ボウイが愛した日本のスタイル、日本が愛したボウイ
- 2016年01月16日
がんのため10日に亡くなった世界的アーティストのデイビッド・ボウイさんは、日本好きとして有名だった。その音楽やステージ・パフォーマンスには、日本文化の様々な要素が織り込まれていた(文中一部敬称略)。
日本のデザイナー、山本寛斎さんはBBCの取材に対して、「音楽で表現するということとファッションで表現するということ、2つの表現方法を持っていた人でした。今では珍しくないかもしれませんが、両方で表現した先駆けのひとりだった」と振り返った。
山本さんは、ボウイの有名な衣装の数々をいくつか生み出す原動力となった。知り合ったのは、ボウイがアメリカ進出を目指していた1970年代のことだ。当時のボウイはよく日本を訪れていた。なぜボウイはそれほど日本や日本的なものに惹かれていたのかについて、山本さんはこう話す。
「わかりませんが、日本的というより、自分が何かを着た時にまわりから『すごく似合う』という目線で見られると、自信がつきますよね。彼にはそれがたまたま私の衣装群だったのだと思います。自分に似合っていると分かっていたんですね」
長年のボウイ・ファンでボウイに関する著作も多い、ファッション史家のヘレーン・サイアンさんも同意見だ。ボウイは「両性具有的な美しい顔と体の持ち主」として有名で、それが「山本寛斎のユニセックス・スタイルにぴったりだった」と指摘する。
変身し続ける両性具有
ボウイの和風スタイルは早い段階から、日本の演劇への興味を通じて育ったものだ。
1960年代半ばには英国のマイム・アーティスト、リンジー・ケンプのもとでダンスを学んだ。ケンプは日本の歌舞伎に強い影響を受けており、歌舞伎の大仰な所作や派手な衣装、際立つ化粧、そして男性が女性を演じる「女形」の存在などが、ケンプのパフォーマンス芸術に取り込まれていた。
もともと変身が得意だったボウイが男性性やエキゾティシズム、異端性などの概念を探求するにあたって、ケンプのもとで修業したり、歌舞伎の女形について学んだりしたことが大いに役立ったのだろうとサイアンさんは言う。
ボウイは有名な歌舞伎の女形、坂東玉三郎さんから、歌舞伎の化粧法について学んだことさえある。白塗りの上に目鼻を鮮やかに描き出す歌舞伎の隈取の影響は、ジギーの額に描かれた輪やアラディン・セインの稲妻などからもうかがえる。
ボウイは「歌舞伎の女形そのものを真似しようとしたのではなく」、「(女形の)性を超越した両性具有性にヒントを得たのだと思う。物真似ではないからこそ色々なイメージが喚起されるし、強力だ」とサイアンさんは分析する。
「早変わり」の名人
山本さんは、なぜボウイと自分があれほど相性が良かったのかよく分からないと言いつつ、「国とか性別とかを超えた、何か共鳴するみたいなものがあった」と振り返る。そしてボウイはそのスタイルやパフォーマンスを通じて、「男女の性別みたいなものについて、彼がタブーをどんどん破りはじめていった」と指摘する。日本社会が同性愛や同性カップルを次第に受け入れ始めているのは、ボウイのしたことの延長線上にあると。
山本さんがボウイに提供した衣装でも特に有名なのが、「トーキョーポップ」のジャンプスーツだ。かつては日本の武士の装束で今でも武道家などが身に着ける袴の形を取り入れた、黒と白のデザインだ。
ボウイがステージ上で良く身に着けていたケープには、「出火吐暴威」と漢字で書かれていた。「デビッド・ボウイ」のことだ。
西洋のアーティストとして誰よりも早く、歌舞伎の「早変わり」技術を取り入れたのはボウイだとサイアンさんは指摘する。舞台上で黒衣や後見が役者の衣装を一瞬にして変える「引き抜き」など早変わりの技術を、ボウイは活用したのだ。
「すっごく綺麗な男の人」
日本の影響は外見だけでなく、ボウイの音楽にも散りばめられている。1977年のアルバム「ヒーローズ」収録の「Moss Garden」(苔庭)では、ボウイが日本の琴を弾いている。
ボウイのような立場の人が今の時代に同じことをしたら、「文化の盗用」だと批判されるかもしれない。「文化の盗用」とは、自分の目的のためによその文化を好き勝手に使うことを指す。しかし日本はボウイを決してそのように見ていないと、サイアンさんは言う。
「ボウイは生まれながらにして、最高の外交官でアーティストだった」とサイアンさん。「自分の創造性に自分の直感を注ぎ込んで、東と西を融合させた。それによって、戦後世界を癒したのだ」。
ボウイがしたことは「日本文化へのオマージュで、日本人はそれを大歓迎した」とサイアンさんは言う。当時の西洋ファッションはアジアをすべてごちゃまぜにして「オリエンタリズム」とひとまとめにするのが常だったが、ボウイはそれに異を唱えたのだと。
そして日本はボウイの愛に応えた。ボウイは今でも日本で大きな存在で、そのグラムロックのスタイルは何世代にもわたりバンドやミュージシャンに影響を与え続けている。
ロックギタリストの布袋寅泰さん(日本国外ではクエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」のテーマ作曲者として知られる)はBBCに対して、「(ボウイのおかげで)人生が変わった。自分にとって永遠のヒーローであり、インスピレーションだ」と語った。
高名な大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」(1983年)でボウイが演じたジャック・セリアズ英軍少佐も、日本では強い印象を残した。
第2次世界大戦中の日本軍の戦争捕虜キャンプを舞台にしたこの映画で、セリアズ少佐とジョン・ロレンス中佐は2人の日本軍人と対立する。そのひとりを演じたのが世界的な音楽家の坂本龍一さんだ。
坂本さんの妻だった矢野顕子さんはツイッターで、80年代当時まだ幼かった娘の美雨さんをボウイが肩車して六本木を散歩したものだと思い出をツイートした。
そして美雨さんはそれを受けて、「すっごく綺麗な男の人のことはボヤッと記憶にある」とツイートした。「デヴィッドの生きてない世界だなんて、まだ現実味がぜんぜんないな」と。
(取材:テッサ・ウォン、アナ・ジョーンズ、加藤祐子)