めつけがただただ雑だなぁ…と思います。
そういう見方があっても良い、かもしれませんが
作品に対する作者の思想を批評することはダメなのでしょうか?
それが大きくなったとき結果的に今回のような自粛騒動になるかもしれませんがそれは
出版社と作者の選択です
それは表現の自由の抑圧ではないと思います
ユカちゃんからのアッコ先生ファンです。
返信ママテン以降はぱっとしなかったんですが、(海月姫はそこそこ人気出ましたが)
再婚&かくしかヒット&タラレバ人気と名声を得てきた先生。
頂点を極めて調子に乗ってしまった感は否めません。
エッセイ中ですぐ調子に乗るとありますがこれは恐らく本当です。
もともとアキコ先生のダメ人間いじりは紙一重なところがあったので
微妙なギアを間違えてしまったんだなと。
私としてはメロポンの売れない劇団いじりが一番酷かったような気がしますが…。
救いもなかったし。
ただ、アキコ先生は負の感情を背負ってこそ良いものが描ける作家だと思います。
(漫画家はみんなそうかもしれませんが)
成功体験ばかりでは作家としての底力が失われます。
この苦い経験を漫画に活かしてほしい。
>私は、「表現をする」ということは、「表現に責任を持つこと」であり、「批判も当然に受け得るものである」と考えています。
返信毎度毎度共感するというわけではないけど、ふざけた文体で誤魔化したり、批判されてもかわいそぶったりせず、自分の意見を堂々と発表する柴田さんの姿勢は素晴らしいと思います。