東日本大震災から4年半がたとうとしています。
「こころフォト」では震災で亡くなった一人一人の命の尊さを忘れないために亡くなった方や行方の分からない方の写真と家族のメッセージをお伝えしてきました。
ホームページに寄せられた写真とメッセージは300以上。
歳月を経ても変わらぬ家族への思いがつづられています。
「人はよく時が過ぎれば…と言うけれどあなたのいないことがとてもとても辛い時があります」。
「もう疲れ気味だけどもう少し頑張っていきます」。
番組では癒える事のない家族の悲しみと今を生きるそれぞれの心の内を見つめます。
宮城県石巻市。
狩野正子さんと達弘さん夫婦。
震災後に生まれたひなたちゃんと暮らしています。
毎朝の日課はひなたちゃんに写真を見せる事。
分かる?にいにとねえね。
小学5年生だった達也くんと小学2年生だった美咲ちゃん。
2人とも通っていた学校で津波に巻き込まれ亡くなりました。
達也くんは出張が多かったお父さんに代わって「お母さんは僕が守る」と言ってくれる優しい息子でした。
夜は親子3人川の字に寝ておしゃべりが上手な美咲ちゃんの話にみんなで笑いました。
あの日の朝。
2人はいつものように「行ってきます」と小学校へ出かけました。
2人が通っていたのは北上川沿いに建つ大川小学校でした。
ここに屋根を越えるほどの津波が襲い全校児童108人のうち74人が犠牲に…。
その中に達也くんと美咲ちゃんもいたのです。
月命日。
狩野さん夫婦は小学校を訪ねます。
校舎に残るロッカーや椅子に達也くん美咲ちゃんの名前を見つけては「来たよ!」と声をかけています。
あの日夫婦はすぐに学校へ向かいましたが通行止めにあいたどりつく事ができませんでした。
今もつい足が向いてしまいます。
正子さんは月命日に欠かさず子どもたちの好きだったものを買っています。
毎週末スイミングの帰りに2人と一緒に食べたものでした。
2人のいない暮らし。
震災後静かになった家に居ると正子さんは亡くなった子どもたちの事ばかり考えてしまいました。
(正子)「ただいま」言っても子どもたちの「おかえり」という声もないし。
だんだん気持ちが暗い方に行っちゃって。
「もう2人の所に行ってしまいたい」。
震災から半年後正子さんは夫達弘さんにその思いをぶつけました。
達弘さんは「子どもたちはそんな事望んでない」と返しました。
…って言った記憶はあるかな。
「頑張って生きる」。
それを聞いて正子さんは子どもたちがくれた手紙を思い出しました。
これ母の日だと思うんですけど2人からの「ガンバレ!」という。
お兄ちゃんからですね。
これは美咲が書いてくれたやつですね。
2人からの「頑張って」というメッセージが今の自分に向けられたように感じました。
(正子)思いながら暮らしてるんですけど。
今年狩野さん夫婦に転機が訪れました。
実は夫婦は震災の2年後から仕事の都合で埼玉に暮らしていました。
そこで授かった新しい命。
「できるだけ子どもと一緒にいたい」。
達弘さんは長年勤めた会社を退職。
今年6月石巻に戻ってきたのです。
達也くん美咲ちゃんと過ごしたふるさと。
これまでの仕事は出張が多く子どもたちからいつも「早く帰ってきて」と言われてきました。
まあ後づけの話なんだけどね。
あっ失敗。
地元で仕事を探しながら子育てを頑張る日々。
ひなたちゃんのそばにいていろんな事を教えてあげたいと思っています。
達也くんと美咲ちゃんの分まで。
(達弘)きょうだいだけに似てる。
震災から5回目のお盆。
迷わないで来るようにね。
ほらひなちゃん。
初めての迎え火。
お兄ちゃんとお姉ちゃん一緒だよ。
2人が迷わず家に帰ってこられるように願いを込めた迎え火。
震災から4年半。
達也くんと美咲ちゃんへ母正子さんからのメッセージです。
あの日から4年半。
「こころフォト」に寄せられたメッセージにはやりきれない寂しさがつづられています。
年さんは優しく真面目な夫で晁子さんの手料理を毎日残さずに食べてくれたそうです。
母と妹に向けた吉田真弥子さんからのメッセージです。
真弥子さんは長年薬局を切り盛りしてきた母由枝さんを尊敬していました。
「こころフォトスペシャル」。
残された家族の今を見つめます。
陸前高田市に思い出の料理を作る姉妹がいます。
菅野舞さん。
大学3年生。
作っているのは母親が得意だった料理です。
お母さんが作ってたオリジナルのものですね。
命名も母親が勝手にしてゴツゴツしたものをゴツゴツと煮るから「ゴツゴツ煮」というネーミングに。
料理が得意な母親の美嘉さん。
津波で亡くなりました。
人見知りだった舞さんはいつもお母さんと一緒。
自慢の母親でした。
入れてるものは一緒なんだけどね。
記憶の中の母親の味を再現しようと何度も挑戦しています。
お母さんが作ったやつはお母さんが作ったやつだからな。
舞さんには後悔している事があります。
震災当日の朝母親とけんかをした事です。
母親から忘れ物をした事をとがめられますが舞さんは無視したまま家を出てしまったのです。
あの日高校で大きな揺れを感じた舞さん。
友達と一緒に学校の裏の高台へ避難しました。
その直後舞さんはさっきまでいた高校が波にのまれていくのをぼう然と見ていたと言います。
翌日家に帰りましたが母親の姿だけがありません。
母親の職場の近くを捜す日々が3か月以上続きました。
母親の遺体は思いも寄らない所で見つかります。
それは舞さんが通う高校の敷地内でした。
「お母さんは自分を学校に迎えに来て津波に巻き込まれたに違いない」。
そう考えた舞さんは自分を責め続けました。
もう一度お母さんに会ってあの日の事を謝りたい。
後悔の念が募っていきました。
この夏舞さんは大きな決心をしました。
それは母親が見つかった時の遺体の写真を見る事です。
震災当時舞さんは高校1年生。
家族は舞さんにだけその写真を見せていませんでした。
今回写真を見る事を勧めたのは姉の絵美さんです。
父親の付き添いのもと写真が保管されている警察署に向かう舞さん。
震災から4年半。
ようやく対面した母親の最期の姿でした。
震災後舞さんは秋田市にある看護大学に進学。
12の3で向きますよ。
12の3。
母親の死と向き合った菅野舞さん。
新たな気持ちで迎えた4年半です。
残された家族の歩みの速さはそれぞれ異なります。
しかし時は確実に進んでいます。
料理人として仕事にひたむきだった正雄さんは修さんの誇りでした。
中学時代に出会ったご夫婦で佳代子さんは今年の7月に仮設住宅から新しい家に引っ越しました。
東日本大震災から4年半になります。
宮城県東松島市。
やめて陽貴ふざけるのは。
理容室を営む友野博之さん。
小学3年生の陽貴くんと2人で暮らしています。
博之さんは震災で妻を亡くしました。
こっちNG。
トイレもNG。
震災当時4歳だった陽貴くん。
家事を手伝ってくれるようになりました。
ねえねえこれ男みたい。
男みたい。
やだ。
37歳で亡くなった妻の道代さん。
笑顔が絶えない明るい人でした。
博之さんはその笑顔に一目ぼれして結婚しました。
陽貴くんが生まれると休みの度に親子3人で出かける仲の良い家族でした。
2人目の子どもを授かり妊娠7か月の時震災が起きました。
あの日家族は一緒に避難所だった小学校へ向かいました。
消防団員だった博之さんは途中避難誘導にあたるため2人を先に行かせます。
しかし2人がたどりついた小学校の体育館を津波が襲ったのです。
陽貴くんは助けられましたが道代さんとおなかの赤ちゃんは津波の犠牲となりました。
幼い陽貴くんに母親の死をどう伝えたらいいか博之さんは悩んだ末きちんと話す事にしました。
陽貴にお母さんに会わせようと思って。
「触ってみて。
冷たくなってるでしょ。
声かけてももう目覚めないよ起きないからね」ってそう言った時に陽貴がすごい号泣しましたね。
ただ一度だけ。
その時だけ。
もう一人その死を受け入れる事ができなかった人がいます。
埼玉で暮らす道代さんの母村山恵美子さん。
娘の元に駆けつけやりきれない思いを博之さんにぶつけました。
最後まで道代のところにいてくれて安全な場所にあれしてくれればよかったんじゃないのって。
それを博之さんにぶつけたのね。
そういうふうに言って。
ましてやおなかが大きいのに。
恵美子さんは震災の1時間前まで道代さんとメールでやり取りしていました。
妻の母親から責められた博之さん。
ただ黙って聞くしかありませんでした。
博之さんは陽貴くんに母親のいない寂しさを感じさせないように道代さんがやっていた家事を全てこなしています。
いただきま〜す!どうぞ。
うめえ!いただきます。
どうぞ。
うんうまい!いつもおいしいもん。
父と子2人で支え合って暮らしてきた4年半。
陽貴くんがお母さんについて話す事は徐々に少なくなっていきました。
お母さんの事を忘れてほしくないと思うようになった博之さん。
こういう所をだから巡ってるんですよ今。
かつて家族そろって行った思い出の場所を陽貴くんと2人もう一度訪ねています。
(博之)お母さんこういう人だったよというふうな思い出がない分私が教えなきゃ分かんないから。
この夏道代さんのふるさと埼玉県草加市を訪れる事にしました。
いらっしゃい。
迎えてくれたのは道代さんの母恵美子さんです。
半年ほど前から博之さんと互いに行き来するようになりました。
父と子の姿を遠くから見守る中少しずつわだかまりが解けていったといいます。
何か背が随分伸びた。
(博之)生意気になりました。
通信簿どうだったのかな?
(陽貴)まあよかった。
きっとそういうふうに言ってるなと私は思ってるので。
ただスイッチ入れればいいの?スイッチ入れてあとこれで…。
それおばあちゃんと陽貴だよ。
お宮参り。
博之さんが陽貴くんの成長を見せたいと贈った写真立て。
300枚以上の成長の記録が収められています。
弁当見せた?陽貴。
(博之)これ幼稚園の時に陽貴が「キャラ弁作って」みたいな事確か言ったんだっけかな。
それでパンダか犬か分かんないような…。
(陽貴)覚えてない。
(博之)だろうな。
埼玉への帰省も終わりに近づいた頃。
3人は思い出の場所へ出かけました。
かつて道代さんと乗った観覧車。
5年ぶりに乗る事にしました。
超怖い。
はい撮るよ。
震災から4年半。
博之さんからのメッセージです。
東日本大震災で亡くなった方行方の分からない方2万1,000人余り。
一人一人に大切な家族があり大切な人生がありました。
残された方々は心にさまざまな思いを抱えながらも今を生きています。
2016/01/12(火) 02:00〜02:46
NHK総合1・神戸
特集 明日へ−支えあおう− こころフォトスペシャル「幸せの記憶とともに」[字][再]
東日本大震災から4年半。残された家族から、震災で亡くなった方や行方不明の方へメッセージが寄せられている。遺族たちの4年半の軌跡と今を生きる心の物語をお伝えする。
詳細情報
番組内容
一昨年からはじまった「こころフォト」。これまでに300枚を超える写真と家族からのメッセージがNHKに寄せられた。石巻市の大川小学校で2人の子どもを亡くし、震災前に子どもからもらった手紙を何度も読み返す夫婦。陸前高田市で亡くなった母親に「会いたい」と熱望する女性。東松島市で妻を亡くし幼い息子のために懸命に家事をこなす父親。番組では愛する人を失った遺族たちの悲しみと今を生きるそれぞれの心の物語を描く。
出演者
【司会】鈴木京香,【語り】大沢たかお
おしらせ
2015年9月6日の再放送です
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
情報/ワイドショー – その他
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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