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落語家の桂春團治さん死去 上方落語の「四天王」1月14日 6時54分
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華麗で繊細な語り口で人気を集め、上方落語の「四天王」と称された最後の1人、落語家の桂春團治さんが、今月9日、心不全などのため大阪市内の病院で亡くなりました。85歳でした。
桂春團治さん、本名、河合一さんは、昭和5年に大阪市で生まれ、昭和22年、父親で先代の二代目桂春團治に弟子入りし、桂小春を名乗りました。そして先代が亡くなったあとの昭和34年、29歳で三代目桂春團治を襲名しました。
華麗で繊細な格調高い語り口が特徴で、美しい所作でも観客を魅了してきました。厳選した「はなし」を徹底的に練り上げることでも知られ、「いかけ屋」や「祝いのし」、それに「寄合酒」などの得意の演目は、高い完成度を誇りました。また、去年3月に亡くなった桂米朝さんや、笑福亭松鶴さん、それに先代の桂文枝さんとともに上方落語の「四天王」と称され、戦後、廃れていた落語の復興に力を尽くしました。
さらに、昭和52年から6年余りにわたって上方落語協会の会長を務め後進の指導にも力を注ぎ、こうした功績から平成16年には旭日小綬章を受章しました。
春團治さんは3年前に足のけがで高座に上がれなくなり、自宅で療養していましたが、去年12月に体調を崩して入院し、今月9日心不全などのため大阪市内の病院で亡くなりました。85歳でした。
華麗で繊細な格調高い語り口が特徴で、美しい所作でも観客を魅了してきました。厳選した「はなし」を徹底的に練り上げることでも知られ、「いかけ屋」や「祝いのし」、それに「寄合酒」などの得意の演目は、高い完成度を誇りました。また、去年3月に亡くなった桂米朝さんや、笑福亭松鶴さん、それに先代の桂文枝さんとともに上方落語の「四天王」と称され、戦後、廃れていた落語の復興に力を尽くしました。
さらに、昭和52年から6年余りにわたって上方落語協会の会長を務め後進の指導にも力を注ぎ、こうした功績から平成16年には旭日小綬章を受章しました。
春團治さんは3年前に足のけがで高座に上がれなくなり、自宅で療養していましたが、去年12月に体調を崩して入院し、今月9日心不全などのため大阪市内の病院で亡くなりました。85歳でした。
弟子の桂春之輔さん「落語一筋の師匠」
桂春團治さんの弟子の桂春之輔さんは「師匠は落語一本の人でした。足を悪くしたときも私たち弟子がいすに座って高座に上がればどうですかと進めましたが、『そんなぶさいくなことできない。落語は出ばやしで出て行って正座をして演目を行うもんだ』と言って、いすを使いませんでした。落語一筋の師匠を失い、とても残念です」と話していました。