ぼくのブログテーマは「やってみる」です。
ぼくの「やってみる」を読者に伝染させたい。
やってみるまで正しいか間違っているかは分からない
やる前にあれこれ考えてしまうと、行動するのってどんどん億劫になってしまうと思うんです。
はあちゅうさんが「理由を気にしすぎる人は行動できない人になる」という記事を書いていましたが、その通りだなと。
直感的に面白そうだと思ったことに対して軽やかに反応できる人が素晴らしいなって。
とりあえず走り出して、走りながら考える。違っていたらやめる。
これしかない。
やってみる精神を持っている人はみんな好き
正しいか間違ってるかの判断なんて、自分の主観でしかないから
何かしら「やってみようか」って動いている人はみんな好き
— 八木仁平 (@yagijimpei) 2016, 1月 13
何が良いか悪いかなんて個人が判断できることじゃないんですよ。
全てがそうとは言えませんが、明らかに社会悪なことは自然淘汰されていくから。
誰もが、試行錯誤して前へ進んでいくとうい過程を経験しないと前に進めないんですよ。
だから、「やってみる」という姿勢を持って行動を起こしている人その内容がどうとか関係なく好きです。
逆に出来ない理由をたくさん見つけて自分を正当化し、動かない人はあんまり好きじゃないです。
会社に入ることが目の前に迫ってきて思考停止しかけた
会社って「やるべきことを与えてくれる場所」だなって思って。
雇われていれば責任を伴った意思決定に関わる機会があんまりなくなるから、「やってみる」ってことをしなくてもそれっぽく生きていけそう。
大学を出たらそこからはレールのない世界だって言われるけど、会社に入ってしまえば一応のレールは用意されてるもんなー。
「入社後どういう方向に進んでいこうか…?」と考えていた時、(自分の意思決定を会社に任せたら楽なんじゃね?)という心の声が聞こえてきたんです。
その次の瞬間ハッと我に返った。
いやいやいや、八木仁平アカンぞ。自ら選んで行かないとお前の人生の責任は誰もとってくれないぞ。
それっぽい選択肢は与えてくれたとしても誰も人生自体に責任は取ってくれないんだなと。改めて気付きました。
その、会社に依存する精神がオヤジだ
ぼくは意思決定しないんで、決めてもらって大丈夫ですよー。
そういう姿勢を取り始めたらその人はオヤジだ。
オヤジは自分の履くパンツを選ばない。
それって、結局自ら何かを選択する、つまり何かを「やってみる」という姿勢を失った結果だなと思うんです。
やってみる人を批判し始めたら老害
んで、自分がしないのは自由なだけど、さらに試行錯誤している人を批判しはじめるとそれは老害だなと。
そうなったらダメだ。
どんな生き方もありだと思ってるけど、それっぽいことを言って、「試行錯誤して何とかしようともがいている人を批判すること」だけはしてはいけないと思うんです。
「ヒッチハイクやってみ!」と言ったらすぐ行動に移した男
ぼくがブログを教えている大学生に「イワタくん」っていう子がいて、最初に会った時に「ヒッチハイクやると自分に自信がつくからいいよー!」っておすすめしたんです。
ぼくは色んな人にそうやって言ってるんですが、ほとんどの人がやらないので、まあイワタくんもやらないだろうなーと思ってました。
けど、ソッコーやってました。
参考:人生初のヒッチハイクで東京から名古屋まで旅をしてきた! - 誰とも違う僕の日々
ぼくの真似をして東京から名古屋までヒッチハイクで旅をすぐにやってたんですよ。
すごく嬉しかったし、イワタくんは遅かれ早かれ絶対に自己実現できるだろうなと確信しました。
これが「やってみる精神」だって改めて教えられた
そんなイワタくんは、「ファッションの全身コーディネートサービス始めてみな。」と言ったらすぐに始め、「noteでコンテンツ出してみな。」と言ったらすぐに書き始めました。
一步間違えるとただのフォロワーですが、イワタくんはその中でも自分なりの工夫を加えてます。
ただのフォロワーか、ノウハウを盗もうと真似をしているのかは見たらすぐ分かるんですよね。
プレイヤーになった方が100倍楽しい
「次は◯◯が来るのかなー?」とか「◯◯は絶対上手く行かない」とか批評する前に自分でやってみると100倍楽しいよ
— 八木仁平 (@yagijimpei) 2016, 1月 11
人の行動につべこべ言う批評家よりも、自ら行動を起こすプレイヤーの方がずっと面白いんです。
「やってみる精神」を失わずに常にプレイヤーでありたいなと。
疲れてオヤジになったとても、若い人をサポートしてあげられるようなオヤジにぼくはなりたい。
とりあえず、やってみようぜ。