回答ありがとうございます。
>絶対に避けたい苦労したくない。
>それが悪いとは思っていないならそんなに気にしなくてもいいかなと思いますが
>それが気になるひっかかるというのは
>貴方の中に何か特別な何か感情があるんじゃないかなと思います。
う~ん…ただ単に、自分が理屈っぽいから引っかかるだけの話だと思ってます。
白黒ハッキリさせなきゃ気が済まないところがあるので。
引っかかるけど、自分の心の中で 「何だか綺麗ごと言ってるな」 と思ってるだけで、
「綺麗ごとを言うな。誤魔化さずに、自分の本音を認めろ」 なんて彼女に強要するつもりもないので、本当にどうでも良い話ですね。
くだらない質問でスミマセン。
もし彼女が私と同じで、中絶という行為に対して否定的な感情を持っておらず、
「羊水検査して、障害が発覚したら?…そりゃ もちろん堕ろすよ~。お金ないし、他にも色々大変そうだし、育てるなんて無理無理~」…なんて軽い調子だったら、
「嫌だ、育てたくない」 を、「無理だ、育てられない」と表現することに、それほどの違和感は感じないと思います。
ですが実際には、彼女は私とは違い、「胎児の生命は尊い。その生命を奪う中絶は、基本的には悪いことである」 という考えの持ち主です。
以前に共通の知人が、予定外で二人目を妊娠し、「経済的に苦しいから」 と言って中絶したのですが、
「世の中、経済的に苦しくたって、頑張って子供を2人,3人育てている人なんて、たくさんいる。お金よりも、我が子の命の方が大切だと思わないの? せっかく授かった命なのに、そんな簡単に殺せるなんて、信じられない!」 と彼女は怒り、その知人と疎遠になってしまったという出来事もあります。
今回、「もし妊娠したら検査を受けて、障害児だと分かったら中絶を選ぶ」 ということに関しても、
「決して軽い気持ちで言ってるんじゃないよ。たとえ障害があっても大切な我が子だし、愛おしくてたまらないはず。出来ることなら、産んであげたいよ。だけど、どうしても育てられないんだもん。経済的にも、精神的・体力的にも、どうしても無理なんだもん」…なんて言い方をしています。
>育てたくない以前に 自分には無理だと 鼻から諦めているのだと思いますが。
>いろいろ考えたけれど未知の世界で
>育てられない=自信がない ということなんでしょうね。
>育てたくない というのとは違う気がしますよ。
>自信がないだけなのだと思いますが。
そこまで、「命は尊い、たとえ障害があっても愛おしい我が子だ」 と言っているのに、それでも中絶したいと思ってしまうほどに、障害児を育てる自信がないのなら、
彼女への、「それなら、検査では発見できない障害のある子が生まれちゃったら、どうするの? もしかしたら、ダウン症より もっと大変な障害かもしれないよ」 という私の問いかけに対しては、
「そうか…そういう可能性もあるよね。どうしよう、そうなったら…。怖い! 育てるなんて無理! 捨てちゃうか、それとも子供を殺して 自分も自殺するかも」・・・そんな答えになりそうなものだと思うのです。
だけど彼女、実際には、落ち着いた様子で 「その場合は、仕方ない。頑張って育てるしかない」 と答えたんですよ。
彼女は現在、子作り中であり、妊娠さえもしていません。
障害児が生まれる可能性があることは分かっており、
「命は尊い。中絶は良くない。たとえ障害があっても、我が子は愛おしい」 と思っているにも関わらず、
妊娠中に障害が発覚したら中絶を考えてしまうほどに、障害児を産み育てる自信が無く、未知の世界を恐れているのであれば、
子作りをやめて、子供を持たない人生を選んだって良いはずですよね?
でも 妊娠への挑戦を やめることなく続けています。
何も考えずに妊娠してから、「障害児を産む可能性もある」 という事実に気付き、未知の世界に恐れおののき、ダメ!私には無理!とてもじゃないけど自信が無い!と、パニックになっているのではありません。
障害児を妊娠するリスクがあることを分かっていながら、子作りを続けている。
胎児の障害を妊娠中には発見できず、生まれてみなければ分からないことだってある、ということも認識していて、
「その場合は仕方ない。頑張って育てるしかない」 とまで言っているのです。
更に、「胎児の命は尊くて、中絶は良くないことで、たとえ障害があっても我が子は大切で愛おしい存在だ」、と・・・。
そこまで分かっていて、そこまで言うなら、
この先めでたく妊娠して、検査を受けて、障害が判明したら…と想像した時、
ダメ!育てる自信なんて無い!どうしても無理!!とパニックになるのではなく、
「それでも大切な命、大切な我が子。出産後に障害が判明した場合と同じで、経済的・精神的・体力的に苦労しながらも頑張れば、育てられないことはない」、と判断できるはずです。
にも関わらずに中絶を選ぶのは・・・「大切な我が子の命を守りたい」 という気持ちより、
「苦労するのは嫌だ。避けられる苦労は避けたい」 という気持ちの方が大きいからでしょ、と思ってしまうのです。
何度も言ってますが、「苦労するのが嫌だから、中絶する」…そのこと自体は、別に構いません。
だけど、私とは違って 「基本的には中絶反対。胎児の命は尊い」 という考えであり、“経済的な理由”で中絶した知人を批判して疎遠になったという経験もあり、「たとえ障害があっても、我が子は愛おしい」と言っている人なんですよ。
そんなに 「大切な命」だの 「愛おしい我が子」 だの言うなら、
その大切で愛おしいはずの命を、中絶して奪おうというのですから、
「どうしても無理」なんて綺麗な言い方するなよ。
「どうしても無理って訳じゃないけど、苦労したくないから」 って、正直に言ったらどうなの? と思ってしまうのです。
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