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皇室全般画像掲示板
>昭和35年(1960年)2月23日16時15分、宮内庁病院にて浩宮徳仁親王誕生(体重2,540g、身長47cm)。予定日3月1日より1週早い自然分娩だったが、分娩中に心音が弱まったりで帝王切開も検討されたり、仮死状態で生まれしばらく産声が出ない状態が約7分間続き、自発呼吸がなかなか始まらず侍医たちをはらはらさせた出産で、産声も弱々しかった。
>仮死状態で生まれしばらく産声が出ない状態が約7分間続きミテコへの神の怒りだと思う・・・
なんとも、凄まじい写真です。生半可なものではありません。
↑怖いのですよ、美智子の眼が...。赤ちゃんを産んだばかりの「母の柔らかさ」がありません。ふんわりとした明るい光がありません。
この写真を撮っているのも、例の記者ですよね。皇族がわざわざ窓を開けて、生まれたばかりの嬰児を見せる、普通なら、まず、やらない行動ですね。投げかける「まなざし」が、なにか、ただならぬ「秘密」を共有する共犯者のよう。
昭和天皇から見れば、ナルは産まれて来てはいけない子供だった。@ 菊タブーで護られていたとはいえ、美智子の超雑種の血を皇室に入れることは、昭和天皇には受け入れられなかった。A その上、美智子の不義が疑われていたので、死産になるように手配されていたが、ナルは生き延びた。B ナルは「忌み児」として産まれて来てしまったが、ナルの血筋を皇統に残す訳にはいかないので、こっそりと成長ホルモン剤を投与されて、種なしにされた。ここから見えてくるのは、愛子は明人の子供。
生前の昭和天皇が、雅子の入内を認めなかったのには、皇室には、超雑種の血筋は美智子だけで十分。美智子の超雑種の血を浄化するつもりが、遠い親戚筋の、穢多と朝鮮の血を持つ雅子まで入内して来たら、ナルを種なしにしたことが無になると思ったからだろう。脳タリンの明仁は、皇統のなんたるかを理解する脳みそがなかったから、美智子の言われるがままに、雅子の入内を後押しした。 そして、後戻りできない所まで皇室の血は穢れ、皇統を誇ることなどできなくなった。難しいねぇ。。。 皇統を護るために、赤子を殺そうとしたり、試験管ベビーを作ったり、、、昭和天皇の悪魔性と、明人の脳足りんが皇統を無に帰した事は、人間として、どちらが正しいのだろう?