photograph by Takuya Sugiyama

恐れることを、恐れるな。進め。

Surface Pro 4 presents SPARK MOVIE

Supported by Number & Microsoft Surface

AFC U-23選手権カタール2016 サッカー リオ五輪アジア最終予選 tv asahi 5ch

下へスクロール

Microsoft Surface

Surface Pro 4 presents SPARK MOVIE

サッカーの興奮を広く伝え続けてきたテレビ朝日。サッカーの真髄を深く伝え続けてきたSports Graphic Number。2016年、両者とともに送る180秒超大作CM。その名も、SPARK MOVIE。若き編集者は、サッカー界のレジェンド、イビチャ・オシムに対峙し、何を感じ、何を学ぶのか。もがきつづけた彼の見たものとは。そして、編集者を通して、オシムは世の中に何を問いかけるのか。SPARK MOVIEスペシャルサイトでは、CMをさらに楽しめるサイドストーリーを随時公開!

Surface Book 予約受付中


一人の若き編集者が成長を遂げる、ドキュメントムービー。/小誌・Number編集部に在籍する若手編集者を主人公にしたCMが制作された。サッカー界のレジェンドへの取材を通して描かれる、彼の成長物語を追う。

テレビ朝日系列で放送するサッカー中継のハーフタイムのみでオンエアされる、Microsoft Surface Pro 4 presentsのスペシャルCM。その舞台となっているのが、小誌・Number編集部だ。
主人公はNumberの若手編集部員。サッカーが好きで、この業界に入ったはずなのに忙しさに追われ、仕事は〝情熱を注ぐもの〟から、いつしか〝そつなくこなすもの〟へと変わってしまった。そんな彼が、ある人物への海外取材を経験したことで、パートナーであるSurface Pro 4を駆使して、再び自らの限界に挑戦する勇気を取り戻す…。
このストーリーの大きなターニングポイントとなる〝ある人物〟こそ、サッカー界の伝説、イビチャ・オシムだ。
マイクロソフトは今回のCMのテーマに『Rewrite the Rule(常識を打ち破れ)』を掲げ、制作を開始するにあたり、サッカー界で『Rewrite the Rule』を成し遂げた人物として、母国の旧ユーゴスラビアでサッカーを通じて民族の壁を壊し、日本のサッカー界にも革新を起こしたオシムに白羽の矢を立てた。
オシムへの取材シーンの撮影は、昨年の12月、真冬のサラエボで行なわれた。
現地の撮影チームを率いた三浦和徳監督は「オシムさんからはサッカーの世界で歴史を作ってきた人ならではの重みやオーラを感じました」と、現場の感想を語る。その重みを生かすために、撮影方法にこだわった。
「CMの中でオシムさんが語っているのは、こちらが決めたセリフではなくオシムさんが現場で考えた自らの言葉です。言わば、ドキュメンタリーですね」CMと言えば、15秒から長くても60秒という世界。ところがこのスペシャルCMは180秒と、CM自体が『Rewrite the Rule』な存在となっている。
「CMを制作するときは、短い時間の中でいかに情報を伝えるかを考えています。でもこれだけの時間があれば、しっかりとしたドラマを作ることができます。オシムさんの言葉をドキュメンタリーとして撮影することができたのも、180秒という時間があったからこそなんです」

撮影は今もオシムが住む真冬のサラエボで行なわれた。空港から旧市街に向かう道には「スナイパー通り」という物騒な名前が付けられた一帯が存在する。周囲の建物には民族紛争の名残とも言える銃弾の跡が散見された。そして、ついにオシムと対面。若き編集者はオシムに対峙し、何を感じ、何を学ぶのか。日常生活の中でもがき続けた彼が現地で見たものとは――。オシムが語ったのはサッカーのことだけではなく、今、日本国内で葛藤するビジネスマンにも伝わるメッセージ。遠く東欧から今でも日本を愛し、見守り続けるレジェンドの思いを、ぜひこのCMから感じ取って欲しい。

今やテレビ番組は録画して、好きな時間に観るというのが当たり前の時代。それでもサッカーをはじめとするスポーツ中継だけは、勝利の瞬間をリアルタイムで味わうために、ライブで観戦されている。だからこそ、そのハーフタイムで流れるCMもリアリティを感じられるものにしたい、という思いが込められている。
「ストーリー自体はフィクションです。その中で、オシムさんのシーンはもちろんのこと、編集部のシーンでもセットではなく、実際にNumber編集部を借りて撮影するなど、フィクションの世界に〝本物〟を入れることで、ドラマのリアリティを高めています。Number読者にとっては、編集部の様子を観ることができる貴重な機会だと思います」
このスペシャルCMが放送されるのは、1月13日、16日、19日のサッカー中継のハーフタイムのみ。これだけ豪華なCMが放送されるとあっては、ハーフタイムも、試合中継を観る楽しみの一つと言えるだろう。
「今回のCMは、主人公の姿を通して、多くの人に勇気や前に向かう力を届けられるストーリーになっています。試合はもちろんのこと、ぜひハーフタイムも楽しんでいただきたいと思います」

Number 893(2016年1月7日発売)590円(税込)[別冊付録]イビチャ・オシムから日本へのメッセージ。

74歳になった今も全く変わらない、
日本そしてサッカーへの愛情。
日本を離れて早7年ーー。
今、オシムの目には日本はどのように映るのか?
彼が待つサラエボに飛び、
〝我々が進むべき道〟について聞いた。

イビチャ・オシムの独占インタビュー記事は
Number Web へ!

第5回

オシム取材日記

オシムさんへの取材を企画してからの約1カ月間、本当に怒涛の毎日だった。サラエボの街を歩いたのも、もうだいぶ前のことのように思える。今でもオシムさんとお会いした時のことは鮮明に覚えている。醸し出すオーラ、言葉ひとつひとつの重み、全てが衝撃だった。まだ新米編集者の僕のことも気にかけてくれて、オシムさんの人間性にも魅了された。
そして、その時のやり取りをまとめた記事が無事に出来上がった。今回はNumber893号(1月7日発売)に挟み込まれる別冊付録の中に掲載することになった。別冊付録の表紙には、74歳とは思えないオシムさんの強い表情を捉えた写真を使用した。ぜひ、まだまだご健在のオシムさんを一人でも多くの読者に見て欲しい。
僕は今回のサラエボ取材を通して、少し強くなれた気がする。でも、まだ編集者としてのキャリアは始まったばかりで、これから先も様々な難題と向き合うことだろう。そんな時はいつもオシムさんにもらった言葉を思い出して頑張ろうと思う。

『恐れることを、恐れるな。進め。』

第4回

オシム取材日記

取材を終えて

オシムさんは、多忙なスケジュールの中で、2時間以上にわたるインタビューに応じてくれた。挨拶した際に握手した手は想像以上に大きく、眼光は70歳を超えた人とは思えないほど鋭かった。でも、決して威圧的ではなく、さまざまな経験を重ねてきた方だからこその重みと深みを感じた。
取材を終えて、オシムさんの言葉を反芻しながら記事の方向性を考える。
インタビューの際は僕がこれまで接してこなかったようなフレーズが頻発した。
「破壊は容易だが、創造は難しい」
「嫉妬が改革を妨げる」
「サッカーとは観客にとってひとつの演劇である」云々……。
これらの難解な言い回しを解釈するためには、通訳の方に確認する必要がある。
オシムさんが語ってくれた黄金の素材をどうやって咀嚼し、読者に伝えればよいのか。
さらに現場で感じたオシムさんの情熱をいかに記事の中に盛り込むのか。
現場で直接対峙したからこそ得た感覚と、ひとりでも多くの方々に理解してもらいたいという難しいけれども、編集者として醍醐味と言える課題を抱えながら、僕は原稿をまとめるのだった。

第3回

オシム取材日記

オシムさんとの取材にて

いよいよオシムさんとの初対面……。彼の人となりや経歴、過去のインタビュー記事などは何度も読んで頭に叩きこんできた。
でも、今回は“自分の言葉”でオシムさんの本音を引き出さなければならない。
そんなことを考えているうちに、時間はあっという間にすぎ、約束の時間通りにオシムさんはアシマ夫人とともに現れた。
74歳という年齢を感じさせないオーラ。そして何よりも190㎝を超える体躯に圧倒される。これまで会ってきた取材対象とは違う独特の緊張感を覚えた。
インタビューは想定していたよりも和やかに、そして順調に進んだ。
だが……僕が発したある一言でオシムさんの顔つきが変わった。そこからは、湧き出る冷や汗と心臓の鼓動を抑えるのに精一杯だった記憶しかない。
ただ、ひとつ言えることは、オシムさんは厳しい顔をしながらも、若手編集者である僕の目を凝視して、常に真剣に対峙しようとしているということだった――。オシムさんは、僕のことを“個人”として向き合ってくれた。
僕がどこまで、オシムさんの本音を引き出せたのかはわからないが、この貴重な時間で得られた自分の感覚を読者に伝えなければならない。
オシムさんの表情と言葉をひとつひとつ反芻しながら、記事の方向性を推敲した。

第2回

オシム取材日記

サラエボ到着

成田からウィーンを経由して、インタビュー前日にサラエボ入りする……予定だった。
しかし、ウィーンの空港に到着してメールをチェックすると、副編集長から
「サラエボの空港は霧に包まれていて、欠航便が出ているらしい。気をつけて!」
というメッセージが……。
そんな、まさか!と思いつつ、空港職員に尋ねると、案の定、ウィーンからサラエボ行の便は「CANCELED」になっていた!!
オシムさんの取材は翌日の夕方。
パニックに陥りそうになったが、まずは翌朝の便を予約して、ウィーンで悶々とした一夜を過ごした。とはいえ、明日が運命の取材だということは変わらない。
不安な気持ちを抑えて、オシムさんの資料をもう一度読み込み、質問事項を整理した。
翌日、無事飛行機は飛び、サラエボに到着。
オシムさんとの約束の時間までは5時間しかなく、取材場所まで直行しようとも考えたが、サラエボの街を少し散策することにした。
取材対象が生活している場を見ることも大切だと思ったからだ。
空港から旧市街に向かう道には「スナイパー通り」という物騒な名前が付けられた一帯がある。
周囲の建物には民族紛争の名残ともいえる銃弾の跡が散見された。
'90年代初頭に勃発したユーゴスラビア紛争の渦中で生きたオシムさんは、僕たち日本人とは違う価値観で物事を考えているのではないか?そんな想いを胸に、数時間後のインタビューに臨むのだった。

第1回

オシム取材日記

スポーツ・グラフィック ナンバー編集部では若手の僕。
2016年の「Number」新年1号目にて、サッカーの歴史を変え、今でも日本で愛されるイビチャ・オシムさんのインタビューを任されることになった。
取材場所はサラエボ。もちろん初めて訪れる。そもそもどう行けばいいのか?(笑)
オシムさんに関する記事は入社前から何度も「Number」で読んだことがあるけど、僕は初対面だ。ちゃんと取材できるだろうか?
オシムさんの存在感に圧倒されないだろうか?
でも、今改めて自分でいろいろ聞いてみたい!
オシムさんの哲学、そして衰えることのないサッカーに対する熱き情熱を――。
僕なりにオシムさんのことを調べて、いざサラエボへ!