ブログに個性的な「声」を生み出す5つのスタートポイント

ブログに個性的な「声」を生み出す5つのスタートポイント

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金曜日は私がブログ執筆で学んだことについての不定期連載となります。

地味ブログについての記事で、自分だけの「声」に向けて書くという話を書きました。これは抽象的で聞こえがよい話ではあるのですが、どこか具体性に欠けていて、実際のところどうすればいいのか?と思われた方もいるかもしれません。

文章、あるいはコンテンツにおける「声」というのは文体と言い換えてもいいわけですから、それはなかなか1日で生み出せるものではありません。なにか固定した文体を持てることは稀ですし、多くの場合は一生を通して緩やかに変化を受け入れながら作り上げてゆくものと言っていいでしょう。

しかし、職業作家として統一された文体の作品を生み出すのではない、日々更新する個人ブログほどならば、スタート地点として意識すればいいのは「他者と区別できること」です。そしてそれはなんといっても、文体に関する小さな選択に忠実であることから始まります。

次に5つほどすぐに思いつく点を挙げてみますが、こうした例に代表されるようなポイントをおおまかにイメージしておくだけでも、自分の声を見つけるときの助けになるかもしれません。そしてこれらは一文字も文章を書く前から決めることができるのです。

スタートポイント1:一人称になにを選ぶか

「僕」「私」「俺」など、ブログに自分の意見を書くときにはよほど文体上の曲芸を徹底しない限りは自分自身への言及は避けがたいでしょう。そうしたときに、みなさんは自分をどの言葉で指し示しますか?

これは日常的に自分をさししめすときに使う言葉でもいいですし、あえて違う言葉でもいいでしょう。性別に合わせるのが普通ですが、そこから多少ずらしてみても読者には印象を与えます。ただし、あまり演じすぎても無理が生じてしまいますので、奇を衒うことはおすすめしません。

あまり話題にならないのが、ブログやコンテンツを生み出す仕事を長く続けている場合です。若いうちに一人称「僕」を選んで、年長に対して若者の立場から書きたくなることは自然ですが、そんな人も10年たてばしだいに若者とは言えなくなってきます。

威勢よく年長者に対して「オヤジ」などと書いていた人が、自分がそうなったときに過去のログをそのまま残したまま発言をどう変えればいいのか。これはブログ文化がもう10年ほど続くといろいろな場所で見られる出来事になるはずです。

時代とともにゆるやかに人称を変えるのもありですし、より高度なテクニックですがそのまま文体を成熟させてゆくこともできます。もっと簡単には、30歳、40歳、50歳になっても有効な中性的な声を選んでおくことです。これは読者を選ばないことにもなるので有利に働くこともあります。

そんなに悩むことはないと思いますが、こういう選び取りがあって、いずれはこうした疑問に直面するというのは知っていてもよいかと思います。

スタートポイント2:「ですます調」か「である調」か

一人称にある程度引きずられますが、文章の末尾を「ですます調」にするか、「である調」にするかも意識的な選択です。

私の経験では、ブログの上での「ですます」は多少冗長になりがちですが、丁寧な言葉遣いなので意図せずして尊大に聞こえることを避けることができる点で便利です。

一方で、テーマが「である」を要求する場合もあります。事実の描写や説明には「ですます」が面倒ですし、ふだん使わないのでどうしても使い方を間違えるという場合もあるでしょう。

はじめてブログを書いている人には落とし穴が少ない「ですます」調をおすすめしますが、テスト的に記事を書いて音読してみて自分らしくない、テーマがに合わないと思うならば「である調」でゆくことも間違いではありません。なにせ、慣れない文体はなかなか長く書くことが疲れるからです。

スタートポイント3:フォントと行間を選ぶ

意外に読む側の心理に働きかけるのがフォントとその大きさ、そして行間です。

私はへんな趣味をもっていて、ときどき、有名ブログをいくつかわたり歩き、それらがどんな横幅を利用しているか、フォントの大きさはどのように設定していて、CSSによる行間はどのようにしているかを調べることがあります。

同様に主要な新聞サイトもチェックして情報を集めると、それぞれのサイトが想定される読者にあわせてさりげなく明朝体やゴシック体を、大きなフォントや小さいフォントを利用していることがわかります。

読者の多くがモバイルデバイスで記事を読む時代、この問題はさらに複雑になります。たとえばiPhone 5 の画面とiPhone 6 Plus の画面では情報量は格段に違います。フォントを小さくしてもっと文字をつめこみますか? それとも大きく読みやすくするかわりにスクロールの手間を受け入れますか?

多くのブログがさまざまなノウハウを蓄積していて、ここにはある程度収束した答えがあります。しかしあえて私は自分で調査してみて、このサイトの見た目が気に入ったというのを模範にサイトをカスタマイズしてほしいと思います。

同じ文章でもCSSによって受け止められ方が違うというのは、なんだか文章の書き手として敗北感もあるのですが、敗北感は自分の中に、見やすさは読者のもとに届ける、これがまずはスタート地点です。

スタートポイント4:話題を選ぶ

よく「ブログ開始で◯万PV達成」といった内容を自分だけの功績であるかのように書く記事を見かけますが、PVというのは割合と単純にできていて、1. 器としての記事数、2. 一記事あたりの平均アクセス、で決まっている部分があります。なので、話題となっていることについて追随記事を量産すれば特徴がなくてもウェブのデウス・エクス・マキナ、Google がアクセスを運んでくれます。これ自体はよいことでも悪いことでもなく、そういう仕組があるというだけのことです。

でも、これからなにかの情報発信、知的生産をしたいという場合に、話題の舵取りを自分で行うのかどうかは、ブログの「声」を決めるのに大きな影響を与えます。アクセスはあまり望めなくても、「この話題だけは自分が拾う」という特徴が一つあったほうが、書き手としての個性は確立しやすいでしょう。

ワインブログからウェブマーケターに転身した Gary Vaynerchuk のセリフで私が忘れられないものに「スマーフが大好きなら、ブログをスマーフまみれにしてしまえ! “Smurf it up!” 」というものがあります。他の人にかけないニッチで記事が100個あると、それがすぐにアクセスなどには繋がらないまでも、他とは異なる「声」を作り上げる近道になるわけです。

同じように、似た話題でも取り上げ方を変えるという手もあります。これはもう少し難しくなるのでまた日をおいて。

スタートポイント5:読者を選ぶ

ひょっとすると、最も異論がでてくるかもしれないのが、読者を選ぶという考え方です。

本来は、読者は私たちの書いたものにやってきてくださる存在で拒むことはできませんし、広い読者にアクセスできたほうが、より多くの人に読んでもらいたいという目的は達成しやすくなります。

でもすべての人を同様に喜ばせることができないというのもまた真実です。英語には “Jack of all trades, ace of none” という言葉があって、器用貧乏という意味合いがあるのですが、誰も彼もを満足させようとすると誰も満足させられずに終わるという意味あいも含まれています。

あえて読者を狭くする、これはもう8年前のインタビュー記事でも紹介した考え方なのですが、ブログの書き手が多くなった今、さらに有効な手です。

狭くなることを恐れない/日本のライフハックに「ひとこと言いたかった」堀 E.正岳さんのブログ論(いしたにまさきのブロガーウォッチング 第8回) | Web担当者Forum

読者を選ぶというのは、なにも偉そうに「あなたは読者ではない」と突き放すことではありません。むしろ逆で、すでにレッドオーシャンになっている話題に釣り糸を垂れるよりも、こんな場所に人がいるのだろうかと思いながらまだ見ぬ読者に手を伸ばすことでもあるのです。

「話題」を選ぶと似ているのですが、読者を選ぶのは、すでに確立した話題の流れについていけない人、さらにマニアックな人、異なる背景をもっている人に向けてあえて語りかけるということを意味しています。

実はこれが一番未開拓で、既存メディアが追うわけにはいかない小道であったりしますので、鉱脈がたくさんあります。これはアクセスが稼げるという意味の鉱脈というよりも、represent = 代弁されていない人がまだこの世界には無数にいて、あなたの声を待っているという意味あいのほうが強くなります。

まとめ

さて、リスティクルの作法にしたがって記事の長さが長すぎないように最も重要だと私が感じる5つのスタートポイントについて紹介しましたが、これはあくまで私がブログを書く際に自分の「声」の設定に気をつけている点です。ひょっとすると的外れであったり、時代遅れであったり、みなさんには利用価値が少ないかもしれません。

でもこれだけはいえるのは、誰が書いたのかを主張しない、多少は荒削りでも個性が備わった文体でない限り、読んでいて印象は弱くなるという点です。メディアで執筆する際、書籍を書く場合には中性的な文体を選ぶ技術も必要になりますが、個人で書く場所ならば逆もまた真なりなのです。

また、こうした記事をかいておいてなんですが「声」は狙って作為的につくれるものでもありません。たいていは反応のない場所に向かってなんども修正しながら叫んで返事を待つ孤独な作業です。

でも少しずつでも、あなたの「声」に共鳴する人がいるなら、そこに検索エンジンの一期一会にとどまらない、長い関係がうまれるでしょう。そのとき、自分でも気づくのです。ああ、これが、「自分の声」だったんだと。