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【芸能・社会】

三代目桂春団治さん死去 上方落語「四天王」最後の一人

2016年1月15日 紙面から

天満天神繁昌亭のこけら落とし公演で演じる桂春団治さん=2006年9月、大阪市北区で

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 戦後の上方落語の復興に尽くした「四天王」最後の一人で、華やかな高座姿と洗練された話芸で人気があった三代目桂春団治(かつら・はるだんじ、本名河合一=かわい・はじめ)さんが9日午前0時11分、心不全のため大阪市阿倍野区の病院で死去した。85歳。大阪市出身。葬儀は近親者で行った。喪主は妻成子(しげこ)さん。お別れの会は26日午前8時半から大阪市北区天神橋2の1の34、天満天神繁昌亭で。一般の参列は午前10時から。実行委員長は桂文枝・上方落語協会会長。

 1947年、父である二代目春団治に入門した。父の死後、59年に20代後半の若さで三代目を襲名。明治から昭和初期にかけて、豪快な話芸で「爆笑王」の異名をとった初代から続く大名跡を守った。

 端正で、つややかな高座のスタイルを二代目から受け継ぎ、磨きをかけて人気を集めた。戦後衰退していた上方落語に活気を取り戻すことに尽力し、いずれも故人の六代目笑福亭松鶴さん、三代目桂米朝さん、五代目桂文枝さんとともに「四天王」と呼ばれた。

 完璧さを追究するのが信条で、華やかな出ばやしで高座に上がり、羽織を脱ぐしぐさも洗練され、品格のある粋な芸風で観客を魅了した。得意とした演目は「いかけ屋」「皿屋敷」「野崎詣(まい)り」「お玉牛」など。桂福団治や故二代目桂春蝶さんら多くの弟子を育てた。体調不良で近年は高座から遠ざかっていた。

 77年から84年まで上方落語協会会長。78年に上方お笑い大賞、98年に紫綬褒章、2004年に旭日小綬章を受けた。

 ▽落語家の笑福亭仁鶴 「終戦後、(上方の)落語家の数が少ない中、他の師匠方と力を合わせて頑張っていただいた。そのおかげで今のわれわれが存在するわけで、尊敬すべき師匠が他界されたのは誠に残念であり悲しいことです。謹んでお悔やみ申し上げます」

 ▽落語芸術協会会長の桂歌丸 「一つのネタをじっくり練る姿勢は、先代の桂文楽師匠と同じだったのではないでしょうか。『野崎詣(まい)り』『反魂香』は絶品でした。それも聞かれなくなったかと思うと残念です。しかし大勢の後継者を残されました。後はゆっくりお休みください。ご冥福をお祈りします」

 

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