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ショッカー

 投稿者:ひかり  投稿日:2016年 1月16日(土)13時57分2秒
  ネットで検索されると、その組織機構に失笑です。
ショッカー戦闘員にいたっては、もうなんだか。
私や周囲は爆笑ひとしきり。

谷川の住人様、ありがとうございます。
蔵出しの話をもっとお願いいたします!
膝うち歓喜の話、そのような話を知りたかったのです。
 

次郎三郎様

 投稿者:陽報  投稿日:2016年 1月16日(土)12時20分13秒
  詳細ありがとうございます

凄い証人集めていたんですね

残念!
 

谷川の住人さま

 投稿者:誠実一路  投稿日:2016年 1月16日(土)11時15分48秒
  訪問激励・家庭訪問の投稿ありがとうございます!いろいろと考えさせられました。

思えば54年当時、先生は会員さんと分断させらても現場を離れなかった。分け隔て無く学会の舵を絶対に離さなかった。

沢山の事を知った上で、嫌気がさし自ら一線を引こうと思う時がありましたが、先生の行動を学べば学ぶほど一歩も引いてはならないと常に自分を戒め題目をあげ抜いています。
過去、組織から去ったり役職返上も考えましたが、誰からもあからさまに除外されていないのに自らそんな事をすれば、御書の通り、先生の指導通りと叫んでいる事自体が偽物の弟子の様に感じてなりませんでした。
私も先生と同じ、何処までも信心で難を乗り越える人を、一人でも多く対話の場をもって増やして参りたいと思います。
ありがとうございます!
 

わが友に贈る

 投稿者:どうしょうてん  投稿日:2016年 1月16日(土)10時54分17秒
  我らの対話は
「励ましの力」
「希望の光」
「生命蘇生の新風」
勇んで友のもとへ!
 

支援活動で事故に・・

 投稿者:八風  投稿日:2016年 1月16日(土)10時46分44秒
編集済
  12年前のこと、ちょうど参院選の支援真っ盛りの5月です。我が地区の地区婦人部長は
中学性の娘さんを同乗させエフ活動に出ます。戦い終わり
帰りの高速インター付近で接触した。地区婦人部長は死亡、娘さんは大けが、一命はとりとめた。
当時私は本部長兼任の総地区部長(こんな役職もありました)していました。
残念で、無念で、悔しい思いでいっぱいになりました。
公明支援では悲喜こもごもな思いが蘇ります。
幹部は死亡については何ら言及しないし、まして責任問題など微塵も出ません。
「寿命だから仕方ない、成仏します。」と・・(怒)
組織内は冷たいです。まして公明党議員なんて自分さえ良ければの輩です。
私は選挙のたびにこの事故を思い起こし、地区婦人部長のご冥福を祈り追善しています。
支援もいいでしょうが自分の命は自分で守りましょう。組織は責任取りません。
これからは支援の大移動が始まります。支援と信心活動は関係ありません。
公明議員が増えても国民の生活はよくなりません。良くしようという議員はいないからです。
今や存在価値はありません。存在そのものが悪です!自分でよく考えましょう!
 

訪問激励とは?

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2016年 1月16日(土)10時34分13秒
編集済
  原田会長が言わなければならないくらい、最前線に全リーダー(最高幹部も入っているの?)が現場最前線に入った事がなく、ズル信(あの狂言訴訟の信平信子)のように、組織泳いで成果取りしてきたから、また都合の悪い会員(私の様な弾かれ者や除名対象者)は無視して明るい結果出そうな所(現場組織)をハイエナのように動き嗅ぎ回ってきたことが仇になっています。
まずは、共産党の烙印を最高幹部さまが押した最前線から訪問激励をお願い申し上げますです。♪───O(≧∇≦)O────♪
 

もうすぐ春です

 投稿者:非職員  投稿日:2016年 1月16日(土)10時32分36秒
  夜明け前の金星がずいぶんと低くなってきました。もうすぐ春です。

1月度本幹での原田会長発言に思うことがあります・・・・。、
『将来世界3大宗教は、イスラム教、キリスト教と並んで創価学会であろう(主旨)』
という他者の(ヨイショ?)発言をありがたく紹介していました。
いまさら会長職にある者が、しかも本幹の場で、ことさら取り上げる内容ではないと思います。

3000年前に釈尊は、末法に無数の「地涌の菩薩」の出現を予言しました。
750年前に日蓮大聖人は、一閻浮提広宣流布を大確信され方途を示されました。
そして池田先生は、事実として世界192カ国地域に大聖人の仏法流布を具現しました。
世界の多くの識者は、日蓮仏法の生命哲学=池田思想に「人類の幸福」と「世界の平和」を
希求し、創価学会に期待を寄せています。
世界の識者は、創価学会をイスラム教やキリスト教と同列に扱ってはいません。
むしろ既成宗教の行き詰まりの姿に失望し、太陽の仏法を待望しているのです。
先生の対談集にも明らかですね。

蛇足として、未だ仏法を知らない世界的科学者の既成宗教に対する発言を紹介します。
●スティーヴン・ホーキング博士 ケンブリッジ大学教授 宇宙物理学者
・宇宙の始まりは科学の法則によって支配されており、何らかの「神」によって動かしてもらう必要はない。
・何故、太陽系は今日まで、安定して生き残ったのかを説明するのに、神の介入は必要ないのです。
・宇宙創造の理論において、もはや神の居場所はない
・It is not necessary to invoke God to light the blue touch paper
 and set the universe going.
 訳※ ビッグバン(宇宙誕生)は、必ずしも神の存在の介在によるものではない。
・The scientific explanation is complete.
 Theology is unnecessary.
 訳※ 科学の説明は完全です。神学は不要です。

●リチャード・ドーキンス イギリスの進化生物学者・動物行動学者
・『何をどう考えていっても、神などというものがこの世を見守っていると信じる合理的理由はない。』
・『ある一人の人物が妄想にとりつかれているとき、それは精神異常と呼ばれる。』しかし
『多くの人間が妄想にとりつかれているとき、それは宗教と呼ばれる。』
・『宗教が人の世の平和や、真の心の平安に役に立った試しはない。』
・『特定の宗教が有害無益だというのではない。そもそも宗教というものが、
 人間にとって有害無益だと言うのである。』
・『仏教は宗教ではない。』

内外ともに新時代の到来を実感します。


 

創価は、訪問宗教か?

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2016年 1月16日(土)09時19分19秒
編集済
  竹中労氏が、庶民列伝でまとめたインタビューの中で、小樽問答の中心者、谷紀恵子さんの話があったと思います。前出の藤原房雄さんの折伏の紹介者で、何もわからないまま、藤原さんは、小樽問答に参加しています。なぜ、そんなところに行ったか?谷さんの食堂でご飯をご馳走になりながら、すごい人が来る(先生)から、行けと言われたから。
そして、夕張炭労事件で、先生は夕張市内をくまなく潜水艦の如く、家庭指導で回っており、藤原さんが、びっくりしたのは、学会員からも除外されていた家族に会って涙ながらに激励していた事でした。それは、炭鉱爆発で活動家のご主人を亡くされた長屋の一角での事で、同じ場外警備についていた男子部から聞いたそうです。藤原さんは、当時、室蘭工大を卒業して電気工事師として働き、かなりいい稼ぎで、その矢先に、先生から『一度、東京に来なさい』と言われ、指導を受けたら、職員にと勧められ、同じ世代とは言いながら、あの夕張炭労事件での先生の闘いを思い出し、この人なら間違いないと思い、職員になったと語っていました。
あの夕張炭労事件の最中、炭鉱爆発で助かった学会員ばかりではなく、亡くなられていた学会員もおり、組織の中ではどうして信心していたのに死んだと詰る学会幹部も多くいたのです。
龍や石田みたいな連中です。当時は文京支部夕張班です。
その中で、先生は関係なく、そんなところに訪問激励していました。これが本当の家庭訪問で会合連れ出しの下心で執拗にストーカーのように動き回る事ではありませんよ!
 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】28/34

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月16日(土)08時59分56秒
  ではなぜ、大聖人は「文上の義」によって「文底の義」を拾い出すことができたのでしょうか。

今度はそれを考えてみましょう。

まず結論からいうと“文上の義”から“文底の義”を拾い出した理由は、

大聖人が法華経を理論上で解釈しただけでなく、法華経をわが身で体験(身読)し、
人生最大の法難である竜口・頸の座で発迹顕本したからです。

釈尊(文上の義)の発迹顕本は、久遠とはいえ「五百塵点劫」の成道が一切の根本であり、それが釈尊の本地です。

これに対して、大聖人(文底の義)の発迹顕本は、

五百塵点劫よりもっと前の「久遠元初」が一切の根本で、これが大聖人の真の本地であり、
その身そのままの姿で、久遠元初(根源の法)を体現したのです。

いわゆる「直達正観(即身成仏)」といわれるものです。

釈尊を仏たらしめた「根源の法」が久遠元初の南無妙法蓮華経であると覚知し、
大聖人の身に涌現(一体)して、一人の人格者として顕れた――。

久遠元初の「主師親の三徳」を体得し、その境涯で文上の義を見れば、
その文底には厳然と“三大秘法の義”があると見たのです。

大聖人は“直達正観”した事の一念三千たる南無妙法蓮華経を
末法の衆生を救済するための「本尊」として図顕し

「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。
当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」(一三三九頁)と師子吼しました。

よって末法の衆生は、その御本尊を受持し自行化他の唱題行に励むだけで「即身成仏」できる、

というのが日蓮教学の結論なのです。


・・・つづく
 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】27/34

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月16日(土)08時59分8秒
  大聖人は

「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る。
爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文なり、但真実の依文判義は本門に限るべし」
(一二七四頁)と述べています。

この御文は天台の著した十章からなる“摩訶止観”の
正しいとらえ方を示した大聖人の著作“十章抄”の文なのですが、

この御文の意味は、

確かに天台大師は「一念三千の法門」を法華経方便品(迹門)の十如実相から導き出して立てたが、
その一念三千の義(思想・法理)は本門によっていると述べます。

そこから大聖人は、
爾前経の経文はより次元の高い法華経迹門の義(思想・法理)によって解釈し(依義判文)、
法華経迹門の経文はそれよりさらに次元の高い法華経本門の義(思想・法理)によって解釈しなければならない(依義判文)

と訴え、

経文自体がそのまま義(思想・法理)をあらわしているのは本門だけ(依文判義)であると結論しました。

そしてその本門寿量品(文上の義)を、大聖人はさらに一重深く立ち入り、
文底に秘沈されている「文底の義(事の一念三千)」を拾い出し、

末法の衆生のために “人法一箇の南無妙法蓮華経”である「本尊」を顕します。

大聖人がなぜ

「経文に明ならんを用いよ。文証無からんをば捨てよとなり」(四八二頁)といわれて
経文上の明確な根拠のある教義を用いるべきであり、経典によらない教えは用いてはならないと戒めたり

「文無く義無きは信受すべからず」(二一九頁)と天台の言葉を引いて
経典(文)も道理である義(思想・法理)もない教義を信じてはならない、と厳しく戒めるのかというと、

そもそも大聖人の“事の一念三千”の義によって法華経の文を解釈するといっても、
この“事の一念三千”の義は、法華経の文を超えたところ、すなわち「文底」に秘沈されているものです。

しかし、だからといってこの「文底の義」は法華経の文を離れたところにあるのではありません。

要するに、大聖人の“事の一念三千(三大秘法義)”は、大聖人が勝手に造ったものではなく、
釈尊も知り、ひいては三世の諸仏も天台も伝教も知っていたのです。

ただ、私たち凡夫が簡単に見透すことができないだけで、大聖人からすれば

本門寿量品の“文上の義”によって“文”を解釈するとともに、
その“文”のなかに“文底の義”があることを明らかにすることができるのです。
 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】26/34

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月16日(土)08時58分21秒
  ここからは少しむずかしい言い方(表現)になるかも知れませんが、
この問題を解明するために、しっかり研鑽し思索していきましょう。

それでは始めます。

大聖人の思想を正確に理解していくうえで大事なことは二つあります。

一つは「依義判文と依文判義」、もう一つは「相待妙と絶待妙」です。

まず、依義判文とは“義に依って文を判ずる”と読み、義によって文を解釈するという意味です。
それに対して、依文判義とは“文に依って義を判ずる”と読み、経文に説かれている文により、
仏の説いた真実の義を解釈するという意味です。

「義」は文によってあらわされる思想であり法理です。「文」は説かれた経文のことです。

これらを一般的に見た場合、
普通は“文と義”の関係は、文章(経文)によってその思想や法理があらわれるものです。

だから解釈する側にしてみれば、思想や法理は文章(経文)によって得られるのであり、
思想や法理によって文章(経文)を解釈するということは不可能なはずです。

しかし、よく考えてみると、人間はある文章(経文)に遭遇した場合、
それ以前にさまざまな人生経験や学問によって「義(思想・法理)」の会得に通じる概念をもっています。

だから自分が会得した「義」によって、その文章(経文)が何を意味しているかについては“考える”ことができるのです。

つまり、自分が会得した義によって文章(経文)を解釈するということを日常的に実践しているわけです。
 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】25/34

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月16日(土)08時57分39秒
  しかし「時」の重要性を示した“撰時抄”を読んでいると、ある疑問に突き当たります。

その疑問とは、撰時抄に

「仏滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・乃至天台・伝教の
いまだ弘通しましまさぬ“最大の深密の正法”経文の面に現前なり」(二七二頁)とあります。

これは仏の滅後において、末法にいたる二千余年の間にさまざまな仏法流布の指導者が数多く輩出されたが、
彼らがいまだ弘通していない最大の深密の正法(三大秘法)が経文上に現前と説かれているという意味ですが、

開目抄には「一念三千は文底秘沈」と語っているのに、撰時抄では「三大秘法は文上に現前」と説いています。

“一念三千”と“三大秘法”は同一の法体を示したものですが、

なぜ、一方では「文底」といい、他方では「文上」といわれたのでしょうか。

さらに別の御書を読んでも同じ疑問が浮かんできます。

たとえば
「今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(一五四六頁)
と述べられており、妙法以外の一切を否定しています。

ところが、撰時抄の上記の文は法華経を肯定して用いる立場を表明している。
一方では否定し、他方では肯定するという二つの相反する考え方が、なぜ御書のなかで示されているのでしょうか。

大聖人の思想を正確に理解するうえで、この部分の解明は避けては通れない問題だと思う。

なぜなら、池田先生が亡くなったあと、退転者や反逆者、また二流三流の評論家や学者たちが

「日蓮の御書や池田名誉会長の指導には二つの相反する考え方があり、
自語相違も甚だしく哲学的に見ても一貫性がない。そんなものを信じているから不幸になるんだ」と、

一つひとつ自語相違の文証を出されて日蓮仏法も池田思想も完全否定されたら、皆さんならどう応戦しますか――。
 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】24/34

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月16日(土)08時56分50秒
  しかし、釈尊が自らの限界を自覚できるということは、その限界を超えるものを知ってはじめて可能になります。

自らの限界を自覚していること自体が“釈迦仏法の有限性”を示し、
自らを超える究極の「偉大な法」があることを指し示しているのです。

上記の御文にもあるように、大聖人は第一(権実)第二(本迹)の法門より、
今一重立ち入って第三(種脱)の相対を独自に立てられ、これを「日蓮の法門」としました。

その文証が上記、開目抄の御文であり、

観心本尊抄では
「在世の本門と末法の始は一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種なり。彼は一品二半、此れは但題目の五字なり」(二四九頁)、

御義口伝では
「此の品(寿量品)は在世の脱益なり。題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益、滅後は下種なり。
よって下種を以て末法の詮と為す云云」

となります。

開目抄の「ただ天台大師のみがこれを内心に悟っていた(通解)」(一八九頁)とは、

天台大師は第三の法門である“種脱相対”を内心では知っていたけれども、時と機がなく付嘱もないゆえに、
自行として南無妙法蓮華経は唱えはしても、化他としては妙法の名字をかえて「止観」と名づけ
「一念三千の法」の理論を説いただけに留まったという意味です。

大聖人は“第三の法門”が末法に弘通する大白法であるとの大確信を表明して

「種種の大難出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」(二三二頁)と断言しました。
 

政治と宗教の次元

 投稿者:うらら  投稿日:2016年 1月16日(土)08時14分13秒
編集済
  …は、異なる。という事で「だから政治には妥協も必要」とよく耳にします。

いざという時、そのような中途半端な妥協で済むなら、公明党は要りませんね。
なんのために、教団あげて会員を利用して、支援活動させているやら。
なぜに池田先生は議員に対し、激しく厳しく叱責されてきたのか…。
政治と宗教の次元は異なる、この言葉の裏には、師弟軽視の心がかおだしてるんだな、と感じます。

大聖人の仏法、ではなく、公明党ありきでは、やっぱり道を外して行ってしまいそうですね。


 

虹と創価家族様

 投稿者:次郎三郎  投稿日:2016年 1月16日(土)08時09分46秒
  >谷川副会長は、こう語っている。「もとより『週刊新潮』の記事は、事実無根の悪質な捏造記事である。矢野の本性を、法廷の場で白日の下に明らかにし、厳然たる決着をつけてまいりたい」<

http://6027.teacup.com/situation/bbs/36780

あはは!これこれ。会合、確か本部幹部会でも厳然と仏敵と決着。なんて言ってましたよw

和解は自分が次の会長になる為であり
誰かに恩を売ったんじゃないんかね。


当時の柳原ナンチャラさんのコラム日記を読んで見ようね。
そうするとオモロイことがわかるよw

2月14日と2月22日の分ね。
14日を見ると学会側が矢野を追い詰めていることがわかるね。
そして、22日は文章も少なく衝撃だったんだろうね。

前日に聖教などの報道で、2月10日に双方和解で裁判終了!
あぜんとなったんだろうねw
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【柳原滋雄コラム日記から引用します。】

2012/02/14(Tue)

【堕ちた元委員長142
矢野絢也にトドメを刺す2通の証拠申出書】

 不明朗な金銭スキャンダルが原因で党委員長職を辞任した矢野絢也が、一族あげて教団を脱会し、教団および幹部7人を名誉棄損などで提訴する行動に出たのは2008年5月。翌6月には衆院議員会館で野党主催の「矢野絢也さんより話を聞く会」が開催されるなど、矢野側が公然と本格的な教団攻撃を開始した。

 以来、この裁判は21回の口頭弁論を終え、審理の最終盤となる証人調べの段階を目前に控えている。20回目となった昨年11月の口頭弁論では、教団側は秋谷前会長を筆頭とする20人の名を連ねた証拠申出書(証人申請のための書類)を提出。過去に矢野の秘書をつとめていた人物数名に加え、原野商法の被害者やその関係者、元国会議員などが証人予定者に含まれていた。なかでも目を引いたのは、そこに「中瀬古功」という名前が記載されていたことである。

 矢野が党委員長を辞任するきっかけとなった明電工疑惑において直接当事者となった人物であり、1988年に朝日新聞で報じられた「10億円株取引」が矢野自身の株取引だったこと、さらに同じく朝日で報じられた矢野宅における2億円授受も矢野自身の株取引であったことなどを証言する予定とされていた。

 そうして21回目の口頭弁論が今年2月1日、東京地裁で行われた。裁判長は11月の口頭弁論で、「次回の2月1日に人証認否の判断を行いたい」と言明し、さらに「その次から人証調べとしたい」と法廷で述べていたので、2月1日にだれを調べるかが決定されるものと傍聴者は考えていた。

 一方で教団側はこの日の口頭弁論にあわせて2通目の証拠申出書を提出。そこには新たに7人の名前が記されていた。一人目の矢野絢也の名は原告本人なので当然のこととして、注目されたのは2番目に記載されていた人物の名である。「N元秘書」。矢野は明電工疑惑を否定するために当時すべてをこの秘書のせいにしていたが、そのとき口裏を合わせたと見られたのがこのN元秘書だった。

 その直接当事者が、事件から20数年をへて、法廷の場で「真相」をバクロするというのだから、矢野側は大いに慌てているはずである。しかも裁判所からの「呼出」でなく、教団側代理人と「同行」して出廷すると記載されているので、その衝撃は一層大きいはずである。

 矢野本人は最近も著書のなかで、「天地神明に誓って、私は潔白である」(2009年)などと述べているが、その『大ウソぶり』が司法の場で明らかにされ、木っ端みじんに吹き飛ぶ事態が想定される。矢野側はここに来て、絶対絶命のピンチに陥っている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2012/02/22(Wed)

矢野絢也と学会関係者の裁判、双方取り下げで終了する
 昨日付の聖教新聞が2面で、矢野絢也と創価学会ほか7人、谷川佳樹副会長と矢野絢也・新潮社との各裁判が裁判所の勧告により2月10日に終了した事実を報じた問題で、産経新聞は本日付の紙面で「創価学会への損賠訴訟 矢野氏側取り下げ」と題する記事を社会面に掲載した。

 

公明教

 投稿者:螺髪メール  投稿日:2016年 1月16日(土)07時31分42秒
   日和見の非難を受けるかもしれませんが、公明党は政治関係の前衛部門と見る視点も必要なのではないでしょうか。学会として戦争断固反対であっても、グローバル・ガバナンスの中で国際社会との協調、あるいは妥協は一面で避けられられません。党は妥協しても、学会は妥協しないと。おそらく、公明党内でもいろんな考え、意見があるはずです。何もかも滅多切りでは後に何も残りません。
 何を「選択する」かは「何を信ずる」かの問題でもあるはずです。
 文芸評論家で作家の小林秀雄がこんなことを言っています。氏は「異論」を超えて言論人らから愛された作家で、確か、池田先生とも交流があった人です。1974年頃に語ったものだとされます。

「信ずるってことは責任をとることです。
 万人のことを考えないのだからね、僕は。僕流に考えるんですから。もちろん、僕は間違えます。でも、責任はとります。それが信ずることなんです。
 だから、信ずるという力を失うと、人間は責任をとらなくなるのです。そうすると、人間は集団的になるんです。つかえが欲しくなるんです。自分で天を操ることが信じられることができなくなるから、ペンクラブ欲しくなるんです。
 ジャーナリズムっていうのは、インテリの言葉しかのっかっていないんです。こんなものと(を?)日本と間違えてはいけませんよ。左翼とか、右翼とか。みんなイデオロギーですよ。あんなものに、私なんかありはしませんよ。信念なんてありゃしませんよ。どうして徒党を組むんですか。日本を愛するなら。日本というのは心の中にあるんですよ」。
 言論人の氏の見方を語ったものでしょう。
 もちろん、一つの流れができてしまうと、その流れを変えるには相当の力が要ります。「九条」を変えるのかどうか、それとも従来通り「加憲」でいくのかが分岐点でしょうか。某与党がそんな生易しい党でないこともありますしね。
 
 

感性様、

 投稿者:ひかり  投稿日:2016年 1月16日(土)02時33分3秒
  こ、公明教ですか。
ザンシンな響きですね(笑)
新しいアプローチの可能性を予感させる言葉です。
実態は古色蒼然でありながら、何か生々しい「今」を感じます。

昔から、人権蹂躙になりかねない事が行われてきたと思います。
例えば、うむを言わせぬ言葉で真面目な会員を縛るところがありました。
共産党員だなんていうのも、排除のためのそれです。

幹部の舅姑根性的な部分で、際どい言葉で縛りつける。こんなのいじめに近いのではないかと怪しんだことも。
男子部で総括と称してむごいつるし上げがあった組織の存在も。
あってはならないことがたびたび行われてきましたが、組織悪はつきもの、と言ってはばからない人もいました。
しかし、被害者は人生が壊れるほどの苦痛が生じたのです。無慈悲も甚だしいんです、組織悪はつきものだなんて。
組織悪が放置されてはいけないのだと、私は、ずーっとしつこく思ってまいりました。

こんな場合違うだろうと眉をひそめる私の前で、当然のように御金言御指導を引用したり、人物を共産党だなどと言って人を操作しようとする輩がいました。

トップが自ら虚偽を正当化する、そんな組織は、もはや三代会長が命がけでつくられた創価学会とは違う。

「ショッカー」なのです。
そんでもって洗脳されし幹部はショッカーの戦闘員です。

私は、泣いている女性の幹部が今まで多数いたことを忘れることができません。
また、去って行った男子部員、へそを曲げてしまった壮年部員の言い分をちゃんと聞かず、自分の子分のいいようにしてやり、「オンシツ」と言ってますます遠ざけたりしたことも許しがたい。
 

井上幹事長

 投稿者:陽報  投稿日:2016年 1月16日(土)01時17分23秒
  井上幹事長は秋谷氏に可愛がられ出世街道を歩んだとネットに記載あり

山口代表は安倍さんと合わないのは公然の秘密とも

井上幹事長って
自民が参考人として連れてきた学者が憲法違反と明言した時、ちゃんとした人を何故連れてこないみたいなことをいって怒っていた
自民党の人かと思った

こういう人が幹事長にいては、山口さんも大変だと同情する

今後の幹事長の言動はチェックが必要!

それにしても、創価学会は池田先生を永遠の師匠といっているけど、蓋を開けると、秋谷さんがあちこちから顔を出す

職員採用
党の幹事長
大学の事務長は秋谷さんの息子さん

まるで金太郎飴のように秋谷さんが顔を出す

本当にこれが、池田先生を永遠の師にしている団体なんでしょうか?

本部に、党に、大学に
本物の池田門下はいないのか?







 

人間革命の歌

 投稿者:陽報  投稿日:2016年 1月16日(土)00時39分49秒
  執筆の最後に学会本部会長室と書かれていた

あたかも、数年後、学会本部の会長室を追い出されることを覚悟されているかのように

ゴルバチョフは以前先生に言っていた
自分の敵が自分を失脚させようとするのは分かる

しかし、自分が助けた人が自分を攻撃するのは理解できない

エリツィンを助け中央幹部にしたのがゴルバチョフ

そのエリツィンがクーデターを起こしゴルバチョフは失脚

先生はそんなゴルバチョフを軽くなだめていらした

ゴルバチョフはもっと同調して欲しそうだった

しかし
先生が経験されたことの大変さを思ったらー
どれほど狙われたと思ったらー

それでも、広布の為、会員の為に戦い抜かれている

先生のお友達は皆、そういう人
類は友を呼ぶ

秋谷さんのお友達は?
え?
八○さん?
○○さん?

なるほどー

原田さんのお友達は?
秋谷さん?

なるほどー

原田さんって正木さんの先輩だよねー
先輩が後輩を落としてどうする?
しっかり引っ張って、譲るべき

自分達は青年時代、原田青年部長時代に
先輩は後輩を自分以上の人材に!と教わりました

出でよ10万の池田大作!
50.7.11に先生が話され、聖教に大きく掲載されていた


 

公明教による刷り込みでしょう

 投稿者:感性  投稿日:2016年 1月16日(土)00時16分6秒
編集済
  >歪んだやり方   投稿者:ひかり   投稿日:2016年 1月15日(金)07時02分14秒

反自民党的な言動をした者が実際に日本共産党員や関係者、支持者・支援者ではなくても
「あの人は共産党だから・・・」という刷り込みは学会の中では今も昔もあるようですね。
おっしゃるその青年も単に反権力志向が強かっただけで同党がらみで刷り込まれたのかもしれません。

今でもそのような意図的な刷り込みがあるようですが、それは大変残念なことです。
古色蒼然もはなはだしいことです。組織も関与した刷り込みの場合はさらに問題は深刻です。
刷り込まれている人が刷り込み内容と事実が異なる場合は組織の責任者はどう責任をとる
のでしょうか。頬かむりですか。

むろん、相手がいかなる政治信念の持ち主であれ懐深く対処するのがこの信心の機軸であった
はずですね。名誉会長が自ら行動で示されています。

また例えば極論でも何もなく共産党や右翼団体の人も学会で信心に励むことも可能なはずです。
都合悪けりゃ「共産党!」を吹聴する人々はそういった精神を忘却した公明教とでも申しあげて
おきましょう。

 

安倍政権の裏の顔

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 1月15日(金)23時16分13秒
  朝日新聞連載の集団的自衛権閣議決定までの政界裏側のドタバタ劇記録。公明党首脳の動きもバッチリ掲載。ただし党を制御するピロシ副会長や某事務総長の権力闘争には言及無し。岩波、世界の中野潤論文と併読しましょう。  

同盟題目

 投稿者:濡落葉  投稿日:2016年 1月15日(金)22時59分12秒
  いつもは時間がズレておりましたが、今晩は同じ時刻にできますので、皆様と呼吸を合わせて破邪顕正のお題目を唱えさせてもらいます!  

同盟題目

 投稿者:獅子の子  投稿日:2016年 1月15日(金)22時48分32秒
  よろしくお願いしますm(__)m
自然災害 事故 事件 テロ等の
悪い現象が起こり
続けています。
しっかり祈っていきましょう!

今日の社説にありましたが
~少しもたゆむ心あらば魔たよりをうべし~ でしたね。
月月・日日には何故にカットしてあるのでしょうか?
月月・日日にと言う事により常に引き締めて 信心を強めてと強く訴えられている所ではないでしょうか?

『月月・日日に強りたまえ少しもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』

月々日々に信心を強めていきましょう!同志の皆様と共に!
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 1月15日(金)22時46分34秒
  本日も23時開始です。よろしくお願いします。  

つづき

 投稿者:ヨッシー  投稿日:2016年 1月15日(金)21時47分3秒
  先生の悪口書かれても平気な人達が、自分のことチョット言われると目を剥いて怒る。

最近除名になった方で、矢野や石田の様に先生の悪口言った人は一人もいません。それどころか「先生の指導と違うじゃないか」と言ってただけです。

大聖人曰く
「賢人とは、王をほむるものをば、我を下ぐるともよろこぶなり」

これが大聖人の指導。賢人はいずこに。
 

除名

 投稿者:ヨッシー  投稿日:2016年 1月15日(金)21時44分48秒
  Aさんの仲良し矢野は新聞や週刊誌に、何年も言いたい放題書いても除名になりませんでした。
最後は自分で退会です。

Aさんのご親戚石田次男が除名になったという話も聞きません。

今回除名になった方々は、矢野や石田以上にひどいことをしたんでしょうね。きっと。

でなきゃオカシイでしよ。

クワバラ、クワバラ
 

昨日も、本日も『日蓮世界宗創価学会』の記事が聖教新聞に掲載されておりませんでしたが!

 投稿者:谷川の住人  投稿日:2016年 1月15日(金)21時06分57秒
  今回の本幹異時中継再放は、仕事の関係で参加出来ません。聖教新聞の紙面のみでの参加です。
しかし、原田会長、『訪問激励』は無いでしょう、『折伏弘教』でしょうが!いくら対話否定が信条かもしれませんが、外部の友人と常に対話していないと、身内の会員に対しても良識なく、失礼な訪問をする様になる事が分かりませんか?
自らと同じ境涯の強欲で傲慢な自民党幹部をひとりでも良いですから、折伏して下さいまし。
そうしないと、広宣流布を否定する仏敵と認定されます。訪問激励ではなく、折伏弘教が選挙の闘い(選挙はオマケ)です。

竹中労氏、私は好きです。庶民列伝良く読んでいました。六〇歳で亡くなられて惜しい人材でしたね。過去帳にしっかり記載して追善回向してます。(^o^)
 

(無題)

 投稿者:さすらい  投稿日:2016年 1月15日(金)20時12分28秒
  〈組織、党に対する不信感が御本尊、先生への不信感を呼び、未活になって行く人が増えている〉ことは残念なことです。池田先生の指導通りに生きることをせず、力もないくせに威張り腐り、懈怠謗法の幹部だらけの現状を憂います。そして、上の打ち出しに何の疑問も懐かず、唯々諾々と随う学会員は「自分の頭で考えない」という意味でカルトと言われても仕方ありません。「我見」と「自ら考える」ことは違うはずです。
 曾て、竹中労が潮で連載した文章の中に〈かくて信仰は、党によって失われる〉とあります。無論、公明党を指しています。私にとって、自公連立して以来の公明党は魔の存在でしかありません。湾岸戦争以来、安保法制まで容認し、今度は憲法9条改悪に突き進むはずです。こんな政党が存在する意味はあるのでしょうか!?沖縄の民衆の願いを踏み躙り、国交大臣を担当すれば無残な事件、事故ばかり。為政者が狂っている証左ではないですか!!

〈昔は女子学生局の4月の新入生歓迎部員会では「卒業まで恋愛しないことを誓い合いましょうね!」と担当幹部が語りかけるのがお約束だったと聞いたことあります〉とありますが、私の知り合いは女子部本部長時代に幹部から「あなたの部員が全員、結婚するまでは自分の結婚は考えないように!!」と厳命されました。それを守った本人にも責任はありますが、この理不尽を指導だと思っての発言だったら、人間として狂っています。言った本人が結婚したかどうかは判りませんが、それでは全国女子部長は全員が独身のはずですよね。座談会担当の婦人部副本部長が「女子部は迹門、結婚して子供を産み育てて初めて本門なのよ」と言い放ったときに60才を過ぎた件の彼女の如是相が夜叉のそれに変わりました。その場にドノヨウナ事情を抱えた人々がいるかも想像すらできない、このような幹部を見ると、昔も今も上が醜悪だから下も同じになる構造は変わっていないのです。
 創価学会が真の世界宗教になるためには、曾て池田先生が叫ばれた「出でよ!十万の池田大作」との呼び掛けを事実の上で弟子が色心に顕現できるか、どうかに懸かっています。




 

矢野裁判へ向けて決意発表!

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 1月15日(金)20時10分34秒
編集済
  >何が何でも裁判に勝ち正義を証明するって
谷川はん、会合で宣言してませんでしたっけ?<

次郎三郎様、こんなの拾いました~。

まさに勢いは決意発表そのもの!気合十分!!
しかし、口だけでしたけどね(笑)

仏敵と和解した主任副会長の、恥ずかしく情けない「敗者」の歴史です。

なによりも、先生の敵に勝てない幹部が、会長になる資格は御座いません。

~~~~~~~~~~~~

谷川副会長は、こう語っている。「もとより『週刊新潮』の記事は、事実無根の悪質な捏造記事である。矢野の本性を、法廷の場で白日の下に明らかにし、厳然たる決着をつけてまいりたい」


 

党の職員から聞いたのですが

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 1月15日(金)20時00分16秒
  T山議員、平和学者気取りの慢心甚だしいらしいです(笑)。  

ひかり様

 投稿者:見込みない人びと  投稿日:2016年 1月15日(金)18時46分43秒
  以前にこちらで話題になりましたが、70年代に先生は創共協定を「宮本さん、これはロマンですよ。共産主義と宗教団体が共存できるという。」と呼びかけて共産党との対話を試みていらっしゃいました。この頃「元」が付きますが共産党員の人に潮で筆を振るってもらったり、本を出版したりもしていて本当に先生の懐は深いな、と思いました。


女子部の恋愛の話、男性の私が迂闊なことを言ってはいけないとは思いますが、昔は女子学生局の4月の新入生歓迎部員会では「卒業まで恋愛しないことを誓い合いましょうね!」と担当幹部が語りかけるのがお約束だったと聞いたことあります。その是非は置いておいても、件のお話は酷いです。
 

厳罰は避けられない

 投稿者:白ゆり  投稿日:2016年 1月15日(金)18時33分56秒
  こちらの板を 読むたび 末端の心根美しき会員さんの 気持ち 信心に 頭下がるおもいです。
54年を 発端に このような 最低最悪、もしや日顕より たちの悪い 最高幹部たちの裏切り行為諸々。
御書にてらしあわせると 必ずや 厳罰は必至だ。
見届けよう!訴えよう!
 

自画自賛してるw

 投稿者:慢心  投稿日:2016年 1月15日(金)17時57分20秒
  委員長になってご満悦な様子  

公明党の議員

 投稿者:うらら  投稿日:2016年 1月15日(金)17時34分10秒
  公明党が無ければ、日本の政治はどうなるでしょう。
庶民の民衆の幸福と平和に捨て身で戦う政党が存在しないことはもうこの国の行く末が見えたも同じであります。

執行部にコントロールされ、思うように動けない今の公明党、とはいえ、
それぞれの議員の質、劣化ぶりは、それはそれはひどいものです。今に始まったことではありませんが。

様々な背景考えても今後公明党がクリーンな政党であるという建前すら維持できるのか?
本当に公明党という政党が必要か、否か?
公明党があった故、創価の堕落はより大きくなったのでは?
池田先生は排除されてきたのでは?
考えてしまいますね。

 

【続】選択1月号より(11.17クーデター)

 投稿者:通行します  投稿日:2016年 1月15日(金)16時53分7秒
  総務会において原田会長の説明

正木理事長は体調が悪く職務執行不可能。本人から辞任の申し出があった。

それに対してある幹部は
4日前まで元気だった。どこかに幽閉されたのではないか。

また、別の中枢幹部は
今回の人事は池田先生の指示ではない。
谷川氏による正木排除だ。

関連情報
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36444
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36497
 

54年

 投稿者:陽報  投稿日:2016年 1月15日(金)15時55分15秒
  54年突然の先生の勇退

何が起きたのか全く分からなかった
何のお役にも立てなかった
慚愧の思い

今、この板のおかげで分かってきた

そして、今、
54年以上のことが起きていることに気づいた
感謝

組織、党に対する不信感が御本尊、先生への不信感を呼び、未活になって行く人が増えている

この板で、
おかしなことをやっているのは、誰か!
はっきり分かってきた

そして、この板で、
先生がどれほど会員を守り、会の清浄化の為に戦い抜かれてきたのか!
はっきり分かった

先生と共に会の清浄化、会員の幸福を祈っていく

これが自分の54年問題の仇討ちだ!
 

グリさんへ

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年 1月15日(金)15時51分57秒
  どいたまして。
横やりすんまへん。
 

処分者

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 1月15日(金)15時17分57秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

原田会長が会長になり現在までに「除名」「解任」「訓告」をした会員は何名になるのでしょうか?

仏意仏勅の創価学会から「処分」されるぐらいの悪党ですから「有名な悪党」ばかりなんでしょう。

「副会長」クラスの「悪党」ですか?
「方面長」クラスの「悪党」ですか?
「総県長」クラスの「悪党」ですか?

まさか「地区幹部」や「ブロック幹部」などではありませんよね?

宗教会の王者である創価学会です。
「地区幹部」などの「小物の悪党」に王者の創価学会の原田会長が目くじらたてるなどありえないですよね?

日蓮大聖人も少々の悪い行いは許して励まして行きなさい。(趣旨)と仰せです。

原田会長が許せない程の悪い行いをした「処分者」はよほどの「高役職」の人間でしょう。

皆様の回りで「処分」された方はどのような「役職」の方でしたか?

御存知の方はお名前を伏せて役職を御教示下さい。

 

清流

 投稿者:地湧の菩薩  投稿日:2016年 1月15日(金)14時41分53秒
  濁流の人達が主流派となり、清流の正木さんを放逐したのでしょう

以前よく先生がスイスの銀行に隠し口座があると週刊誌が書いていましたが、先生ではなく、富士美のアンギアーリのことだったのでしょうか?

もしそうだとしたら
どこまで、先生に泥を塗る人達なのでしょうか!

一番の敵は弟子のふりをした側近?

公明党を日本の為に不要とは思わない
公明党は必要だと思う

学会が清流に戻れば、公明は日本の良心として、それなりにいい仕事が出来ると期待できる

今の政治見て下さい

安倍さんの取り巻き
維新
民主
共産

危なくて見ていられません
公明は必要です!

問題は支持団体の学会が清流になること

公明が国民の為、民衆の為にいい仕事が出来るように応援することが大事

原田会長
会長の仕事は、会員を除名することではなく、悪い幹部を除名することではないですか?

学会の会長は権力者を守る為にあるのですか?
会員を守る為にあるのではないですか?

会則変えてまで、任期延ばし会長の座にしがみついているあなたの姿は、このままでは、あなたも同じ仲間と疑われてしまいますよ

一部の主流派が自分の私欲や悪事の発覚を恐れ、公明を牛耳り、政権離脱させないというような一部で噂されていることがないように
会長として、正しい判断をされることを願っています

上に厳しい、会員には優しい
これがあなたが先生の側で勉強してきたことのはずです
 

ありがたやぁ~ ! !

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月15日(金)14時34分42秒
  正義の走者さん

補足していただき感謝します。ありがとうございました。
 

矢野曝露本第二弾はマズかった

 投稿者:次郎三郎  投稿日:2016年 1月15日(金)12時04分12秒
編集済
  虹と創価家族様

>ところが、二審になるとさらに学会に追い風が吹きだした。裁判長がワケありの人物になったからだ。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36663

これ、柳原ナンチャラさんが裁判ウォッチしていて
和解直前まで勝訴を確信していたように記憶してます。
何で勝つ裁判を和解にしたんでひょ?
何が何でも裁判に勝ち正義を証明するって
谷川はん、会合で宣言してませんでしたっけ?

余程、出版が困る内容だった。これ正解でしょ。

その後の柳原ナンチャラさん、
彼は学会や公明党から距離を置いているように
見えますね。学会、公明党ではなく
谷川さんから距離を置いた。というのが正確かも。
 

グリグリさんの補足

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年 1月15日(金)11時18分0秒
  グリグリさん曰く
「(法華経文上で)成仏の本因の法が明かされたわけではありません」

何故明かされていないのか。それは対機の衆生が已に根源の法(根本下種)を受けた衆生だからです。
此の衆生は根本下種(聞法下種)を受けておきながら(本已有善)、その下種益において得道を果せなかった衆生であり、
これが正に熟脱益の衆生であります。
彼らは下種益を「信」じ得なかった為に、脱益の化を受けることに転じますが、長い熟益修行の末に得たものは、
「雖脱在現 具騰本種」です。本種へ却って得道するのです。これが「等覚一転 名字妙覚」です。

私達は是非、はじめから下種益を確信して、即身成仏を示しましょう。
この下種益を無疑曰信した衆生の名前を「地湧の菩薩」と呼びます。
 

見込みない人びと様、

 投稿者:ひかり  投稿日:2016年 1月15日(金)11時15分25秒
  『アクトオブキリング』
『ルックオブサイレンス』
見込みない人びと様が御存知だったので、嬉しい限りです。

共産党員のせいにする歪んだやり方は通用しないのだと、執行部に分かってもらわないと、先に進みません。
非常に恥ずかしい事を組織的にやっている現状を、世間がどう見ているか。
学会組織は集票マシンだと長らく揶揄されてきましたが、それも合わせて、こんな組織利用の実態をいつまでも放置していたら、「何が恒久平和を目指す団体だ」と、世界中から馬鹿にされる。

見ている人は見ていますよ。
内外問わず。

学会員を馬鹿にした歪んだやり方を許してはならないのです。
沈黙して、放置するのもいけません。
組織の歪んだやり方に乗っかって、一緒に正義を潰したら、福運や功徳は消えます。

まして、一国の存亡に関わる一大事を、学会組織で悪い方に引っ張っていいわけがない。
何のために原水爆禁止宣言を戸田先生がなさったのでしょうか。
牧口先生を獄死させた権力の魔性に、今さら加担させられてどうするのか?
弟子の正念場を、試されている。
それを、なんやかやと屁理屈で某党を庇う愚かな輩を信じて、ついていってしまうのか。
某党も某党なら、組織も組織。

大量虐殺もさせてしまうほど「無責任が一番おそろしい罪」なんだと知るべきなんです。

この無責任の対極にある「当事者意識」「同苦」これは大聖人の仏法が強力に教え実践してきました。

「万人への広宣流布の意義=世界平和の潮流を創る運動」もそこにあり、学会執行部と某党がしていることはトンでもない歴史的大失態にしか見えません。

目を覚ませ!
目を覚ませ!
 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】23/34

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月15日(金)09時15分28秒
  富木常忍に宛てた手紙のなかで、大聖人は

「心得ておきなさい。法華経と爾前経と相対して判別するのに
“当分と跨節(一重立ち入る)”の立てわけ方に三つの仕方がある。

日蓮の法門は第三の法門である。
世間においては、あらあら夢のように第一、第二については述べているけれども、第三の法門については述べていない。
第三の法門は天台・妙楽・伝教もあらあらこれを説き示しているけれども、いまだに説ききっていない。

結局、末法の今に譲り与えたのである」(九八一頁)と述べています。

日寛は六巻抄で上記御文を引用し、

第一の法門は権実相対で「但法華経」。
第二の法門は本迹相対で「本門寿量品」。
第三の法門は種脱相対で「文底秘沈」、と立て分けて解説し

「是れは種脱相対にして第三の法門なり。此れ即ち宗祖出世の本懐なり。ゆえに日蓮が法門と云うなり。
今一念三千の法門は但文底秘沈と云う意ここにあり。学者深く思え云々」(三重秘伝抄)と述べました。

釈尊は法華経を説くなかで自分の限界をいたるところで明言しています。

それは釈尊の仏法では救済できない“末法”のことを考慮して、
その時のために地涌の菩薩に「根源の法」を託した儀式を見ても明らかです。

実際、釈尊も寿量品のなかで
「我れは本(も)と菩薩の道を行じて」(本因妙)、「我成仏してより已来」(本果妙)とは表明していますが、
釈尊が“いずれの法”を根本として菩薩行を成し、仏になったのかは明らかにしませんでした。

これらは釈尊の教えである法華経も、それ自体が仏法の究極ではなく、
最高の教えに至る一歩手前で踏みとどまった経典であることを物語っています。


・・・つづく
 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】22/34

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月15日(金)09時14分41秒
  大聖人は釈尊が修行した根源の法が「事の一念三千(三大秘法の南無妙法蓮華経)」であると明かされます。

大聖人のいう「事」とは“法と人”つまり“法体”そのものが「事」ということです。

御書には「自受用身とは一念三千なり・・・・一念三千即自受用身」(七五九頁)とあります。

この御文の意味は、根源の法を用いる身(自受用身)、これが大聖人の報身(心)にあらわれた、
何によってあらわれたのか――それは「久遠元初の発迹顕本」によってです。

“久遠元初の自受用報身(日蓮)”即“一念三千(法)”との表現は、
法と人は決して別々のものではなく、一体のもの不二のものということです。

大聖人は悪世末法の衆生を救済するために、まず、わが身に根源の法を涌現(発迹顕本)させ、
万人にその方途を示して、その明鏡を「人法一箇の本尊」として図顕し末法の衆生に残しました。

つまり、大聖人と南無妙法蓮華経の“人法”は、一体であり不二の関係である、
その大聖人の魂を「本尊」として図顕し、幸福の因果の法を万人に授与するということです。

これが大聖人の「事の一念三千」の法門です。

五重の相対のなかで、ここはもっとも大事なところなので、じっくり考えていきたいと思います。

大聖人は開目抄で

「この法華経の大事たる一念三千の法門は、ただ法華経の本門・寿量品の“文の底に沈め”られている。
竜樹・天親は知ってはいたがそれを拾い出していない。ただ天台大師のみがこれを内心に悟っていた(通解)」(一八九頁)と述べています。

これは法華経の大事たる一念三千の法門(根源の法)を明かされたのは、
後半十四品(本門)寿量品の“文の底”に明かされているという意味ですが、

ここで疑問に思うのは、方便品の十如実相で一念三千を明かし、
寿量品の三妙合論と久遠実成で、完全に一念三千を説き明かしているのに、
どうして寿量品の文上ではなく“文の底”つまり文底にあると表現したのでしょうか。

ちなみにこれを「文底秘沈」というのですが、大聖人の教義と諸宗の教義の最大の違いは、この種脱相対(文上・文底)にあります。
 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】21/34

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月15日(金)09時13分54秒
  これに対して、末法に生まれてくる衆生は過去に下種を受けたことがなく、成仏のための善根を持っていません。

簡単にいえば、釈尊と縁がない(眷属ではない)のです。
このことを知っていた釈尊は「地涌の菩薩」に末法の衆生救済を託します。

釈尊は遠い未来を洞察し、自身(釈尊)亡きあと、教法が弘まっていく道程を五つ(五箇の五百歳)に立て分け、
末法の衆生が登場する時代様相は、第五番目の「闘諍堅固・白法隠没」になった時だと述べます。

その特徴は、常に争いごとが絶えず人心も濁っていて、親が子を殺し、子が親を殺すという、
とんでもない人間が生まれてくる時代で、仏法があるといっても「全民衆を救済する」という仏法本来の精神が完全に廃れているのが末法です。

だから末法の衆生は脱益仏法では成仏できず、最初に下種をするところから始めなければならないのです。

これが大聖人の仏法が下種仏法といわれる所以です。

しかし、釈尊を仏にした「根源の法」といっても具体的に何を下種するのでしょう――。

そもそも法華経本門で、釈尊の久遠の発迹顕本(成道)が説かれたといっても、
それは結果の姿にすぎないばかりか、成仏の本因の法(根源の法)が明かされたわけではありません。

つまり釈尊自身が修行して成仏した「根源の法」が何であったのかについては、釈尊は何も明かしませんでした。

それを法華経本門寿量品から拾い出し、宇宙と生命に内在する「根源の法」をわが身に涌現し、

人類史上初めてその「法と人」が一体となって、その人格にあらわれ振る舞われた人間――それが発迹顕本の日蓮大聖人なのです。
 

【五義の教を知る 第一章 五重の相対】20/34

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 1月15日(金)09時13分8秒
  次ぎの第五の相対が「種脱相対」です。

種脱相対とは、法華経本門には二つの“義”があり
「釈尊の本門(脱益仏法)文上」と「大聖人の本門(下種仏法)文底」の相対です。

なぜ釈尊の仏法が“脱益仏法”なのかというと、
まず釈尊は寿量品において「釈尊と衆生」の関係性を明らかにします。

釈尊の弟子たちは、師匠である釈尊が成道(発迹顕本)したのは、王位を捨てて出家し、
そこから菩薩の修行をしたのち、菩提樹の下で成道したと思っていました。

しかし釈尊はそうではなく
「実は久遠という過去世の遠い昔に私(釈尊)はすでに菩薩の修行を終え、発迹顕本して衆生に下種してきた。
それ以来、この娑婆世界で何回も何回も下種した衆生を私(釈尊)と同じように発迹顕本させ、
その功徳(境涯)を得させるために説法教化してきたのだ」と明かしたのです。

これが釈尊の法華経であり釈尊の出世の本懐です。

だから衆生側は、すでに下種されているのだから釈尊の振る舞いを通して学び、
釈尊と同じように発迹顕本すれば仏の境涯を得、人生を楽しく生きていけるのです。

仏が衆生に初めて法を教えることを「下種」といいます。
そして、仏の教化によって次第に衆生の機根が整うのを「熟」といい、最後に発迹顕本(成仏)することを「脱」といいます。

要するに、釈尊の仏法は釈尊が過去に下種し、何回も説法教化することによって
衆生の機根が成熟し最後に成仏させるための脱益の教えということです。
 

公明党を支援しないとどうなるのか?

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 1月15日(金)09時04分34秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

内心では公明党を支援せずにFの報告は嘘を報告している会員さんは地区からも白い目で見られず事なきを得ていますが、どうしても我慢できずに公明党の支援をしないと表明した会員さんは、地区からも白い目で見られています。

本来であれば幹部が支援に対して納得してもらえるように対話するのが、本来の支援活動です。
しかし日本全国で、
「信心が狂った」
「原田会長も支援しなさいと言っている」
「池田先生が作った政党であるので支援しなくてはならない」

などと公明党の政策とは無縁の非難中傷と、信仰とは無縁の迫害をされます。

そして、対外的に安保法制反対署名などしたならば、
「共産党のスパイ」
などとおぞましい内容を流布されます。

この元凶は何でしょうか?

長の一念です。
創価学会の長は原田会長です。

原田会長が池田先生の御指導から外れるほどに末端ではこのような現状が進みます。

創価学会の職員の皆様はこのような現状で良いのですか?
 

「ルックオブサイレンス」

 投稿者:ひかり  投稿日:2016年 1月15日(金)08時50分44秒
  ネットで検索すると「町山智浩『ルックオブサイレンス』を語る」があります。
概要が分かりやすく解説されています。
『アクトオブキリング』についても概要がわかると思います。
 

わが友に贈る

 投稿者:どうしょうてん  投稿日:2016年 1月15日(金)08時35分52秒
  御聖訓「一つ心なれば
必ず事を成ず」と。
団結が力を倍加する!
広布と人生の大目的へ
心を合わせて進もう!
 

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