・「くまモンくまモンくまモンくまモン」熊本県のPRキャラクターくまモン。
おととし一年間の関連商品の売り上げが643億円と誕生以来その人気は全国に及んでいます。
くまモンのコンセプトを考え世に送り出したのが放送作家・脚本家の小山薫堂さんです。
子どもたちの無垢なる笑顔といいますかああいうの見てると本当くまモン作ってよかったなと思います。
小山さんは「紅白歌合戦」で嵐が披露した「ふるさと」の作詩も担当。
生まれ育った熊本県天草市の風景やふるさとへの思いが描かれています。
脚本を担当した映画「おくりびと」ではアカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。
次々とヒット作を生み出す小山薫堂さんの原点に迫ります。
小山さんのふるさと…市内に唯一残る映画館を小山さんと訪ねました。
そうですね。
僕が人生最初に映画を見た劇場ですね。
まだそのままの雰囲気で残ってます。
何年ぐらい前になりますか?もう約40年前ですね。
小学生の頃でしたから。
そのころやはり映画お好きだったんですか?いや…え〜っと映画ぐらいしかなかったんですよね娯楽が。
そうですか。
こんにちは。
・いらっしゃいませ。
どうも。
お邪魔しま〜す。
こんにちは。
お久しぶりです。
どうもお久しぶりです。
ロビーはどうなんですか?当時と比べて。
いや〜もう当時の記憶あまりないんですけどでもそのままですよね?きっと。
ほぼそのままだと思います。
いろんな懐かしい資料が…パンフレットもたくさんありますし。
そうですね。
倉本聰さん連れてきたんですよ一度。
ちょっと倉本さんサプライズしてすごいいい雰囲気なんですよってこう連れてったら皆さん「駅」を見てたっていう。
結構泣きそうになってましたけどね。
そうですか。
本当サプライズお好きですね。
そうですね。
あっ小山さんのサインもあります。
ええ僕も一応。
「このスクリーンの中にたくさんの夢がある!」。
お〜っびっくりした!びっくりした!くまモン登場です。
いやびっくりした。
本当に…。
だからサプライズふってたんですか。
そうです。
やりました!くまモン。
握手握手。
NHKのくまモンって感じじゃないですか?え?言いますか?いやしかし小山さんの息子ですよ。
いや息子っていうか。
生みの親。
もう今や僕のもとを離れてもうすごい偉くなってますけどね。
僕が作った時以上にその〜熊本県の皆さんあるいは日本中の皆さんがくまモンへの思いをこう魂を吹き込んでいったって感じがしますね。
世の中が魂を吹き込んでいった感じがします。
この辺りに魂がたまってますか?そうですね。
(笑い声)最初に映画をここで見たのはおいくつぐらいの時だったんですか?小学校3年生とか4年生だったと思いますね。
あの…何か自然と一番の娯楽になってましたね。
劇場自体が今は上は椅子になってますけど確か昔はね畳だったんですよね。
そうですか。
へえ〜。
そこに寝転んで見たりしてたような記憶ありますね。
随分ラフな。
ラフな感じで。
だからここに来る事自体がちょっと子どもにとっての…え〜何でしょう?アトラクションランドといいますかねテーマパークみたいなもんでしたね。
なるほど。
ええ。
自分が日本の隅っこの田舎町にいる少年で映画によって世界とつながってるといいますか。
その夢の種をいっぱい拾ったのかもしれないですね。
幼い頃からさまざまな映画を見ていた小山さん。
セリフを通じて言葉に興味を持つようになりました。
小学生の時に大塚先生という国語の先生がいましてよく褒めてくれたんですよね。
すごく褒めて育てるタイプの先生で。
その先生に作文や詩を褒められた事がうれしかったんですね。
褒めてくれるっていうのはその人が喜んでるという事でもありますしそれによる自分の幸福感が自分の中で生まれるっていうのはいろんな事をやっていく上での根幹にあるものだと思いますね。
そんな小山さんに大きな影響を与えたのが父清嗣さんでした。
会社を経営する清嗣さんは大学受験に3回失敗。
その経験から「今悪い事があってもそれは将来の成功のための回り道なんだ」と言い聞かせました。
お父様のお言葉の中で一番印象に残っている言葉は何でしょう?やはりあの…それはいつごろ言われたんですか?これはねいつ言われたかちょっと記憶にないんですけどね…。
う〜ん…。
いつでしょうね…?小学校とか?小学校か…もしかしたら小学校の時に中学受験をしたんですよ。
それで落っこったんですよ。
それが自分にとってのまず人生最初の大きな挫折だったんですけど。
その時だったかもしれないですね。
その言葉は自分の中にどう入ってきたんですか?えっとね…その時はあんまり入ってなかったと思いますね。
ただどっかに引っ掛かっててだんだん自分が成長しいろんな失敗や挫折を繰り返していくうちにそういえばあの時あの失敗があったから今があるんだなとかもしあの時成功してたら今はないんだなと思う事が増えてきましてそれでかつて教わった言葉が何か自分の血となり骨となってきた気がしますね。
ある意味お守りのような言葉だと思うんですね。
自分がつまずいた時にそれを自分の中に携えておけばまあ比較的簡単に立ち直る事ができる。
なので便利な言葉では…便利といいますか非常にお世話になっている言葉ではありますね。
言葉の力ってやっぱりすごいですね。
そうですね。
そういう意味ではどれだけたくさんのいい言葉を自分の中にストックしていくかによって人生の深みであるとか豊かさが変わってくると思いますね。
小山さんの4歳下の…将堂さんはダウン症で両親と一緒に暮らしています。
父の言葉とともにこの弟の存在が小山さんの生き方や表現にも影響を与えています。
その弟と僕の差を感じながら常に生きてきましたから弟の分まで生きなければいけないなという思いがありましたしうちの親父もある時…これは僕は覚えてないんですけど親父が言うんですけどね。
ある時僕を近所の居酒屋に連れてって男同士の話をしようとかつって連れてってそれでお前の弟は障害をもって生まれてると。
人生を楽しむ事はできないかもしれないからその分お前は2倍の楽しみを得なければいけないんだと。
普通の人より2倍楽しむつもりで人生を生きなさいという話を僕にしたんですって。
…で僕は泣きながら分かったと言ったという事をよく聞くんですけどね。
弟さんの事を意識しながら生活される事っていうのは何か?いや日々やっぱりありますよ。
自分にとっての普通と弟にとっての普通は違う訳でそれで…でもどっちが幸せかっていうともしかしたら弟の方がいろんなプレッシャーもなく原稿の締め切りもなく幸せかもしれないですしそう考えると決して不幸だとは思わないんですよね。
人それぞれの生き方があってその差を考えさせてくれるきっかけにはなってますよねいつも。
ええ。
小山さんは高校卒業後東京の日本大学芸術学部放送学科に入学しました。
入学された時のこの大学の印象というのはどうだったんですか?初日ですね。
大学に登校してきた初日「さあこれから頑張るぞ」っていう夢に満ちあふれている僕が最初に擦れ違った人っていうのがまあ先輩だと思うんですけど逆立ちしてスケボーに乗ってる人と擦れ違ったんですよ。
それで大丈夫かな?この大学に来てって思いましたね。
小山さんは大学在学中からラジオ局でアルバイトを始め放送作家としての道を歩み始めます。
卒業後は「料理の鉄人」などヒット作を次々と生み出していきます。
そんな小山さんが最も苦しんだのが「カノッサの屈辱」という番組です。
現代社会を巧みに風刺するため緻密な表現が求められ創作に苦しみました。
毎週毎週多くの番組が毎週やって来るんですけれども非常に緻密に作り上げなければいけない番組でしたからそれが苦しかったですね。
どういうふうに思われた訳ですか?その時?はい。
いやもう…死んだ方が楽だなと思いましたね。
そこまで追い込まれたんですか?ええ。
それぐらいきつかった記憶がありますね。
どれぐらい思い詰められました?とにかく屈葬睡眠と自分では名付けてたんですけどね。
徹夜してると眠くなりますよね。
だからちょっとは寝ようと。
でも普通にベッドに入ってしまうと朝まで寝てしまうのでお風呂の中で寝るんですよ。
ちっちゃなユニットバスに膝を抱えて屈葬のように。
昔の埋葬方法の屈葬のようにこうやってお風呂の中で寝ると大体お湯が冷めて冷たくなると1〜2時間ほどすると目を覚ましてそれで体ふやけててシワシワになってて痛くてはってお風呂から出てそれからまた考えるというような時間がありましたね。
厳しい時もあったと思うんですけどもそれを乗り越えていくための小山さんなりの乗り越え方っていうのはどういうものだったんですか?非常に楽観的ではあるんですけど時間がたてば終わるなって思ってた事ですかね。
放送なので延期できませんよね。
締め切りが待ってますし。
必ずどんなに苦しくても来週のこの日この曜日を越えたらこれは終わってるんだなと。
終わりが見えてる苦しみですのでそれを一つずつ。
マラソンランナーが次の電柱に来たら歩こうと思いながら走り続けるみたいなもんで。
次辞めてもいいかなと思いながらでも辞めなくて続けたっていうそれだけですね。
困難に直面する度に思い出したのが父の言葉でした。
「人は知らず知らずのうちに最良の人生を選択しながら生きている」。
その言葉を支えに作品を作り続けた小山さんに思わぬ仕事が舞い込んできます。
映画「おくりびと」の脚本です。
本木雅弘さん演じる納棺師にスポットをあて人間の生と死をテーマに描きました。
小山さんは初めて書いた映画の脚本でアカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。
アカデミー賞を受賞された時の瞬間の気持ちっていうのは今改めていかがだったですか?その時は今までの失敗であるとか今まで自分が歩んできた事あるいは自分が直面してきた失敗はここにつながってたんだなという思いが一番大きかったですね。
「おくりびと」で伝えたかったメッセージっていうのはどういうものなんでしょうか?「おくりびと」はですね一つはやっぱり普通って何だろうという事が軸にあったんですよね。
あの中に広末涼子さんが自分の夫の職業が納棺師だっていう事を知り軽蔑するというシーンがあるんですけれども。
家を出ていきますよね。
ええ。
その時に「もっと普通の仕事に就いてよ」って言うんですよね。
主人公本木さんが「普通って何なんだよ」と。
「人が死ぬって死なない人はいないんだ。
誰でも死ぬ。
「こんなに究極の普通はないんだよ」というような事を話すシーンがあるんですけど。
普通の仕事をしてほしいだけ。
普通って何だよ。
誰でも必ず死ぬだろ?俺だって死ぬし君だって死ぬ!死そのものが普通なんだよ。
理屈はいいから!まさにその普通っていうのは人によってその人次第によって普通の基準が変わりますからそれがあなたにとっての「普通って何ですか」っていう事が実は裏の中の僕の…僕の中ではそれが一番大きなメッセージだったんですけどね。
その答えっていうのはどう考えてらっしゃるんですか?幸せってみんな違うじゃないですか。
もう感じ方が違いますよね。
例えば僕ゴルフなんてよくねそうだと思うんですけどゴルフうまい人がいます。
普通は70台で回ってる人が90台をたたいてしまった時にもう最悪だと思う。
ゴルフなんかやめちまえと思う。
でも普通120とかで回ってる人が100を切ったらもううれしくてしょうがない。
どっちが幸せかっていうと100というスコアでもよかったと思える人生の方が幸せじゃないですか。
それはその人次第って事ですか?その人次第。
だから100でも幸せだと思う人が70出せたらもっと幸せであってどこに自分の普通の基準価値の基準を置くかっていうのはその人の幸福感を大いに変えてくれるなと思うんですけどね。
一人一人の心の中にある普通幸せ。
それを歌詞に込めたのが「ふるさと」です。
小山さんはふるさと天草の風景をイメージして歌詞を書きました。
小山さん本当にここは静かでいい所ですね。
そうですね。
トンビの音がたまに聞こえて声が聞こえる。
何か落ち着くんですよねここに来ると。
一番気に入っているこの地域の魅力っていうのはどんなところですか?まず一つはやっぱりここに暮らしてる人たちが穏やかで優しいという事ですね。
それからこの音とかこういう船の音も含むんですけどトンビの声とか鳴き声とかあと風ですかね。
内海ですから穏やかな風が吹きそして夕日この時間ちょうど夕日が沈むこのころも何か優しいものに全体が包まれる感じがしてそこが好きです。
小山さんがお作りになった「ふるさと」という曲ですけどもこの地域が一つイメージになったという事だそうですけどもどんなところなんでしょうか?町の人たちの生活している速度とかのんきさとか距離感町の人たちのコミュニティーのつくり方が非常に今の時代に珍しい不思議な絆で結ばれているようなところがあってそこに憧れるんですよね。
父の言葉を胸に最良の人生を選んできたと感じる小山さん。
自分の立ち位置を見つめ直すふるさとの大切な場所に連れていってくれました。
こっち側町の方は僕にとっての過去の自分なんですよね。
印象的にね。
こっち振り返って灯台があって灯台に向かって防波堤がバ〜ッとあって何かこう…未来に向かっていく自分のための道のように見えませんか?滑走路のように見えますね。
海の向こうに都会が広がっていてこの先に自分の未来があるような過去と未来とこの辺が現在みたいな感じでいつもここで物思いにふける事がありましたね。
昔はこの未来が無限にあったような気がするんですけど今見るともう限りが見えてる気がしますけどね。
昔見たこの風景は遠くまで果てしなくどこまで行っても到達しない感じがあったんですけどね。
今何かこの先に終わりがあるような。
それはこの年齢50過ぎたからだと思うんですけどね。
これから先なんですけども小山さんふるさとと自分っていうのはどのように位置づけてらっしゃいますか?まだもうそろそろ決めなきゃいけないと思うんですがまず残りの数十年間をどの土地にささげるかっていうのはもう考えなければいけない年齢だなと思うんですけど正直ふるさとにささげたいという気持ちともっと世界に出なきゃいけないんじゃないかという何か欲のようなものがまだせめぎ合ってる感じですね。
51歳そういう年齢なんでしょうか?いや〜。
もう決めなきゃいけないと思うんですけどね。
ただふるさとの事はどんな事があってもふるさとには寄り添って生きていかなければいけないと思ってますけどね。
2016/01/11(月) 06:30〜06:53
NHK総合1・神戸
インタビュー ここから「脚本家・放送作家 小山薫堂」[字]
熊本県のPRキャラクター「くまモン」の生みの親、脚本家・放送作家の小山薫堂氏。現在の活動の原点となった熊本・天草市で、ふるさとへの思いなどを聞く。
詳細情報
番組内容
熊本県のPRキャラクター「くまモン」。昨年度1年間の関連商品の売り上げは、644億円。日銀の試算では熊本県内の2011年からの2年間の経済効果が、1244億円と発表された。その「くまモン」の生みの親が、脚本家・放送作家の小山薫堂氏。小山氏は、熊本県天草市出身で、現在51歳。現在の活動の原点となった熊本・天草市で、苦しい時に自分を支えてくれた言葉や、ふるさとへの思いなどについて聞く。
出演者
【出演】脚本家・放送作家…小山薫堂,【きき手】黒氏康博
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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