インタビューここからスペシャル「だから まっすぐ生きる〜音楽家 長渕剛〜」 2016.01.11


カンニングペーパーの持ち込みなどが8件確認されているということです。
長渕剛です。
「インタビューここからスペシャル」。
今回はですね富士山麓の10万人ライブやですねそれから僕が10代の頃のそういう思い出なんかをつづりながらたくさん語ります。
それから新成人へのメッセージ。
今日は成人の日でもありますからね。
こんなものを語ってみたいと思いますので最後までご覧下さい。
よろしく!
(観客)剛!剛!剛!剛!・「OhJapan!Whereareyougoing?」・「OhJapan!Whatareyoudoing?」
長渕剛さん59歳。
日本を代表するシンガーソングライターです。
去年8月富士山の麓で「10万人オールナイト・ライヴ」を成功させました
・「好きです好きです心から」
そのストレートなメッセージや生きざまが多くの人の共感を呼んできた長渕さん。
今回のライブでは9時間にわたりファンに親しまれてきた44曲を次々と披露しました
・「かたい絆に想いをよせて語り尽くせぬ青春の日々」・「死にたいくらいに憧れた花の都“大東京”」・「薄っぺらのボストン・バッグ北へ北へ向かった」・「ざらついたにがい砂を噛むとねじふせられた正直さが」・「今ごろになってやけに骨身にしみる」歌うぞ〜!・「ああしあわせのとんぼよどこへ」
自ら企画した壮大なライブをやり遂げた長渕さんはふるさと鹿児島に帰っていました
まっすぐっていうのはどういう事なんですか?俺という人間の思いが先で表現が先なんだと。
常に「まっすぐ生きる」姿勢を大切にして歌い続けてきた長渕さん。
その思いに迫りました

長渕さんの生まれ故郷は桜島で知られる鹿児島県です
10万人ライブを終えふるさとに戻っていた長渕さんに10代の頃から曲に勇気をもらってきた私二宮がお話を伺いました
はじめまして。
二宮と申します。
どうもはじめまして長渕です。
よろしくお願いします。
いつも長渕さんの曲に励まして頂いています。
今日はお話伺えて光栄です。
よろしくお願いします。
しかしいい眺め。
いいでしょうここ。
僕鹿児島にね帰ってきた時はいつもこの山を見ながらねいろいろ考えるわけさ。
自然の中にいるとほんといいね。
都会の雑踏の中にいると聞こえない音がここでは都会では聞こえない音が聞こえてくるから。
鳥の…。
そう鳥の声ね。
風のささやきとかさ。
あと空。
ここは満天の星空。
流れ星とかビュンビュン飛ぶよ。
そうですか!空も広いですね。
広いですよ。
また山並みも。
そうですね。
霧島連山ですねあっちはね。
結構鹿児島はよく帰られるんですか?しょっちゅう帰りますね。
煮詰まったらすぐ帰りますよ。
まあ友達もいるしね。
なんか煮詰まるんだよね都会にいるとね。
まだ煮詰まんないでしょ?まだ…。
イケイケだもんな。
小さい煮詰まりはありますけれども。
そうですか。
帰ってくるとどうですか?もう2日で元気になるよ。
2日で。
・「国旗が生まれた日本の頂
(テッペン)に陽よ昇れ!」
オールナイト・ライブの舞台となったのは富士山の麓。
10万人と夜通し歌って迎えた朝長渕さんが歌っていると突然空が晴れ朝日が顔を出しました
ライブが終わって改めて振り返っていかがですか?僕は覚えてないんだよあんまり。
ほんとにただただ必死でやったっていう事だけはあって。
やっぱり観客の最前列から最後部までね10万という距離感はほんとに…僕のここ立っててねあそこの山のとがった所に人がね立ってるぐらいのほんとに精神的にはそれぐらいの距離感です。
それを一つに気持ちを束ねる自分の使命がありましたんでそれで霊峰富士に向かって夜通し叫び最終的には朝日が昇るというそういうシナリオがあるわけですからこれは…作ったって出来ないんですよ。
そうですよね。
映画の世界じゃないんで。
富士山でやろうというのはいつ頃からお考えだったんですか?正確に言うとね震災直後なんですね。
震災直後に割と早い時期に僕は門脇のとこに足を踏み入れたんですね。
まだまだ腐敗臭みたいなものがたくさん泥の中から臭ってましてねそれでヌメヌメとしてましたよ。
その中に足を踏み入れた瞬間にねグルグルグルッとこう亡くなった人たちの居たたまれない魂というのかなそれがもう憑依です。
のぼってきたっていうか…。
憑依しました。
その時にグーッて足が硬直しましてね。
それで叫ぶんだね魂たちはね。
「お前に俺の気持ちが俺たちの気持ちが分かってたまるか!」というようなそういう無念とか何ていいますかね苦しみの断末魔の叫びっていいますかねそういったものが憑依してきますね。
その瞬間僕もウーッと打ち震えながらですね気付いた時には奥歯をグーッとかみしめてましたね。
何十年も表現を人前でやらしてもらっててね震災っていうものはとてつもなく過去それから現在そして未来に生きてる我々の表現者としてのあるべき姿っていうものをきちんともう一回締め直さなきゃいかんぞというふうな事だったというふうに僕は受け止めてるんですね。
東日本大震災から4年後。
先行きの見えない時代の中長渕さんは日本の象徴富士山の麓で明日の幸せを願うライブを開く事を考えました。
共にするのは10万人。
壮大なスケールの挑戦でした
このステージを成功させるために厳しいトレーニングを積み体を極限まで鍛え上げた長渕さん
59歳。
全てを出しきったライブでした
戦いの歴史や悲しみや喜びの歴史を全部知ってる富士霊峰に対して我々が何と言い立ち向かっていくのかというそれを10万の人たちと一緒に民衆…僕も含めた民衆の一つの願いとして「幸せになりてえ!」と。
「WEWANT」俺たち欲しいんだ何が!幸せが!と。
そういう思いを一晩かけてその想念が自然神っていうものに伝わるかどうかの賭けですからね。
だけど寂しいですね。
寂しいですか?めっちゃ寂しいで今。
今もですか?うん。
終わった瞬間…。
あんだけの10万人ライブでお客さんが集まってみんなでその場を共有し合って思いを共有し合ったあとでも寂しいですか?たまらなく寂しいよ。
僕は10万人いてもね「お前に歌いたい」「君に歌いたい」っていう1対1なんですよ。
つまり二宮君とこうやって話をしてる事なんだ。
ここにギターがあるようなものでそうした時に二宮君は僕の目をまっすぐ見てくれるでしょ。
僕もそのまっすぐな目をそらすわけにいかないんで心がまっすぐ向き合うんですね。
そこに歌があっただけの話ですね。
これが5人いたら5人とまっすぐ見てたい。
10人いたら10人とちゃんと目を合わせて話をしたい。
1万人でも一緒。
10万人でも100万人でも全部一緒なんだと。
つまり1対1の関係性を作って歌を歌ってきた。
照明係に文句言いましたからね。
「暗いんだ〜!」つって。
「見えない」と。
「客を照らせ〜!」。
お客さん一人一人顔が見たい。
そういう事ですよ。
はるか向こうのやつにも伝えたいわけ。
目の前のやつも泣いてるし向こうも泣いてんだから。
そうすると暗いんですよ地平線の向こうに立つ人間が。
そうするともう僕はそこまで駆けていかなきゃいけないんで心は。
声も。
そうすると見えたいです。
やつらも僕の事が米粒しか見えないです。
僕もやつらの事米粒しか見えないです。
その米1粒をね無駄にできないですよ。
そこが大切なんで「照らせ!」。
照明さんも必死で…。
必死だったよね。
鹿児島で生まれ育った長渕さん。
曲作りやまっすぐな生き方に大きな影響を与えたのは母マス子さんの存在でした
金持ちとそれから貧乏人のね差別というのが非常に心の中では「くそ〜」と思うようなガキだったし。
なぜあそこの外科医の息子のとこは誕生日の時にこんな大きなケーキが出てうちは小麦粉に水混ぜたかっぱ焼きなんだとかさ。
母親が家計簿つけてさ「大根1本どうこう」「昇進しないあんたが悪いんだ」とけんかになって昔の人だからこんななっちゃうのね。
そのたんびに母がヒステリックな声とね甲高い声で耳の僕のこん中に焼き付いてんのね。
それからすすり泣く声を。
昭和の響きですかねそういうのは。
母のすすり泣く声。
「雨どいを伝う雫を見るのがたまらなく嫌だった」という…。
歌詞にもありますね。
どんだけ貧しかったんだっていうような。
貧しいっていうよりもむせび泣いてるようなすすり泣きなんだな僕の中じゃ。
子供としては聞きたくない。
いや〜聞きたくない。
ところが打って変わってその次の日に母が水源地に僕を連れてってお握りをむすんでね中におみそを入れて。
それで小高いこういう切り株に座って丘からね太陽が沈むまでず〜っと母は黙ってるわけさ。
僕を手つないでね。
そこまでの道のりがまたねこういうふうに今日雲一つない天気みたいなの。
よく思い出すのよ。
そこの葉っぱに水滴がついててさ雨上がりでキラキラキラキラしてるの。
ミツバチやチョウチョウがそのころたくさんいてそれを払いながら「ツウちゃんおいで」なんてさ。
でこう手を引っ張っていった先に水源地があってそこから丘の上からこうやって下を見下ろすわけさ。
小さな…下には暮らしの明かりがぽつぽつと。
家々があって…。
家々があって。
その時間になるまで母がそこにいるんだけど僕は近寄れなくてね。
昨日の修羅場を見てるしかあちゃん悲しいんだろうなあとか何考えてんだろうなあというふうに近寄れない少年だったんだけど「おいで」って言われて初めて横にこうやって座るでしょ。
そうするとまた母がこうやってね童謡みたいな歌を歌うんだよ。
そのなんか響きみたいなものがなんかここに残ってんだな。
それが今考えるとね童謡的なメロディーっていうのは普遍性があって皮膚に染み込んでくるよな。
それが僕がよく歌う…「とんぼ」もそうかもしれない。
「乾杯」もそうかもしれない。
そういう誰もがふ〜っと入っていけるようなメロディーの原型になってんじゃない?だからあれ母がくれたんだな。
僕ね落ち着きのないガキだったんでね小学校の低学年の時にお習字とね絵を習わされてたの。
「習え!」って母に言われてね。
で嫌で嫌でしょうがないですね。
でも行かなきゃ怒られるから一度サボったんです。
平気に。
平気でもなかったですけど。
そしたら母が来てねパッと目を見て「今日絵行った?」って聞かれたんです。
そしたらもう一拍間が置かないうちにうそって分かりましたよ。
「えっ?」っていう顔しますからね子供は。
動揺が。
「行ってないな」って言われてこうなりました。
「来い!」つって手引っ張られてねそれで仏様の先祖を祭ってる仏様の前に行ってね反省しなさいってわけ。
こうやって反省して。
反省したってね怖いだけですから。
こうやってやってるとね母が「手出せ!」ってわけ。
お線香あるじゃないですか。
死んだ人間に手向けるお線香。
ロウソクであれでこうやってお線香火つけて「手出せ!」って。
出したら?「どの手がうそついたんだ!」ってわけよ。
いやどの手この手って…こうやって出しましたよ。
ジューッ!って。
焼き入れられた。
うそというのはね人を傷つけるしそしてまた怖いものであるっていう概念は自分の頭の中にものすごく体で教え込まれますね。
今は亡き母から教わった…
そうした思いを歌い多くの人から愛されている曲があります
一緒に歌おう。
「Myself」。
・「人ごみに紛れると」
30代前半の長渕さんが作った「Myself」。
今回のライブを前にファン投票1位に選ばれた歌です
・「俺は初めてほんとの友を探した」Everybodysay,Hey!「Myself」という曲僕も大好きな曲なんですけれどもお作りになったと思うんですがその時はご自身はどういう状況でその曲を作ったかっていうのは…。
大体ねその曲の裏側にいたと思ってくれればいいですよ。
その歌詞の?裏側にいたと。
つまりこうありたい。
こうでなければいけないんじゃないかって思いが歌に表現されますよね。
って事は自分の位置関係はどこにいたかっていうとその裏側にいたって事です。
まっすぐ行けねえんだ俺が。
行けてなかった?まっすぐ行けねえんだって事の苦しみ。
あるいは怒りですよ。
あっそうなんですか。
自分だけは自分はまっすぐ行こうと思ってもそこの世の中の大義や大人たちの世界の中で仕事していくわけでしょ?「こういう歌を書け」「お前この歌聴いたか」。
ねっ当時のプロデューサーやディレクターまあひどい事言ったもんだね。
当然右も左も分からない僕はそれに準じてやりますよね。
机の上で書いたギターで書いたものをテープに録音してでサッと今度はアレンジャーに発注されるでしょ?こんな歌書いてねえんだけどというようなアレンジに上がってきたりしてそれが何だかどこぞのラジオから流れてきてもちっともある意味不思議じゃない不思議じゃない音なんだ。
まみれてる音なわけさ。
ところが自分としては違うんだこの音じゃ。
もう全然違うと。
違うわけだよね。
お金に寄り添ってその音楽は生産されていくのでありましたという事に気付くのがちょうど二宮君…。
30代に入って…。
俺という人間の思いが先で表現が先なんだと。
その表現を押し殺してまでそれを商業主義のCDやレコードのリリースにしてしまうっていう事が僕の中では非常にまっすぐに生きていけない事でした。
その時思ってたまっすぐというのはどういう事ですか?自分の信念を貫く事ですよ。
自分の信念を貫いていくという事ですね。
それは多分ね社会という額縁。
僕はよく話しするんだけど窓枠があるじゃないですかこれが社会なんだって。
ここに常識非常識ってのがあるわけですよ。
自分の信念を貫いていく時に常識非常識論でかざしていくと表現には関係ないですよ。
非常識と言われようが常識と言われようが表現を追求するって事はそういう窓枠はないんです。
だから捨てると。
ない。
本来自由なものですよね。
本来は自由です。
何もない世界。
そこに自分の表現っていうものを追求していくっていう事はいろんな事揶揄されますよ。
バッシングされます。
石も投げられます。
それでも自分自身が表現をしたいのかというふうに自分が問うわけですね。
問うと「したいのだ」というふうに思うんですよ。
それから仲間がたくさん増えてくると俺らもそうなんだっていう響きが聞こえてきます。
俺らもその何だか訳の分からない常識非常識論あの社会って窓枠の中で一生懸命労働してんだけども冗談じゃねえよって思いがものすごくひしひしとあると。
長渕お前そういう歌を書けよっていう思いがツアーをやってねずっと田舎いっぱいいろんなとこ回ってますとそういうものがなんかこう感じるわけね。
どこかで。
そうするとよし書くぞっていうふうになるわけです。
気持ちが湧いてくる。
「Myself」の歌詞の中「真っ直ぐ」って歌詞もすごく印象的で大好きなフレーズなんですけどその「真っ直ぐ真っ直ぐ真っ直ぐ生きてえ」「寂しさに涙するのはお前だけじゃねえ」っていうところもすごく共感してる人が多い部分だと思うんですけどそこはどういう気持ちで?だから俺独りぼっちだと思ってたんだと思いますよ。
その時は?その時は。
東京出てって誰もいねえんだもん。
だから芸能界っていうフィールドの中にいれば当然俺のような表現っていうものはこの昭和から平成にかけての時代には必要だったと僕は思いますけどね邪魔なんですよ。
だってガーンと行きたいんだけどこれ行けませんから。
だったらガーンと行くしかないでしょ。
音で。
そう。
言葉音それからパフォーマンス。
当然年々自分に課せられるパフォーマンスっていうものもエンターテインメントとしてはクオリティやそれから完成度ってものを求められてくるんで当然そこには努力が必要になってきますね。
それをきちんとやっていけばそしたらいつの間にか「あいつひょっとしてすげえんじゃねえの?」ってちょこっと言われたりすると…。
見る目がちょっと変わった。
よっしゃと。
よっしゃと。
最近長渕さんが力を入れているのが10代の若い世代との交流です。
ラジオ番組などを通して熱いメッセージを伝えています
うわぁ!おおかっこいいじゃん。
ありがとうございます!マブい女に見えるね。
10代のねまっすぐな瞳はね宝物だよ。
私の信じた道俺の信じた道私が正しいと思う事俺が正しいと思う事誰に何と言われてもねそれ貫き通せよ。
俺が先に社会に出てお前たちこうやって待ってるからな。
早く出てこいよ!分かった?
(一同)はい!思いっきり抱きしめてやるからな!悩む生き物なんです10代は。
悩まなきゃいけないんですよ。
悩まなきゃいけないですか。
たったその鉛筆の芯が折れたぐらいで。
折れちゃった…。
折れた!うわ〜どうしよう。
すごいですねそれは。
ほんとにそうなの。
若さは特に冒険できる宝物を持ってますよ。
若さは大いに無謀であれって僕は思いますね。
そういう事を一生懸命なんか夢中になってですね計算してやるんじゃなくて不意に出た事や不意に表現したものの直感を信じなさい。
その直感に関してはまっすぐでありなさい。
そのかわりぶつかった時に頭下げろって。
ここが大事ですね。
自分が先に生まれていい事も悪い事も経験してきたんでなるべくその中でよかった事を教えてあげたいなというふうに思うしね。
それから大人として「あんな大人にはなりたかない」と思ってきた人間の一人なのでね正直に言いたいよね質問があれば。
単刀直入にバンバンと答えて駄目なものは駄目。
「なぜか?こうだから」というふうに10代の連中には答えてあげる。
すなわちそれはね自分の10代を抱きしめてやんなきゃどうすんだよって事ですよ。
自分自身の。
僕自身の10代。
僕自身の10代がそこにいます10代を見ると。
僕自身の10代がそこで歩いて僕自身の10代がそこで悩んで僕自身の10代が泣いてるんですよ。
僕自身の10代がそこで死にたい。
死にそうになってる。
それは抱きしめてやれよって事ですねちゃんと。
そこに大人という目線が入ってくると大義が入っちゃうんで「君はね」って学校の先生みたいになっちゃうでしょ。
そうじゃないの。
同じ目線になるはずなんですよ。
「お〜そうだお前俺さぁ…」って一緒に涙出てきますよ彼らと話してると。
自分で作ってる人?歌。
どんな歌書くの?自分のふだん友達に言えない本音とかを書いてます。
いいねぇ。
僕もそうだった。
僕も同じ。
涙出てきたな。
分かるよね。
本音をね心の中にある影の部分だな。
みんなには分からない気持ちが自分の中にたくさんあるもんね。
例えばどんな事だ?なんか大人とかを見てて思う不満とか友達の間違ってるなと思う事とかあと自分の夢とかを書いてます。
そうだなぁ。
全く一緒だぞ僕も。
僕いまだにそうだからな。
(笑い)いまだにそう。
自分が大人だけどなんか大人見て腹たつからね。
彼氏が県内トップレベルに頭が良くて来年東京の大学に行っちゃうんですよ。
離れ離れになっちゃって私の事なんて忘れちゃうんじゃないのかなって思うと不安でしょうがないんですけどどうしたらいいですか?恋愛するでしょ。
そしてね距離が愛を育てるというよりもね…絶対かなうと思うよ。
うん。
もしそれでね男がね変な女つくったらね俺がぶっ飛ばしてやるから大丈夫。
そんな男は蹴飛ばしてやりゃいい。
ありがとうございます。
・「乾杯!今君は人生の大きな大きな舞台に立ち」
若い世代と本気で向き合い10代の気持ちを忘れずに活動する長渕さん。
今後どこに向かっていくのでしょうか
・「君に幸せ…」・「あ…」・「れ」
(拍手と歓声)ご自身の音楽としてはどういったものを作りたいとかこういう曲を作りたいというのは。
僕は相変わらずだと思うね。
相変わらず「相変わらずだなこいつ」っていう歌だと思うよ。
ただ反抗もしていきますし反骨の魂は未来永ごう続きますし幸せの歌が必要であれば書きますし死者たちの立ち位置に立った歌も書きますしね。
とにかく…心のなんかね躍動していくような…。
ほんとに僕は最近思うんだけど命というものに寄り添った形の表現とか作品っていうものをね残していきたいという感じはしますね。
僕の最大の作家としての欲求は欲望は「歌よ残れ」って事ですからね。
僕はどうでもいいんですよ。
母がいつの日か歌った「夕焼け小焼け」のようにね誰が歌ったか分からない。
だけどもそのメロディーだけがず〜っと何年も続いてると。
鼻歌のようにね。
そういう「歌よ残れ」と思います。
(歓声)成人式おめでとう!長渕剛です。
え〜…あんな大人になんかなりたかねぇ!僕は二十歳の頃心に誓った言葉を思い出します。
そっくりそのままみんなにもそう思ってほしい。
常に反逆の思想つまりですね正しい事と間違ってる事10代から連綿とつながってる君たちの心の中にある正しさとか間違ってる事への怒りこういったものを絶対に忘れないで社会に出たこの第一歩からですねこういうふうに…。
今に見てろよてめえら。
あんな大人になんかなりたかねぇ!こんな感じでですね生涯信念を持って10代の魂のまま20代をドアを蹴散らかして思う存分に暴れまくってもらいたい。
そういうふうに思います。
僕は先に社会に出て君たちが飛んでくるのをこうやって待ち構えてます。
そして抱きしめるから大いにですね自分の信念を持って飛びかかってきてもらいたい。
そういうふうに思います。
2016年1月の11日長渕剛。
2016/01/11(月) 18:10〜18:40
NHK総合1・神戸
インタビューここからスペシャル「だから まっすぐ生きる〜音楽家 長渕剛〜」[字]

音楽家・長渕剛さん。59歳。去年8月、富士山麓で10万人オールナイトライブを成功させた。彼の故郷・鹿児島で、アーティストとしての原点やライブに込めた思いを伺う。

詳細情報
番組内容
「順子」「乾杯」「とんぼ」などの大ヒット曲で知られる音楽家・長渕剛さん。59歳。去年8月、富士山麓で、歌手生活の集大成ともいえる10万人オールナイトライブを成功させた。会場には、古くからのファンだけでなく、多くの若い世代も訪れた。番組では、長渕さんの故郷・鹿児島でインタビューを収録。アーティストとしての原点やライブで伝えたかったこと、若者へのメッセージなどを伺う。聞き手は、二宮直輝アナウンサー。
出演者
【ゲスト】長渕剛,【きき手】二宮直輝
キーワード1
長渕剛
キーワード2
メッセージ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
音楽 – 国内ロック・ポップス
音楽 – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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