あの戦国の現場へ行こう!

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あの戦国の現場へ行こう!

【山本勘助ゆかりの地レポ 10/11】



山本勘助ゆかりの地である三河国牛久保に一色城跡という城跡があります。



現在の豊川市牛久保町ですね。



今では牛頭山大聖寺(ぎゅうとうざん だいしょうじ)というお寺になっていますが、戦国時代、ココは一色城という城でもありました。



さて、この大聖寺、戦国ファンは必ずチェックしておきたいものがあります。



それが、今川義元の胴塚です。






あの戦国の現場へ行こう!


↑大聖寺の境内の奥にある今川義元の胴塚。



なぜココにあるのかというと、次の様なエピソードがあるからです。



永禄三年(1560)、今川義元は桶狭間で織田軍に討たれ、義元の首は織田軍に持って行かれましたが、後には首無しの胴体が残りました。



残兵たちは、泣く泣く胴体を駿河まで持ち帰ろうとしましたが、桶狭間合戦が起こった5月19日は、現在の暦ですと、6月中旬~下旬頃といわれており、死体の腐敗が非常に早かったそうです。



さすがに駿河まで運ぶには無理と判断した家臣たちは、当時今川領だったこの地にとりあえず埋めることにしました。



そこで手水鉢(ちょうずばち : 寺社を参拝する時に手を洗う水を入れてあるもの)を倒してココに埋めてあるという目印にして、駿河に戻ったそうです。



それから三年後…






あの戦国の現場へ行こう!-今川氏真
↑義元の嫡子である今川氏真は、父の三周忌をこの地で営み、位牌所として寺領の支配権と諸役免除を認めた安堵状を与えたということですが…


なぜか手水鉢はそのままにして、手水鉢の上に墓を築きました。



そして、400年以上経った今、義元の胴塚を見てみると…







あの戦国の現場へ行こう!


↑なんと、一番下が手水鉢のままなのです。



胴塚の横から見ると、ひと目でわかります。



なぜ、氏真は手水鉢の上にそのまま墓を築いたのか?



その真意は謎ですが、ひょっとして必要以上に手を加えたくいなかったのか?



あるいはもっと別の意味が…?



ともあれ、この胴塚は、現在でも一般開放され、参拝もできます。



大河ドラマ風林火山では、山本勘助が今川家に仕官に行くものの、義元は勘助の才能ともかく容姿が気に入らず、仕官を断りますよね。



その義元の墓が勘助のふるさとにある。



これも歴史の因縁を感じますね。



豊川市牛久保町は勘助の史跡巡りの地ですが、この今川義元の胴塚もチェックしておきたいですね。



【大聖寺】の地図



※続きを読む⇒未だに残る一色城の土塁




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