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2016年1月10日、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)が亡くなりました。享年69歳。その前の12月28日には、MOTÖRHEADのレミー・キルミスター(Lemmy Kilmister)も昇天。その際に友人と「誰が死んだら相当ショックなんだろう」なんて話をしてまして、「やっぱ(ビート)たけしかなぁ」と、個人的には結論を出したのですが、まさかこんなに早く違う答えが出るとは。直前の1月8日に新作『★(ブラックスター)』のリリースがあったせいで、各媒体への露出もありましたから、やっぱスゲエなぁ、なんて感心していたんです。そんなときに、スマホの画面に号外ニュースが飛び込んできましたから、心臓の轟きはとんでもないものでした。心からご冥福をお祈り申し上げます。

で、そんな彼の死の後、一番に私の頭の中に流れたのは「ヒーローズ」でも「スペース・オディティ」でも「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」でも「スターマン」でも「ジギー・スターダスト」でも「屈折する星くず」でも「モダン・ラヴ」(大好き!)でもなかった。「♪ティン・マシーン、ティン・マシーン、テイク・ミー・エニィウェアー♪」でした。自分でも「なぜこれなのか?」と。おそらくTIN MACHINEのこと、21世紀になってから、1、2回しか考えてませんよ。でも、頭に流れたのは、TIN MACHINEだった。

音楽的にも商業的にも失敗のレッテルを貼られたTIN MACHINE。ブックオフにたくさん並んでいるTIN MACHINE。ボウイ自らメンバーの一員となって展開したこの短命バンドは、ひとつの通過点としてのみ語られることが多いのですが、せっかく頭の中で流れたので聴き直してみたら、やっぱカッコ良かった。パワフルなボウイだった。それにTIN MACHINEというポイントこそが、その後のボウイのキャリアに大きく繋がって行ったと思うのです。

TIN MACHINEの結成は1988年。メンバーは、デヴィッド・ボウイ(ヴォーカル、ギター)、リーヴス・ガブレルス(Reeves Gabrels:ギター)、トニー・セイルス(Tony Sales:ベース)、ハント・セイルス(Hunt Sales:ドラムス)の4人。このバンド結成の背景には、1983年に発表した14枚目のアルバム『レッツ・ダンス』以降のボウイの活動が紐付いております。まずはそこからご説明。

これまで知る人ぞ知るカルト・スターだったボウイは、カルト脱却を狙い、『レッツ・ダンス』を発表。一気にポップへと振り切った今作は、世界各国で大成功を収め、彼はメジャー級のロック・スターになります。さらに演出も艶やかな大規模ツアーや、映画『戦場のメリークリスマス』、『ラビリンス/魔王の迷宮』などを始めとする俳優活動も盛んとなり、ボウイは日本のお茶の間でも語られるほどの存在になったのです。

当然、ボウイが茶の間のロック・スターだなんて、昔からのファンは納得しておらず、「ボウイは変わった」やら「70年代に戻ってー」やら「もう終わった…」やら。でもボウイはそんな喧騒を物ともせず、1984年には『レッツ・ダンス』の延長線上にある『トゥナイト』をリリース。日本でノエビアのCMに使われた「ブルー・ジーン」や、ティナ・ターナーとのデュエット曲「トゥナイト」も収録したアルバムは、これまた全世界でヒットしました。

しかし、そんな状況にも暗雲が。1987年の16作目『ネバー・レット・ミー・ダウン』が失敗。前3作ではイギリス・チャート1位に輝いていたセールスもココでは獲得ならず。アメリカではベスト10にすら入りません。更に「変化・前進こそがデヴィッド・ボウイ」と称されていた彼なのに、『レッツ・ダンス』以降、ほぼ変り映えしない状況に、ファンもメディアも不満が爆発しちゃったのかな。この年のローリングストーン誌年間ワースト・アルバムにも選出。さすがにこの状況にはボウイも参ったのか、当時のインタビューでは「次のアルバムは『ロウ』、『ヒーローズ』的な内容になる」と宣言したのです。

で、ボウイ曰く「『ロウ』『ヒーローズ』改定版」こそが、TIN MACHINE。「え、これが?」なんて期待を裏切られた方も多かったでしょうが、とにかくカメレオンのボウイは帰って来た。また変化した。それもいきなりのバンド形態。それもかなりのハード・ギターロックで。1989年発表のファースト・アルバム『ティン・マシーン』では、歪んだギターとタイトなビート、そしてストレートなボウイのヴォーカル・スタイルがガッチリとロックンロールを展開。オルタネイティヴ・ロック爆発前夜の雰囲気も重なり、「時代とマッチ」…とまではいかないまでも、『ネバー・レット・ミー・ダウン』からはかなり上向きになるのです。

で、やっぱボウイはココで一回ストップさせたんですよ、カルト・スターからロック・スターになった自分を。過去をぶっ壊したくてもそれはそんなに簡単じゃない。でもこれまでのデヴィッド・ボウイを休憩させることは出来る。「逃げた」なんて賛否両論あるバンド名義にしたのもそうだろうし、だからこそ目一杯振り切れた。

確かにTIN MACHINEは歴史的バンドじゃないし、歴史的名盤を生み出してはいないけど、ココで聴けるボウイは、瑞々しさに溢れているし、イイ感じにラフだし、詰まりまくってないし、含みがある。そして何と言っても、今まで聴いたことのないボウイだった。ボウイ自身もパーフェクトな作品を創るなんて考えてなかったハズです。今までのデヴィッド・ボウイをストップさせたら、バンドでやったら、爆音かましたら、何が生まれるのか、ボクはどうなるのか、それを知りたかったのではないでしょうか。それをロックンロールの原点に当てはめたつもりだったんです。

TIN MACHINEは、1991年にセカンド・アルバム『ティン・マシーンⅡ』を発表。前作同様、ソリッドなロックを展開してナカナカだったんですけど、セールス的には大失敗。イギリス・チャートは23位、アメリカでは100位にすら入りませんでした。しかし1992年には来日も果たし、武道館公演も敢行。結局これがTIN MACHINEとしての最後のライヴになってしまったのですが、『タモリの音楽は世界だ』出演時のボウイを観ると、やはりこのTIN MACHINEは、とても良いリフレッシュだった気がします。こんなお茶目なボウイ、見たことない!

ボウイは再度「デヴィッド・ボウイ」として歩き出しました。良作もあれば、駄作もあった90年代〜2000年代初期。それでもコンスタントに作品をリリースし、前を見つめ続けるボウイが戻ってきました。そして、10年ぶりに驚愕の復活を果たした『ネクスト・デイ』(2013年)と、ラスト作『★(ブラックスター)』。何度コケようが、止まることなく前に後ろに歩き続けて、いつも驚かせてくれて、何が素晴らしいかって、ボウイの未来を感じさせたまま、デヴィッド・ボウイは宇宙へ行きました。「スペース・オディティ」です。彼の旅立ちは本当に悲しいけれど、本当に神々しく美しい。あまりにもTIN MACHINEとは懸け離れた音だけど、あの時代があったからこそ、今夜私たちは心からデヴィッド・ボウイを想い、夜空を見上げてメランコリックになれるんです。

さぁ、ブックオフへ! 早くしないと無くなりますよ!