落語界の大御所で、戦後に衰退した上方落語を復興させた「四天王」の最後の一人だった三代目桂春団治(かつら・はるだんじ、本名河合一〈かわい・はじめ〉)さんが9日、心不全のため死去した。85歳だった。葬儀は親族と直弟子で営んだ。

 大阪市出身。父は上方落語の大看板だった二代目桂春団治。1947年に父に弟子入り。50年に福団治を襲名した。その3年後に父が亡くなり、59年に上方落語きっての大名跡・春団治を継いだ。故・六代目笑福亭松鶴、故・五代目桂文枝、故・桂米朝とともに戦後の上方落語界を支え続け、四天王と称された。

 マクラを振らずに噺(はなし)に入る独自の高座ぶりで知られ、「代書屋」「野崎詣(まい)り」「高尾」「皿屋敷」「お玉牛」「いかけ屋」などの滑稽噺(こっけいばなし)が十八番だった。それぞれに高い完成度を誇り、絶妙な間で爆笑を誘った。

 繊細なしぐさでも知られ、羽織を真後ろにストンと落とす華麗な脱ぎ方でもファンを魅了した。四天王の中で最も最後まで落語でわかせていたが、3年前に体調を崩して以来、高座から遠ざかっていた。

 98年に紫綬褒章、04年に旭日小綬章を受章した。