八方・陣内・方正の黄金列伝【月亭方正】ヘタレ芸地獄…初の一人落語会で涙 2016.01.10


新年一発目の黄金列伝でございます。
ことしも心斎橋にあります、大成閣さんにお邪魔しております。
いつもいてる方がいるんですけれども、ことしからは2016年からは、2人でいこうということで、お願いします。
じゃあ、きょうのゲストをちょっとのぞいてみましょうか。
この方です。
どなた?
うん?写真?これ?
これ、動画ですけどね。
ね?この番組もなんかちょっと、迷ったんですかね、いろいろと?
ゲストですよ、あの席は。
ゲストで座ってますよね。
きょうはたぶん、捨て日ですね。
今回のゲストは、なんとMCの一員である月亭方正。
そして。
今回ね、この方をよく知る、特別ゲストも来てくれておりますので、お呼びしましょう、この方です、どうぞ。
どうも。
ええわ、もう!親子やないか。
いやいや、親子でええでしょ。
ゲストMCとして、月亭八光が特別参加。
落語家としては方正の兄弟子で、言わずと知れた八方師匠の息子です。
知りたい、どんな人生やったのか。
知りたいですか?
うん、あんま知らんねんな、私もね。
まあ、そうですね。
そうか、そういう意味で、ちょっと聞きましょか。
新年一発目のゲストはこの方!月亭方正さんです、お願いしまーす!
よろしくお願いします。
やるんですか、きょう?
当たり前や!
芸人たちが、これまでの天国と地獄を赤裸々に語り、徹底的に、その人生を掘り下げる黄金列伝!
お前らはごみだって、ずっと育てられてるので。
殴られてました。
首絞めて、お前、本当に殺すぞって。
目つぶった瞬間、赤信号渡った。
そしたらトラックがきーっとなって。
今回は、落語家、月亭方正を徹底解剖!
許してください!
リアクション芸人として、不動の地位を築いてきた山崎邦正。
しかし。
そこに隠された意外な苦悩を、テレビ初告白。
めちゃくちゃ嫌やったわ。
腹立つのと恥ずかしいのと、悔しいのと、もう。
日々、おもろないと言われ続ける、芸人にとっては地獄の日々。
本当に心がね、病んでたというより、心が死んでた。
飲み込んだ!いや、おじさん、違うんです。
だって飲み込んだ、みなまで言うな。
飲み込んだ。
俺もう、全部飲み込んだ。
そして落語家への劇的な転身。
芸人仲間と師匠が明かす、落語家、方正の意外な素顔とは。
いろんな空いてる時間全部、落語に使ってるでしょう。
嫌みのない、嫌なやっちゃなっていうの、全然あれへんねん。
さらに、芸人人生の集大成。
初めて挑む単独落語会の舞台裏にも完全密着!
がんばっとったらなぁ、いつか、ええ日も来るわい。
えっ!
きょうは月亭方正の芸人人生を丸裸にします。
改めまして、新年一発目、黄金列伝、ゲストは月亭方正さんです。
よろしくお願いしまーす!お願いします。
すっかりもう、落語家さんというイメージですけれども、方正さん。
もうだって、7年半ですからね、師匠につかせていただいて。
そうですよね。
これでも、本当、世間の人は、方正さんをどういうふうな、もう若い子は、もともと落語家やとおもてる方も、いるかもしれへんですからね。
やっぱり山ちゃんが。
そっちか?
まだ6。
山ちゃん6、
でも、方正さんとか、月亭さんって言われるのが、4になってきたといううれしさです。
初めは全然なかった。
初めはもう、10山ちゃんやったもんね?
10山ちゃんが、だんだんだんだんなってきて。
お笑いタレントから、落語家に転身して7年。
ことし、芸歴28年の月亭方正。
早速、番組恒例幸せ不幸せグラフで、その芸人人生を振り返っていきましょう。
まずは19歳から。
19から22の方正さん、こちら。
まずこれ6期生。
これは19で入ったんですか?
19で入ったんです。
ほんでいろんなテレビ、4時ですよーだ、出ましたよ。
いきなり生放送ですか?
いきなりだから、NSC時代に、ちょっと番組出てもらおうかというので、4時ですよーだに。
あの大人気番組に?
はい!
19歳のとき、人を笑わせたいと、芸人を目指した山崎邦正。
そして、なんとNSC入学直後、いきなりテレビに初出演し、プチブレーク。
さらにその1年後、コンビ、チームー0を結成し、東京へ。
半年間は仕事がなかったものの、22歳という若さで、ダウンタウンの大人気番組、ガキの使いやあらへんで!に大抜てき。
芸人になって僅か3年で、一気に大ブレークしたのです。
さあ、その東京へ行ったころの邦正さんをよく知る人からですね、当時の様子を聞いておりますので、どうぞ。
どうも、加藤浩次です。
ずっと遊んでた。
若手時代の方正をよく知る、2年後輩の加藤浩次。
東京に進出した当時の方正は、どんな様子だったのでしょうか?
ゴールデン番組に、だーん出だしましたから、まあ、もう一気に売れたって感じです。
その背中をずっと、俺らは見てる感じでしたね。
トラックでバレンタインデー、来るみたいな、たまにざきさんも話してると思うんですけど、あれ、本当ですからね。
かわいい、かわいいっていって、ぎゃーですもん、ざきさん、行ったら。
アイドル並みです、もう。
もうちょっとネタできないぐらいな、きゃーっていう時期、ありましたよ。
本人も自分のかわいさ、分かってたから、結構、かわいいアピールっていうのは、今、思えば、してたなぁって思いますね。
かわいいアピールって。
へぇー、本当に人気あったんっすね、方正さん。
加藤言うてたけど、ここになるのかな、生生生生ダウンタウンというのが、それが春ぐらいに始まって、次の年のバレンタインデーが、もうすごいんです。
段ボール16箱。
段ボール16箱の中に、いっぱいチョコレートが、いっぱい入ってるねんで。
そのまた。
そりゃ、そうでしょ。
分かってるよ!
段ボールに
とは思うてへん。
みんな。
もう全国から舞台行っても舞台出たら、ぎゃーっと。
それも、生生生生ダウンタウンの影響やった?
生生生生ダウンタウンで、一気にかわいらしい男の子、おもしろいっていう。
ってなったんやろな?初め。
ダウンタウンファミリーの一員として僅か芸歴3年で大人気芸人となったのです。
ではその後、23歳からの幸せグラフは。
23歳から32歳、いきましょうか。
ずどん!
うわっ。
天国から地獄とはこのことですけど。
なぜマイナス100に行くんですか?
これがな、テレビ出るたんびに、人気が下がっていってん。
それはなんでなんですか?
これはね、芸人の三大悪。
三大悪?
三大悪がべっちょりつくんです、僕に。
なんですか?その悪を教えてください。
あほ、まずあほ。
ほんで、へたれ。
へたれ?
あとスベリ芸。
ああ。
でも、それがなんか最初の方正さんの持ってるイメージでしたもんね。
やっぱダウンタウンファミリーの中で、見ていたら、そうなっていったんですか?
やっぱりね、一番下やし、いじられるやんか。
みんなからいじられて、あほ、あほは、ええわ。
へたれ、弱虫はええけども、この、スベリ芸や。
おもろない。
おもろないって。
やっぱ嫌やったんですか?
もうめちゃくちゃ嫌やったな!これでも、しょうがないんです、そうせんかったら、やっぱり商品になってなかったんや、俺が。
人気絶頂から一転、番組に出るたびにいじられ、おもろないと言われ続ける屈辱の毎日。
方正はほかのリアクション芸人とは違い、スベリキャラとして扱われることが、とにかく嫌だったというのです。
アイドル的な人気も急激になくなり、精神的にどん底状態に。
ほんま山崎、おもろないな。
で、わーって受けてるのが嫌やったんんですか?
もうめちゃくちゃ嫌やったよ…。
それ、おいしいなって感じることもなかったですか?
そんなもん、感じるわけないやん。
本当にちょっと、考えてみて?陣内、自分として。
23、4ぐらいのときに入ってきて。
嫌ですね。
もうおもんない。
一番、言われたくないことばでしたね。
おもろない。
なんか、台本とかでも、おもろないみたいなこと書かれてたら、ほんま、腹立つ時期ですもんね。
なめんな。
なめんな!こら!って、思う時期やし、でも、実力もないから、こんなふうに思われてんねやとか、スベリ芸の何何さんみたいに、書かれたときの、腹立たしさね。
腹立つのと、恥ずかしいのと、もう悔しいのともう。
もうやめたろかな、本当に。
こんなつらいの。
なんでこんなつらいねん。
おもろいと思われたくて、入ったのに、世間にはおもろないと言われてると。
もう嫌で嫌でしょうがないよ。
拍手の三拍子ございますよね。
皆さん、覚えてますね、強く、強く、強く!痛いわ!何言ってるんだ。
人を笑わせるために芸人になった方正。
しかし、与えられるのは、スベリキャラやリアクション芸など、人から笑われる仕事ばかり。
そのイメージが世間にも浸透し、芸人を辞めようと思うほど、深く思い詰めていったというのです。
このあと、先輩、東野幸治が、どん底時代の方正のさらなる苦悩を衝撃告白!
人を笑わせるために芸人になった月亭方正。
しかし、若手時代は、スベリキャラやリアクション芸など、人から笑われる仕事ばかり。
その扱いがとにかく嫌で、つらい日々を送っていたというのです。
その当時、方正さんが滑ってた時代、どん底時代をよく知る先輩芸人から、当時の話を聞いています、どうぞ。
どうも、東野です。
ありがとうございます。
若手時代から方正をよく知る1年先輩の東野幸治。
スベリキャラとして扱われ始めた、当時の方正の様子は?
腹立ちますわーって、よう言うてましたよ、若いときは。
扱いとか違います、扱いとか、ドッキリがむごすぎるとか。
極楽とんぼの加藤に、酒の席で、俺、俺はリアクションとかじゃなくて、番組を仕切っていって、話振ったり、突っ込んだりしたいねんって言うたら、できねえっすよ!そんなの!って、めっちゃ言われて、めっちゃ腹立ったわぁーって、よう言うてましたけどね。
なんかこう、リアクション芸人は、周りはそう思ってるけど、本人の中では、そんなつもりはないみたいで、出川哲朗さんが、ライバルは山ちゃんだよってずっと言うてたんですよ。
山崎邦正がライバルだよって、言うてたけど、山崎邦正、当時の山崎邦正は、出川さんと俺、仕事、そんなかぶらへんと思うのやけど、やけに向こうがライバル視して見たいな。
だから出川さんから見たらライバルなんですけど、山崎邦正、月亭方正からすると、そのリアクション芸人っていう自分の中で自覚ないんでしょうね。
やっぱりおしゃべりでわらかしたいとか、そういう思いがあったんあったん違いますか?
もう出川さんじゃなかったんですね?
俺、リアクション芸人って、思ったことなくて。
ここが本業じゃないっていうのは、ずっと。
そこじゃないねん、俺はという。
だからもう本当に心がね、病んでたというより、心が死んでた。
いや、まあありますよね、そういう時代は。
もう、家帰って、きょうもおもんないって言われた…。
カット、枕に。
分かりますわ。
枕に、うわぁーって言いながら、もう涙がぼろぼろ出て。
それ、泣いてるのは自分のやりたい仕事じゃない?
もうだから、嫌やったんやろな。
うけないとか?
そう。
理想とは違う仕事に葛藤し、スベリキャラとしての知られざる苦悩を抱えていた、どん底時代。
何すんねん!
さらに、25歳でコンビを解散。
そして、28歳のとき、方正にとって最もつらい仕事が始まったというのです。
それは。
モリマン対決。
ほんまに嫌や言うてましたね。
毎回。
もう、それで1年の半分はもう嫌やった。
何が嫌やったんですか、モリマン、?あんだけみんな、笑って、盛り上がってたのに。
めちゃくちゃ痛いのもあるし、なんでこんなんせなあかんねん。
そのね、ガキ使の大人気企画、モリマン対決を、久しぶりにちょっと皆さん、ご覧ください。
こちらです。
28歳からなんと12年間も続いた、ガキの使いの名物企画、モリマン対決。
方正は、女性芸人、モリマンと、体を張ったさまざまな対決で勝負していたのです。
まずは頭にかぶったパンストを脱がし合う対決。
これは真剣にやってるんですか?
いや、真剣にやってるよ。
めっちゃ強いねん、こいつ、まじで。
続いては、熱々の八宝菜をかけ合う対決。
暴れてる。
おもろいんっすけどね。
そして、方正が最も嫌いだったのが、ゴボウしばき合い対決。
痛いで、これ。
これは痛いで。
これ、ほんまに痛い!これ、ほんまに。
山崎さん!
痛い、痛い、痛い、痛い…。
痛い?
木や、これ。
ゴボウは、これ、あかん!
見てるほうはおもろいですけど、ほんまに嫌やったんですね。
ほんまに嫌やった…。
これでおもろいって言われるのも、嫌やったんですか?
だって何がおもろいか、ようわからへんもん。
めちゃくちゃおもろかったですけどね。
やっぱそうか。
でもまあ、わらかしてるっていうことじゃないですもんね?
みんなが笑ってたらいいねんって、みんなが笑ってたらいいけれども、そこにやっぱり、笑わせてるという、何かがないと。
今のは?
笑われてる。
やってん。
ゴボウなかったら、だめですって。
いや、…。
やっぱり、そこはそれ、方正さんがおいしいと思ってないから、面白いんでしょうね?あれ、ゴボウもお花なんですよね。
ゴボウもお花の一種でゴボウのなんか、花言葉あるんですよね?
うん。
なんでしたっけ?
いじめないでって。
めちゃめちゃ。
奇跡的ですね?これ。
めちゃくちゃやろ。
周りは爆笑だったモリマン対決。
しかし、方正はとにかく嫌で嫌でしかたがなかったというのです。
そんな方正を、この人はどう見ていたのでしょうか。
どうも!山崎邦正の永遠のライバル、出川哲朗です。
永遠のライバル言うてるやん。
めっちゃラブコール受けてるやん。
当時、多くの番組で共演していた、出川哲朗。
方正のリアクション芸について聞いてみると。
やっぱ本物のへたれだから、でも、すごいやっぱ、その本物のへたれの強さ。
やっぱだからおもしろいし。
例えばもう、バンジージャンプとかは、もう絶対にやらなきゃいけない状況にされて、海外ロケとかで。
とてつもないお金もかかってる、スタッフがこんだけ一緒に来てる。
これで飛ばなかったら、企画が成立しない、いろいろ考えて、やっぱ結局やるじゃないですか。
山ちゃん、やらない。
やらないすごさ。
それは僕にはできないから、やっぱ、そこはすごいと思いますね。
その逃げても許されるというのは、たぶん、山崎邦正だけじゃないですかね。
普通だったら、やっぱ逃げたら、やっぱり次、オファー来ないですもん。
方正は本当に嫌がっているからおもしろいという出川。
では、今、違う世界に行った方正をどう思っているのでしょうか。
落語家になることを、別に僕は否定しないし、山ちゃんが決めた道だから、頑張ってほしいんだけど、1回だけ言いましたね。
まさか名前まで変えるとは思わなかったから、名前変えるって言ったときに、山ちゃん、山崎邦正っていう名前は、でかいぞと。
やっぱ山崎邦正っていう名前は、唯一無二の名前だったんで。
まあ、僕は本当のこと言うと、ちょっと寂しかったですね。
ということで、永遠のライバルからのコメントでしたけれども。
なんか、思わず泣きそうになってしまった。
なんでや!なんでや!
覚えてる。
山崎邦正の名前はでかいぞと?
うん、覚えてる。
そこの違いなんでしょうね。
そこの違いなんや、俺、すごいなと思うのは、出川さんは本当に、なんか鬼気としてやっていて。
いや、でも、さっきの言うたのが、すべてじゃないですか。
方正さんはやらないすごさ。
嫌やから、俺は飛ばないっていうすごさですかね。
思いとは裏腹に、リアクション芸人として、唯一無二の存在となってしまった方正。
では、その後の幸せグラフは。
33歳のときに結婚。
グラフは一時、一気に上がるものの、仕事では相変わらず苦悩が続くばかり。
なんと17年間もの間、屈辱の日々にずっと耐えてきたというのです。
しかし、40歳でグラフがいきなり100まで急上昇。
この訳とは?
これの、もちろんずどーんは?
落語に出会わさせていただいたという。
これ、方正さんね、40じゃないですか、どこで決めたんですか?どの段階で、俺は落語家になるって思ったんですか?
39歳で、ぱっと振り返って、初めて、自分の人生。
その振り返るきっかけになったのは、営業行くでしょう?営業行ったときに、山崎邦正で20分ぐらい与えられるの、時間。
ほんで、出ていったら、きゃーってみんな喜んでくれるの。
知ってる方正さんやっていう。
方正さんや、きゃーってなるけど、そのあと、もうやることないんですよ。
ほんで俺の前に出たブラックマヨネーズ、ぎゃーって、テレビでも頑張って、ぎゃーって言われて、もうどんどん沸かして帰ってきた。
次出たチュートリアル。
出た、どーん、沸かしてまた帰ってくる。
僕ね、これですっごい落ち込んで。
なるほどね。
俺、20年これ、頑張ってきて、目の前のお客さんが、こんだけ期待してんのに、なんにも結果出されへんし、この目の前のお客さん、なんにも喜ばされへんねや。
あかん、もうこれは、もう舞台に立って、目の前のお客さんに楽しんでもらう初心の芸人。
自分の思ってた芸人像に、やっぱならなあかんっていうのがここやねん。
で、落語って決めたのは、なんでですか?
東野さんと、よう飲みにいっていて、こうこう、こうなんですよねって、相談したら、山ちゃん、落語聞いてみたら?桂枝雀さん、おもろいでー、聞いてみ。
はぁ、みたいな感じや。
ほんで、聞いたんですよ。
ほんなら、あれ?何?あれ?おもろいな、これ。
え?めっちゃおもろいやん、え?何これ?何これ?みたいな。
もう今まで知らんかった世界ですか?
全然知らんかった。
そんときに、これや、もうこれや。
そこから何一つ変わってないです、気持ちは。
17年間の地獄の日々を乗り越え、ようやく巡り合えた落語。
方正はなんの迷いもなく、落語家になることを即座に決意。
そして、当時、仲のよかった八光から、八方さんを紹介してもらい、弟子入りを志願。
それを八方さんも快く受け入れたというのです。
師匠、覚えてはるんですか?
うん、覚えてるね。
やりたかったら、やらはったら、ええんちゃうかなっていう。
なんか、わりかしね、僕ね、門戸はね、広いんですよ、僕は。
うん。
やりたい人はやりはったらええなと思うんです。
なるほど。
それでも、やっぱ落語家さんでも、それをよしとしない人も。
もちろん多いと思います。
もちろん多いやん?
いや、でもそれは芸人として、何十年もやってるから、なんかこの、落語というものやなしに、芸能界としてのこの20年の過去においての彼の頑張りというものが、絶対に積み上がったところから始まると僕は思ってるからね。
だから、やっぱ大きな芸能の世界で、くくって、物事を見てやりたいなと思う。
なるほど。
そのへんは、やっぱり感じたから。
それで、やりはったらええんちゃいますかと。
あかんかったら、やめはるやろな、すぐにというような感じね。
そう簡単にはいかんやろ、すぐに半年、1年で、やっぱり辞めときますわになるんやろうなと思った。
へぇー。
それ、よっぽどの覚悟でしょ?方正さん。
よっぽどの覚悟やし、俺はでも、覚悟というより、もううれしくてうれしくてしょうがない。
落語できる喜びですか?
落後出来る喜び、そして、月亭方正という名前を頂いた、方正でええやんか、八方の方を、そのままつこたら、ええやんか。
方正。
これ、でも奇跡的にそうなんですよね。
八方の方が、方正になるんですよね。
師匠の一字をもらうんで、大体。
それが、しかも正しい方向って、書くっていうのが、またすごいですね。
もう本当ねぇ、本当うれしかったねぇ。
なんでついてくんねんな、なんで?速いな、なんや、ものすごい速いで!なんやねん?
懐の広い師匠に出会い、無我夢中で落語にのめり込んでいった方正。
そして落語に専念するために、東京から大阪へと生活の拠点まで移したのです。
さあ、ここでですね、方正さんが昔からよく知る、あの方々に、落語家になった方正さんについて話を聞いてます、どうぞ。
若手時代から方正を身続けてきたこの2人は、落語家に転身した方正をどう見ているのでしょうか。
まずは、きっかけを与えた東野。
落語ね、聞いたら?山ちゃんって、それは確かにそうなんですけどね、たまたま僕が聞いてておもしろかったから。
でも、今、思えば、大体歌うまい人って、大体そういう落語とかうまいですもんね。
やっぱお芝居というかね、やっぱりちゃんと音合わせるというか。
じゃあ、素質はあった?
あると思いますよ。
研究熱心じゃないですかね。
よう楽屋とか後輩が言ってましたけど、今田が、楽屋行ったら、いつも、なんかパソコン開いて、なんか落語の映像見たり、稽古したりとか、いろんな空いてる時間、全部落語に使ってるでしょ。
また大阪でまたね、骨うずめて頑張ってらっしゃるんで、いい、これからの50代、60代はすごいね、芸人さんになられるんじゃないですか?
たぶん俺が人生でやる、最後にやることっていうのが、見つかったって。
それが落語だって。
ざきさんがおっしゃってたんで、なかなか東京で、テレビの仕事ちょいちょいやってて、出て、テレビに出てたら、その決断できないっすよ!家族も説得して、いったら子どもも学校変わったりとか、そこを全部説得して、大阪に帰るっていうことを選んだっていうのは、難しいと思いますよー。
あんま言わないと思いますけど、俺、ざきさんらしいなと思いましたね。
かっこいいと思いました。
そこで今の東京の地位とか、全部捨てて、やりたい落語にぼーんって、のめり込んでできるっていうのは、俺、すごいなと思いますけどね。
はぁ、もうご家族の反応も大丈夫やったんですか?反対もなかったんですか?
だから、それがありがたいのが、もう本当、分かりましたって言って。
ですよね。
ついて行きますっていう。
だってずっと東京で住んでたわけですからね。
うん、それはありがたい。
さあ、方正さん、やっぱ落語家になって、今もう、ずっと、やっぱもう、幸せな。
もう本当に幸せで、これ、いろいろ変わったんですけど、すべるとか、絶対、落語ではありえへんもん。
そうですね、笑われるものじゃないですもんね、落語は。
1人でやるし、誰も助けてくれへんし。
なんか、とにかくやっぱり一生懸命できますね。
やっぱり命を与えていただいたんでね、師匠に。
糸の先や、糸の先!ああ、針。
あー!針だ!針だ!針だ!間違いだ、間違い、針にくっついてるやつ、針にくっついてるやつや!
落語に没頭し、始めて7年とは思えないほど、めきめきと実力をつけていった方正。
そして、古典落語だけでなく、自分ではなしを作る創作落語にも力を入れているというのです。
このあとは、
お笑いタレントから落語家に転身して7年。
落語に没頭し、めきめきと実力を伸ばしていった月亭方正。
そんな方正を落語家の先輩方は、どう思っているのでしょうか。
さあ、方正さん、ここで、方正さんの落語をどう思ってるのか、こんな方に聞いております、どうぞ。
桂ざこばです。
まずは方正の落語の舞台をよく見ているという桂ざこば。
方正の落語をどう評価しているのでしょうか。
くささもないし、やらしいテクニックもないし、誠に人もいいと思う。
うちの師匠、言うてはった、うちの師匠だけやないけど、やっぱり、人間やで、落語家は、落語はな、人間や。
よう言うてはって、僕見てて、ああ、彼はごっついええなと思うんで。
嫌みのない、嫌なやっちゃなっていうの、全然あれへんもん。
ええな言うて、僕。
僕は思う。
そして。
どうも、上方落語協会会長六代桂文枝でございます。
上方落語協会会長、六代桂文枝。
落語家、月亭方正に思うことは?
僕は落語家になってから、テレビにいろいろと呼ばれて、やるようになって、口調的にちょっと古典落語にあまり向いてないかもしれないということで、創作落語を作ったわけですけども、方正君の場合も、ずっとこう、テレビの世界でやってきましたから、古典の上方の味を出すよりは、そういう創作でもってね、やったほうがいいと思いますね。
方正くん、本当に上方落語に入ってきていただいて、ありがとう。
方正君にしかできない落語がきっとあるはずですから、一つ、上方落語を、もう壊してもいいというような気持ちで、どんどん今までの上方落語の殻を破って、全国に広めてほしいし、頑張ってやっていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
すごいいいアドバイスじゃないですか、今。
そうっすね。
すごくありがたいことを言われてるなと思いますね。
だから今、僕も今までの山崎邦正を全然否定はしてないし、その中で、僕ができることと思ってやってる。
そのうまくやろうとは思ってないし、本当、僕ができるところでやってるから。
ここが全部、結果はおもろくなるんじゃないですか、落語で。
第2の芸人人生ですよね。
いや、本当、2度、人生。
それはほかの人はあんまり味わえないことですよね。
やりたいことを一生、できる仕事を見つけたというのは。
いっぺんもよつばしの小料理屋なんて、いたことないぞ。
へっ?誰と間違えとんねん?へー!
大御所の落語家たちも認める方正の可能性。
兄弟子、八光、そして師匠、八方が落語家、月亭方正に思うことは?
僕、起爆剤になってると思います、絶対。
方正さんが来たことによって、周りの人がやっぱりね、落語というものにもう一回、向き直した。
方正さんが来て、方正さんがこうなってると、よそ見しとったら、あっちゅう間に置いていかれるんですよね、やっぱり。
負けていられるかいという気持ちももちろんあるしな。
どっかで、やっぱりっていうね。
それね、みんなあると思います、心の中に。
師匠はどうですか?今後。
楽しいことが、先々になんぼでもあるという。
そして奥の深いネタにも、どんどんチャレンジできる。
つまり年輪が待っているというかね。
だから、まあまあ、今の状況をそのまま続けていったらいいと思いますね。
じゃあ、もうこれからまだまだ、楽しい大好きな落語が、ずっとできるってことですからね。
それとね、やはり売れてきた人というのはね、やっぱ華があるね。
山崎邦正という大看板をね、まあ言えば脱いで、そして、月亭という看板を背負ってね、頑張ってる姿にね、本当に逆に言うと、一門そのものが、なんか、華を抱えたような気がするんでね、ぜひこれから、私たち親子を引っ張っていってほしいなと思いますね。
お笑いタレントとして、苦悩し続けていた地獄の日々。
それを乗り越え、やっと巡り合えた落語。
とにかく楽しくてしかたがない日々を送っているという方正。
そして、この収録の1か月後、27年間の芸人人生の集大成ともいえる1人きりでの落語会に、始めて挑戦するというのです。
それは方正さん的には、楽しみなんですか?
いや、すっごい怖いし。
どきどきもあるし、プレッシャーもあるしね?
プレッシャーもずっと乗っかって、うーんとなるけど、やっぱり楽しみのほうが勝ってるかな。
嫌やけど、なんか、どうなんのかな?っていうほうが勝ってる。
でもほんまに、その感じ、見えますもんね?
話聞いてください。
だけって言ってるの。
飲み込んでるっつってるねん。
芸人人生27年の集大成ともいえる1人きりでの落語会に、初めて挑戦する月亭方正。
その本番1週間前。
おはようございます。
この日、方正がやって来たのは、月亭一門の定席、八聖亭。
ええんやけどもな、あいつは、ちと抜けとるやろう、見た目からしてもそうや。
…、こんなもん、たなぼたじゃ。
たなぼたじゃ。
単独落語会で披露する演目は、古典2席と創作落語2席。
創作落語はこの落語会のために、半年前から仕事の合間の僅かな時間を縫って、こつこつと作り上げたんだそう。
命を粗末にすなと止めはったんです。
こうこうこうで、…がないと。
どういう反応になるのか、ぶつけてみなわからへん。
怖いな、これやっぱり、でも。
ほな、何かい、これと引き換えに。
ごんすけ。
うぇーい。
朝起きてから、落語のことやろ、本で移動中、落語やろ、ほんで寝る前もほんま落語ばっかりで。
こんだけやってても、時間足りないですか?
足りない。
テレビ6本、ラジオ1本のレギュラーを持つ超売れっ子タレントでもある方正。
限られた時間をすべて使って、本番に向け稽古を続けます。
ああ、それやったらええねん。
気をつけんと。
細い道をそこらじゅう掘り返して、穴だらけになっとるやろ。
ほな、どんなちょうちんにしときましょう?たくはりかなんかにしときますか。
なんやて?たくはりちょうちん?これやから、お前はものを知らんと言われるんねん。
そして、迎えた本番当日。
お願いしまーす。
単独落語会の舞台は、大阪にある大丸心斎橋劇場。
260席もの大きな劇場で、経歴僅か7年の落語家が、一人きりで落語会を行うのは、極めて異例なんだそう。
かじのことが気になって、眠られへんってなことになってたらかわいそうやなと思いましたね。
おう、やす。
どないしたん?いや、今な、…を通ったら、…が大きな声でな。
OK、はい。
ああ…。
開演30分前、お客さんが続々とやって来ました。
客席は超満員。
すごいファンになって、もうそれから、もう方正さんいうたら、追っかけている状態で。
こんな面白い落語はないなぁと思ってね。
だから落語に対する考え方が、もう全然変わってしまった。
リアクションが、人物表現がすごい上手やと思うんで、そのへんのところがすごく落語に生かされてるんじゃないかなというふうに思います。
それでは、まもなく開演いたします。
お願いします。
お願いします。
月亭方正ひとりきりの会。
いよいよ開幕です。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
ねぇ、たくさん集まっていただきまして、ようこそおいでいただきました。
本当にありがとうございます。
お父さんには負けへんわよぉー!くっそー、犯罪者に負けるか。
あ、いたっ!お父さん!すまん、わろうてもらおうと思うて。
そんなん笑われへんって言うてるやんか、もう!ごんすけ、ちょうちんに火を入れろ。
うぇーい。
あまこ!いよいよろうそくの火が消えるか、だんさんの命の日が消えるか、どっちか消えてしまうぞ。
兄貴が言うさかい、湯葉をこしらえたんや。
湯葉をこしらえた?誰がそんなこと言うたん?え?わしはな、ばばを懲らしめてこいと言うたんや!…。
もうええ!動くな!動くな!
落語に懸ける思いを全身全霊で、この舞台にぶつける方正。
そして。
きょうも朝はように、起きて、川に入って、しじみとっとったら、えっらいぎょうさん取れたんで、これはいっぱい売れるな思うて、来たの。
新地で売りあるいとったんです。
最後の演目は、古典落語の大ネタ、しじみ売り。
小さな子どもが病気の母親と姉のために、1人でしじみを売り歩いているという人情ばなしです。
しじみ余ったらな、いつでもここ来たらええ、うん、余ったもんはな、みんなこうたる。
なんやったらな、初めからここに来いよ。
みなこうたる。
ほなな。
気ぃつけて帰りや。
おおきに!よいしょ。
よいしょ。
しじみー、しじみー。
しじみー、しじみー。
うーん、あー、さぶ。
しじみー、しじみー。
おいっ!頑張れ!あー、がんばっとったらな、いつかええ日も来るわい!ええ?頑張れよ!がんばっとったらな、いつかええ日も来るわい!
しじみ売りで方正が大好きだというこのせりふ。
つらかった時期を乗り越え、ようやく落語に巡り合った自分の人生と、重ね合わせている、のかもしれません。
そして。
あの子な、毎日、しじみ取ってるやろ?せやから、こないして若旦那をすくうことが、できんねや。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます!
月亭方正ひとりきりの会。
初めての独演会は、大歓声の中、幕を閉じました。
短い期間でね、あれだけの落語をちゃんとなさって、感心しました。
楽しかったです。
分かりやすい。
景色が浮かぶしね、やってることが、誰がしゃべってるかが、はっきり分かるから、これはむっちゃおもしろいです。
誰が聞いても、おもしろいと思う。
これから落語のファンが広がるんちゃうかなと思いますね。
大満足のお客さん。
しかし、やり終えた方正は。
これ、終わったから、じゃあ、終わりかということじゃなく、また稽古が始まるから。
またスタートです。
がんばっとったらな、いつかええ日も来るわい。
ええっ?頑張れよ!
落語家、月亭方正。
第2の芸人人生は、まだ始まったばかりです。
次回はオール阪神・巨人を徹底解剖。
2月21日日曜午後4時30分放送。
お楽しみに!大阪を舞台に、2016/01/10(日) 16:35〜17:30
読売テレビ1
八方・陣内・方正の黄金列伝【月亭方正】ヘタレ芸地獄…初の一人落語会で涙[字]

ダウンタウンが生んだ超一流ヘタレ芸人の知られざる地獄…嗚咽の涙を流した後に出会った落語の世界。「ガキの使い」貴重映像と初の一人落語会密着で壮絶芸人人生に迫る。

詳細情報
出演者
【司会】
月亭八方
陣内智則
月亭八光

【出演】
月亭方正

桂文枝
桂ざこば

東野幸治
加藤浩次
出川哲朗
番組内容
この番組だから話せる爆弾話が炸裂!
テレビ初出しトークも満載!

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
バラエティ – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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