本 名:髙橋洋一
現住所-国内:東京都港区南青山1丁目
現住所-米国:Venice, CA.90291 U.S.A.
(最近悪質な荒らしの為、電話番号等は当サイトでは公表してません)
バークリー音楽大学アラムナイ会員、ハーバード大学アラムナイ生涯会員
ハーバードメディカルスクール大学院卒業生涯教育研究者(PostGraduateAssociation)
キャルフォルニア大学ロス・エンジェルス校アラムナイ生涯会員、
音楽科作曲理論臨時講師、他に国内の大学において音楽以外の文献の協力・心理学、精神医学、循環器系(研究研鑽)等、幅広く活躍。後に、St.John's Health Center, Santa Monica UCLA Medical CenterでEMT-P。
資 格:運転免許証(自動二輪、普通二種免許),FIA国内A級ライセンス,
第3級アマチュア無線従事者(コールサイン:JI1OTC,米国内W6/JI1OTCで20歳に取得) 日本語教師養成科(546時間)
上級救命技能士(東京消防庁)CPCR、EMT要員(米国南加州),
社団法人 日本音楽著作権協会 正会員
AHA(米国心臓協会)プレミアム プロフェッショナル会員 (ACLS-Provider )
社団法人 日本循環器協会 正会員
他諸々。
学 歴:
東京都渋谷区立鳩森小学校 卒業
東京都渋谷区立原宿外苑中学校(当時:外苑中学校) 卒業
日大附属鶴ヶ丘高校音楽科(2期生)作曲専攻に入学したが既にプロとして管弦学法を習得してた為、音楽家・服部克久先生等と共に若干17歳でレコード制作を担当。
後に約一年余りで中退し、多岐に渡る音楽創作をする。
マサーチューセッツ州ケンブリッジ市 ハーバード大学哲学科(後にHMSへ編入)
現在:ハーバード大学院卒業生涯教育者 PGA(Post Graduate Association)
米国心臓協会 (AHA Premium Professional Member) BLS, ACLS Provider Licensee
マサーチューセッツ州ボストン市 バークリー音楽院 作編曲専攻を主席で卒業(M.M.)
E-Mail: <ytakahashi1@berklee.net>
マサーチューセッツ州ボストン市 ニューイングランド・コンサーヴァトリー数種の
コースを取得しクラシック等も指揮法等多岐に渡り遊学。
ニューヨーク州 ニューヨーク市 ジュリアード音楽院で個人特別コースを取得
UCLA(キャルフォルニア大学ロス・エンゼルス校)で音楽総論の博士課程。
1963年 当時流行してた「ヴェンチャーズ、シャドーズ」等に影響を受け、自己流で音楽に興味を抱く。後に、ビル・エバンス、カウント・ベイシー、チャーリー・パーカー等のレコードを聴き、ジャズのサウンドに興味を覚える。
1970年 服部克久先生に師事。この頃からレコード、テレビの音楽番組等の作・編曲を手掛け始める。しかし、それよりももっと高度なハーモニーを駆使しているデューク・エリントン、サド・ジョーンズとメル・ルイス等に引かれる。当時既に音楽家として仕事をしていた。また、芸能プロダクションであるジャニーズ事務所でもグループの一員であったから事務所からは反対をされた。しかし、自分の勉強不足に気が付き、米国留学を実行し無事卒業。(バークリー音楽大学は現在では数百人もの留学生が通っているようだが、私の頃は未だ全校でたったの4人しか在校してなかった。)
1965年 元々私はタレントからの出発であり、それも未だ中学1年生の坊主頭の頃であった。元タレントの江木俊夫氏と中学校が同じであったことから彼の所属していたジャニーズ事務所に誘われて、グループ「ハイ・ソサエティー」のリーダーとしてグループ「ジャニーズ」「フォーリーブス」郷ひろみ、川崎麻世等の音楽監督的存在として事務所に籍を置くことと成る。自らのグループもエピック・ソニー第一号タレントとしてレコードをリリースし新人賞受賞。帰国後も「たのきんトリオ」のコンサートなどの音楽監督を務める。
1966年 日劇ウエスタン・カーニヴァルに連続18回連続出演、またNHK及び各民放のオーディションに合格し、当時流行していた歌番組は殆ど出演及び演奏、編曲等をするように成り「プラチナ・ゴールデンショー」「TBS銀座ナウ」「ロッテ・歌のアルバム」等は長年に渡りレギュラーを勤める。
1970年 この頃に成ると、前述した通り若干17歳であったが服部克久先生とご一緒させて頂き、本格的なオーケストレーションをし出す様にに成る。洋書の音楽理論書を色々取り寄せ、音楽高校では修得出来なかった事を自己流に勉強し、当時アメリカのスターであった「デイビー・ジョーンズ」「スリー・ディグリーズ」等が来日した際の編曲を担当。また、「歌えヤンヤン」では、生番組で、ビッグバンドの編曲と指揮を若干二十歳で一年半年に渡り、担当し後に大変勇気付けられる事に成る。
1973年 ジャニーズ事務所の反対を押し切って、自分の音楽的才能に欠如している事に疑問を抱いて、ボストンのバークリー音楽大学の最高クラスであるハーブ・ポメロイ教授に師事して、無事最高である「ジャズ・コンポジション」(現在は無く、倍率が千と言う難関)のクラスの学位を取得出来た。これは、非常に自信に成りニューイングランド・コンサーヴァトリーやジュリアード音楽院等でも現代音楽の音楽理論を修得出来た。
1998年 一旦帰国して仕事をした後1998年UCLAでは博士号(Ph.D.)を取得。
現在は、本格派の作曲家として国内のみならず、特にキャルフォルニア州で現代音楽とジャズを融合させた管弦楽法、及び近代音楽管弦楽法に強く取り組んでいる。
尚、留学中に勉学した医学を活かす為に種々成る研究をし、二十代後半から音楽(視聴覚)から人の循環器等の組織、特に心筋細胞の変異に起因する不整脈等の研鑽に努力する事を今日でも未だに継続中である。
※この研究論文は、AHAでは既に発表されてる。出来れば、㈳日本循環器協会等でも発表出来ればと思ってる。
また、私は一様文化人として、社会に対する批判もさせて頂いております。勿論、このインターネットと言うものはその為にあるようなものではないでしょうか。音楽家のみならず、コメンテーターとして米国のMLB、USPGA等のスポーツのコメンテーターとしても米国のテレビ局にも出演した。(近日中にLAオープンの際の写真を公開予定)
また、日米の医療現場の良い点悪い点等を客観的に検証し、評論させて頂いております。
特に最近では、中東を始め宗教的な面から国連安全保障までも巻き込んでる、紛争に心を痛めてます。日本人の忘れている「弱者優先」という言葉を尊重している。一方、日本の行政のあり方については、前から批判しているように、21世紀初頭に勃発したニューヨーク市のテロ事件の表面的な事しか理解出来きてない社会には、強い憤りを感じております。
あくまでも私の持論ですが、戦争に大義名文等は、絶対無いと信じてます。今日では、中東のみ成らず、北朝鮮を始めとして、南米のベネゼエラ等も核保有も包含した問題のニュースが多く観られますが、とても悲しいと思う昨今です。一番、理想的な事は将来の子供達の為にも核廃絶がなのでしょうが、現実的に無理である事は過去の歴史から学ぶ限り困難な事も事実でしょう。
出来る事ならば、自分に出来る事があれば、許す限り何でもしたい気持ちであるのが正直な気持ちです。今後とも、幅広い視野で物事を鑑みて生きて行きたいと自分に鞭を打って頑張ってる所存ですので、皆様のご支援ご協力の程、宜しくお願い申し上げる所存でございます。