「NHK短歌」司会の剣幸です。
今日もご一緒に短歌を楽しみましょう。
それでは早速ご紹介致します。
二週目の選者は染野太朗さんです。
よろしくお願い致します。
染野さん冒頭の一首は?戦いっていうふうに言うからには基本的にそれって勝つためのものなんですよね。
それがパーッときれいなものが先に見えてあとから衝撃的なものが追いついてくるというように残酷だったり不穏だったりするものが隠れた形で何かが始まってしまう。
わりと怖いような思いを込めて作ったんですけれどもちょっと比喩とか使いすぎてあまり評判はよくないんですけどもね。
では今日のゲストの方ご紹介致します。
武術研究者甲野善紀さんにお越し頂きました。
どうぞよろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
甲野さんの武術研究というのは楽器の演奏とか介護リハビリそして陸上選手などさまざまな分野に応用されているとお聞きしました。
そうした広がりをどうお感じになっていらっしゃいますか?武術というのはもともと対応の技術ですからさまざまなスポーツに限らず人間が生きてやる本当に多くの職業に関してそこにある人と人あるいは人とものとの対応に応用は生かして使って頂ければ随分まだまだ広がるんじゃないかなと思いますけど。
染野さんこういうお仕事どうですか?今日は本当に教えて頂くばかりだなと思いますので非常に楽しみにまいりました。
今日のお題は「勝つまたは負ける」または自由なんですけどもそこで歌を作ってきて頂きました。
ご紹介下さい。
私もおよそ和歌の素養はある方じゃないんですけれども昔の武術はいろいろ技の原理を歌に託して道歌得道歌というのがありまして私も自分の実感として…。
とりあえずというか日頃思っている事を歌の形にだけはしてみたんですけれども。
「負けてこそ」っていうか私はそんなに試合をしてるわけではないんですけどいろんな人と技をやった時その技が通る通らない事があってほとんど通ってしまうとそれはそれなりでこれは有効だったなと思うんですけどすごく粘っこく対応力のある人とやって通らないとその事をもとにしてまた新しい気づきがあり技の開発が始まりますからそこでなまじっか技が効かなかったからこそ気づきがあったという事の繰り返しで今に至ってますのでその事をいわばこの和歌の形で詠んでみました。
今日は我々の知らない世界をたくさん聞かせて頂けそうですね。
どうぞよろしくお願い致します。
では今週の入選歌のご紹介です。
題は「勝つまたは負ける」または自由でした。
一首目です。
「負けるが勝ち」も「急がば回れ」も真理ではあるんですけれども矛盾を含んでるんですよね。
その多分矛盾がちょっと胡散臭いなとか面倒臭いなとかそういったそうは言ってもねっていうようなぼやきが聞こえてきそうな歌だなというふうに思いました。
では次です。
甲野さんいかがでしょう?これは本当に歌の場面にあるいは映画の一場面にあるような感じで私の感じとしてはもう本当にああ何かああ全てが終わったかっていう中に放心状態とある種我に返ってるような感じかなといういろいろな見方があると思うんですけどそういう感じを持ちました。
おっしゃるとおりかと思うんですね。
「負けた日」「赤い夕空」この不穏な所に対比されるように飛行機が見えてくるんですけど「静かに低く」というシンプルな言い方が妙に心に残る一首だなというふうに思いましたね。
では次です。
これはいかがでしょうか?何かよほどの事があってあるいは自殺を思われたのかあるいはただ海へ行って自分の思いを何とか捨てられればというふうなのかそれは分かりませんけど海に行けばという予測をして行っていざ海に向き合った時に違う勇気をもらったというか予測していた事と現実に出会った事との違いというのの感動を歌の形にされたのかなと思います。
「海」というのが3回出てくるのが歌の構造上の独特ですよね。
結局その海というのは何かを自分に語りかけてくるわけではないですから海に行ったところで自分自身との対話が始まって最終的に力を得たそういう歌なんじゃないかと思っています。
では次です。
これ特に相撲に限らずだと思うんですけどこういう事ありますよね。
テレビでもいいですし実際に見ていて。
やはり他者に体ごと共感する。
しかも自分が負けてるわけでもないのにいろんなところに力が入って捩ってしまう。
その気分というか体感ですよねそれがうまく表れている歌だなというふうに感じました。
では次です。
これ非常に難しい歌だと思うんですね。
こんなふうに読みました。
文章にするのであれ絵に描くのであれ何か対象物事を描こうとした時にそのとおりって無理なんですよね。
そのとおりっていうのは無理だっていう事を負けてゆくんだというふうに捉えてると思うんですけれどもその心許なさといいますかうまく出来ないなというそれから手探りの様子というのを夜の小さい鶸という鳥の足跡に託してそういう比喩で表現しているんじゃないかと。
非常にレトリックの効いたなかなか難しい歌だなというふうに思いました。
また別の読み方もあるかもしれませんね。
では次です。
煙がかかったから負けたって言っているのか負けた場面を煙で見なくて済んだって言っているのかどちらでしょうか?どちらもあると思うんですけどこれやはり面白さは別に巨人がテレビの向こうで負けた事と自分のおばあさまの煙草の煙がそこにかかった事と因果関係はないんですけれども「かかり巨人は負ける」ってそのまま写し取った事によって何かおかしみが出てきたという事だと思いますね。
このばあちゃんというのがすごくいいキャラというか目に浮かぶようですよね。
では次です。
甲野さんこれはいかがでしょう?これは今回全体で九首ある歌の中で一番面白い。
「テレビにかかり巨人は負ける」という前の歌と共にこれは面白い歌だなと思ったんですね。
何かすごく負けて悔しかったかもしれないけどそこでこの人っていうのは面白い発想を次々にされる方じゃないかと思って「楽器にしてよ千手観音」というのは思わず何か負けたっていう事が…この方にとっては負けた事で違う作品ができるというかそういう負け惜しみじゃなくて面白いセンスを持たれてる方じゃないかなと思ってお話ししたらさぞ面白いんじゃないかと。
なるほどと思いますよね。
負けたからこそこの作品に昇華されたという事をお話し下さったかと思うんですけれどもせめてその負けの経験が報われるようにという気持ちでしょうかね。
あらゆる苦しみを救ってくれるという千手観音に悲しいようなユーモアで託して表現したという事だと思います。
では次です。
これはいかがでしょうか?これはですね私も高校生や何かのバスケにいろいろ技を指導してるという事もあったりそれでちょっと違う感じですけど私の技で気付いて人生変わったっていう人もいたりして。
やっぱり今学校制度っていう本当に狭い価値観の中で縛られてる人ももっと違う可能性があるっていう事を何か話してあげたいなというそういう感じがしましたね。
随分今現在これに近い思いを持ってる人がいるんじゃないかと思うんですけど。
私教員なので反省しなければいけないところもあるんですけど。
ちょうど14の頃思春期の頃って小さな事でも世界に負けたって非常に重く受け止める事もあるんですよね。
「負けた気がして泣いた」というちょっと投げやりというんですかね言い方も何か悲しく響いてくる歌だなと思いました。
では次です。
勝つ負けるそれから仕事癌というふうにして対比構造が鮮やかなんですよね。
非常に整った冷静なしらべを持っているんですけれども恐らくそこに勝つとか負けるっていう価値観を入れてしまうと恐らくその冷静さが失われる。
仕事にもご病気にも冷静に向き合っていきたいという宣言するような歌というふうにもとりました。
以上入選九首でした。
では染野さんの特選の発表です。
まず三席をお願い致します。
永澤優岸さんの歌です。
では二席をお願いします。
佐光春信さんの歌です。
では一席をお願いします。
西藤久典さんの歌です。
おばあちゃんのキャラ勝ちというんですかね印象的なおばあちゃん楽しく拝見しました。
今回は負ける勝つ両方あったんですけど負けるという方が多かったですね。
なぜか多くなりましたね。
勝つよりも負けるの方をたくさん頂いた気がします。
何か負けるに対する強い感情というのを表して下さったのかなと思いますね。
以上入選作品のご紹介でした。
続いて「入選への道」。
投稿作品から惜しかった一首を添削します。
作品はこちらです。
ジャンケンに負けてブランコの自分の順番を待っているんだけれども待つというのも視点を変えれば楽しみだよねというふうに言っている歌だと思うんですね。
1個気になるのは「楽しみありて」なんですよね。
「ゆれるブランコ」と何か理屈をつけてつないでいるんですけどもここ妙に理屈っぽい感じがしてしまったんですよね。
こういうふうにしてみました。
ここで自分の思いというのと目の前で揺れているブランコの景というのを明確に切り離してみたんですよね。
そうする事によってむしろブランコが揺れている様子っていうのが余韻をもって伝わるんじゃないかと思いました。
ありがとうございました。
作品作りの参考になさって下さい。
では投稿のご案内です。
続いて選者のお話です。
花山周子さんの歌っていうのは独特な身体感覚が表れている歌が非常に多いというふうに私は感じているんですけれどもこの歌もそうですね。
「わが心、漬物石のごとくして」なんて言うんですけれどもこの番組でも恋の歌たくさんご紹介してきました。
それで相手に執着だったり好きな気持ち悲しい気持ちをどうしてもそこから離れられずに持ってしまうという歌が多く出てきたかと思うんですがこれもその一つだと思うんですよ。
ただやはり表現が独特で「漬物石のごとくして」と言うんですよね。
ユーモアもありますし自分の心の所に漬物石があるってどういう感覚だろうって想像すると自分の知っている執着だったり離れられない気持ちだったり何か強い気持ちも何か別の角度から光を当てられて体感というんですかね感覚が新しくなるようなそういった事があると思うんですよね。
短歌に限らず言葉の力ってそういうところにもあるかなと思いまして本日この花山周子さんの歌持ってきました。
ありがとうございました。
今日は武術研究者の甲野善紀さんお迎えしております。
その技は多くの分野で注目されています。
という事で染野さん間近で是非甲野さんの技を拝見したいと思いませんか?はい。
すみません前の方へよろしくお願い致します。
こうやって後半で前に出て何かをするなんて初めてですね。
「NHK短歌」の新しい局面を…。
よろしくお願い致します。
じゃあまずどんな技を教えて頂けますか?どなたでもその形をやればちょっとびっくりするくらいな事ができる「旋段の手」という。
らせん階段のように指をするんですね。
例えばまずこう立って座り込んだり倒れてる人を立たせてあげようとしてうわっとこうなりますね。
それはもう無理です。
無理と思うんですがこれをこういうふうに折って人さし指ができれば爪が隠れるぐらい深く折り込む。
逆に小指は手の甲側に反らす。
これがらせん階段になるようにして最後に親指をくっと。
この間をちょっと離す。
そうするとこういうふうに。
ここにすごく力が今…はい。
こういう形で腕もぐ〜っとこう。
それでただ後ろに後ずさるように下がって下さい。
私足でサービスして立ち上がってないようにこうしますからそれで後ろへ行って下さい。
いいですか?どんどん下がって下さい。
…ほら。
えっ!?もう一度やりますか。
こうですよねぐわっと。
ぐ〜っとこうなります。
ただ後ろに下がる。
私が引くとふわっとこう。
全然力入れてないです。
これはどうしてそんなふうに?結局人間っていうのは何かあったらうわっと思わず手が出て何でもとにかく手は自分が出たがるんです。
手が出ると手が出てしまうために背中とか腰のもっと力のある所に出番を塞いでるから君は黙ってなさいって事です。
なまじ手がすぐこう動いちゃうからこれで引けるような気になるんですけど…。
こうやって折り曲げてこうする事によってこの中がもういっぱいいっぱいで他の仕事ができないんですよ。
そうするとぐっと引いてもらえたら…引くとちょっと。
すごい軽いです。
だからこういう事は介護とか例えば持ち上げるというのに役立つという事ですか。
だから人間宝の持ち腐れな事がすごくあるという。
じゃあもう一つ別の技を教えて頂けますか?私急にこのようなものを持たされているわけですけれどどんな事をして下さるのでしょうか?普通刀でこう行ってこっちに行くと重くて難しいんですがこれがこの状態で…。
これは速いです。
よく分からないぐらい。
普通だったらどうしてもこうなってしまうんですけどそれを本当にこれを斬るつもりで行って体が五系統ぐらいが同時に自分の役回りを果たす。
そうするとうっと。
これも腕を使わないからできるんですね。
使わないから?速くてびっくりするんですけれども。
これは何という技なんですか?これは「影抜き」と言って表交差で相手がこれにこう行こうと思った時はこれが裏に抜けてたっていう。
知らぬ間にもうこちらに…。
斬ってる感じが。
ここで見てるととにかく速くていつの間にかこちらにっていう。
染野さんの顔が全く動いてないっていう何か…。
気が付いた時にはこっちにあるという感じですか?ちょっとよく分からない経験をしています。
すごいですね。
そういう甲野さんのお好きな短歌というか大切な短歌をご紹介頂けますでしょうか?それは私が今から23年くらい前になると思うんですけど今いろんな事をやった事のもとになっている体がねじれないようにという事に気づいた時にこういう歌があったのかってその思いとその歌が重なったんですね。
あるいはこれ「知るらん」になったりそれぞれ昔の道歌っていうのはいろんなあれがあるんですけどつまり月っていうのは自分の見つけた新しい原理なり真理というのは少し大げさかもしれませんけどそういう新たな原理というのが今までこう…。
浮き草が水草が水面を覆ってて見えなかったのをふとある縁があってかき分けあるいは払ってみたらそこに月が映っていたと。
今までの常識とか今までのやってきた習慣で全然違う方向を見ててそれをふとかき分けたら浮き草を払ったらそこに月があったと。
ちょうど和歌の表すものがその時の甲野先生の心情にピタッとはまる。
まさに月が見えたという発見があったんだと思いましたね。
我々って見えてない事だらけのような…。
打ち合わせの段階からいろんな事を教わったというか実演して頂いたんですけれども自分の体なのに本当に気付いていない事が多いんですよね。
そして自分がいかにこう常識にとらわれているというか決まったやり方でしか体を使ってないかっていう事を感じてちょっと短歌の話になるんですけど短歌っていうのはやっぱり五七五七七の型がありますし膨大な数の昔の歌というんですかね歴史を重ねてきているわけですよね。
そうすると私なんか作りながらいつも思うのがどこかで自分がそういう歴史とか型にむしろ縛られてしまっているような感じがする。
でも今日甲野先生とお会いして思ったのがこういうふうに決まっているはずの体なのにものすごく宇宙があるというのか自由なんですよね。
まだまだ見えてないものがある。
自分も短歌という形式の中にまだまだ見えてないものがあるんじゃないかみたいな事を思いながら先ほどからご一緒させて頂いてるんですけど。
武術をやりながらいつごろからそういう事にお気づきになったんですか?まあそれはつまり同じ事を繰り返しててもどうしようもないですから動きの質を変える。
例えば向かい風に行くためには昔の日本の船というのは風待ちするしかしかたなかったんだけどヨットの三角帆があれば逆風も利用できるようなそういう気づきというものを繰り返す事でまた一歩また一歩。
私も先月さっき歌に詠んだ井桁崩しというのを気付いた「浮き草をはらいてみれば」に匹敵するような気づきがあったんですね。
ですからまあちょっともうあと古希に3年何か月でそれで何十年に一度ぐらいの気づきがありましたからまたこの先ちょっと気づきがあるかなと。
やはり日々発見の連続なんですかね。
つまり私は自分の今やってる事はいいとか正しいとか思った事ないですから。
先ほどの勝つ負けるではないですけどもね。
そろそろお時間になってしまいました。
もっとたくさんお話伺いたかったですね。
本当にありがとうございました。
染野さんまた次回よろしくお願いします。
それではまた来週お目にかかります。
2016/01/12(火) 15:00〜15:25
NHKEテレ1大阪
NHK短歌 題「勝つ または 負ける」[字]
選者は染野太朗さん。ゲストは武術研究者の甲野善紀さん。武術の世界にはいくつもの古歌が伝わっており、身体の動かし方の気づきに繋がっているという。司会 剣幸
詳細情報
番組内容
選者は染野太朗さん。ゲストは武術研究者の甲野善紀さん。武術の世界にはいくつもの古歌が伝わっており、身体の動かし方の気づきに繋がっているという。【司会】剣幸
出演者
【ゲスト】武術研究家…甲野善紀,【出演】染野太朗,【司会】剣幸
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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