留学生射殺事件の真相「服部剛丈さんを射殺したロドニー・ピアーズ」|アンビリバボー
フジテレビの「奇跡体験アンビリバボー」アノ有名事件の裏側の真相で日本人留学生射殺事件の知られざる真相について放送されました。
服部剛丈(はっとりよしひろ)さんは母親が英語教師だった影響で幼い頃からアメリカに興味を持っていました。スポーツ万能で成績優秀、県下でもトップクラスの高校に進学し高校2年生の夏、アメリカ留学へと旅立ちました。服部剛丈さんが向かったのはルイジアナ州バトンルージュ。空港でホームステイ先のヘイメーカー一家に迎えられ服部剛丈さんの留学生活が始まりました。大学教授の父リチャードさんと医師の母ホリーさん、高校生のウェブくん。服部剛丈さんは同級生のウェブくんと同じ高校に通うことになっていました。しかし、楽しい留学生活は長くは続きませんでした。
1992年10月17日、日本人留学生を招いて開かれるやや早めのハロウィンパーティーに服部剛丈さんとウェブくんが招待され仮装の準備をしていました。ウェブくんは先日プールに飛び込んださい首を痛めており、巻いたギブスをいかしてけが人に仮装。ダンスが好きな服部剛丈さんは映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のジョン・トラボルタのコスチュームを選びました。服部剛丈さんはコンタクトをなくしていましたが、仮装のためメガネをかけずにパーティーに向かいました。ウェブくんの父親が描いた地図を頼りに2人はパーティー会場の家を探しましたが地図は下手でした。しかし、ハロウィンの飾りつけをした家があったため2人はその家をパーティー会場だと思いました。インターフォンを押しても出ないため、2人は裏にまわってみました。ロドニー・ピアーズは英語で「止まれ」を意味する「Freeze(フリーズ)」と言いましたが、服部剛丈さんは「どうぞ」を意味する「Please(プリーズ)」と聞き間違えロドニー・ピアーズに射殺されてしまいました。使用されたのはレーザースコープ付き44口径マグナム。熊や鹿を一発で殺せるほどの銃です。弾丸は左胸部から入り心臓をかすめ左の肺を貫通していました。
前途ある若者を襲った突然の悲劇。この衝撃的な事件を当時の日本のマスコミは連日取り上げました。しかし、アメリカでの扱いは非常に小さなものでした。むしろアメリカでは事件を連日大きく取り上げる日本のマスコミの過熱ぶりがニュースとなっていました。その後、ロドニー・ピアーズは正当防衛を主張するも大陪審において傷害致死罪での起訴が決定。事件から7ヵ月後、刑事裁判が始まりました。
その日、ロドニー・ピアーズは妻ボニーと3人の子供たちと週末の夜を過ごしていたと言います。インターフォンがなり様子を見に行ったボニーは知らない人がいるのを見て警察に通報するのではなく、夫に銃を持ってくるように言いました。ロドニー・ピアーズはマグナムを取り出し裏口へ。服部剛丈さんを射殺しました。警察に連絡したのは服部剛丈さんを射殺した後でした。あの時、ドロニー・ピアーズに殺意はったのか?正当防衛でやむおえず撃ったのか?が裁判の争点でした。ロドニー・ピアーズを弁護するのはルイス・アングルズビー弁護士。罪を主張する検察側はダグ・モロー検事。弁護士は陪審員たちにロドニー・ピアーズが恐怖を感じていたことを強調。陪審員は地元の普通の人たち。つまり銃社会を当たり前と思っている人たちです。裁判ではピアーズが服部剛丈さんを射殺した瞬間、つまり引き金を引いた瞬間の2人の距離も争点の一つとなりました。アングルズビー弁護士は衣服に付着した火薬の量から2人の距離は90cm~150cmしかなかったと主張。陪審員たちは、その異常に近い距離に驚愕。ピアーズはぎりぎりまで引き金をひくことを躊躇しましたが、服部剛丈さんの無謀な行動に恐怖をおぼえ発砲せざるおえなかったと陪審員たちは感じました。そして陪審員の全員一致でロドニー・ピアーズの無罪が確定しました。こうして日本人留学生射殺事件は幕を閉じました。あれほど過熱していた日本の報道も収束へと向かい、その後の展開を知る日本人はほとんどいません。
しかし、この事件は一人のアメリカ人の登場によって思いがけない結末を迎えていました。それは社会的弱者の側に立ち数々の訴訟に勝利してきた民事訴訟のエキスパートであるチャールズ・ムーア弁護士。今回、ピアーズが無罪判決を勝ち取ったのは警察が告訴した刑事訴訟裁判においてです。無罪評決が出た時点でピアーズが罪に問われることはなくなりました。これに対し、民間人や企業が訴訟を起こすものを民事訴訟裁判と言います。この裁判によって刑罰は発生しませんが、損害に見合った賠償金額の請求はできます。ムーア弁護士の噂を聞きつけた服部夫妻は彼に助けを求めました。そしてムーア弁護士は民事訴訟に踏み切りました。
ムーア弁護士の指摘によると、ロドニー・ピアーズと服部剛丈さんの距離には矛盾があるそうです。アングルズビー弁護士は2人の距離が90~150cmしかなかったと主張しましたが、実際はピアーズの腕の長さと全長21cmのマグナムを考えると2人の距離はそれより+1mはあったはずです。ムーア弁護士が銃の専門家に確認すると、歩いてくる人間を至近距離で撃った場合撃たれた人間は歩く勢いで1mほど前に倒れこむと言います。実は専門家が出したという90~150cmという数値は銃口から服部剛丈さんまでの距離でした。にも関わらず弁護側はこの事実を伏せピアーズから服部剛丈さんの距離であるかのように言葉巧みに陪審員たちに伝えたのです。実際の専門家の鑑定によると、2人の距離は190~250cm離れていたことになります。2人の距離は2~3mあるならばピアーズはただ後ろに下がりドアを閉めれば良かったはずです。しかし、ピアーズはそれだけ余裕があったのに44口径マグナムを発砲。ピアーズに殺意があった証拠だとムーア弁護士は言います。さらに刑事裁判で強調されてきたピアーズは恐怖を感じて撃ったという証言についても、服部剛丈さんは身長170cm、体重61kgに対しピアーズは188cmの長身に体重は84kg、体格差は明らかです。その上、熊をも撃ち殺せるマグナムをかまえ怖かったは通用しないというのがムーア弁護士の考えです。ではなぜピアーズは銃を発砲したのでしょうか。その鍵はピアーズの家族構成にありました。
ピアーズとボニーは再婚同士の夫婦。それぞれもともと子供が一人ずついて、一番下の子だけが2人の子供でした。事件の日は妻ボニーの前の夫が子供と面会する日でした。しかし、ボニーと前の夫との関係は悪く、面会を巡って意見が対立。毎週前の夫が子供を迎えに来るたびにボニーとの口論が絶えませんでした。そんなボニーの前の夫の訪問をピアーズは不愉快に感じていました。またピアーズ家の隣人によると、前回ボニーの前の夫が自宅に来た時「今度来たら撃つ」と脅迫していたそうです。しかも事件当日、服部剛丈さんたちがピアーズの家のチャイムを鳴らしたのは前の夫が来る時刻とほぼ同時刻でした。ピアーズたちは服部剛丈さんたちを前の夫の手先だと勘違いしたとも推測できます。これらの資料は刑事裁判の時にすでに存在していました。にも関わらずモロー検事は追及材料にしませんでした。それは地方検事が選挙で選ばれるためだったようです。民意が「無罪」だった時、全力で有罪にしようとすると彼の選挙に悪い影響を与える危険性があったのです。
またピアーズは事件の48時間以内にお酒は飲んでいないと言っていましたが、妻ボニーによると事件当日もウィスキーをコーラで割ったものを飲んでいたことが判明。そして銃を6丁も所有していました。さらに銃は裏庭に入ってきた犬や猫を撃つことに使われていました。そしてピアーズは服部剛丈さんが持っていたカメラに気づいていなかったと証言。とすると、カメラを銃だと勘違いするはずはなく正当防衛は成立しないのです。
しかし、陪審員裁判となると陪審員にピアーズと同じ地域の人間が選ばれ刑事裁判と同じ結果になる可能性は低くありませんでした。ピアーズ側は当然、陪審員制を要求するはずです。アメリカの民事裁判では原告か被告のどちらかが陪審員裁判をのぞんだ場合、その望んだ方が陪審員の手当てや諸費用を自己負担しなければなりません。両者が陪審員裁判を望まない場合、自動的に陪審員なしの裁判官による裁判になります。そこでムーア弁護士は民事裁判を陪審員ありの裁判にするため手続きをしているかに見せかけました。案の定ピアーズ側は何の手続きもせず陪審員なしの裁判になりました。そして裁判の結果、服部さんの完全勝訴。ムーア弁護士の訴えは認められピアーズ夫妻には65万3000ドル(約7000万円)の支払い命令が下されました。その後、夫妻は最高裁に上告するも棄却。ついに司法の場でロドニー・ピアーズの行為は正当防衛ではないとの判断が下されました。
その後、ピアーズ夫妻は10万ドルを支払ったものの自己破産。残り55万3000ドルは今も支払われていません。そして街を出た夫妻の行方は分からないそうです。そして服部夫妻はホストファミリーのヘイメーカーさんらと共に銃規制の団体「YOSHIの会」を結成。受け取った賠償金10万ドルを全額団体に寄付しました。民事裁判が始まる前、夫妻は銃規制に関する250万人ぶんの署名を日本で集め、時の大統領ビル・クリントンに直接手渡していました。その署名が思わぬ効果を呼びました。当時、可決に足踏み状態だった法案の後押しをしたのです。その法案こそブレイディ拳銃管理法です。ブレイディ法案とは銃の販売店に対し、購入者の身元調査を義務づけるものです。これにより重罪の前科がある者、麻薬中毒者、未成年であることが明らかとなった場合、その者たちへの銃の販売は禁止となります。現実的には銃器撲滅に直接的な効力はないかもしれません。しかし、それは銃社会アメリカにおいて歴史に残る第一歩となったのです。
服部剛丈(はっとりよしひろ)さんは母親が英語教師だった影響で幼い頃からアメリカに興味を持っていました。スポーツ万能で成績優秀、県下でもトップクラスの高校に進学し高校2年生の夏、アメリカ留学へと旅立ちました。服部剛丈さんが向かったのはルイジアナ州バトンルージュ。空港でホームステイ先のヘイメーカー一家に迎えられ服部剛丈さんの留学生活が始まりました。大学教授の父リチャードさんと医師の母ホリーさん、高校生のウェブくん。服部剛丈さんは同級生のウェブくんと同じ高校に通うことになっていました。しかし、楽しい留学生活は長くは続きませんでした。
1992年10月17日、日本人留学生を招いて開かれるやや早めのハロウィンパーティーに服部剛丈さんとウェブくんが招待され仮装の準備をしていました。ウェブくんは先日プールに飛び込んださい首を痛めており、巻いたギブスをいかしてけが人に仮装。ダンスが好きな服部剛丈さんは映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のジョン・トラボルタのコスチュームを選びました。服部剛丈さんはコンタクトをなくしていましたが、仮装のためメガネをかけずにパーティーに向かいました。ウェブくんの父親が描いた地図を頼りに2人はパーティー会場の家を探しましたが地図は下手でした。しかし、ハロウィンの飾りつけをした家があったため2人はその家をパーティー会場だと思いました。インターフォンを押しても出ないため、2人は裏にまわってみました。ロドニー・ピアーズは英語で「止まれ」を意味する「Freeze(フリーズ)」と言いましたが、服部剛丈さんは「どうぞ」を意味する「Please(プリーズ)」と聞き間違えロドニー・ピアーズに射殺されてしまいました。使用されたのはレーザースコープ付き44口径マグナム。熊や鹿を一発で殺せるほどの銃です。弾丸は左胸部から入り心臓をかすめ左の肺を貫通していました。
前途ある若者を襲った突然の悲劇。この衝撃的な事件を当時の日本のマスコミは連日取り上げました。しかし、アメリカでの扱いは非常に小さなものでした。むしろアメリカでは事件を連日大きく取り上げる日本のマスコミの過熱ぶりがニュースとなっていました。その後、ロドニー・ピアーズは正当防衛を主張するも大陪審において傷害致死罪での起訴が決定。事件から7ヵ月後、刑事裁判が始まりました。
その日、ロドニー・ピアーズは妻ボニーと3人の子供たちと週末の夜を過ごしていたと言います。インターフォンがなり様子を見に行ったボニーは知らない人がいるのを見て警察に通報するのではなく、夫に銃を持ってくるように言いました。ロドニー・ピアーズはマグナムを取り出し裏口へ。服部剛丈さんを射殺しました。警察に連絡したのは服部剛丈さんを射殺した後でした。あの時、ドロニー・ピアーズに殺意はったのか?正当防衛でやむおえず撃ったのか?が裁判の争点でした。ロドニー・ピアーズを弁護するのはルイス・アングルズビー弁護士。罪を主張する検察側はダグ・モロー検事。弁護士は陪審員たちにロドニー・ピアーズが恐怖を感じていたことを強調。陪審員は地元の普通の人たち。つまり銃社会を当たり前と思っている人たちです。裁判ではピアーズが服部剛丈さんを射殺した瞬間、つまり引き金を引いた瞬間の2人の距離も争点の一つとなりました。アングルズビー弁護士は衣服に付着した火薬の量から2人の距離は90cm~150cmしかなかったと主張。陪審員たちは、その異常に近い距離に驚愕。ピアーズはぎりぎりまで引き金をひくことを躊躇しましたが、服部剛丈さんの無謀な行動に恐怖をおぼえ発砲せざるおえなかったと陪審員たちは感じました。そして陪審員の全員一致でロドニー・ピアーズの無罪が確定しました。こうして日本人留学生射殺事件は幕を閉じました。あれほど過熱していた日本の報道も収束へと向かい、その後の展開を知る日本人はほとんどいません。
しかし、この事件は一人のアメリカ人の登場によって思いがけない結末を迎えていました。それは社会的弱者の側に立ち数々の訴訟に勝利してきた民事訴訟のエキスパートであるチャールズ・ムーア弁護士。今回、ピアーズが無罪判決を勝ち取ったのは警察が告訴した刑事訴訟裁判においてです。無罪評決が出た時点でピアーズが罪に問われることはなくなりました。これに対し、民間人や企業が訴訟を起こすものを民事訴訟裁判と言います。この裁判によって刑罰は発生しませんが、損害に見合った賠償金額の請求はできます。ムーア弁護士の噂を聞きつけた服部夫妻は彼に助けを求めました。そしてムーア弁護士は民事訴訟に踏み切りました。
ムーア弁護士の指摘によると、ロドニー・ピアーズと服部剛丈さんの距離には矛盾があるそうです。アングルズビー弁護士は2人の距離が90~150cmしかなかったと主張しましたが、実際はピアーズの腕の長さと全長21cmのマグナムを考えると2人の距離はそれより+1mはあったはずです。ムーア弁護士が銃の専門家に確認すると、歩いてくる人間を至近距離で撃った場合撃たれた人間は歩く勢いで1mほど前に倒れこむと言います。実は専門家が出したという90~150cmという数値は銃口から服部剛丈さんまでの距離でした。にも関わらず弁護側はこの事実を伏せピアーズから服部剛丈さんの距離であるかのように言葉巧みに陪審員たちに伝えたのです。実際の専門家の鑑定によると、2人の距離は190~250cm離れていたことになります。2人の距離は2~3mあるならばピアーズはただ後ろに下がりドアを閉めれば良かったはずです。しかし、ピアーズはそれだけ余裕があったのに44口径マグナムを発砲。ピアーズに殺意があった証拠だとムーア弁護士は言います。さらに刑事裁判で強調されてきたピアーズは恐怖を感じて撃ったという証言についても、服部剛丈さんは身長170cm、体重61kgに対しピアーズは188cmの長身に体重は84kg、体格差は明らかです。その上、熊をも撃ち殺せるマグナムをかまえ怖かったは通用しないというのがムーア弁護士の考えです。ではなぜピアーズは銃を発砲したのでしょうか。その鍵はピアーズの家族構成にありました。
ピアーズとボニーは再婚同士の夫婦。それぞれもともと子供が一人ずついて、一番下の子だけが2人の子供でした。事件の日は妻ボニーの前の夫が子供と面会する日でした。しかし、ボニーと前の夫との関係は悪く、面会を巡って意見が対立。毎週前の夫が子供を迎えに来るたびにボニーとの口論が絶えませんでした。そんなボニーの前の夫の訪問をピアーズは不愉快に感じていました。またピアーズ家の隣人によると、前回ボニーの前の夫が自宅に来た時「今度来たら撃つ」と脅迫していたそうです。しかも事件当日、服部剛丈さんたちがピアーズの家のチャイムを鳴らしたのは前の夫が来る時刻とほぼ同時刻でした。ピアーズたちは服部剛丈さんたちを前の夫の手先だと勘違いしたとも推測できます。これらの資料は刑事裁判の時にすでに存在していました。にも関わらずモロー検事は追及材料にしませんでした。それは地方検事が選挙で選ばれるためだったようです。民意が「無罪」だった時、全力で有罪にしようとすると彼の選挙に悪い影響を与える危険性があったのです。
またピアーズは事件の48時間以内にお酒は飲んでいないと言っていましたが、妻ボニーによると事件当日もウィスキーをコーラで割ったものを飲んでいたことが判明。そして銃を6丁も所有していました。さらに銃は裏庭に入ってきた犬や猫を撃つことに使われていました。そしてピアーズは服部剛丈さんが持っていたカメラに気づいていなかったと証言。とすると、カメラを銃だと勘違いするはずはなく正当防衛は成立しないのです。
しかし、陪審員裁判となると陪審員にピアーズと同じ地域の人間が選ばれ刑事裁判と同じ結果になる可能性は低くありませんでした。ピアーズ側は当然、陪審員制を要求するはずです。アメリカの民事裁判では原告か被告のどちらかが陪審員裁判をのぞんだ場合、その望んだ方が陪審員の手当てや諸費用を自己負担しなければなりません。両者が陪審員裁判を望まない場合、自動的に陪審員なしの裁判官による裁判になります。そこでムーア弁護士は民事裁判を陪審員ありの裁判にするため手続きをしているかに見せかけました。案の定ピアーズ側は何の手続きもせず陪審員なしの裁判になりました。そして裁判の結果、服部さんの完全勝訴。ムーア弁護士の訴えは認められピアーズ夫妻には65万3000ドル(約7000万円)の支払い命令が下されました。その後、夫妻は最高裁に上告するも棄却。ついに司法の場でロドニー・ピアーズの行為は正当防衛ではないとの判断が下されました。
その後、ピアーズ夫妻は10万ドルを支払ったものの自己破産。残り55万3000ドルは今も支払われていません。そして街を出た夫妻の行方は分からないそうです。そして服部夫妻はホストファミリーのヘイメーカーさんらと共に銃規制の団体「YOSHIの会」を結成。受け取った賠償金10万ドルを全額団体に寄付しました。民事裁判が始まる前、夫妻は銃規制に関する250万人ぶんの署名を日本で集め、時の大統領ビル・クリントンに直接手渡していました。その署名が思わぬ効果を呼びました。当時、可決に足踏み状態だった法案の後押しをしたのです。その法案こそブレイディ拳銃管理法です。ブレイディ法案とは銃の販売店に対し、購入者の身元調査を義務づけるものです。これにより重罪の前科がある者、麻薬中毒者、未成年であることが明らかとなった場合、その者たちへの銃の販売は禁止となります。現実的には銃器撲滅に直接的な効力はないかもしれません。しかし、それは銃社会アメリカにおいて歴史に残る第一歩となったのです。
2013-10-10 22:44
タグ:アンビリバボー
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