左翼とか右翼とか、共産主義と資本主義とかいう括りって、本当に必要なのか?
どちらも非常に抽象的な概念で、こういう二項対立の構図って、一見正しそうで、実はおかしいんじゃないか?と思ってきました。
本当に必要なのは、
"体制派か反体制派か"
この戦いしかないんじゃないでしょうか。
そして、反体制派が主権に近づいたとき、体制派の側から擦り寄って、お互いになあなあで一緒になる。
日本でいま、共産党も含めて"国民連合政府"が検討されているのは、そういうことなんじゃないかと思います。
そもそも本来革命家とは、現体制のおかしなところをまるごとごっそり取り替えたいという確かな意思があるのですから、革命家を自認する人々には、なんとかして政府から分離独立したい意思があるはず、ということになります。
ところが、沖縄で革命を目指すひとに、以前沖縄独立論について語ったところ、沖縄独立論は極右が言っているもので、誰も独立したいとは思っていないとのことでした。
ここで、沖縄だけを取り上げたとき、極右こそが革命勢力になっていると考えられます。
逆に左翼は独立に反対しているのですから、ではどのようなストーリーで"革命"を成し遂げようと考えているのか、大いにツッコミ入れたいところです。
このように、
"体制派か反体制派か"
のほうが、左翼とか右翼とか、共産主義と資本主義とかいう括りよりもシンプルになると思います。
しかし、やはりこんな対立さえもがおかしいという気もします。
そこにあるべきは、
"本来あるべき姿になっているかどうか"
というのを探求する意思しかないんじゃないかと思います。
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