あなたの知らない!江戸のヒーロー 大岡越前 2016.01.14


(忠相)となればこれはまさしく伝助殺しの下手人が落とせしもの。
えっ…?なるほど。
やはりこの根付がまことの下手人を教えてくれたな。
皆様ご存じのこのメロディー。
時代劇「大岡越前」の最大の見せ場といえば何と言ってもお白洲で下されます名裁き。
大岡裁きでございます。
人情味のあるお裁きで人気を博し講談はもとより歌舞伎ドラマでも今なお愛されておりますスーパーヒーロー。
しかし…その謎を解き明かしますのがこの番組。
それでは早速始まり始まり〜。
知らない話がいっぱい!どうですか?このお白洲のセット。
すばらしいですよね〜。
本物ですよね?はい本物なんです。
今日は時代劇「大岡越前」の撮影で実際に使われているこちらのセットからお送りしたいと思います。
ドラマでは岡っ引き辰三を演じる石井さん。
子吉お前が得意なのは「犬も歩けば棒に当たる」のいろはがるた。
岡っ引きはここに足を踏み入れてはいけない訳です。
だから僕もこれだけ…もう「大岡越前3」になるんですけれども素直に感動しております。
私も初めてなんですよ。
このお白洲のセット。
私もそうです。
あっそっか!
(金谷)奥方様はね来ませんもんね。
おめでとうございます。
おうご祝儀ご祝儀。
松原さんとミムラさんは忠相の母と妻を演じています。
きっといい年に…ねっお母様。
ええなりますとも。
今日は松原さんミムラさん時代劇コラムニストのペリー荻野さん。
歴史コメンテーターの金谷俊一郎さんにもお越し頂いております。
(一同)よろしくお願いします。
番組の冒頭にもありましたけれどもドラマでもおなじみの大岡裁きですが金谷先生もともとは歌舞伎や講談で広まったという事なんですよね。
そうなんですよね。
ドラマの「大岡越前」の話の基になるお話がありましてそれを「大岡政談」というんですけどそれがまあ江戸時代庶民の間で大人気になりました歌舞伎とか講談で。
しかしこれ実は「大岡政談」に載ってる内容というのは忠相自らが裁いたものだけではなくてほかのお奉行様の裁きとかあとは中国の「棠陰比事」という昔の本に書かれてる内容とかが多かったりするんです。
中国の内容まで?結構グローバルに…。
(ペリー)名奉行だったのは本当の事?そうです。
もちろん名奉行だったからこそ残っていく訳でそれを今日は追究していくんですよね。
なぜさまざまな名裁きが忠相のエピソードとして伝わったのか。
忠相はどうしてスーパーヒーローとなりえたのか。
証拠がこちらにございます。
まず最初のお品。
こちらでございます。
あ〜そうですね。
実はこれがお奉行様のお裁きと深〜い関係があるんです。
私が調べてまいりました。
ドラマ「大岡越前」。
そのメインの舞台といえば南町奉行所。
八代将軍吉宗により南町奉行に抜てきされた大岡忠相はここで数々の改革を行いました。
一体南町奉行所はどこにあったのでしょうか。
石井さんがやって来たのは東京・有楽町の駅前広場。
いや〜にぎやかですよね。
こちらはさまざまな商業施設や映画館などいろいろなものがある有名なデートスポットですけれどもちょっとこちらに来て下さい。
こんな所に石組みがあるんですよ。
これ一体何だと思います?実はこれ南町奉行所跡なんです。
そう南町奉行大岡忠相はちょうどこの辺りに奉行所を構えて裁きを行っていたんですね。
この石は再開発工事の際に南町奉行所跡地から発掘されたものです。
実はこの地下にも南町奉行所の痕跡が残されているんですね。
それがこちらです。
地下通路に飾られた大きな箱。
これは穴蔵と呼ばれ大切な書類を入れるためのもの。
火災から守るため奉行所の地下に埋められていました。
大岡忠相宛ての荷札も見つかっています。
今はベンチとして再利用されているそうなんです。
大岡の名裁きはどのようにして生み出されたのか。
その手がかりを探しに刑事司法にまつわる貴重な資料を展示する明治大学博物館へやって来ました。
案内してくれたのは…この辺りも江戸時代の物です。
はあ〜。
ああ…痛そう〜これはもう…。
(外山)これは取り調べの時の拷問の道具ですね。
あっイラストにもありますね。
こういうの何ていうんですか?上が石抱責。
石抱責…。
膝の上に石を載せる拷問ですね。
当時の取り調べの目的は自白させる事。
そのためにさまざまな拷問が行われていました。
ただこういった拷問も大岡越前の時代頃からはだんだん緩和される方向にはきますね。
それは何かきっかけがあったんですか?その象徴的な物が向こうにございます。
この奥にあるのがそれです。
はい。
これは徳川幕府の法令集「公事方御定書」。
それまで罪に対する罰の重さは奉行の裁量に任されていましたがこの「公事方御定書」で刑罰の統一した基準を設けたのです。
これが編さんされた時期というのは大岡越前守が町奉行や寺社奉行に在任していた当時ですから編さんに関わってた訳ですね。
では実際これが出来たあとどういうふうに変わったんですか?先ほどの拷問などもこの「御定書」の中では殺人ですとか放火といったような重い犯罪の容疑者以外には拷問はしてはいけないと…。
そして刑罰に関しても細かく規定し明文化されました。
例えば窃盗の場合盗んだ金額が十両以上は死罪。
それ以下は入れ墨の上むち打ちの刑と決められました。
基準を作って公正に刑罰を科す。
大岡忠相は法制度の近代化に深く関わっていたのです。
自分で定めた法律をお奉行様はお裁きの場でどのように生かしていたのか。
それを知る重要な手がかりになる品物があるという事でやって来たのですが…。
大岡家ご当主のお宅で忠相の裁判に臨む心構えが分かる品物を見せて頂きました。
えっ何ですか?これは。
えっ?大きさの違う物がそれぞれ3つ入っておりますが。
失礼します。
これは…。
ん?毛抜きですか?そう。
これは大岡家に代々伝わる忠相愛用のヒゲ抜き。
十二代当主直筆の来歴書にはこう記されています。
「大岡越前守忠相ガ奉行所ニ於テ断獄ノ際常ニ瞑目シテ腮髯を抜クニ用ヒタル」。
忠相は奉行所で人を裁く時いつも目を閉じてこのヒゲ抜きを使っていました。
ヒゲを抜いている忠相の肖像画も残されています。
忠相は公正な判断をするため目を閉じてヒゲを抜き訴訟の言葉だけに耳を傾けていたのです。
さあ先ほどVTRにもございましたけどもこちらに肖像画をご用意させて頂いて…。
これちょっとほほ笑ましいですよね。
何かこうこつの表情ですね。
大きさ…松原さんびっくりしませんでした?びっくりしました。
あれ…あんな大きなので抜くんですか?まとめて抜くの?アハハハ!そうですね。
ヒゲを抜きながら推理をしてる訳ね。
いろいろ考えて…。
やっぱり自分の勝手な判断思い込みで罪を下してはいけないっていう気持ちですよね。
ですから先ほどの「公事方御定書」っていうのもあれも法律の言葉でいうと罪刑法定主義。
つまり法律に書かれてない内容で裁いてはいけない。
これって実はヨーロッパでもまだ始まったばっかりの時代だったんで本当に世界に先駆けて大岡はやってた訳なんです。
最先端だったんだ。
(ペリー)あのねドラマの中でも数々いろんな時代劇の中でいろんなお奉行様出てきますけど中にはですよたった5分ぐらいでペッとやってパッともうあの〜お前は打ち首とか言っちゃうお奉行様もいる中大岡越前は比較的やっぱり余罪ことごとくってちゃんと言ってほかのもちゃんと吟味してから裁断するって事を言ったりするんですねお白洲で。
すごくよく考えたお奉行様っていう印象がありますよ。
江戸時代拷問が多かった事によって一つ大きな問題が起こる訳です。
それは何かと言うと冤罪ですね。
つまり自白を強要されてそれで死罪になった人がいたんです。
その人が死刑直前に忠相が再調査をしたところこの人やってないって事が分かって無実になったんです。
いやもうまさにドラマ!そうなんですよ。
大岡はそれ以降再審制度もう一度裁判をやり直すという制度を設けた訳ですよね。
本当のお話なんですね。
そうなんです。
そうですか。
すごい!では実際に江戸の皆さん町の人々は大岡忠相の事をどのように見ていたのでしょうか。
1725年忠相49歳の時に書かれたものがございます。
こちらです。
えっお猿さんがほら見猿…。
あれお猿さん以外にもあります。
猫がいたりとかいろいろありますけれどもこれはね物揃えと呼ばれる人と物を例えて比べる俳諧遊びというものの一種なんですけれどもおっしゃったように大岡忠相は日光東照宮の彫刻と同じぐらいすばらしいものだというふうに表現されているんです。
日光東照宮といったら神君家康公の…。
そうお墓が…。
あの時代で言ったらものすごい誉れですよね。
町の人たちがそう言って下さったんですか?忠相の事を?
(金谷)そうです。
忠相生きていた頃ですからね。
生きてる頃にこういった評価を…。
49歳の時ですから。
そっか亡くなったあとの美談じゃなくてまさに今実務やってる最中ですもんね。
すごい評価高かったんですね。
もう鼻高いじゃないですか。
(ペリー)ご家族としてはね。
在任期間と就任年齢これをちょっと見てみたいと思うんです。
江戸時代ですね町奉行に就任した平均的な年齢がございます。
平均は…52歳。
随分上の方が…。
結構偉くなってからじゃないとなかなか…。
人生経験も積んでないと裁けないと…。
でも忠相もっと若かったような気がします。
大岡忠相はといいますと…。
41歳。
(ミムラ)あ〜若い!まさにスピード出世というか…。
いやもう若々しいお奉行様。
ドラマになるためにお生まれになったような方ですね。
では在任期間見てみましょう。
平均的に在任したのは大体8年ほどなんですが息子さんの忠相さんはどれくらい在任したと思われますか?でもほぼ当たってると思います。
私あの〜嫁に入る時にちゃんと調べまして今の現代のお子さんが成人なさるぐらいまでだったと思います。
知ってるさすが。
そうなんです。
正解なんです。
なんと20年。
この本当に在任期間の長さというのが町奉行といえば大岡様というイメージにつながったのかもしれませんね。
ではここで…
(拍手)突然タイトルコールすいません。
ではまずお白洲です。
江戸時代ですね裁判が行われたここの場所。
被告と原告が座っていた場所にはこのような白い砂利が敷かれていた事からお白洲と呼ばれるようになったんです。
ではなぜ白い砂利が敷かれたとお思いでしょう?えっと…白い所で真っ白な気持ちになってちゃんと自分の本心を言いなさいっていう…。
私もそうなんじゃないかなと思います。
清廉潔白とかね白日の下にさらされるとか白って何か潔白の色だから正しい事を言いなさいっていう…。
ずばり当たっています!もう正解ですねこれは。
そうなんですね。
この白という色は裁きの公平さそれから神聖さを表す象徴的な色だったという事で白が選ばれたという…。
確かにちょっと圧倒されますよね。
なかなかこんな真っ白なとこなかったじゃないですかきっと。
入ってきて「はっ」ていうちょっと萎縮する感じもあるかもですね。
貴様ら〜!
(一同)わあ〜!神妙に縛につけ!御用だ!お〜っとここで突然下手人が乱入。
捕り物が始まりました。
え〜い神妙にせい!
(拍手)すご〜い!実際江戸時代に使われていた捕り物道具があるというので見せてもらいました。
おお〜。
これは何という道具ですか?これは突棒ですね。
突棒すごい形してますね!
(外山)この突棒というのは刀を持った相手と相対する道具であるという事が江戸時代の記録の中にも出てきます。
ちょっと持ってみてもいいですか?どうぞ。
わあ…あっ重い!しかもやっぱりこれ悪いやつが前にいるってなったらなるべく自分は距離とりたいから後ろの方持ちたくなりますもんね。
そうすると更に重さが…。
これを扱う同心は相当鍛錬を積んでないとなかなか使いこなせないですね。
やっぱりこれを扱う人たちはそのための訓練をされてた訳ですね。
捕り物道具には容疑者を生け捕りにするさまざまな工夫が凝らされていました。
じゃこの3つの道具っていうのはどういった事件の時に登場する物だったんですか?殺人を犯した凶悪犯が町屋に閉じこもっちゃったというような時に捕まえに出ていく訳ですね。
町奉行が同心と水杯を交わして万が一死ぬような事があればちゃんと息子に家督を継がせるからという事を約束して送り出したといわれてます。
じゃあ本当にそれぐらいの覚悟を持って出る時ぐらいの大変な事件の時に使われた道具であると。
(外山)そういう事ですね。
下手人を捕まえる時の三道具と呼ばれる道具を皆さんにもご覧頂きます。
教えて下さるのは殺陣師の清家さんです。
(一同)よろしくお願いします。
早速ですがこれは何ていう物なんですか?これ痛そうなんですけど袖搦という…。
袖搦?相手が例えば振りかぶって斬りかかろうとした瞬間にこの袖グルグルッと巻き込むんですよ。
まさに袖搦。
袖をからめ捕る。
とにかく相手の動きを封じるための武器なんですけど。
じゃあ次のこれは何ですか?これは刺又という…。
例えば相手が斬りかかった瞬間にこの腕を…。
それでぐっとひねると動きが止まりますよね。
これは腕だけじゃなくて首をこう止める。
ぐっとのけぞりますよね。
相手の刀を振っても相手は届きません。
あと十手ですね。
これはやっぱり僕もね…。
そうですね。
同心と岡っ引き。
ちょっと触ってもよろしいですか?どうぞ。
(ミムラ)意欲的ですね。
うわっ重いですよ重い!重いのこれ!一応鉄で出来てますんで…。
いっぺんしばきますか?下手人!だ〜っと…。
ガンッと…そういう事…そうそう。
そうですそうです。
で押さえ込んで…。
パンッ!あ〜っ!町奉行として江戸の町人の暮らし全てに関わっていた大岡忠相。
その忠相の実像をひもとく品物続いてはこちらになります。
(ミムラ)あれ?サツマイモ…。
えっサツマイモとこれ何ですか?この2つなんです。
ミスマッチですよね。
このミスマッチな2つの品物。
実は1つの場所に関係しているんです。
そこへ金谷先生にご案内頂きました。
はい。
このミスマッチコンビが…。
アハハハ!広いんですね!広いでしょう?もう本当東京のど真ん中で東京ドーム3.5個分あるんですよ。
2人がやって来たのは文京区にある…
(金谷)徳川家康という人物あの人は晩年長寿のためにもう本当さまざまな薬草を集めたんです。
それで麻布の方に薬草園を造ったんですがそれが後にこちらの小石川の方に移ってきたという訳なんです。
そんな古くからあったんですねここは。
(金谷)しかもですねその当時のものをまだ栽培している場所っていうのがあるんですよ。
ここが江戸時代からの薬草を栽培している…例えばこれなんか比較的有名なもので麻黄。
あっ何か漢方の風邪薬とかでありますよね。
こちらは当帰ですね。
当帰。
当帰ってのも名前の由来があって「当たる」に「帰る」って書きますよね「当たる」というのは「まさに」っていう意味でこれをのむと「まさにおうちに帰れますよ」っていう意味で「帰る」という字。
ほう〜そういう意味なんですか。
小石川植物園が歴史深いすごい場所だという事は分かったんですけれどこことお奉行様。
どういった関係があるんですか?いやいやこれがね大きな関係あるんです。
ええ〜。
はいこちらでございます。
これですか?はい。
な…何ですか?これ。
実はこれは小石川養生所で使われていた井戸なんです。
あっ小石川養生所ってあの…ドラマの中にも出てくる今回の作品にも出てくる…。
そうなんですよ。
って事はそれが実際にあったのがこちらだって事なんですか?首はねられるやつの病気治したってしょうがねえでしょ!それでも治そうってのが医者なんだ。
ドラマにも登場する小石川養生所は大岡忠相が吉宗の命を受けて設立した医療施設。
医者にかかるお金もない人々を無料で受け入れ治療に当たりました。
ドラマでは忠相の親友伊織が医者として活躍しています。
満を持して大岡忠相がこの小石川養生所を作ったんですが最初の頃ものすごく評判悪かったんです。
えっ?だって無料だったんですよね?そう。
その無料がもしかしたら何か裏があるんじゃないかなって。
人体実験みたいなそういうのじゃないかというそういう風聞が広まってしまったんです。
しかしそこで大岡忠相は何をするのかというと江戸中の名主たちを集めてそしてこの小石川養生所の見学とかをさせる訳なんですね。
そして皆さんに来てもらえるようにした訳なんです。
は〜!やり手ですねやっぱり!現代的かもしれないですね。
そのやり方って何か。
プレゼンをしてって事ですもんね。
ちゃんと庶民に目が向いていたという事なんですね。
ジャン!わあ〜びっくりした!どうして急にサツマイモが出てくるんですか?はい。
もちろんこのサツマイモも大岡忠相にゆかりのある物なんですよ。
そのゆかりの場所がこの植物園の中にまだあるんです。
え〜!ちょっと行ってみましょう。
それがこちらになる訳です。
こちらの石碑。
サツマイモをかたどった100年前の石碑。
かすかに「甘藷試作跡」の文字が読み取れます。
甘藷というのはこちらサツマイモの事です。
ほう〜。
それを試作した場所という事なんですね。
なるほど。
ここでサツマイモの試作を行ったんだ。
そうなんです。
小石川養生所を作った10年ほどあと享保の飢饉というのが起こるんです。
1732年西日本を中心にイナゴやウンカなどの害虫が大発生。
稲作に大きな被害をもたらし江戸でも多くの餓死者を出しました。
当時江戸の飢饉対策の最前線に立っていた大岡忠相は一冊の本に目を留めました。
青木昆陽の「蕃藷考」です。
忠相はサツマイモが痩せた土地でも出来る事を知りこれは飢饉対策にうってつけだと考え吉宗に進言しました。
青木昆陽はいわゆる幕府から命じられてやった。
その時に指揮監督に当たるのが大岡忠相という事なんですね。
この地で試作に成功したサツマイモはその後関東一円に普及していきました。
こちらの箱は薬箱だったんですよ。
そしてサツマイモ。
この2つは小石川養生所でつながっていたという事なんです。
薬草を作ってたんですね小石川養生所の中で。
それで薬を作ってここの中にしまってある。
でも何かプロモーション上手みたいのもすごかったですね。
忠相さんのね。
お偉方をまず呼んでそれを下に浸透させるっていうやり方見事ですよね。
でもドラマにもありがたいですよ。
伊織先生出てくるだけで何かちょっとホッとするし伊織先生が事件解決のヒントを見つけたりしますよね。
やっぱりだからすごく大事。
そして更に飢饉を救うためのサツマイモを作る。
本当に両方とも市井の方々の安定した生活のためにすごく役に立ってますもんね。
(金谷)このサツマイモっていうのが関東一円に普及しました。
その結果その50年後にですね天明の大飢饉というものすごい飢饉が起こるんですけどもその時このサツマイモがあったおかげで多くの命が救われたというふうにいわれる訳なんですね。
でも何大臣何大臣全部兼ねてるみたいですね。
東京都知事と警視庁長官と…。
そして裁判官で。
すごい〜。
ご主人様大活躍ですね。
鼻が高くなるばかりですね。
親が子を案ずるのと同様に子もまた親を案ずるのです。
ドラマで大岡忠相を演じる東山紀之さん。
思い描く忠相像とは?演じていて興味深いのは若くして達観してるところですかね。
その知識の量であったりとかそれを実行する人柄であったりとか人々の幸せという事を一番に考えていたすばらしい人物だったなあという。
やっぱり吉宗が彼を離さなかったというのはとてもよく分かりますね。
まあ僕自身も年とともに経験と知識とが合わさってきて面白い年代になってくると思いますのでその実像を崩す事なく重ねてやりたいなというのは常々思っている事ではありますね。
さてお白洲を抜け出して江戸の町へとやって参りました。
オープンセットここ?僕ら岡っ引きは割とこういうとこで走り回ったりなんだり…。
時代劇ファンはここ来たくて来たくてしょうがないとこなんだから。
そうですよね〜。
さあ皆さんこちら見覚えあるんじゃないですか?お二人は。
ありますね。
このお店ミムラさん何かご存じですよね?はいドラマの中でもしょっちゅうここで重要な話し合いも行われる小料理屋のたぬきさんです。
ねえこのたぬきさんミムラさんに似てません?アハハハ!
(金谷)目が大きいからね〜。
(ミムラ)ありがとうございます。
私もここでよく顔を出していろんなお話をさせて頂いておりました。
ごめんよ!・へいいらっしゃい!今年もよろしくなっ。
松屋の白絹店出たんすね。
お二人みてえに途中で一杯なんて気ぃ起こさなけりゃだけどね。
ヘヘッその心配はねえんだよ。
ペリーさん時代劇の中で居酒屋のシーンというのはよくあるんですか?よくぞ聞いて下さいました。
居酒屋なくして時代劇なしというぐらいですよ。
特に事件物なんかはバラバラに探索してきた人たちが居酒屋に集まって情報交換をしたりするじゃないですか。
でもそういうシーン確かによくやってますね。
出てますでしょ?はい。
事件が解決すると打ち上げですよ。
ここでみんなでこうね…今で言うところの打ち上げが…。
見てる人もそれ見てホッとすると。
実際の当時の居酒屋さんではどんなお酒が好まれていたんですか?そうですね。
例えば灘とか伊丹上方のお酒を江戸に運ぶ時にたるに入れます。
20日間こうやって揺らして来る訳ですよ。
揺らされる事によってまろやかになる。
そして同時に吉野杉の香りがフワッと香る訳です。
上等!これ船で運ばれる酒の事をこれ下り酒っていうふうにいう訳ですね。
下られてくる事によっておいしくなる。
それに対して江戸の周りの酒は下りませんからくだらないよって事で…。
「くだらない」って言葉はそこから来たんですか?
(金谷)そういうふうにもいわれてる訳なんですよ。
すご〜い!あれ?はいお待ち遠!あららら?これは何だ?これは当時の居酒屋での人気メニュー。
焼き目を入れた厚揚げに青ネギを載せた竹虎。
そして大根おろしを載せた雪虎です。
本当に雪が乗っかってるみたい。
そうなんです。
でこのしま模様虎のように見えませんか?
(一同)頂きます。
竹虎と雪虎です。
うん!わっ雪虎おいしい!本当ですね。
香ばしい。
皮香ばしくてね。
かむとまた違う味が出てきますね。
大根おろしおいしい。
でも金谷先生。
はい。
享保の頃から徐々に外食の文化というのは発達していってたんですね。
そうなんです。
江戸時代初期はもうほとんど外食の文化はありませんでした。
江戸時代の真ん中の頃からこの江戸で外食の文化が発達していくんです。
どうしてですか?それはですね江戸の人口比なんです。
江戸は当時は男性と女性の人口比が大体1対1.65。
つまり男性の方が多いんです。
独身男性がたくさんいたのでそこで外食文化というのが発達した訳なんですね。
作ってくれる人が少ないんですね。
そうですね。
ですから所帯持ちが少なかったので…。
はいおすしお持ちしましたよ。
こちらは笹巻きずし。
当時今のような握りずしはまだなく笹巻きずしはそのルーツといわれています。
じゃあ私は…。
何かな?これ。
エビかなというのをちょっと。
クマザサで巻いてありまして…。
あっいい香りですね。
殺菌力があるともいわれていますし…。
食べていいんですか?もちろんです。
(ペリー)頂きま〜す。
ミムラさんのはエビですね。
んっかんぴょう巻きでした。
あ〜なるほど。
あんまりね甘くない。
ですね。
ちょっと酸っぱいような…。
しょっぱさと酸っぱさがくっと来る味で。
酢と塩を多めに使い殺菌力のあるクマザサで巻く事で保存性を高めた笹巻きずし。
これを売る店が人形町に出来たのは元禄15年忠相が26歳の時でした。
人形町ってのはもともと武士がちょっと飲みに行ったりとか遊んだりとかそういう場所だったのでもちろんこれ忠相が行ってても全くおかしくないと思うのでこっそり食べに行ってかもしれませんよ。
激務の合間にねささっと食べられるっていうので…。
らいらいらいらい〜!火事だ〜!火事だ火事だ〜!火事だ〜!らいらいらいらい〜!火事ですって大変!逃げましょう。
行きましょう。
享保の頃江戸の人口は急増し従来の大名火消定火消だけでは町を火災から守る事が難しくなっていました。
そこで江戸の防火体制の強化を任されたのが就任間もない南町奉行大岡忠相でした。
忠相は町方の火事を消す火消しを新たに作ろうと決意。
江戸の町を48の地域に編成し町民の町民による町民のための防火組織江戸いろは四十八組を創設しました。
東京・四谷にある消防博物館には当時の町火消の様子が分かる資料が残されています。
大体一組150人前後という人数で頭を作りそれから纏持ちはしご持ちそういった役割を作って火災の現場に行ったという事なんです。
江戸時代の消火は風下の建物を壊して延焼を食い止めるいわゆる破壊消防が中心でした。
当時家を壊すために使った鳶口。
忠相は鳶口の扱いに慣れた多くの鳶職を町火消に加入させました。
更に忠相は町火消たちの士気を高めるためある秘策を思いつきます。
それは町火消に纏を持たせる事でした。
頭の命令でまさに命懸けで屋根に上った纏持ちはここで火事を食い止めるという目印になったのです。
大岡忠相のアイデアで纏を持つようになった町火消はたちまち江戸の人気者となり粋でいなせな江戸っ子の代名詞となりました。
3つ目は纏でした。
かわいらしいですねこの纏。
さあさあさあさあさあ皆さんここで問題でございます。
お二人お願いします。
わ〜大きい!実物大きい!こちらはい組の纏なんですけれどもお奉行様はですねこの上の丸と四角ありますね。
このデザインにある意味を込めたといわれております。
さて一体どんな意味を込めたのでしょうか?分かった方から挙手でいいですよ。
丸と四角…。
丸と四角ですね。
丸四角三角…。
じゃあ大ヒント出しちゃいましょうかね。
この上の丸は芥子の実をかたどっているといわれておりましてそしてこの四角いのは升をかたどっているといわれております。
松原さん分かりました?アハハハハ!あ〜さあ…。
でもこれミムラさんはもう分かったみたいですからじゃミムラさんに聞いてみましょう。
ミムラさんお答えお願いします。
はい正解です!ねえそうですね。
「消します」…。
「消します」。
さっきあの〜鳶の人たちをスカウトして競わせてっていう…。
何かだからやっぱりそういう人を読む力もすごくありましたよね。
競わせたりとかっていう力で…。
やはり幕府にあまりお金がなかったですから幕府のお金で消防施設を造るっていうのは限界があった。
じゃあ鳶職人がいるじゃないか。
あいつらだったら上上れるしとかねそういうのをうまく使う力っていうねそこもやっぱあったと思うんですよ。
この人がいなかったら今の私たちが生きてるかどうか分からないような事をしてくれた人だなって忠相はいい人です。
偉いです。
あっ偉いって分かるかな?賢い人です。
ミムラさんいかがですか?そうですね。
何か本当にスーパーヒーローという感覚はあってでそれはあの〜東さんが演じられてるのを見ても本当に公正ですてきな旦那様だなって思ってたんですけど本当に一時代の基礎という基礎を作り上げて本当にね私たちが今こうやって豊かに暮らしているのの礎を築いた人なんだなと思うと本当に次会ったら頭が上がらなくなってしまう…。
「はは〜っ」になってしまいそうなそれぐらい尊敬の念を覚えました。
とにかくやっぱり名前を残したいと思ったんじゃないか当時の人は。
そこで何が名前残るかなっていったらやっぱりお白洲でのこの見事な裁きぶり。
それで後世にずっと語り継ごうという思いが300年ぐらいたってもまだ続いてる訳ですから。
だから昔の人はそれを講談とかいろんな形で…話芸とかで残したけど今私たちは時代劇で見れるじゃないですか。
次の世代の人たちにも語り継いでいくためにも時代劇で残すってすごく私いいと思うんですよ。
大勢の人に見て頂きたいですねこの名裁きを。
町奉行を20年という長きにわたって務めた後60歳で寺社奉行72歳の時には…これ皆さんどれだけすごい事かお分かりでしょうか?徳川幕府265年の歴史の中で町奉行から大名に出世を遂げたのはほかならぬ大岡忠相ただ一人なんです。
もうこれはですねただただすげえただすげえ…ただすけ…ただすけ
(忠相)としか言いようがないのでございます。
さて私辰三がやって来たこちらのお寺。
ここにはお奉行様が「縛れ」と命じたと伝えられる地蔵があるそうなんですが…
うわっすごい!想像以上に縛られております。
こちらその名もしばられ地蔵。
こちらのしばられ地蔵はですねこの荒縄これを縛ると願いがかなうといわれてるんです。
早速私も…よいしょ失礼します。
御用だ!え〜い神妙にしろい!
実はこのしばられ地蔵。
15日スタートの「大岡越前3」第1話に登場するんです
ある日の事。
呉服商の手代が反物を運ぶ途中お地蔵様にひと言断って居眠りをしてしまいます。
しばらくして目を覚ましますと…うわ〜っ!どうなされた?盗られちゃった…。
何を?白絹300反!お地蔵様にしっかり見てて下さいって頼んどいたのに!その一件を耳にしました大岡越前守忠相は…まず第一に詮議致さねばならぬ相手は…。
誰です?お奉行。
唯一賊が盗むのを見ていた地蔵だろうな。
「地蔵を召し捕れ」このひと言に周りの者たちはびっくり仰天。
驚いたったらありゃしない。
このうわさは瞬く間に広まりまして…やい地蔵!神妙に致せ!御用だ〜!お…おいおい見たか?おい!本当にお地蔵さん縛っちゃったぜ。
哀れ…縄でグルグル縛られましたお地蔵様が南町奉行所のお白洲へ。
「えっ?お地蔵様が裁かれる?そいつは見ものでい!」。
やじ馬たちが南町奉行所へとなだれ込みます。
さあお地蔵様の運命はいかに?これ地蔵。
なるほどそう来たか!う〜んここからが実に面白くなるところなんではございますがこの続きはドラマ「大岡越前3」をお楽しみ下さい。
そして第2話は…。
なんと哀れな…。
お母様…。
お奉行からの言づけだ。
御上意である。
雪絵この屋敷のどこかに三之助が…。
そして第3話は…。
この人相書きが田丸屋さんに似ていると…。
島抜けして帰ってきたやつは一人もいねえんだよ。
相手に知れたらお糸の命がなくなる。
相手も覚悟してかかってくるはず。
(拍手)楽しみ度上がりましたね。
楽しみですよね。
痛快娯楽時代劇の新作「大岡越前3」。
今回も東山越前の笑いと涙と感動の名裁きがさえわたります。
今回はあの〜落語を題材にしたものもあったりしますので…「大岡越前3」是非お楽しみに。
(一同)ご覧下さい!2016/01/14(木) 02:29〜03:13
NHK総合1・神戸
あなたの知らない!江戸のヒーロー 大岡越前[字]

1月15日スタートのBS時代劇「大岡越前3」。その放送を前に、町奉行、大岡忠相とはどんな人物だったのか?享保の改革を指揮した大岡の功績をわかりやすく解きあかす。

詳細情報
番組内容
1月15日スタートのBS時代劇「大岡越前3」。その放送を前に、京都太秦のドラマのお白州セットに、松原智恵子、ミムラ、石井正則などドラマ出演者に、歴史や時代劇の達人が集結。江戸南町奉行、大岡忠相とはどんな人物だったのか?飢餓救済や町火消しの創設など、広く享保の改革を指揮した大岡の功績をわかりやすく解きあかすとともに、捕り物道具の驚きの使い方や、居酒屋セットでは当時の江戸グルメを堪能する。
出演者
【出演】東山紀之,松原智恵子,ミムラ,ペリー荻野,金谷俊一郎,神田蘭,【司会】石井正則,岩槻里子,【語り】冨永みーな

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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