略 歴
注:ウィキペディア等では2010年初頭迄は同じく表示されて ましたが、現在では荒らし等に寄って削除されております。
1963年 当時流行してた「ヴェンチャーズ、シャドーズ」等に影響を受け、当初ギターを伯父からプレゼントして頂いたのをきっかけに自己流で始める。その後、ビル・エバンス、カウント・ベイシー等のレコードを聴き、ジャズのサウンドに興味を覚える。しかし、それよりももっと高度なハーモニーを駆使しているデュークエリントンに引かれ、それが後の留学に発展する事に成る。
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1965年 元タレントの江木俊夫と中学校が同じであったことから彼の所属していた事務所に誘われて「ジャニーズ事務所」でグループ「ハイ・ソサエティー」のリーダーとしてグループ「ジャニーズ」「フォーリーブス」郷ひろみ「たのきんトリオ」川崎麻世等の音楽監督的存在として事務所に籍を置くことと成る。自らのグループもエピック・ソニー第一号タレントとしてレコードをリリースし新人賞受賞。
1966年 日劇ウエスタン・カーニヴァルに連続18回出演、NHK及び各民放のオーディションに合格し、当時流行していた歌番組は殆ど出演及び演奏、編曲等をするように成り「プラチナ・ゴールデンショー」「TBS銀座ナウ」「ロッテ・歌のアルバム」等は長年に渡りレギュラーを勤める。
1970年 この頃に成ると、タレント活動よりも本格派の音楽家に成りたくなり、若干17歳で服部克久先生に師事し、本格的なオーケストレーションをし出す様にに成る。洋書の音楽理論書を色々取り寄せ、音楽高校では修得出来なかった事を自己流に勉強し、当時アメリカのスターであった「デイビー・ジョーンズ」「スリー・ディグリーズ」等が来日した際の編曲を担当。また、「歌えヤンヤン」では、生番組で、ビッグバンドの編曲と指揮を若干二十歳で一年半年に渡り、担当する。
1975年 ジャニーズ事務所の反対を押し切って、自分の音楽的才能に欠如している事に疑問を抱いて、ボストンのバークリー音楽大学の最高クラスであるハーブ・ポメロイ教授に師事して、無事最高である「ジャズ・コンポジション」(現在は無く、倍率が千と言う難関)のクラスの学位を取得出来た。これは、非常に自信に成りニューイングランド・コンサーヴァトリーやジュリアード音楽院等でも現代音楽の音楽総論を修得し、Ph.D.(博士号)を最終的に取得する事と成る。
1991年 NHKよりも民放局の仕事(特に劇伴)が多かったのが事実であり、特に「火曜サスペンス劇場」は放送開始から十年間に渡って100回以上担当させて頂き、またCM等も色々とこなせるようになっていた。しかし、NHKの仕事も少しは頂いてたが朝ドラ「京・ふたり」を担当させて頂いた事が、悪い意味で大きな分岐点と成る事と成ってしまった。平成3年3月15日の所謂「NHKスキャンダル」及び「故島会長のプロパガンダ事件」に巻き込まれて、結果私自身が罪人に仕立て上げられてしまったのである。しかし、当時の政界とNHKの幹部との贈収賄事件の暴露をしようとした私の正義感はこれからも変える気は無いし、現在までの人生の中で一番正しい事をしたと自負しております。勿論マスコミ各紙では面白可笑しく書かれたので、まるで気でも狂ったかの如く、見えたと思われますが真実は一つであり、正しい事をしても罪人に成ってしまう事もあれば、悪事を働いてもヒーローに成る事もあるのが現実である厳しさと我が国の法治国家と言うものに関しては、未だ疑問符だらけです。しかし、現在は政治的な事や正義の味方である警察庁にも信頼をしないで、音楽一筋に生きて行く所存です。
現在は、正直な処ドラマ等の音楽は予算軽減及び、選曲で済ましているのが現状なので、仕事量は非常に減少しております。だから、クラシック等ジャンルに拘束されず、挑戦しております。今後共、関係各位に格別のお引き立ての程、何卒宜しくお願い申し上げます。