■ヨガ独習法/アーサナ(ポーズ)/呼吸法
本ページの内容は固定です。2006年から。(更新しません)
■ヨガ独習法について
まず、私が考える、”ヨガを独習することのメリット”は、次のようなことです。
・ヨガ系団体に所属しなくてもいいので、
お金がほとんんどかからない。
(ポーズの写真がのっている参考書を購入する程度でOK)
・あぶない団体に囲いこまれない。
(神秘体験とか、クンダリニーが覚醒したら素晴らしいことに・・・などといっている団体や個人は、他人を利用しようとしています。また、古い本を調べたり、想像したりして、修行を美化して言っているだけなのです)
・マイペースでおこなえる。
・ヨガ団体の「横並び人間」になることがない。
(団体に取り込まれると、能力のある人は、逆に、ちんまりした人間になってしまいます)
・指導者(グル)のコピー人間にならなくてすむ。
次に逆に、”独習することのデメリット”を考えてみますと・・・
・自分ひとりの力が試されるので、
ヨガ系団体の「横並び人間」にさえなれない。
・グルのパワーを受けられないかと、心配でしかたがない。
(これは、自分で努力したくない人間の、取り越し苦労です)
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さて次に、
ヨガを効果的に独習する方法を、
当サイトオーナーのジルコン中村が簡単にご説明します。
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1) 「肉体的な修練」をおこなうこと(ヨガのポーズや呼吸法のこと)
まずは、写真入りのヨガの本でも買ってきてやればいいと思いますが、かといって、ヨガだけにこだわらないで下さい。
そんなに頭の固いことでは、いけません。
そもそも、世間で”これがヨガのポーズだ”といわれているほかにも、もっと効能のあるポーズは、限りなくあります。
といいますか・・・、これまで伝えられてきたヨガのポーズは、それをいくらやっても、あまりにも安全だから、言葉を変えれば「安全無害」に近いから、伝えられてきたようなものです。
ヨガには、そういう面が多々あります。
だから、型にはまらず、型をやぶるくらいのつもりで、いろいろやってみることです。ヨガであれ、なんであれ、成功した人間は、たいてい型をやぶっているものです。型どおりにやれば成功できるのであれば、成功者は続出していますよ。しかし現実は、そうではありません。型にこだわることはないのです。
気功、太極拳、ナントカ体操などと言われるものなど・・・・、肉体的な修練はいろいろありますので、いろいろ試してみましょう。もちろん、”自己流の動き”でもまったくかまいません。
ひとつのメソッド(ひとつの団体)をやっていると、自分の視野がものすごく狭くなってしまうため、複数をやったほうが、むしろいいくらいです。それに、ほかのことをやることによって、逆にヨガの効能が客観的にわかるようになってきます。
ヨガのポーズ(アーサナ)や呼吸法といった修練のやり方については、当サイトでは基本的には書きません。いろいろな本が、いやというほど出ていますので、ときに信じ、ときに疑いながらやってみればいいと思います。要は、本人がどのようなやりかたをし、どう感じ、個人的にどういう結果に結びつくか、ということなのです。そういうことを、自覚をもってやることが大切です。でないと、建設的な修行はできません。
たったひとつのポーズでも、呼吸法でも、それを深めて深めて、さらに深めてゆくところの、そのずっと先に「ヨガの成果」があります。
その逆に、あれもできます、これもできますみたいなアクロバット体操みたいなことをめざすなら、最初から体操でもおこなえばいいことです。
ヨガでは、「何かを行なっているときや、おこなったあとに、自分に生じる感覚」を「味わう」ことが何よりも大切です。
味わい、というのは、物理的世界から非物理的世界に通じる感覚です。ヨガで生じた感覚を味わうことで、その先の、さらに深いレベルの味わいの世界がわかるようになり、いずれそれをコントロールできるようになるわけです。だから、何かヨガ的なことをやったら、その結果を味わう。それが大切です。
”長期”で取り組むことは言うまでもありません。一生続けるべき、と思って下さい。途中で中断しながら、などというのは、よくありません。おこなったことの効果を自分に定着させ、さらにまた、少しづつでも次に進むことが大切です。
ヨガ瞑想を実践する過程で、神秘体験とか幽体離脱とか、まあそのようなことも起こり、自分の肉体以外のこともコントロールする必要が生じ、徐々にそういう(ヨガの進歩の)方向にいきます。
ただし、神秘体験、霊体験は、基本的に「脳」が認識する脳内体験ですので、そのようなことにとらわれたり、はまっていては、きりがありません。精神病院に行けば、そのような症例の人が多くいます。そういう種類のものです、神秘体験というのは。
また、そのようなことが目的であれば、ヨガなどしないで、ドラッグだの怪しいハーブだのがありますよね。
神秘性を重要視してしまうと、自分がその体験に振り回されて何ヶ月、何年と無駄に過ごしてしまうばかりか、社会からも脱落しがちです。
「霊能的」な世界では、モノにゴミがついても、それを「霊がついている」と認識したりします。じつにばかばかしいことなのです、霊視って。ですから、そのようなことには、いったんは驚いたとしても、次には、無視すべきです。
2) ツールを利用するのもよい。
「健康目的」あるいは、「ヨーガの究極的なところまでいきたい」、という、そのどちらの目的にしても、上の1の肉体的修練とあわせて、道具(ツール)/製品(商品)を利用するのもテです。便利なものもいろいろあるでしょうから、避ける理由はないと思います。じつは私自身も決してきらいではなく、その方面のカタログを見るのを楽しみにしています。(^^♪ 人生は短いですから、便利なものは利用せねば。
へんな団体に所属するより、便利なツールを使うほうが健全だと思います。
ツールに関連してですが、ヨガ、瞑想において、とりあえずの先決は、体内のエネルギーライン(経絡)の通り道をクリーンにして、そこを詰まらせている不用エネルギーを排出することです。俗にいう”浄化”、です。
であれば、たとえ道具を使ってでも、不用エネルギーが出やすい体質をつくればいいわけです。足裏シート、足マッサージ機なども、良いでしょう。もっといろいろありますね、最近では。いわゆる健康グッズの中に、有効なものが多くあると思います。
その中でどういうものがいいかというと、基本的には”足裏からの不用物排出”。また、足首を温めるもの。
言葉を変えれば”体重が減る”傾向のグッズが、ヨガの究極目的のためにも向いています。
3) 水晶を利用する
私はとにかくよく水晶のお世話になりま”す”た。
人間の指導者(グル)と接すると、その個性を浴びてしまいます。そうすると今度は、自分自身からその、グルの個性をすべて取り除かないと、自分がやっていることに元も子もなくなります。と、私は思っています!
とにかく、生身のグルとつき合う上で、その点が大問題です。
普通の人がこれを簡単にできるなどと、決して思わないでください(つまり、自分からグルの個性を取り除ていて、グルを利用だけできる、と思うなど)。
これは、ひじょうに難しいことです。なぜかというと、グルのほうがあなたより、はるかにいろいろな意味での鍛錬をしており、生体パワー(外部への影響力)は強く、かつ頭もいい、といいますか、ずる賢いという点でも勝っているからです。
そういったグルからにじみ出る気を浴びてしまうと、関わった人の深部に潜在してしまい、簡単には除去できません。単に、”グル(教祖)のコピー人間”になってしまうだけです。また、そのグルがまともな人間であることは、滅多にないことです。まともな人間だったら、たかが肉のかたまりである自分をよくわかっているので、グルづらはしないものです。
そこで・・・・、人間ではない、水晶の話をしましょう。
水晶をずっと手の平にのせておくだけで、体内のエネルギーがどんどん浄化され、クンダリニーの通り道まで徐々にととのってきます。私が、何度も何度もやってみて、実証、確認したことです。これは簡単で、苦労なくおこなえます。また、ヨガ教室やグルにつくことに比べれば、どれだけ安上がりなことか! 水晶の効能がこれまで伝えられてきたのには、やっぱりそれだけの理由があるからです。
ただし、なんでも、努力と継続が必要です。ちょっとやってみて、「わかんない~。やめた」というタイプのかたは、やってもしかたありません。少なくても、最低何ヶ月かはやってみたほうがいいと思います。
水晶は決してオカルティックなものではありません。地球の地殻の中に蓄積され、ひじょうに微細な振動をもっていて、周囲に一定のリズムの影響を与えています。
水晶は、科学的、商業的にも役立つことが認められている鉱物です。
水晶時計、水晶発振器、水晶振動子などのキーワードで、インターネットでお調べになるとよいでしょう。
水晶の”まがい”ものをつかまないために気をつけるべきことは、内部がガラスのようにクリアで、曇りやキズひとつないものは、むしろ避けることです。多くの場合、これは”水晶玉”として売られています。そういうものでなく、かえって、ごつごつの、砕きっぱなしの、いびつな、キズのある、曇ったもののほうが、安全です(本物として)。
使い方は、よくいわれるように、両手のひらにはさんでの瞑想や、まあ、持ってじっとしているていどのことです・・・。
4) クンダリニーの覚醒と上昇(ヨガの究極的目的)に際して
以上、1,2、3のようなことを、地道に、毎回真剣にやることによって、いわゆるクンダリニー(上昇する性エネルギー/性欲)の「通路」が、体の中心部に整いはじめます。上昇のための通路が、広がってきます。
整わないうちにクンダリニーの本式覚醒なり活動がはじまりますと、たいていは、肉体的トラブルが起こ ります(多くは、発熱、脊髄の痛み。風邪的症状。さらに、関連症状)。
こうした症状は、あるていど健康な人であれば時間の経過と共に収まりますが、体に疾患をかかえている人は、多量のエネルギーがその部分を直撃してしまうので、のっぴきならないことになる場合もあります。
クンダリニーの「本式覚醒」は、「グルがいなくては」と思われているかもしれませんが、そんなことは全くありません。そもそも、「安全・確実」に、しかも「代償」なしに、あなたという赤の他人のクンダリニーの覚醒と上昇という、本来やらなくてもいい作業を請け負ってくれるグルなど、いるでしょうか? もしいるとしたら、なんらかの代償は期待されていることでしょう。あからさまにか、あるいは、暗に・・・。
とくに、頭の悪い(弱い)女子は、気をつけなくてはなりません。ヨガなどする前に、頭と勘を良く、人並みにするほうが、確実に先決でしょう!(といっても、多くの場合、自分がばかだという自覚がないので無理でしょうが)
水晶以外の手段としては、いながらの場(たとえば自宅)で、じっと立っているだけでも、自分の天地のエネルギーの”開通”はできます。”いながらパワースポット”です。
いながらパワースポットをやりたくない人が、有名なパワースポットに行くのです。
いながらパワースポットをするときは、同じ場所に長時間立っていることです。室内で十分です。
これにより、自分自身を避雷針かアースのようにして、天と地の通行路として動作させ、自分内部のクンダリニーの通り道を拡張していくことができます。ただし、最初のうちは最低30分以上はかかるかもしれません。いや、もっとかな。いや・・・1日では無理かな。
まあ、その人しだいです!
そうやって、ヨガ修行、クンダリニー操作のために、なんだかんだとやるわけですが・・・。
そのうち、股の部分に性欲エネルギーとして停滞している、実はクンダリニーエネルギーが本式に(大量に)覚醒しはじめると、股を中心に、のっぴきならないことが起こるかもしれません。人によってどうなるかは、さまざまでしょうが。
私の場合は、半月~1か月くらいのあいだ、股に火のボールを抱えているような感じがして、びっくりしました。それはもう、物理的な大きなカタマリをはさんで歩いているみたいで、ひじょうに歩きにくかったです!
股のボールが邪魔で・・・・、なんて、ばかみたいな話ですが、そのときは驚きました。自分の人生、悲観しました。一生こんな体だったらどうしよう・・・、と。
ただし他人から見れば、何もみえないわけですが・・・。足がガニマタになって、歩けないんだから!
とにかく、クンダリニーが股から頭部方向へ上昇しやすくなると、体の不具合も起こりやすいです。頭部にエネルギーが溜まるとか。眉間が刺激されて鼻水が出るとか、人によっていろいろです。
で、肝心のクンダリニーの「上昇の方法」はどうするのか、どうなるのか、ということになりますが・・・、そこにくると、これはもう他人がとやかくいえるものではありません。
事件の現場は、そんな暇も余裕もありません。
そこまでくると・・・・、なにかのきっかけで、事態はあっというまに、勝手に進行してしまいます。それまで、あなたがやったことが、その結果を決めるのです。
その際、どれくらいの量のクンダリニーエネルギーが体内のどの位置まで上昇して、頭上から出るか、あるいは出ないで、発熱したり腰・背中を痛めるか、などということが、日ごろの修練の結果によって決まります。
私はただ、「行ってらっさい」、ということしかできません。
それでは、安全な「体内旅行」を!
といいつつ・・・次へまいります。
■アーサナ(ポーズ)について
ヨガを始める人の多くが、ポーズ(アーサナ)の実践からはじめると思います。
ところで、ヨガのポーズ(アーサナ)の「効能」とは、いったいなんなのでしょうか?
私の体験から申しますと、まず、
ヨガのポーズ(アーサナ)には2タイプあるようです。
ひとつは、「体が勝手にそのポーズをとってしまう」もの。
どういうことかというと、たとえ自分がいやだいやだと思っても・・・(というのは、説明上ですが)、体の各部が吸い付くように勝手に(自発的に)ポーズをとってしまうタイプのポーズ。要は、体の部分と部分が勝手に吸い付いてしまうのです。
しかし、このような状態になる人、できる人は、世界中に数えるほどしかいないでしょう。これは正真正銘のヨガ行者です。瞑想状態の中で、「そうなるしかない」という絶対的な感覚で、ポーズをとるのです。
人体に、原始本能として記録されているポーズなのでしょうが、私も未熟なものですから、過去に1度しかありません。すみません。
ですが、そのただ1度であっても、ヨガのポーズの中には、ひじょうに霊的なレベルのポーズがあるということはわかりました。広義には、本来ヨガのポーズであれ、存在全体(全域)のなんであれ、そういう面があるのだと思います。
一方、巷に伝えられてきたヨガのポーズは、これとはまた別のものであるともいえるでしょう。誰がやっても安全無害なものなので、伝えられてきたのではないかと、思います・・・。(そうでなければ、そこいらへんのヨガ指導者など、毎日毎日、やってられないはずです)
その<別もの>というか、一般的に紹介されているヨガのポーズが、世間でよくいう”アーサナ”ですね。体の各部が勝手に吸い付くのではなく、アタマ(脳)で、こうしよう、と考えて、とるポーズです。
以下は、そういった「伝えられている一般的なポーズ」を、私がやってみたときの感覚です。
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あるポーズをやってみる。
次に、そのポーズを解いて、全身から力を抜いてリラックスし、
自分の状態を感じとる(味わう)。
すると、体内のエネルギー(あるいは、「非物質的なもの」)が、
いっせいにサーッと、足先、手先に流れはじめる。
これが、かなり著しいポーズも、ある。
脊髄の中のエネルギーも、どんどん手足の末端へと流れていく。
つまり、あるポーズをとるごとに、
体内のエネルギーが手足の末端へと向かって動き出し、
手先、足先から、外部の空間に排出されてゆく。
足の指先からは、なかなか排出されないことも多く、
足の指がめくれ上がるように波打ったり、ツることもある。
体内はいったん、そのざわめきにかくはんされ、その後、
徐々に落ち着きはじめる。
(ひとつのポーズをしたあとは、ここまで確認します)
ただし、ポーズを解いたあとでなくても、
同じポーズをずーっと継続(キープ)している最中にも、
以上のようなことは起こる。
したがって、できるだけ長くキープすることに
意味も効果もある。
逆にいえば、いろいろなポーズを次から次へしなくても、
たったひとつのポーズでも、
ヨガの完成へと近づける。
以上のようなポーズ(アーサナ)の効能の”先”は?
というと、「瞑想の世界」に入るので、
この項では書きませんが、究極的には、
別項の”性・クンダリニー”の内容のようなことになります。
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もう少し補足します。
同じポーズ(アーサナ)でも、個々人によって、効果が違います。それは、その人の流れのクセ(生活習慣や遺伝的体質にもよる)があるからです。
そしてじつは、ヨガのポーズ(アーサナ)の効果は「動いてない」ときのほうが顕著です。動かずに、ポーズをキープしているときのほうが、効能は顕著です。だから、ずっとポーズをキープしている(とり続けている)のがポイントです。
だから私は、ヨガ教室というのは、基本的にはおすすめいたしません。みんな一斉に横並び的行動をしますが、人間の内面の動き、というのは、個々人でまったく違うはずですから。
体の柔軟なヨガインストラクターで、あれもできますこれもできますみたいなおヒトは、ヨガを深めることができないかたが、ほとんどです。だからこそ、インストラクトーになれるのです、・・・といっても言いすぎではないでしょう、一般論としては。
で、アーサナの効果で、体内の不用エネルギーがほぼ排出されると、こんどは体内に、別の「気」が「満ち」はじめます。その経過は、別項の”性・クンダリニー・・・”に書いてあります。そしてそれが成功すると、”繁殖のための生き物”としての体から「解かれ脱する」方向にいきます。「解かれ、脱する」、です。わかりますね?
そんな状態になるのは、日本に、世界に、何人かいるかいないか、というような数じゃないかと思いますが、だけど、それは、あなたかもしれません。私みたいなばかも、ちょっとかじっているわけですから。
ただし、いったんそうなっても、またすぐ元の体に戻ります(体の習性として)、何度も何度も、それはもう、何度も何度もやらないと、繁殖動物の習性、特性からは脱せられないのです。
でも、そんなことをやっているうちに、通常は、「更年期」を迎え、ほんとうに繁殖のできないカラダになってしまうわけです。
いずれどうせせそうなるのなら、オス・メスとしてのカラダの宿命克服のために、なにかやる必要などあるでしょう? それも一応、考えてみてくださいね。それくらいばかばかしいことなんですよ。修行だのクンダリニーなどというものは。
以上書きましたように、ヨガのポーズの「効能」は「内部的な生体エネルギーの変化」であり、自分でそれがわかってやることが大切であり、そこに、意味も意義もあるということです。
ですから私は、「独習」をおすすめしているのです。
それには、ヨガのポーズの本、1冊あればいいのではないでしょうか。あと、このブログを見ればよい、と。
以上、私は、みなさんに、ポーズ(アーサナ)の”意味”をお教えしました。
ポーズの”かたち”はお教えしません。
どこもかしこも、そんな情報だらけですので。
■呼吸法について
私の、「呼吸」を通しての感覚をまじえ、
呼吸法について少しコメントします。
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私が右鼻から息を吸い込むとき、
私が瞑想に入っている場合に限られるが
(感知能力が鋭くなっているため)、
私の脊髄の右側のラインから「もろもろ」と、
はがれるような感覚で、
おそらくは非物質レベルの体内不用物(エネルギー)が
足先へと向かい、体外に排出される。
(これは、ヨガのポーズの効果と同じ)。
それがはっきりわかる。
もう、ごろんごろんと落ちていくような
感覚のときも、ある。
体外に出なかった(出られなかった)エネルギーは
足の指先で詰まり、
足先がめくれるように波打つこともある。
ただし、
私が瞑想に入ることなく呼吸をおこなった場合は、
鈍感な状態なので、以上のことが認識できない。
そのときはただ単に、
物理的な息の出入りを感じるだけである。
右ではなくて左の鼻から息を吸い込むと、
脊髄の左側の通路(ライン)から、
これも、もろもろと不用物がはがれ、
足先から排出される。
「両鼻同時」の呼吸を、
ちょっとコツを加えて
何度かおこなうと、
脊髄中心の下部から垂直に頭部へエネルギーが昇っていって、
その部分(体内の中心通路)が浄化される。
(クンダリニーエネルギーの通り道が増強される)
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また私が、瞑想に入っているときに、
自分の意識(意志)で、
自分の脊髄に「意識としての呼気」を
誘導するようにして当て
部分的に自分を調整することも浄化することもできる。
とくに私の脊髄には悪い部分(患部)があるので、
このことをよけい認識しやすい。
くり返すが・・・、以上のことは、
私が瞑想に入っているときに限られる。
そうでないと感知能力が鈍っていて、よくわからない。
(私は本来、鈍感である・・・)
また、瞑想に入っているときに、
自分の呼吸に注意を向けると、
それがまるで「リズム」をきざむような周波数だか
一定の周期をもっていることが、わかる。
(地球か天体の宇宙波長と、
同調しているのではないかと思うが、
これは私の想像である。)
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以上、呼吸について。
私の書く内容が、いやに少ないですが、
というのも私は、
かたちとして決まっている「呼吸法」をやるということが
ほとんどというか、基本的にないのです。
一方、瞑想中に、
呼吸が止まったようになることはしょっちゅうです。
ただただ、ひたすら自分を鎮めていくと、
自分が呼吸をしているかしてないか、
その感覚もないような状態になります。
ヨガを始めた当初から、わりとこの傾向があり、
したがって、むかし、ボディワーク系の講習会に行ったとき、
指導者から、「大きく呼吸をしてっ!」と言われたときは、
とても不自然なことをするように思えました。
(その指導者を軽蔑してしまいました)
そういうのは苦痛です、かえって。
呼吸というのは、やるものでなく、
”消えていく”のが、私にとってやりやすいのです。
私以外にもそういう方は多いかもしれません。
こんな人間ですので、
呼吸法について詳しく書けません。
ただ、そうはいっても、いわゆる呼吸法をやってみると、、
「気のカラダ」にするためには、とても効果的で、
体の気の度合いが高くなります。
それは、クンダリニーが上昇しやすい体をつくることに
つながります。
極端な話、べつにヨガのポーズなどやらなくても、
呼吸法だけで、クンダリニー上昇傾向の体にできるのでしょう。
いえ、できます。
ただそれでは、クンダリニーの通り道は
自覚的に強化・浄化できても、
体のそれ以外の部位の浄化は忘れがちなので、
いざクンダリニー上昇に直面したとき、
体の別の部位(経絡)に影響が出て、
そのときどうなるかは、わかりません。
鍛錬されてない経絡に、
大量のエネルギーがドッと流れるということは、
あぶないことです。
その部位が脳だったら・・・・?
↓この項の結論です。
他人の言うとおりにするより、
自分の感覚でやっては? ということです。
しょせん凡人であることが多い
ヨガ指導者の言うことを
うのみにしない、ということです。
もちろん、メディアの情報もうのみにしないこと。
ヨガは、これにつきます。ですから・・・、
あまり真面目な人は上達が遅く(間違った情報をうのみにするので)。
逆に、勝手な人間はマイペースで上達する、と思われます。
であれば、ヨガが上達しがちな人間に、
性格のいいヒトなど、いないかも!
↑これね~、真実ですよ。
自分を善人だと思う人、そうなりたい人は、
ヨガなどいまのうちにやめておいたほうが、
よろしいでしょう。
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