起業においてコミュニケーション能力は必須であるというような
ご高説を私の前でする人がいるんですが、
ネットショップ始めて10年、そんなの必要性すら感じたことないですけどね。
お客は品物をクリックするだけ、
受注と発送の定型文が送られて取引終了。
問屋には仕入れたい品物をメールかFAXすればいいだけ。
コミュニケーションなんてどこにも出てきません。
つまり、お金を稼ぐビジネスモデルはあくまでサービスや商品の中にあって、
コミュニケーション自体はお金を生み出さないってことです。
じゃあコミュニケーションって何なの?って話ですが、
1つは、相手を気分良くさせたり、気分を悪くさせない、コツみたいなものですね。
もう1つが、物事に2人以上が関わる場合、
1人の時にはいらなかった情報の共有化の必要が出てくるということです。
報告・連絡・相談=ホウレンソウですね。
たしかにこれは重要です。
ただ、この重要の意味を履き違える人がいます。
効率の上昇というメリットを期待して複数人で物事に取り組むわけですが、
かわりに情報の共有化の必要が発生する部分は、
効率が悪くなり、ミスが発生する、デメリット・リスクの部分になります。
重要=気をつけようね、というのが正しい意味なはずです。
一方、重要の意味を履き違えて、『大切なこと』と解釈する人がいるわけです。
コミュニケーション→コミュニケーション能力という要素が神格化すらするわけです。
そして生まれるのが、
A:仕事においてコミュニケーションは重要なんだ!
(気を付けないと損失になるよ という意味で)
B:仕事においてコミュニケーションは重要なんだ!
(すべてのビジネスの中核なんだよ という意味で)
このBのバカさ加減、わかります?
で、日本の企業の就職の面接とかいうと、
Bのような解釈をするバカな面接官たちが、
コミュニケーション能力とかいうわけがわからん基準で合否を判断するわけです。
またこのコミュニケーション能力というのがバカげた単語で・・・
まあ仮にね、そういう能力が本当にあったとしましょう。
その能力値が高い人間はどういう人間か?と考えた場合、
金八先生、あの人みたいな人でしょうね。
内向的な生徒からでも、その子の言いたいことを引き出せるでしょう?
でも、金八先生みたいな人募集!
次の年も金八先生みたいな人募集!
おかしくないですか?
うちの社員は全員根暗な人見知りなので、
新入社員には金八先生を求む!ならまだわかりますよ。
すでに金八がいるのに金八募集してどうすんの?
つーかそれだと社員全員が金八ですよ。
金八はクラスに1人で十分でしょ!!
もちろん、会社が金八をそんなに募集するはずはないわけで、
じゃあ何を募集しているか?というと、
コミュニケーション能力なるものが高い人、ではなく、
既存の社員とコミュニケーションを取る権利を持つ人 を募集しているわけです。
で、最初の分析をこれに当てはめてみると・・・
「仕事において、コミュニケーションこそが事業の中核だと思っている人たちが、
相手を気分良くさせたり、気分を悪くさせないコツを持つ新入社員を採用している」
となるわけです。
中身スッカスカや!!!
バブル崩壊以降、こういうバカな人たちの台頭によって、
企業がただの仲良しクラブに成り下がったということです。
もしくは、自らの利権を守るためにバカなふりをしてきたか。
どちらにしろ、多くの企業の衰退の一因はあきらかにこれでしょうね。
というわけで、コミュニケーションについて整理しますと、
・ビジネスにおいてコミュニケーションは必須ではない
・コミュニケーションが必要なのは、単にそれが集団だからである
・コミュニケーションとは、決して効率・生産性のよいものではない
・コミュニケーションに偏重した企業(集団)は衰退する
・コミュニケーションは、家族、友人、恋人などと楽しく過ごすために使うものであり、
それ自体に意味があったり、ましてや高めたりする能力や技術のような性質のものではない
嫌いな人・合わない人とはそもそも付き合わなくていいのに、
コミュニケーション至上主義におちいると、
コミュニケーション能力を高めれば、
誰とでも付き合える的なファンタジーな思想になります。
でもいくらコミュニケーション能力なるものを高めようとも、
嫌いな人と楽しく付き合えたりするようにはならないわけで、
そうすると、コミュニケーション至上主義者は、
最初からコミュニティーに嫌いな人を入れずに排斥する、
コミュニティーに属する嫌いな人を攻撃する、という行動に出て、
理論の辻褄を合わせようとします。
これがいわゆるいじめのメカニズムで、
コミュニケーションを信奉する人たちこそが、
結果コミュニティーの衰退や分断を招き、
あげくに最近いじめが多いだの、人との絆が失われただのと口にするわけです。
そもそも能力って発想をすること自体、同時に序列の概念の発生が不可避なわけで、
コミュニケーション本来の楽しくその場をすごしたり、
人に不快な思いをさせないという意味と
かけ離れた矛盾したものになるのは当然の帰結です。
なんか自己啓発じみてきたので、
最後にビジネス視点での話に戻して締めましょう。
ビジネスにおいて、コミュニケーションの役割は大きく分けて3つあります。
1つ目は職場の人間が気分良く働けるということ。
・・・これいります?
仕事や買い物で、気分がよくなりたいか?と言われたら、
別にその必要はないですよね。
気分が良くなりたいのは、プライベートの付き合いや遊びで、です。
仕事でお金を得たり、買い物したりするのは、
気分が悪くならない範囲で、目的さえ果たせばいいわけです。
福利厚生的な役割とは言えますが、
ビジネスモデルに必要な人材を無視してまで重視する要素になるはずがありません。
2つ目は、報告・連絡・相談の必要性です。
これは会社の規模が大きくなるに比例して必要性が増すのですが、
いわば大規模化の弊害、ロスの部分です。
これをコミュニケーションでカバーするわけですが、
それでいくらロスカットをしても、0に近づくだけで、プラスにはなり得ません。
いくら投資しても、生産性には繋がらない要素なわけです。
また、コミュニケーションでカバーすることが自体が効率が悪いです。
そもそもコミュニケーションの必要性がないように
システム化で対処する方が、コストが減る上に圧倒的にミスも減ります。
例えば、口頭よりメール、メールよりパソコンでテンプレートにしてプログラム化、と
いう具合ですね。
3つ目は、売り上げの上昇です。
接客や商談でのコミュニケーションは、
相手を良い気分にさせれば売り上げの上昇が期待できます。
一方で、悪い気分にさせれば低下するリスクがあります。
ただそれはコミュニケーションの特性ではなく、広告と同じ要素です。
だったら人件費や接待費よりも、
現代ではネットを中心とした広告費の方がコストパフォーマンスはいいわけです。
さらに接客部分をシステム化すれば、
相手は気分が良くなることはないが、悪くなることもないという
悪くない条件で、人件費のみを圧縮できます。
これがネットショップを始めとした、
現代型のビジネスモデルの基礎になりつつある概念と言えます。
ただでさえ年々企業の規模が大きいことによる
スケールメリットの構築が難しくなっている中、
コミュニケーションなんて生産性がない分野への投資をいまだに重視しているようでは、
企業の衰退は加速するばかり、ということです。
つまり、コミュニケーション能力なんてバカ丸出しの概念ってわけです。
コミュニケーション能力なんて単語が相手の口から発せられた時点で
草生やしとけばいいのです。
ここまで長々と書きましたが、
最近の若者の行動見ると、若いのにおじさんなんかよりずっと
これら見抜いて行動しているフシがあるので、
この話題に関しては、世の中の今後の流れとしてあんまり心配はしてないですけどね。
起業するときには、コミュニケーションは必須ではなく、
その要素をできるかぎり減らしていくビジネスモデルが定石となりつつある、
という点を、改めて認識していただければと思います。
今年はこれが最後の投稿です。
来年もいろいろな話題をビジネス視点で考察したり、斬ったりしていきますので
よろしくどうぞ!