今夜の「知恵泉」は今話題沸騰あの一族が登場です!大河ドラマ「真田丸」。
堺雅人さん演じる名将・幸村こと真田信繁を主人公に描き出す戦国時代の中流家族真田の愛とサバイバルの物語。
毎週日曜夜8時絶賛放送中!いや〜期待が高まりますね。
面白いですね。
もう五郎丸の次は真田丸ですよ。
そうですね。
松村さん何か気付きません?あ!何ですか?これ。
ちょっと気付くの遅いですよ。
あららら!そうですよ!真田家の家紋。
あこれも!のれんも時計も。
そう!これも六文銭じゃないですか。
とっくりも。
「真田丸」に影響されてすっかりはまっちゃったんですよ。
いいじゃないですか。
小が大を食う。
いいですよしびれますよね堺雅人さんも。
「当たり前じゃないですか。
六文銭はあの世の運賃のようなものです。
まあ今で言うと600円です」。
600円なんですか?「タクシーでいうとワンメーターであの世に行けるぐらいの気持ちで戦っています。
関東勢百万といえど真の男は一人もなし」。
いいですね〜。
いらっしゃい!飯塚さんお待ちしてました。
こちらの席用意してましたよ。
ありがとうございます。
松村さんね飯塚哲哉さん。
半導体のベンチャー企業の創業者でいらっしゃるんですよ。
小さな組織を立ち上げてまさに現代の戦国時代生き抜いていらっしゃるんですよ。
やはり厳しい業界なんですか?厳しいですね。
企業の大小問わずなくなってしまったりしますからね。
理由を言えばとにかく技術革新が激しくてですね要するに技術の世代が入れ替わるんですね。
ですから…そういう激しい業界の状態が続いてますね。
どんどんどんどん新しい時代が追い上げてくるわけですね。
そこを生き抜いていらっしゃるわけですよ。
ですから今夜はですね真田一族そして飯塚さんから生き抜く知恵をたっぷり吸収してこの弱小居酒屋「知恵泉」を何とか大繁盛させようと思ってるんですよ。
戦国時代末期強くて巨大な大名たちと渡り合いながら見事生き抜いた小さな一族がいました。
3人の親子を度々襲う試練。
小さな勢力が生き抜くためには3人それぞれに独自の知恵があったのです。
かかれ〜!戦国有数の知将…大大名徳川家康に従いながらも逆に家康を利用してまんまと自分の城を手に入れます。
昌幸流巨大組織との巧みなつきあい方とは?信繁大活躍の大坂の陣。
強い敵にも絶対負けない。
自分の能力を最大限に発揮させた秘訣とは?真田家の存続を一身に担います。
戦乱で荒廃した領土をよみがえらせ未来へとつなぐ使命。
苦しみの中組織と人の両方を守る小さくとも大胆な再生プランとは?今回真田一族の知恵を読み解くのは…社員は150人。
小さい企業でありながら創業以来25年近く厳しい競争を生き抜いてきました。
得意な分野は最新の4K8Kテレビなど高画質の情報処理を担う半導体開発。
革新的な製品を次々と生み出し世界的な賞を数多く受賞しています。
小回りの利く小さな組織で市場の変化に柔軟に対応してきた飯塚さん。
大企業とも時に手を組み時に競いながら会社を成長させてきました。
小さな組織が大きな勢力と渡り合って生き抜く知恵。
大河ドラマの主役真田一族からその極意に迫ります。
今夜のテーマはですねこちらです。
「小さな組織が生き抜く極意」。
飯塚さんほんとに栄枯盛衰激しい業界で小さな組織がほんとに生き抜いていけるんですか?だから何かを新しいものを提供できるかぎりはチャンスがあるんですね。
それは大変な事ですけれど。
そこをやってらっしゃるんですよね。
今日は真田家の3人にスポットを当ててその知恵を読み解いていきたいと思うんですね。
その3人というのはまず1人目がお父さんの昌幸ですね。
その昌幸の2人の息子のうちの弟が戦国のヒーロー幸村ですよ。
真田信繁。
その信繁のお兄さんが信之です。
まず今夜の知恵は徹底的な戦略家お父さん昌幸の知恵です。
たっぷりと味わって頂きましょう。
長野県の北東部上田市。
真田昌幸が拠点とした場所です。
その中心地に建つ上田城。
1583年昌幸がその大本を築きました。
上田城はどのようにして造られたのか。
その経緯からは小さな勢力が大きな勢力と対等に渡り合う巧みな知恵が浮き彫りになってきます。
戦国時代後半1582年。
当時36歳だった真田昌幸は人生の激動を迎えます。
昌幸が重臣として仕えていた大大名武田家が滅亡。
それまで巨大勢力の一員だった昌幸は頼るべき組織を失い真田家単独で弱肉強食の戦乱の中に放り出されたのです。
武田の領地を奪い合い昌幸の小さな勢力範囲に迫ってきたのは北条上杉徳川といった巨大な大名たちでした。
昌幸は大大名たちの情勢やパワーバランスに気を配り臨機応変に手を組む相手を何度も変えていきます。
悩み苦しみながらも巨大組織と対等な立場で渡り合った真田昌幸。
その巧みなつきあい方の極意とは?真田家が単独で放り出されてから1年昌幸が徳川家康の配下となっていた時の事。
もともと小さな山城を拠点としていた昌幸は街道沿いの平野部に新たな城を築き拠点を移したいと考えていました。
城の周囲には町を整備し武士や町人を集め軍事経済の発展を夢みたのです。
しかし真田家単独では城を築くための労働力が全く足りません。
そこで昌幸は当時従っていた家康のもとに出向きこう訴えます。
真田領の北に広がる上杉家はいつ攻めてくるか分かりません。
徳川殿を守るため…援助をお願いできないでしょうか。
当時家康は真田領を挟んで上杉と対立していました。
上田には大きな街道が通り上杉が南下するために通過するのは確実です。
しかし上杉を迎え撃つために家康の軍勢が直接上田に出向こうとすると…このため上杉に対する守りは真田に任せておきたいところ。
上田に城を造っておけば家康にとっても役立ちます。
家康は昌幸の申し出を快諾。
家康にとって上杉との緊張状態が続くという事になればそうすれば真田を応援せざるをえないわけですね。
そういう大国双方の事情というのをですね見越しながらうまく…昌幸は自分が造りたい新たな城が家康のメリットにもなる点に目をつけました。
そして巨大勢力の権威と力をまんまと利用して上田城を造り上げたのです。
しかしやがて昌幸と家康との関係が冷え込む事態が発生します。
家康はこのころ対立していた東の北条氏と和睦。
その際…家康は昌幸に領地を割譲せよと迫ります。
しかし昌幸の答えは…。
1585年両者は決裂。
家康は真田を討つべく上田に7,000の兵を送り込みました。
迎え撃つ真田勢はおよそ1/3の2,000。
ここで昌幸は家康の力で造った上田城をなんと徳川迎撃のため効果的に使うのです。
両軍は上田の郊外で激突。
すぐに数に勝る徳川軍が圧倒するや真田軍は退却。
勢いに乗った徳川軍はここぞとばかりに上田の町を抜け城の中に侵入。
ところが…。
撃て〜!突然真田兵が鉄砲による集中攻撃を開始。
城の狭い場所に誘い込まれた徳川軍は大軍ゆえに身動きが取れず続々と倒れていきます。
慌てて城の外へ逃げ出す徳川軍。
しかし真田のわなは続きます。
城下には柵が設けられ徳川軍の逃亡を阻止。
立ち往生する徳川軍に周囲に潜む伏兵が側面攻撃を仕掛けます。
真田軍は更に追撃。
徳川軍を増水した川に追い詰め多くの兵を溺れさせます。
とにかく相手を自分たちの…これはほかの大名と例えば同じような信濃のですね領主たちと比べてみてもやっぱり圧倒的にうまいというふうに思いますね。
家康の力を利用した城で逆にその大軍を撃退した昌幸。
巨大な組織をうまく使って小さなものに勝利をもたらす巧みな知恵だったのです。
こんばんは。
いらっしゃい黒田さん。
お待ちしてました。
こちらの席用意してあります。
お二人黒田基樹さん。
駿河台大学の教授で戦国時代に大変お詳しい。
大河ドラマ「真田丸」の時代考証のお一人でもあるんですよ。
今ちょうど上田合戦について話していたんですよ。
うまく家康を利用していましたけれども。
昌幸は徳川と戦うんですけどほんとは上杉から援軍が来るはずだったんですよ。
その援軍のもとに対抗しようと思ったんですけど上杉の援軍がほとんど少数で役に立たなかったんですね。
本拠で引き付けて戦うしかなかったという事なんですけどね。
飯塚さんは大きな組織を利用する手を組んだご経験というのは…。
資金のない時ですね。
創業して間もなく。
韓国の大手と組みまして。
できるだけ向こうの資金を使って先端の設備を取り入れたりして我々はいい人材を集める事にフォーカスして8年ほどやった事がありますね。
要するに優秀な人材日本は集まりませんからね。
なかなか小さな集団には。
それぞれにその8年間というのはうまみがあった。
その間に…新しい分野を。
そこへ我々は新しい製品我々独自のものを提供していく事ができた。
彼はその新しい分野で我々の商品を利用してもっと大きなシステム製品を提供していくという関係が出来ていったんですね。
黒田さん真田は徳川に反旗を翻した。
そこのリスクというのは考えなかったんですか?いや当然攻められますので。
ただ真田は何を大事にしたかっていうと武田が滅亡したあとに沼田領っていうのを自力で獲得したんですね。
真田の存在というのは小さな独立国家ですので…徳川も僕は駄目だと思うんですよね。
「沼田をよこせ」と言ったら刃向かってくるような人だと。
中小企業の社長で型破りで「ここは譲れないよ」と言う人に「沼田をよこせよ。
うちの大手がこう言ってんだからよこせるだろう」と言った時「冗談じゃねえバカヤロウ。
うちが自分で自力でつくったものをてめえらでっかい企業だからって何でお前大きいとこに気持ちよくさせれるかバカヤロウ」というのはあると思いますよね。
続いて登場しますのはお待たせしましたこの人物です。
ドン!昌幸の息子弟の信繁です。
ヒーローですよね戦国の。
信繁が活躍するのは大坂冬の陣なんですけれどもちょっと時を遡りましてですね上田合戦のあと真田家がどうなったかというところから見ていきましょう。
上田の戦いから15年後関ヶ原の戦いが勃発。
勝つのは徳川家康か石田三成か。
全国の大名が2つの勢力に分かれ戦う事になりました。
戦いの以前から真田昌幸と次男・信繁は石田方と関係が深く長男・信之は家康と親戚関係を結んでいました。
真田家は一族が敵と味方に分裂するはめになったのです。
関ヶ原の戦いは…一方敗者の側となった…そして昌幸と信繁は上田から関西の高野山に蟄居となります。
組織を失い家族と僅かな供の者だけで生きる日々。
やがて昌幸は65歳で死去。
信繁が知人に送った手紙は失意に満ちています。
もはや信繁自身武士としての誇りを失いかけていました。
ところが…。
蟄居を始めて14年既に40代となった信繁に転機が訪れます。
それは全国支配を成し遂げた徳川家康が最後に残った抵抗勢力豊臣家を潰しにかかった戦いです。
信繁は豊臣秀頼に招かれ豊臣方の一員として戦う事になったのです。
敵は圧倒的な徳川の大軍。
それでも絶対に負けられない。
信繁は自分が持てる能力を最大限に発揮できる方法を選択します。
その方法とは…。
大坂の陣で信繁が築いた出城真田丸。
それは敵をおびき寄せてからたたくという真田家の得意技に持ち込むためのものでした。
真田丸は大坂城周辺の地形を巧みに利用して造られています。
当時大坂城の周囲は大きな川や堀湿地帯に囲まれ敵の接近を阻んでいました。
攻めやすい場所は城の南西部。
平たんな台地が広がる地域だけ。
攻め込む側と守る側がここで激突大激戦となる事が予想されます。
そこで信繁は城の南東部に出城真田丸を築きました。
周囲には池や崖湿地帯があり本来は敵が避ける場所です。
しかしここからは城の南西部に攻め込む敵を側面から攻めて大きな打撃を与える事ができます。
敵がこれを避けるにはいやがおうにも真田丸を潰さなければならなかったのです。
つまり信繁としては一番守りやすい場所に徳川の主力軍を引き付けてあるいはおびき寄せて戦うんだというそういう戦略を持っていたんだという事がよく見えてくるんです。
1614年11月戦いが始まります。
大坂城南側に集まった敵は3万以上の大軍。
一方真田丸に控える軍勢はわずか数千。
ここで真田流の得意技が始まります。
撃って出た部隊が徳川方の前田勢を鉄砲で射撃し挑発。
怒った前田勢に井伊勢なども加わり一気に真田丸に攻め寄せます。
敵をおびき寄せた信繁。
ここから大軍を翻弄していきます。
突貫工事で造られた臨時の出城にもかかわらず真田丸は鉄壁の守りを誇っていたのです。
真田丸の周囲は2階建てのやぐらで囲まれていました。
これで通常の2倍の人数で敵に銃弾を撃ち込めます。
更にやぐらは通路でつなぎ手軽に行き来できるようになっています。
不利な場所にはすぐに兵を増強できたのです。
撃て〜!真田軍の絶え間ない射撃に前田勢井伊勢たちは大混乱。
もし銃弾をかいくぐって真田丸近くに攻め寄せても深さ10mを超える空堀が立ちはだかります。
堀の中に侵入した前田勢井伊勢は身動きがとれずただただ撃たれるばかり。
おびき寄せてたたく。
真田の得意技が最大限に発揮されました。
「徳川方の戦死者はその数を知らず」。
まさに大坂冬の陣で信繁がとった戦法っていうのは上田城の2度の徳川との戦いで完全勝利した自らの得意技に持ち込んで戦ったっていう事が言えると思うんですね。
この戦いで信繁は敵味方を問わず一躍その名をとどろかせました。
翌年大坂夏の陣で徳川家康に肉薄しながらも戦死。
「日本一の兵」真田幸村として語り継がれる事になるのです。
やっぱすばらしいね。
黒田さん真田丸のすごさっていうのはどういう点なんですかね?だから真田丸の特徴を活かした戦い方をちゃんとやったっていう事ですね。
すごい堀が深くて粘土質だったりするので一旦入っちゃうと出れなくなっちゃうんですよ。
来させて大損害を出させて一回大損害が出ちゃったんでもう攻めてこなくなっちゃったという。
僕は「葵三代」の時に真田勢のねすごい活躍の時にね津川さんの家康の時にねもう驚いてました。
徳川が100%勝つだろうという戦なのに前田と井伊が勝手に飛ばしちゃって失敗したわけですね。
やられたわけですよ。
「前田勢はなぜ動いた!」って言ったら「ああの…井伊勢が先に動きました」。
「井伊勢はなぜ動いた!」「いや前田勢が先に動きました」。
「こやつらの先走りにはほとほと手を焼いたぞ秀忠」。
「申しわけござりませぬ父上」というくだりがあった時に真田ってすごいなと思ったんですもん。
すごいもう。
もう感動しましたね。
今は私松村さんに感動してます。
いやいや。
すごい。
(笑い)飯塚さんは得意分野に引き込んでっていうの知恵についてはどうですか?これもうそうしなければならないですね。
我々は「ピボット作戦」と言ってるんですけどね。
ピボット作戦っていうとバスケのピボット。
バスケで言いますよねピボットってね。
ピボットターンって言いますね。
片足はつけておかなきゃならないですねピボット。
もう一方の足で方向を変えるのは自由です。
ですからそのピボットの足が最も自分の得意分野。
これは動かしちゃいけないです。
で方向を変えていくと。
飯塚さんの会社でいうと軸足は何に当たるんですか具体的には。
我々は高精細の画像信号を伝送するような技術あるいは画像処理するような技術は得意なんですけれども。
そういう技術でこの液晶モニターとかテレビの分野で成果を上げたんですけど。
それが我々のピボットなんです。
それを軸にしてセキュリティーカメラだとか胃カメラだとかプリンターもそうなんですけどね。
それ用の技術をこう広げていってると方向を変えて。
すごいですね。
松村さんもものまねという我々ほんとにもう感動してますけれどもね。
こんなに間近でね迫力あるものまねを。
確かにものまねっていうのは軸足だと思います。
先ほどのおっしゃった意味で。
20代の時ってちょっと僕は軸足の部分あんまり大事にしてなかったかなと。
バラエティーいろいろお仕事頂いた時はそっちが大事だなと思って。
そのまんま忙しくなればいいなと思ったんですけどそういう部分がちょっとこう減ってきた時にあ自分の大事な軸足忘れてるなっていうのはちゃんとこう…木でいうと枝ばっかり見えるんですよね。
枝大事にするけど柱の木の部分って今なくなってるなと思った時にやっぱ柱大事だなと思って。
…と思った時もありますねやっぱり。
チャレンジもしながらもちゃんとやっぱり軸足というのは大事かなとは思いますよね。
その軸足得意技という意味では夏の陣で信繁はそういう場でないところで戦う事になって討ち死にという事になってしまうんですよね。
やっぱりそれが大きかったんですかね?野戦になってしまったので完全数の問題になりますから。
やっぱりそれはかなわないという事になっちゃいますよね。
続いて登場しますのはこの人です。
信之。
信繁のお兄さんですね。
関ヶ原の戦いの時にはお父さん弟と分かれて徳川方について勝利を収めるんですね。
その後国の復興に取り組むんですけれどもそこにはどんな知恵があったのか今夜最後の知恵です。
1603年徳川家康は江戸幕府を開き時代は太平の世へと向かい始めます。
幕府から…失敗すればお家取り潰しになる危険性さえあったのです。
関ヶ原の戦いで家康の側についた真田信之は父・昌幸の土地上田など9万5千石の統治が認められます。
信之は父から受け継いだ領国で新たな真田家を存続させる責務を担う事になったのです。
しかし信之には難題が待ち構えていました。
これは当時上田領の農村が置かれた状況を調べた記録です。
特に目立つのは「失せ」の文字。
領民の逃亡を表します。
上田領は戦乱で特に荒廃が激しく生活が成り立たない人たちが数多く逃亡していました。
年貢の取り立てもおぼつかず領国の財政も窮地に陥っていました。
国土の荒廃というものに信之は真っ先に直面するわけです。
そこからまず始めなければいけなかったというところに信之の苦しさがあるんだと思います。
真田家存続の危機に信之独自の知恵が発揮されます。
信之が最優先に掲げたのは領民を呼び戻し上田領に定着させる事です。
信之はまず逃げ出した領民が帰ってくればその借金を帳消しにするよう定めました。
また戻ってきた領民が農作業に専念できるよう当時義務とされていた土木工事への参加も免除。
更に領民の…領民たちを安心させ上田領に定着するよう徹底した配慮を示したのです。
近い将来農村が復興すれば国の財政収入は安定する。
また信之が目を向けたのは農村だけではありません。
こちらが真田信之公の朱印状になります。
命令した文書になります。
信之は立派な屋敷を建てた…街道沿いで交通の要衝である上田に…城下町には鍛冶屋染め物屋など多くの商工業者を集め産業を振興。
上田を地域の一大経済地として発展させていったのです。
真田信之公は父・昌幸の跡を継いで上田城下町の整備に努めております。
真田家の存続に非常に配慮をして子孫のために上田城下町をできるだけ立派なものにしようと考えていたと思います。
領民たちを大切にする信之の方針によって上田の真田家の将来は安泰と思われました。
ところが信之が上田再興に取り組み始めて20年以上たった時。
突然信之は…石高はおよそ2万石増え形の上では栄転でした。
その時の信之の心情が手紙に残されています。
どんなに苦労して国を立て直しても強い者の思惑一つで吹き飛んでしまう悲しい定め。
それでも信之は真田家を子々孫々未来へとつなぐため新たな地へと移ります。
その後信之の松代での治世は30年以上に及びこの時の国造りが松代真田家として200年以上続く基礎となったのです。
苦境にあっても領民の暮らしを大切にする知恵で乗り切った信之。
新しい時代に対応し小さな組織の生き残りに成功したのです。
いや〜すばらしいですね。
信之の力がこうあって次の代次の代って頑張ったというのがすばらしいですね。
それはやっぱり信之が上田領の復興をきちっとやって問題も起きずっていうその功績が評価されて。
代々…それだけもうランクが違うんですよ。
だからやっぱり10万石超えさせたっていうのはやっぱり信之すごいなと思いますけど。
すごさの原点が財政が厳しい時に税を免除工事を免除。
厳しい時にそういう事できたんですかね?でもそれしないともっと厳しくなっちゃうんですよ。
領民がどんどん逃げ出してるわけですから領民を呼び戻して安定的に作物がとれるようになってから税を取る。
そういう対策をとった。
あとは関ヶ原のあとっていうのはいろんな所で…公共事業がガーッと行われるような状況になってる中で信之はやってないんですよね。
それは大規模な労働力を徴発する事になるので城を造らせるというふうになるとその分農業とか漁業とかできなくなりますよね。
そうすると生産力が落ちるので。
そのために役儀を免除土木工事を免除する。
それだけ領国復興の方に力を入れた。
その建設ラッシュの時にそれをしなかったのは全国でも珍しかった?そうでしょうね。
苦しい時こそ人を大切にっていう知恵は飯塚さんは…。
苦しい時にどうするかというのは結構大事な事ですよね。
企業っていうのは人であるっていいますけどその皆さんがどうやって元気出すかっていうのは最も基本的な話なんで。
ちょっと皆さんに面白がられるのは辻斬りミーティング辻斬り会議というのがあるんですよ。
その物騒な名前の辻斬りミーティングっていうのは?突然斬りつけるんじゃなくてこういう相談事あるんですがミーティングしたいんですがとこういう事は誰が言っても誰に向かって言ってもいいと。
冗談じゃない俺今からこんな大事なものがあるんだと言って断った方が借りを負うと。
忙しい人もいるじゃないですか。
いや自分の仕事があるって。
断っちゃ駄目なんですか?断っちゃ駄目。
要するにみんなで…なかなか他のとこではないシステムですね。
実は我々のビジネスってアジアが多いんですよね。
アジアの企業とつきあううえでは日本の伝統の企業っていうのはほとんど相手にされない場合の主たる理由は判断が遅すぎるんですよね。
「持ち帰って稟議しますから」と…。
稟議好きですね。
我々も稟議はあるんですけど…スピード感を上げるという効果もありますし。
ゆっくり会議してる間に日が暮れる場合もあるんですもんね。
稟議1日って大変じゃないですか?だっていろんな部長がハンコ押すんですよね。
黒田先生真田3人の知恵を見てきましたけれども。
やっぱりその時々の課題っていうのをきっちりこなしてきたという事だと思うんですよね。
戦の中で生き残る事もそうだし平和な時代では大名は何をすべきかというのもやっぱり。
でもほんとに今回皆さんとこの弱小居酒屋「知恵泉」で真田の知恵を共有できてほんとに貴重な機会になりました。
もうこれだけ吸収したから明日から大繁盛間違いなしですよねたけしさん。
(ビートたけしのものまねで)そんな簡単じゃないよバカヤロウ。
これからお前紆余曲折いろいろあるよバカヤロウ。
だからね「知恵泉」はねこの時間で終わんないで24時間語りましょう。
このメンバーで朝まで。
それじゃ二次会に参りますか。
はい行きましょう。
のれんを外してこなきゃいけないですね。
2016/01/12(火) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉「小さな組織で生き抜け!〜名将・真田一族、戦国の極意」[解][字]
大河ドラマで人気沸騰の父子!真田昌幸、信之、信繁(幸村)。小勢力ながら弱肉強食の戦国を生き抜いた、知略・戦略・経営術とは?痛快で笑えて泣ける、役立ちトーク満載!
詳細情報
番組内容
「真田を知れば、人生の逆境は怖くない!」戦国を熱く激しく生き、絶大な人気の真田信繁(幸村)!大坂冬の陣で小さな出城「真田丸」を駆使し、徳川家康の大軍をほんろうした、痛快な戦いぶりとは?父・真田昌幸も戦国に名をはせた知将。領地を囲む巨大勢力と堂々と渡り合い、時に撃退した知略とは?そして兄・真田信之。戦乱の後、荒廃した領地を立て直すために目指した「苦しい時ほど人にやさしい」、大胆な地域再生プランとは?
出演者
【ゲスト】ザインエレクトロニクス[株]代表取締役会長…飯塚哲哉,駿河台大学教授…黒田基樹,松村邦洋,【司会】近田雄一
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
趣味/教育 – 旅・釣り・アウトドア
ドラマ – 国内ドラマ
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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