ボストン=宮地ゆう
2016年1月14日02時51分
ビールとソーセージとフライドポテトが入り交じった匂いが漂う。ほろ酔いの客が、古いアップライトのピアノの周りに集う。
「メル、次は何かな」
メル・スティラーさん(67)はピアノの横に置いたビールを一口飲むと、騒々しい店内に向け叫んだ。
「245!」
毎週金曜夜、1868年創業のドイツ料理の店は、200人近い客でごった返す。テーブルに置かれているのは、歌詞だけ書かれた269ページの手作りの本。客は、ところどころ破れてビールの染みのついた紙を繰り、約500曲の歌詞が書かれた中からスティラーさんの叫んだページを探す。
ビートルズ、クイーン、エルトン・ジョン、米国の民謡。曲はすべて客のリクエストだ。遠くから叫んだり、ピアノの前まで来たり。「まだ早い」「そんな暗い曲やめとけ」と、ほかの客も声を飛ばす。
みなで声を張り上げ、店全体が大合唱。たまたま入った客は、何事かと驚く。
「うまいかどうかなんて関係ない。1週間あったことを忘れて、みんなで歌うのがいいんだよ」。副店長のチャド・シェーファーさんが、バーカウンターの奥から言った。
地元マサチューセッツ州出身のスティラーさんがこの店で弾き始めて26年になる。母や姉が音楽好きで、自分も6歳くらいからラジオで聞いた曲をピアノで弾いていた。楽譜は読めないが聞いた音は再現できた。
ある時、酔って歌い出した友人にピアノで伴奏すると、「これで稼げるよ」とほめられた。子どもの教育費が必要な時期だった。
探した店の条件は、ステージではなく、客のテーブルのすぐ横にピアノがあること。「僕の演奏を聴きに来るのではなく、みなで一緒に歌うのが大切なんだ」
残り:962文字/全文:1664文字
おすすめコンテンツ
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
朝日新聞国際報道部
PR比べてお得!